染みついた悪業を御登山で消滅
 (『大白法』平成17年9月1日付)
原田幸子さん

 本日は、記念すべき第一回秋田地方部総会、まことにおめでとうございます。
 私は、平成十三年十一月十五日の目師会のときに勧誡式を受けさせていただきました。
 それまでは正信会に箱を置いておりました。正信会にいたときは、いつも「真実は正信会にあり」と指導されておりましたので、私はこの正信会の本尊に不自惜身命の心で一生涯精進させていただこうと、固く決意しておりました。

正信会に募る不信

 ところが、いつの頃からか正信会の寺院に足を運ぶたびに、「何かが違う、おかしい。信仰者がここまで言うのか」と思うほど、法話の席が悪口誹謗の場に変質していったのです。正信会の住職は、「お寺に垢を置いていきなさい」と言うのですが、お寺を出るときには、どっこいしょと垢を背負って家に帰るようでした。私の中で少しずつ歯車が狂って噛み合わなくなり、不信、疑感がやがて悩み苦しみに変わり、人間不信に陥りました。夜も眠れなくなり、うつ状態になりました。
 私は幸福になるために信心していたはずであり、信心のことでこれほど悩み、苦しみ、地獄の日々を送ったことはありませんでした。それでも、長年の御法主上人猊下に対する悪口が身に染みついており、日蓮正宗のお寺を訪ねる勇気もありませんでした。このような状態でも「私たちの信心は日蓮正宗総本山大石寺の本門戒壇の大御本尊様が根本ではないか。間違っているのは御法主上人猊下一人だ」と思い込み、二十数年も御目通りしていない本門戒壇の大御本尊様を思い浮かべ、一生懸命に唱題しました。

勧試受けても消えない 御法主上人猊下への悪口

 そして平成十三年、「いつまでもこのままではいけない。とにかく自分の目で真実を確かめて、すがすがしい気持ちで新年を迎えよう」と決意し、本要寺へ自ら足を運びました。遠回りしましたが、晴れて法華講員になれました。
 また有り難いことに、一週間後の支部総登山に参加させていただけました。感激で有り難くて、ただただ泣けました。
 でも、御本尊様は有り難いと感激できるのですが、御法上上人猊下に対しては別なのです。頭のなかでは、御本尊様と御法主上人猊下の御内証は一体であり、私たちの修行は、本門戒壇の大御本尊様を根本に時の御法主上人猊下の御内証によって成仏できると判っていても、心が伴わないのです。
 そのようななかでも、月例登山会や初登山会での法華講総講頭の柳沢委員長さんのお話は素直に聞けました。あの小柄なお体からは想像できないはどの生命力あふれる力強い声、穏やかに話されますが厳しくも判りやすく、心に響くのです。そして優しい目でありますが、精一杯、私たちに訴えてお話してくださることに感動いたしました。
 私は法華講員になる二、三年前から、急にしゃがんだり立ったりしたときに、腹部の中央辺りに激痛が走るようになりました。法華講に入ってからは、へそから血のまじった物が、たびたび出るようになりました。もちろん自分の体に不安がありましたが、私はそのとき、病院に行くことよりも、やらなけれはならないことがありました。それは、フィリピンに赴任された前御住職・山澄信玉御尊師との約束事でした。お発ちになる最後まで気にかけてくださっていた佐藤昭博さんのことです。山澄御住職とはたった四カ月ほどの期間でしたが、私にとって正しい信心のレールを敷いてくださった御住職でありました。
 最後の御座替わりの日、山澄御尊師が車に乗る直前、「原田さん、佐藤さん御夫婦を必ず三十万総登山に連れて行ってあげてくださいね」と言われたのです。私は、山澄御尊師の御恩に報いたいと思い、「はい、任せてください」と言いたかったところですが、「自信はありませんが、私にできることは精一杯がんばらせていただきます」とお約束したのでした。
 その日からが自分との闘いでした。三十万総登山まで、私にとってはあまりにも時間が短か過ぎました。でも精一杯がんばらなければ、私も一生悔いを残すことになりますし、佐藤さんにも悔いを残させてしまいます。途中で「だめかな」と弱気になったときもありましたが、そんなときには山澄御尊師のお顔が浮かぶのです。本当に無我夢中で、時間との闘いでした。講中の皆さんも一生懸命に御祈念してくださいました。そのお陰で、佐藤さんはご夫婦そろって三十万総登山にギリギリ間に合って、この意義深い年に入信され、三十方総登山に参加させていただきました。
 私は、今日できることは今日のうちに、今できることは今するようにしています。そしてできる限り登山させていただこうと思っております。毎月の登山のときも、横手駅前より一人夜行バスに乗ったときから、一分も無駄なく使わせていただこうと心に決めております。
 本門戒壇の大御本尊様のお膝元では、御本尊様はいろいろな人との出合いを作ってくださり、様々な体験をさせていただけます。一人ひとりが様々な思いで登山させていただいていることと思いますが、お会いする人が皆生き生きしております。私もお山にいるときは、煩わしいことをすべて忘れて優しくなれます。本当に大御本尊様のお膝元は、心豊かにしていただける、罪障消滅のできる有り難い場所です。

「御法主上人猊下様 お許しください」

 平成十四年の御大会に参加したときのことです。秋田の妙華寺の信者さんと、テレビ放映での法要参加のため大講堂の前で待っていたときのことでした。遠くの方から、澄んだ鈴の音が聞こえてきたのです。「何ですか、この音は」と尋ね、「これは錫杖の音、これから御法主上人猊下の行列がお通りになられる合図ですよ」との答えを聞くか聞かないうちに、私は音のするほうに走っていました。そして御法主上人猊下のお姿を間近に拝したとき、体が震え、両手を合わせて、「ああ、御法主上人猊下、申し訳ございません、お許しください。いつまでも、お体に気をつけられて御指南ください。おこがましいのですが、少しはお体を休められてください」と心のなかで叫びながら、御法主上人猊下の後ろ姿をお見送り申し上げ、涙が止まりませんでした。



 お山に行くと判りますが、御法主上人猊下のスケジュールは分刻みです。いつも、「御法主上人猊下はいつ休まれるのかな」と思っても、心が濁っていたために、素直に出せなかったのです。御法主上人猊下がお一人ですべての悪口誹謗をお受けあそばされ、命がけで堂々と怯むことなく御指南くださっていることを思い、涙が止まりませんでした。法華講に一年近くもおりながら、疑いの心を持ち続けたことを恥じました。本当にひたすら耐え忍ばれている御法主上人猊下に巡り合えたことに感謝いたします。そしてまた、誇らしく思います。
 そして全法要を終えて、帰りのバスのなかで妙華寺の信者さんに、御法主上人猊下に対する今までの誹謗の気持ちのことをお話しましたら、「あなたは何という心でお山に登山されているのですか。でもしょうがないよね、学会に十年おれば十年、正信会に十年おれは十年、正しい信心をするのに時間がかかるのよ。あなたは何回も何回も登山させていただいた功徳で、早く取り除いてもらえたのよ。よかったね」と言われました。その日から、御法主上人猊下の御指南を素直に読み、心で受け止められるようになりました。
 その前後だと思いますが、気がつくと腹部の痛みはなくなり、出血も止まっておりました。それから二年ほどになりますが、全く痛みはありません。本当に御本尊様に生かされていると感謝しております。
 私が法華講に入って実感しておりますことは、思ってもいなかった様々なことが出てきても、先が見えるような気がして冷静に対応でき、前進できることです。行き詰まったときに大聖人様の、
「烏と虫とはなけどもなみだおちず、日蓮はなかねどもなみだひまなし」(御書 六六七頁)
との御書を拝することで、いくら辛くとも愚癖など出ません。御本尊様の前に素直に座れることが有り難いのです。
 そしてまた、いつも御本尊様の掌に置いていただいて一生懸命に行じておれは、掌から落ちそうになったとき、御本尊様が必ず掌の上に戻してくださると確信しております。しかし日蓮正宗の信心は、甘くはありません。親であっても子供であっても、代わってあげることはできません。また心が弱ければ、一生涯の信心ですから、持続はできません。
 御法主上人猊下は、
「妙法唱題に徹する処、先ず腹がすわります。命の奥に不思議な力が漲ってきます」(大白法 六三六号)
 これからも唱題を重ねて、御法主上人猊下から戴いた御命題に向けて、御住職・小竹正素御尊師の御指導のもと、本要寺という大家族の強い絆に支えられて、「僧俗前進の年」を折伏行に邁進してまいりたいと思います。

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