【INFPへのラブレター】万華鏡のあなたへ【愛憎】
GW中にINFPへの愛を叩きつけるか、と思っていたら、信じられないくらいの熱が自分の中にあったことに気が付いてしまい、収拾がつかなくなってこの文字数。休み休み読んでください。
まず、頻出INFPのサンプルを先に紹介します。
1)友人INFP
前職の新卒同期。ISFP寄り。KPOPとお笑いとサンリオが好きで、末っ子。飲み会になると誰彼構わず手を繋ぎに行ってしまう典型的なINFP。なぜか私とキスをしたことがある。
2)同僚INFP
中途の入社時期が近く、ほぼ同期。基本的にいつも仕事に追われている。趣味は旅行。常に「ここではないどこかに行きたい」らしい。ヘルプを上げないので仕事を抱えがち。
3)後輩INFP
常時かまちょを発動していたり、飲み会が好きそうだったりの様子から当初ENFPかと思っていたが、よくよく見てみると主体性が??だったりセクハラされっぱなしだったりが露見したため、INFPとした。
なぜ、INFPは疎まれるのか
のっけから厳しい見出しですみません。この問いの答えはシンプルです。
羨ましいからです。
INFPは人口に占める割合が高いわけでもなく、実社会でとんでもなく悪目立ちするタイプというわけでもなく、ただ昨日も今日もそこに優しく佇んでいるだけだ。なのになぜ、ISFPやISTPと違って明確に疎まれ、見下され、隣人のINFJからさえ梯子を外されるのか。
重ねて言うが、羨ましいからです。
人は、「本当はそうしたいのに出来ないことをしている人」のことが心底羨ましくて、妬ましくて、憎いのです。
INFP以外から反論が飛んできそう。「仕事が出来ないから目障りなだけ」「痛々しいから嫌いなだけ」「自分で自分に言い訳をしているからだ」etc……
もう少し突っ込んで考えてみてほしい。嫌いなのはINFPの「在り方」ですか?それとも「その在り方を許されている姿」ですか?
仕事で想像してみましょう。INFPがチームの足を引っ張っていたとして、そのINFPを即刻排除できるのであれば、貴方はそのINFPをそれ以上憎む必要はないし、憎まないはず。でも現実には、INFPにも一定のポジションが与えられ、許されている現実がある。それが嫌なのではないですか?もしくは、疎んでいるはずの自分自身ですら、いざINFP本人を目の前にすると無下に出来ない、そのジレンマが嫌なのではないですか。
発達障害系女性が疎まれるのは、それでも「理解ある彼くんがポップするから」。オタサーの姫が見下されるのは「ダサいはずなのにオタクたちがチヤホヤするから」。いつだって疎まれるのは本人の在り方ではなく、周囲からの扱いの方。
私にはINFPの友人知人が数名いる。私自身も、彼ら彼女らに愛憎混じった複雑な感情を抱いている。この気持ちをしたためた本記事にタイトルをつけるなら、多分ラブレターだろうなという気持ち悪い結論が出た。というわけで以下は、私からINFPへのラブレターです。
INFPを羨んでいる点
仕事が出来ないのに、許されている姿
INFPはホワイトカラー事務職適性が最悪に近い。接客業やサービス業ではトップクラスの適性を誇ると思うが、こちらは本人の心がキツい。民間ホワイトカラーはSJ型が覇権を握り、SP型が鉄砲玉をやっている社会の前線なので、計画性も瞬発力もないINFPにとっての地獄であることは間違いないだろう。Te劣等ゆえに実現性の高い計画立案がそもそも不得意かつ、悪魔的なNeが集中力を阻害し、間に合わないことが分かっても臆病さゆえにエスカレーションが出来ない、そういうINFPを複数例見てきた。
でも、INFPは今日もそこで働いている。誰かに迷惑をかけ、謝り倒し、「●●ってホントに危なっかしいよね」と言われながら。上司からは「大丈夫?」と声を掛けられ、同僚からは「やっとくよw」と笑われ、それでも許されて、そこにいる。飲み会では「あの時本当に大変だったよな~!」「頑張り屋さんだよ~」なんて、思い出話のネタにされて。
私はそれを見て「達成した仕事の難易度じゃなくて、その過程でどれだけ悲鳴を上げたかが評価に繋がるなんて、バカバカしすぎないか?」などと、何回か心の中で毒づいた。本当は羨ましかった。
同じINTJの同僚に、「職場の●●のことがずっと羨ましい。許されている姿を見ているだけでコンプレックスを刺激される」とこぼしたことがある。「え、えぇ…?」と半信半疑の対応が返ってきた。確かに傍目から見たら信じづらいのかもしれない。でも本気で羨ましいと思っている。
「私は弱い」が言えるのが羨ましい
「僕ADHDなんです笑」と、パートナー会社の推定INFP社員に言われたことがある。別のINFPからも「(仕事が出来なさすぎる)自分は多分病気なんですよね」と、飲み会でこぼされたことがある。否定待ちの自虐だったのかもしれないけど、仕事の繋がりでしかない相手になぜそこまで弱みを開示出来るのか不思議でたまらなかった。この世は弱肉強食なのに。
友人INFPも「舐められてしまう」「パワハラに遭いやすい」と常々愚痴っていた。そうやって自分から弱みをさらけ出すから、付け入る隙を与えるのでは……?なんて、正論ティーをぶっかけたくなる気持ちを抑えて話を聞いていたけれど、よくよく考えて、私よりも彼らの方が「強い」んだと、最近理解した。
この記事の後半部で書いたが、自己開示が出来る個体は強いのだ。少なくとも自己開示が怖くて頑なに「失敗しない私」を作り上げようとしている自分よりは。
自分の失敗談を軽く話せる人間は親近感を得られるし、自分の秘密を打ち明けられる人間は信頼されるし、自分の弱さを開示できる人間は助けてもらえる。と、教科書に書いてあるお手本ムーブを信じている人間が心底羨ましい。もし無自覚だったとしても、開示することで助けられる経験を積むことが出来た彼ら彼女らの環境が羨ましい。
数年前、メンターから「助けてって言わないと、助けてもらえないよ」と言われた。「この会社で助けてもらう価値が自分にあると思えるまでは、一生言うことは出来ません」と正直に返したら、その先輩(ENFP)は苦笑いしていた。理解できない感覚だったろうな。
「人間関係の為に我慢する」が出来る人、出来ない私
後輩INFPが、よくあるオフィスものドラマの典型みたいに、「人から言われた仕事が断れなくて」深夜まで残業をしていたことがある。「前の部署の先輩から振られた仕事だから、断ったら申し訳ない」「その先輩も頑張ってるのに」と、23時近くなっても山積みのタスクに埋もれていた。
抱えていたタスクは本来、そのINFPというか、私たちの部署の仕事では無いもの。真の意味で「おしつけられ」ていた。私は見かねていくつかのタスクを巻き取ったのち、翌日、直上長に対して文章ベースでエスカレーションを行った。
正直面倒な部下だと思う。自分のことじゃない問題にまで首を突っ込んで。上司から見れば私は「口うるさい部下」で、後輩INFPは「心優しい頑張り屋さん」だっただろう。私から見れば当該INFPも「自己保身で仕事を安請け合いし、部署の利益率を下げる厄介者」ですけどなんて思いながら、でもやっぱり人間関係を円滑にしているのはこのINFPの方だよな、などと、呆れ半分、妬み半分だったのを覚えている。
何かを犠牲にしつつも、人間関係を良好に保つための選択を取り続けられるのがINFPなんだろう。私は今ここで相手と対立したとしても、「無機質な全体最適」の方を是としてしまう。
家族との優しい関係を築いているINFP
友人INFPも、同僚INFPも、外から見た家族仲はいたって良好そうだ。しかし、友人INFPによくよく話を聞いてみると、お互いに複雑な思いを抱えながらも、家族という形の為に我慢しあっている状態が数十年続いているとのことだった。それでも私は、そういう優しい譲り合いが出来る家族が羨ましいと思った。少なくとも父親からのたった一言をきっかけに、言われた翌月には荷物をまとめ、父の出張中に無言で引っ越した私なんかより、ずっと我慢強く、優しい個体だと思う。
「結婚式なんて本当はやりたくないけど、親がやらなきゃダメだって言うから」と、全方位に泣き言を叫びながら準備していた友人INFP。たとえ泣いてでも、相手のための我慢を十年単位で積み重ねられる人たちだけが、共同体に受け入れられるに相応しい人間なんだろうなと実感した。私は多分一生かかっても無理だと思う。はたして人間に向いている方はどちらだろうか?
他人に寄りかかれる強さ
助けてもらうということは、文句を言えなくなることと同義である。
仕事を巻き取ってもらったら、上長でもない私がその仕事に文句を言うことは出来ない。助けられたのはこちらなんだから。
仕事以外でも、例えば私が専業主婦になったとしたら、仕事をしてきてくれる夫に文句を言うことは出来ないだろう。だって養われているのはこちらなんだから。それはおそらく、私が助ける側でも、養う側でも同じことを思ってしまう。寄りかかる方が文句なんか言うなよ、と。
パワーゲームが骨の髄まで染み渡っている私は、誰かに寄りかかっているINFPを見ると「そんな捨て身のムーブ、どういう精神状態でやってるの…!?」と、もはや恐怖すら覚えてしまう。足元が弱いままで、土台を誰かに明け渡したままで正常な精神状態でいられるなんて、強者以外の何物でもない。
特に専業主婦に対しては、いまだにその存在に恐怖を覚えている。ライフラインを抑えられた状態で生活するなんて、そんな恐ろしいことあるか。狂信者なのか?
前半結論
INFPを羨んでいる点を様々挙げたが、総括すると「弱いままでいられる強さ」に、どうしようもない羨望を抱いていることが伺える。
それは物心ついた頃から「早く大人になれ」と躾られてきたことへのコンプレックスかもしれないし、親から「かしこさ」以外を認められてこなかったことへの寂しさかもしれないし、未だなお獲得できない「他人を信じる心」を持ち合わせているINFPへの憧れかもしれない。
人間不信を自称するINFPもいるだろう。自己肯定感が低いがために、自分を切り売りして媚びることでしか相手に愛してもらえないと思い詰めているINFPも何例か見てきた。見てきたからこそ、「媚びれば相手に振り向いてもらえると信じているんだ……」という感想を抱く。相手の心の動きに期待しているということは、相手の善意に信頼を寄せているということに他ならないだろう。私はそれが出来ないから、損得とか義務とか契約とか、そういうものでしか対人関係を築いてこれなかった。
INFPに助けられている点
私の弱さを疑わない
友人INFPと一緒にいて、一番救われる点。彼女は私の弱さを疑わない。
同僚や知人レベルの関係だと、私がたとえポロっと弱音を言ったとしても、ネタだと思われるか、謙遜と捉えられるか、最悪は「自虐風自慢」として批判されるかで終わってしまう。それだけ私の普段の擬態が徹底しているのかもしれないし、私に付与されている社会ステータスがそうさせているのかもしれない。「本気で言ってるの?笑」「まれなさんに自虐されちゃったら、他の人の立場が無いよ」「そうはいっても、結局うまくやっちゃうんでしょ?」という具合に。
でも、友人INFPは違う。私の悩みや行き詰まり、コンプレックスを「そのままのコンプレックス」として受け止めてくれる。疑われないから、私も普段の飄々とした仮面を取り払って、弱いところを出すことが出来る。彼女の成熟したFiの成せる技だろうし、私がこの友人と一生切れたくないと思える理由のひとつ。
外部感覚器としてのINFP
友人INFPはFP型の典型に漏れず、SNSで色んな情報に踊らされ、芸能人のゴシップが好きで、ワイドショーで一喜一憂するタイプだ。典型的T型の私は「自分に関係がある訳でもない、ましてゴシップに、なぜ自ら突っ込んでいくのだろう、、、他にやることあるやろ」なんて突っ込みたくなっていたが、最近はむしろ、彼女の右往左往を見ているがゆえに、自分が冷静になれているのかもしれないと思えるようになってきた。
過敏な感情を外部委託することで、自分自身の頭はすっきりと、中庸にいられる気がしている。
これは仕事でも似たところがある。後輩INFPの悲鳴を聞くことで「今ってあのあたりの業務に無理が生じているんだなぁ」と知ることが出来るし、同僚INFPの愚痴を聞くことで「次に自分が対応する時の対策になるなぁ」と勉強になっている。カナリア扱いしているようで申し訳ない気もしつつ、自分の弱さを隠さ(せ)ないINFPの在り方に、ちゃっかり便乗している自分がいる。
万華鏡のあなた
友人INFPと接していて思うのは、その感性と内面世界の豊かさ。芸術家適性No1の呼び声に恥じないINFP製の感性が、この世界を大きく、色鮮やかに見せてくれる。喜びも悲しみも一定の閾値を超えないと発現しない自分からみて、彼女の繊細な感性はまるで万華鏡のように不規則にキラキラと、隣にいる私の足元まで照らしてくれる。
世界や自分のほんの些細な揺らぎに大きく反応して、予想しえないパターンを外部に出力する。このシステムを内在させているからこそ、INFPは芸術家適性が高いのだと思う。まるで人間に知覚できない赤外線を読み取るがのごとく、INFPは他のタイプの人間が無視している揺らぎを感じ取って、他のタイプが無視できない形に出力しなおしてくれる。そこに感動があり、芸術があるのかもしれない。私はINFJにはこれをあまり感じない。感受性はあるんだろうけど、「私という個」を通さない出力は、受け手の心に入ってこない気がするんだよね。観察者としての表現を見ても、抱ける感想はやはり観察者としてのそれになる。
余談だが、友人INFPにはENTJの旦那がいる。私が友人INFPとキャッキャと遊んでいるとき、このENTJ旦那は少し離れたところから穏やかに見守るという、多分ドッグラン以外ではやらない方がいい不審者ムーブをかましているのだが、INFPもENTJもお互い至って幸せそうなので、それが二人にとっての理想の関係なんだと思う。ENTJもまた、INFPの万華鏡を通して世界を知覚しているんだろうな。
組織を信じるための足掛かり
正直、INFPそれ自体のことは信じていない。というと強烈な悪口に捉えられるかもしれないが、INFPだって信じられたら困るだろ。非物理世界と一緒にグラつきながら不定形に生きているINFPを「信じる」という枠で物理世界に閉じ込めることは、私はしたくないのである。
では何を信じているか。INFPを許している周りを信じている。
前職は典型的JTCで、INFPは存在そのものを許されない空気感があった。実際、友人INFPは前職の同僚であるが、直上長からのあらゆるハラスメントを受けて休職した。
一方、現職は異なっている。先述したように同僚INFPも後輩INFPも、周りから許されて今日も存在しているし、上長も「凹みを矯正しよう」というよりは「誰でも遂行できる仕組みを作ろう」という方向でマネジメントを行っている。会社的に余裕があることの現れだろう。
つまりINFP本人というよりは、その周りの対応を見ることで、その組織の安全性が測れると考えている。もちろん、行政やインフラなど、NFP的な仕事の仕方とは全くもって相性が悪い組織があることも承知の上で。私が働く場として選ぶときに、INFPの扱われ方を見るというのは一つ基準になるなと実感している。
INFPの危なっかしい点
こんなの、書いてたらキリがないというのはその通りなんですけども。
細やかすぎる感性の副作用。
世界を虫眼鏡で見すぎて、自分が焼かれている
万華鏡の負の側面。感性がセンシティブすぎて物理世界の身体にまで影響を及ぼしている。
Fiを第三機能としてしか持っていない私でさえ、時たま感受性の箱がいっぱいになって立ち行かなくなることがあるのに、Fiが主機能の彼ら彼女らはどれほどなんだろうか。
友人INFPは、夜になると反省会が始まって眠れない日が続いて、そのうちに体調を崩してしまうと言っていた。忘れればいいことが忘れられず、生きれば生きるほど後悔が増えるだけなら、今日いますぐにでも死んでしまうのが一番、被害が少ないんじゃないかと。
「切り離し」がとことん苦手なタイプなんだろうな。
ありとあらゆる人間に媚びる
やめとけよ、と、散々言っているのに。多分私が「相手に合わせる」を一生出来ないように、「人を選んで媚びる」がINFPにとっては大の苦手なんでしょう。友人INFPも、後輩INFPも、ものの見事に訳の分からん男どもにセクハラを浴び、疲弊しきっている。「嫌だと思っていても、相手が喜ぶ行動をしてしまう」と言っていたのは友人INFP。「相手のためにも拒絶は必要だよ」と私が何度言っても、止められないらしい。彼女の旦那にも同じことを言われているそう。
そういう姿を見ていると、極論だが、INFPの生き方の最適解は「絶対的な保護者に軟禁されて、衣食住を全部依存すること」なんだろうなと思う。それがINFPにとっても楽だろうし、周りも翻弄されなくてよいのかもしれない。生き方が現代社会に向いてなさすぎることだけが弱点か。
主体性の無さゆえのターゲット体質
INFP女性がターゲットにされやすいのは言わずもがなとして。INFP男性もまたしかりである。理解ある彼君の何割がINFPなんだろう。
女性でも男性でも「あなたがいないと駄目」と言われた瞬間に、自滅するまで尽くしてくれるんだろうなというのが目に見える。後輩INFPなんか特にその気を感じる。
これの厄介なところは、INFP自身は実は「必要としてくれるなら誰でもいい」と考えていて、それに無自覚なところ。居場所を与えてくれるならどこの誰でもいいという考え方は究極的に自己中なんだけれど、それに気が付かずに「私は相手に尽くしてしまう」というところまでで理解が止まっていると、「あなたは優しいから」「あなたに救われている」みたいなおべっかにチョロチョロと乗せられて、破滅するまで搾取される。
現実逃避で身を滅ぼす
現代社会はTeとSeの二強である。実際にはT型を自称する人間にも感情はあるし、Se的な野性味が求められるのは一部の職種だけかもしれないが、Teお作法に準じれます、というパフォーマンスが一定出来ないことには、現代社会で生きていくのは難しいのが現実。Te劣等のINFPが取れる策は少なく、ひたすら周りと仲良くなって「助けてもらう」戦略をとっている個体が多い(ちなみに、隣部署のマネージャーにもINFPがいるが、この策をとっている)。
一方で、助けてもらう前に被搾取個体になってしまったタイプは、現実逃避というINFPの十八番に閉じこもってしまう。こうなるともう、INFPがもともと持っていたオープンさや可愛げは、世界に見つかることはない。「愛して」と言えることこそがINFPの強みなのに、それが言えなくなってしまったINFPの悲惨さは、傍目から見ていても辛いものがある。
自意識過剰
世界ってあなたが思う以上に貴方に無関心だよ、と言って聞かせたい。後輩INFPの「あなたに好かれないと私は死んでしまうんです」という言動が正直厳しい。そんなにあなたのこと気にしてないし、ここは職場だから。しかもそれ、全員にやってるじゃん。
INFPの一部個体がやけに社交的だったり、フッ軽だったりするのも、「断ったら何を言われるか分からない」という恐れから来ている気がしている。別にどうにもならないよ。言わせとけって。
前述した「ありとあらゆる人間に媚びる」もここが原因か。「媚びないと嫌われてしまう、嫌われたくない」というオーラを隠せないから、ハラスメントのターゲットにされちゃうんだけどね。INTJの鉄のオーラを分けてあげたいよ。
後半結論
INFPの長所は神経の細やかさと出力装置の鮮やかさ。しかしそれは同時に、INFP自身を痛めつけるものでもある。生物として一番最後の機能(形而上世界からの翻訳能力)を得たが故に、他の人間の倍の情報量と棘に刺されて死んでいくのがINFPなのか。ご苦労様です。
私はと言えば、INFPが命を燃やして出力した光だけをうまいこと味わって、強烈すぎるフィードバックからは逃げるという、姑息な手段をとっている始末。ありがとう、INFP。
総括
以上、INFPへの愛憎混じったラブレターでした。
私はINFPが持っている強さ、そしてそれに無自覚なところが羨ましいし、一方で、現代社会に適応しきれていないところにもどかしさを感じるし、そうはいいつつも美味しいところだけちゃっかりいただいている。
そんなこんな屈折した私のことを、周りのINFPが実際どう思っているかは分からない。友人INFPからは「アンタは最強だよ」と言われているけど、私はINFPの喋る言葉の1割も信用していない(ほんとごめんね)。
この記事で言った通り、INFPのFiには再現性が無いので、「今日●●と思った相手に対して、明日▲▲と思う」みたいなことが本人の中で矛盾せずに通っている。だから私はINFPの言葉は信用しないが、その感性は本物だと思う。不定形なのが世界なんだから、出力装置のINFPも不定形で然るべきだ。
いつも不規則に輝いている、万華鏡のあなたへ。
貴方の感性に救われている人間が、確かに一人います。
ばいばい。


コメント
2「一人はみんなのために」が是とされる教育を受け、FiもNeも幼少期に捨ててきた身からすると、少なからず羨ましい気持ちはあるでしょうね。
Feほどアンチが少ないのは、幼少期に多くの人がFiとNeを持ってて、大なり小なり親近感があるからでは?と思ってます。
「臆面もなくメンヘラを自称出来る人はメンヘラムーブが許されて来た愛される人生なんやろなあ…」と妬み嫉みまみれの事を考えた夜を思い出しました(流れ弾)
総じて絶対敵わない相手だなぁと思います。私もツッコミ入れながらついつい助けてしまいます。可愛いから…笑