TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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深憂と神様

 あれだけ人と出店に満ちていた境内は、幾つかの配線や消えた提灯を残すのみまで片付けられ、すっかり静寂なものへと戻る。

 光のない、深夜過ぎの青い夜の中。パチリと、神社裏にある家の一階にだけ明かりが灯る。

 

 

「…………」

 

 

 梨花は二階、暗い寝室で目が覚めた。

 暑さで寝苦しい以前に、ずっと頭の中を巡る思考と不安が彼女の心を苛め、浅い眠りと覚醒を繰り返していた。

 

 

「……ワイン……飲もうかしら」

 

 

 そう呟き、同居人の様子を伺おうと隣の布団を見やる。

 沙都子の姿はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 階段を降りて、電気の点いた居間に入る。

 部屋の隅には上田が修理中だった大きなテレビ、その隣には扇風機がカタカタ音を鳴らしながら、生温い風を吹かせていた。

 

 その風が送られる先、次郎人形が置かれたちゃぶ台に突っ伏して物思いに耽っている沙都子がいた。

 

 

「……沙都子?」

 

 

 梨花が声をかけると、彼女はハッとしたように顔を向け、それから弱々しく微笑んだ。

 

 

「……あら、梨花……起きていらしたの?」

 

「みぃ……ボクも眠れなくて……」

 

「明日は普通に学校なんですから、お寝坊さんの梨花は寝なきゃ駄目ですわよ?」

 

「……そう言って沙都子だけ夜ふかしさんなのもズルいのです」

 

 

 沙都子は身体を起こし、困ったように口元を指先で掻いた。

 

 

「……仕方ないですわね。では少し、二人でお話しでもします?」

 

「はいなのです」

 

「喉、渇いておりますこと?」

 

「カラカラなのです」

 

 

 ゆっくりと立ち上がり、「待ってて」と言って一度台所に行き、二人分のコップとポンジュースを持って来てくれた。

 冷えたジュースがコップに注がれ、まずは互いに一口飲む。

 

 

「……お祭り……大変な事になってしまわれましたわね」

 

 

 飲み込み、一度息を吐いてから、沙都子はそう溢した。

 

 

「……山田さんに富竹さん……どこに行かれたのでしょうか……」

 

 

 返す言葉がすぐにも思い付かず、コップに口を付けたまま梨花は小さく俯く。

 一人で考え込んではいたものの、沙都子自身誰かと話したかったのだろうか。それからはぽつぽつと、思いを吐露して行く。

 

 

「あぁ、上田先生も鷹野さんもまだどこにもいないって、監督が言っていらしたわ……みんな祭具殿に入っちゃって……それに今年もやっぱり鬼隠しが起きたそうで……もしかしたらオヤシロ様の祟りに……」

 

「……まだ死んじゃった人が、山田たちとは分かっていないのですよ」

 

「……私、不安ですわ……」

 

「……不安なのはボクもなのです。だから沙都子の気持ち、分かりますのですよ」

 

 

 コップを置き、沙都子は頭を抱える。

 腕の隙間から見えた彼女の瞳は怯えに震え、そして涙で潤んでいた。

 

 

「……それに、怖いのです。上田先生も山田さんも、みんな、みんな……にぃにぃやお母さんのようにいなくなるって考えたら……」

 

 

 瞼に留まっていた涙が、耐えきれずにぽとりと頬に流れる。

 

 

「テレビを直してくれるって言ってらしたのに……! こ、これじゃ……プレゼントを買って来るって言ってた……にぃにぃと同じで……!」

 

 

 一度流れてそれからは、崩落したかのように次々と涙が溢れて止まらなくなる。

 必死に拭おうと両手で擦るものの、涙は延々と流れて落ちる。

 

 

「もしかしたらオヤシロ様はまだ、北条家に怒っていて……! だから私の好きな人をみんな、祟りで──」

 

 

 

 

 感情が止まらなくなった沙都子を、梨花は後ろから抱き締めた。

 背中から感じる暖かさが、柔く被さる腕の感触が、沙都子の気を鎮めて言葉を堰き止めた。

 

 

「……言ったのです。オヤシロ様はそんな事をする神様じゃないのですよ……最初から沙都子は赦されているのです」

 

「……梨花……?」

 

「ボクが言うのですからホントなのですよ?……だから、信じるのです、今は」

 

 

 不意に強まる、梨花の腕の力。

 

 

「……山田も上田も、みんな生きているのです。必ず、絶対に生きている……だから恐れないで」

 

 

 その慰めの言葉は、まるで自分に言い聞かせているかのようだ。

 沙都子からは見えない梨花の表情は、不安で今にも泣き出しそうだった。

 

 

 

 

「……ボクが付いているのです……」

 

 

 せめて沙都子の前では涙を溢すまいと、舌の先を噛み、固く瞼を閉じた。

 そして沙都子もまた回された梨花の腕へ、縋り付くように触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は人の気も知らず、穏やかに緩やかに過ぎて行く。

 悲しみも喜びも、時間は人の理に干渉はしない。

 

 ただ過ぎるだけ、奪うだけ。

 止まる事はせず、悲劇へと進むだけ。

 

 時間は平等。

 そこに不等を見出すは、人の勝手。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──二◯一八年、十二月の興宮。

 夜の駐車場で礼奈に突き付けられた「魅ぃちゃん」の名前。

 それを聞いた「詩音」は、立ち尽くし、少女のように目を丸くするだけ。

 

 

「……魅ぃちゃん、なんだよね?」

 

 

 礼奈の手前で動揺を見せている「詩音」だが、何とか言葉を詰まらせながらも声を出した。

 

 

「……い、い……いつから……って言うか……し、知ってたんですか……?」

 

 

 瞬間、礼奈の表情は、少女のように、そして悪戯に成功したような笑みに変わる。

 

 

「……大体、十年くらい前からかな」

 

「割と最近……」

 

「ふふっ……十年は全然最近じゃないよ?」

 

 

 ここまでどこか影が絶えず付き纏っていた彼女の表情に、やっと現れた安らかで朗らかな光。

 指摘を受けて思わず口籠る「詩音」に、礼奈はまた続ける。

 

 

「ずっとアナタは私を引っ張ってくれて、色々教えてくれて……色々な所にも遊びに行った。でも不思議だった……旅館に泊まる時も、アナタはお風呂に入りたがらなかったし……前に給湯器が壊れたって言っていた時も、私は銭湯を教えてあげたのに行きたがらなかったし……」

 

「う……」

 

「……だから十年前、もしかしたらって思って……忘年会で酔い潰れていた時にちょっと……チラッて」

 

「え。そんなアッサリバレちゃうもんなんです?」

 

 

「詩音」は自身の背中に手を回す。

 代々、園崎家の跡取りには、「鬼の顔の刺青」が施されている。跡取りの選別から外れた詩音にそれがある訳はなく、ならば自ずとその理由は浮き上がる。

 

 

 雛見沢大災害の生き残りの一人にして、園崎珈琲店を営む店主「園崎 詩音」は──園崎詩音ではない。

 刺青があると言う事は、当時の園崎家次期当主として選ばれた方だと言う事。

 

 

 

 正体が知られたと悟った彼女は一度ガックリと肩を落としてから、また礼奈へ顔を上げる。

 もうその時には既に、顔付きが少しだけ変わっていた。お淑やかで穏やかな詩音の顔はどこにもなく──どこかガサツさが伺えるものとなっていた。

 

 

 

 

 

 

「……レナも酷いね。分かったなら分かったって、その時に言えば良いのにさ」

 

 

 口調も丁寧なものから、砕けたものへと変わる。今、礼奈の前にいる者は正真正銘、「園崎 魅音」だ。

 拗ねるようにそう恨み言を漏らす彼女に対し、礼奈は申し訳なさそうに眉根を下げて、微笑んだ。

 

 

「ごめんね? その……言って良いのかなって思っていたし……言う資格もないって思っていたから」

 

 

 悲しげに開かれた瞳は、微か潤んでいる。

 

 

 

 

「……詩ぃちゃんを、殺してしまった私なんかに……」

 

 

 魅音は姿勢を正し、真剣な眼差しで彼女と向き合う。

 そして瞳を閉じて、あの時の出来事を頭の中で思い出していた。

 

 

「……あの日、詩音の気まぐれが起きてね。『久しぶりに学校生活をしたい』なんて言ってさ……」

 

 

 その時を想起し、一度吹き出す。

 

 

「だったら学校に戻りなよって言ったのに、それは嫌だ〜って……」

 

「……ふふ。詩ぃちゃん、意外とワガママだったからね」

 

「そうそう……だから、入れ替わったの。一日だけ、『魅音として』、学校に……」

 

「………………」

 

 

 魅音はそこから続きを話さなかった。目を伏せて、口を噤んだ。

 同時に礼奈も、罪悪感を滲ませた顔付きで俯く。

 

 

 

 

 直後、妄想に取り憑かれたレナが籠城事件を起こした。

 圭一たちはレナの仕掛けた発火装置を解除出来ず、首をチェーンロックで拘束された「魅音」一人、逃げ出せず爆発に巻き込まれ、死亡した。

 

 チェーンロックならば沙都子が解錠出来たハズだった。だが彼女は村に帰って来た鉄平のせいで家から出られず、学校にいなかった。

 

 

 

 

「……私が、殺してしまった。壊してしまった」

 

 

 言葉を続けたのは、礼奈から。

 

 

「……何度も死のうとした。それが償いになると思っていた。でも……出来なかった」

 

「…………」

 

「ならばせめて一人、この罪を背負って、苦しんで生きようと思った……なのに、アナタは私に手を差し伸べてくれた」

 

「……レナ……」

 

「……アナタの大事な人を、殺めてしまった私に……あの時の、『詩ぃちゃん』となって」

 

 

 礼奈の言葉を飲み込むように頷き、真っ直ぐ目を見つめて魅音も続けた。

 

 

「……正直に言えば……私、レナを心の底から憎んだよ。事件の後なんて、レナが入った病院に侵入してから……殺してやろうと思ったくらいに」

 

「…………」

 

「……大災害で、詩音どころかみんな死んじゃって、園崎家も無くなって……もう、残っていたのはレナだけだった」

 

「…………」

 

「……そう思ったら……恨みとか殺意とか、何か弾けちゃった。どれほどまた恨もうとしても……楽しかった思い出しか、頭に浮かばなかった」

 

 

 今にも泣き出しそうな顔で、魅音は笑った。

 

 

 

 

「……だから……許そうと思った──みんなとの思い出に縋り付く為に、そして私が……生きて行ける為に……」

 

 

 

 

 頬を伝う一筋の涙。それを隠そうと魅音は、そっぽを向いてしまった。

 その時に礼奈は悟る。「乗り越えられた人」かと思われた彼女もまた、自分と同じ「取り残された側」なのだと。ただそれを、「詩音としての自分」で、気丈にも覆い隠していたのだなと。

 

 

「……魅音でいる自分が辛くて、だから詩音として生きると決めて、死ぬほど勉強もして、身の振り方も全て気を配って……レナといる時だけ、あの日々を思い出せた。それが無かったら、私は耐えられなかったと思う」

 

「……魅ぃちゃん……」

 

「……ごめん」

 

 

 口を突いて出たのは、謝罪。途端に礼奈は焦りを見せ、話しかけた。

 

 

「どうして魅ぃちゃんが謝るの……悪いのは全部、私」

 

「レナを利用した事に変わりはない……あなたが何をしたにせよ、私が何でもして良い訳なんかない……それにあなたは、三十五年前のあの日からずっと……全てを悔やんでいる……それでもう十分よ」

 

「…………ありがとう。魅ぃちゃん」

 

 

 礼奈は感謝を口にし、深く頭を下げた。

 下げた顔からポタポタと、涙がアスファルトに落ちる。

 

 

 

「……今度は私の番だね」

 

 

 ゆっくりと、礼奈は顔を上げた。

 

 

「……ずっと、恐ろしくて誰にも言えなかった……この話を魅ぃちゃんに打ち明けて……私はもう全部を諦める……」

 

「……話?」

 

「……今でもあの時の声と、恐怖が、昨日のように頭にこびり付いている」

 

 

 流れていた涙を拭い、潤んだ瞳を輝かせて、魅音を見やる。

 

 

「……圭一くんが──」

 

 

 震えた口から白い息が漏れ、街灯の光を透かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──殺された夜の話」

 

 

 あの日、レナが入れられた精神病院に──大災害を生き延び、狂気に陥った圭一が、運び込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜を迎えた警視庁。その前をヘロヘロの状態で歩く、左腕を三角巾で吊った女と丸刈りの男。

 

 

「な、何とか帰って来たぞぉ……!!」

 

「腹減ったっす。ギョーザ食いに行って良いっすか?」

 

「この魚顔ッ!!」

 

 

 

 警視庁内の廊下をツカツカと歩く、秘書の男。

 彼は資料を持って警視総監の元を訪ねた。

 

 

「失礼します、赤坂警視総監。来年度予算案について、修正箇所が──」

 

 

 

 

 扉を開け、室内を見渡した時に口を止めた。

 執務机に必ずいるハズの赤坂が、いなくなっていたからだ。

 

 椅子の後ろ、机の下、本棚の上など、部屋中を隈なく探した後に秘書は叫ぶ。

 

 

「赤坂マモルの消失ーーッ!?!?」

 

 

 時刻は既に、十時過ぎであった。

 

 

 

 

 

 

 

 この街に来るのも、実に数十年振りだ。

 途中で立ち寄った鯛焼き屋で、餡子の鯛焼きを購入。それを齧りながら、彼は商店街を歩いていた。

 

 彼には目指す場所がある。その為に、業務をかなぐり捨ててここに来た。

 暫く歩き、商店街を抜ける。入口に建つアーチに取り付けられた看板には、「興宮商店街」の名が刻まれていた。

 

 

 

 道行く人々は彼を一瞥しては、何事もなく通り過ぎて行く。誰も彼もが、この男の顔を知らないようだ。

 大方、仕事終わりのサラリーマンか何かだと思っているのだろうか。

 

 

 

 

「……一応、警視庁の最高責任者なんだがな……まっ。芸能人と違って、みんな顔なんて知らないか」

 

 

 鯛焼きを喰みながら苦笑い。

 コートを翻す、瀟洒なスーツを纏った生真面目そうな色男。

 

 彼こそ、警視総監となった赤坂 衛だった。

 

 

 

 

 雛見沢大災害の再調査の為に矢部たちを派遣し、以降は全く音沙汰がない。

 気を揉んだ赤坂は、意を決して執務室を抜け出し、東京都霞ヶ関から岐阜県興宮まで飛ばして来たようだ。

 

 

 いや。この街に来た理由には、矢部たちの報告を待てなかったからではない。

 自身が、「屈してしまった過去」を清算する為だ。

 

 

 彼か目的地としている場所は、旧雛見沢村。

 だがその前に、彼の進路は市内の精神病院へと取られていた。

 

 

 所持しているバッグの中には、実娘から貰った調査結果と、この三十五年地道に集めた資料が詰まっている。

 本来なら決して持ち出してはならない物も含まれている。もしバレれば大問題だなと、赤坂は頭を掻く。

 

 

 

 

「……いいや。こんな血に濡れた地位など……惜しくもないさ」

 

 

 足を止め、眼光鋭く顔を上げた。

 第一の目的地である精神病院前まで辿り着く。夜の闇の中、院内からは青白い光が漏れている。

 

 

「………………ここだな」

 

 

 次に辺りを見渡した。

 

 

 

 

「……しかし、菊池くんに矢部さんたちはどこ行ったんだ……連絡もしないし……」

 

 

 呆れ気味にぼやきながら、彼は院内へと入って行く。

 

 

 

 わざわざ出向く必要などなかった。高級椅子の上で踏ん反り返り、適当な部下を顎で使えば良い。

 だが赤坂にとって、これは自分の手で成さなければならない事だった。

 

 

 後悔と、若き日に作ってしまった汚点を雪ぐ為に、彼はこの街へ再び赴いた。

 何よりも、切願を自身によって蔑ろにされた、古手梨花に報いる為。

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