ぼっちこそ「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」まで考えてみると楽しい【国士舘アニ研ブログ】
(例え話がブルーアーカイブばかりになっていますが、ブルアカ知らない人でも読めると思います。)
Twitterを眺めてると、突飛に見える作品考察ツイートに対しての「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」画像リプをたまに見かけます。が、そういった考えすぎにも思われることを考えてみることは結構大事だと思うので、そんな感じのことについて書いてみます。
そもそも、こうした考察や感想がたまに突飛に見えるのはなぜでしょう。恐らくそれは、作中で(直接)描かれていないことについて語っていることが理由だと考えます。
例えば、キャラクターとかの元ネタ・モチーフ考察は、「元ネタ」という作中では示されないことについて語っています。が、作品で描かれている色々なものを理由として集めてみれば結構それっぽく聞こえてくると思います。それでも、元ネタそのものはやっぱり作中で描かれないことなので、描かれているものから元ネタを導き出すどこかしらのタイミングで飛躍があります。
この飛躍のやり方が納得できるもの、納得してもらえるもの、であるかどうかというのが、突飛に感じるかどうかの分かれ目である気がしますね。作中で描かれない不可解な考えを、作中で描かれている不可解でないものから飛躍させて導き出すことで不可解にさせない、という感じです。これが下手だと例の画像リプを食らってしまう訳ですね。
考察とは違いますが、私の過去記事を飛躍の例に出すと
何があっても最後にはいつも通りの日常に帰ってきますし、非日常の非常事態すらも青春の1ページとなってしまいます。〈飛躍〉それが『ブルアカ』の世界であるキヴォトスのルールなのだと考えます。〈飛躍〉したがって、このようなルールを持つキヴォトスこそ楽園と呼べる場所なのではないでしょうか。
物語に込められる意図と祈り
飛躍ポイントは山括弧で示した通りです。
引用1文目はおおむね事実の記述ですが、2文目で飛躍して「キヴォトス(作品の舞台)のルール」という作中に登場しないものをいきなり持ち出してます。
そして、3文目では2文目の飛躍をさらに飛躍させて「キヴォトス≒楽園」という主張をしています。
さて、こうした飛躍が行われているのは考察や感想などに限った話ではありません。いわゆる「文脈を読む」という行いも、作中で描かれたことから作中で(直接)描かれていないことを導き出すという意味では飛躍が行われています。ツンデレキャラの「あんたのことなんて好きじゃないんだからね!」を素直になれないキャラクターとして読み替えるのなんかはまさに飛躍でしょう。
そして、本稿で話したい内容が、この作品を消費するうえでの飛躍についてです。
このツンデレキャラの例はオタクの共通認識だと思うので、「このキャラはこういうセリフ言ってたからツンデレキャラとして読めますね」という話をしても、「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」と言われることはないと思います。
しかし、扱うものが共通認識でない場合の飛躍についてはどうでしょうか。
①アニメのオープニング映像において、たまに用いられる「きららジャンプ」というワードがあります。いわゆる「きらら作品」と呼ばれる、まんがタイムきらら系列の漫画を原作としたアニメ作品では、よくオープニング映像の中で登場人物たちがジャンプして空に舞うようなカットが挟まれるので、それがファンの間で「きららジャンプ」と呼ばれています。
②また、きらら作品を原作としたアニメは日常系作品であることが多かったりします。
③話は飛んで、『ブルアカ』では「日常」というワード・要素が重要なもののひとつであるとされています。
この3つの認識を持ったうえで、きららジャンプがまんがタイムきららとは関係ないアニメ作品である『ブルーアーカイブ The Animation』のオープニング映像について語ってみると、
ある意味では日常系の象徴である「きららジャンプ」的なカットで「青春はおわんない」って歌詞が歌われているのは『ブルアカ』の日常の部分が出ていていいですね、みたいなことが言えたりします。
言えたりする訳ですが、この例の場合は予備知識(予備認識)が3つも必要なので、いきなり「このカットは『ブルアカ』の日常の部分が出ていていいですね」とか言っても多分伝わりませんし、説明したとて納得してもらえるかはそこそこ怪しいと思います。それこそ「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」とか言われてしまいそうです。
したがって、扱うものが共通認識でない場合の飛躍が含まれる感想や考察はコミュニケーションツールとしてはかなり使いにくいと思います。それでも、解釈のひとつ、読み方のひとつとして、考えすぎと思われそうなところまで考えてみるのは二次創作的な面白さがあると思いますし、こうしたものの積み重ねによって、ただストーリーラインをなぞるだけでは味わえない物語消費体験ができると思います。結局は自分が納得できれば良いのだと思います。
作品をコミュニケーションツールとして使う予定がない人や、そもそも話し相手がいない人は考えすぎな物語消費をしてみてはいかがでしょうか。より孤独が深まりそうですが自己責任で頼みます……。
ということで、作品解釈の話でした。
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