自分を救える自分になろう。
東京在住の男性S様から「坂爪さんにお話ししたら秒殺されそうな取り留めの無い悩みが幾つかあります。秒殺されても良いので、坂爪さんに一度お会いしてみたい。私はおでんが大好きで、都内にある◯◯というお店が、はも出汁で美味しいと評判で、店主の創作料理も美味しいらしいので、坂爪さんと楽しい時間を御一緒出来たら嬉しいと勝手に考えております」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。S様はちくわぶが大好物とのことで、ラインのプロフィール画像もちくわぶだった。予約の際、ご要望に「初来店で、ちくわぶ大好きです」と記した。要望ではなく、ただ、自分の好きを宣言する姿は平和で、和んだ。
数年前に定年退職し、妻と二人で暮らしている。単身赴任が多い仕事だったので、家庭は妻に任せて、家族を養うために懸命に働いて来たが、仕事を辞めて家にいる時間が多くなり、妻との時間が増えたことで、関係がぎくしゃくしている。コミュニケーションを取りたいとは思うのだが、トイレの電気がつけっぱなしだとか、風呂の扉が開けっぱなしだとか、小さなことで揉めてしまう。別居を考えた時期もあるのだが、できることなら仲良くやりたい。坂爪さん、私はどうすればいいと思いますか。S様は、そのようなことを言った。
私は「これまで散々コミュニケーションをさぼっておきながら、いきなり濃厚なコミュニケーションを求めるのは、距離感がバグっていると思う。おそらく、あなたは暇なのだと思う。仕事を辞めて暇になり、充実できる問題がなくなってしまったから、身近な人間に関与することで自分の穴を埋めようとしているのだと思う。それは、家族が趣味だと豪語する母親と似ていて、多くの場合、過干渉が原因で人間関係に歪みをもたらす。周囲の人間と適度な距離感を保つこと。他人に関与しておせっかいを焼くよりも、自分が充実できる問題を見つけて、それに取り組む姿を見せることが潤滑油になると思う」と、普通のことを言った。
S様は「東北大震災の時にボランティアに行き、シングルマザーの暮らしを助ける活動をした。弱い立場に置かれている人が希望を持って生きていける手伝いをしたい」と言った。私は「それは素晴らしい心がけだとは思うが、仕事で埋めていた穴をボランティアで埋めているだけにも見える。誰かの力になることで優越感を得たい気持ちはわかるが、それだと他者と対等な関係を築けない。誰かを助けることで自分を助けようとするより、さっさと自分を助けた方がいい。シングルマザーは、あなたの暮らしから遠過ぎる。あなたはコミュニケーションに問題を抱えている。自分は問題を抱えたまま誰かの問題を解決しようとすると、問題は拗れる。まずは自分を助けよう。自分を助けることで、自分と似た人が助かるのだと思う。
弱者を相手にすると、自分が保護者になる。私がいなければダメになると優越感を感じることはできるが、対等ではない。居場所を作るとか、寄り添うとか、優しい社会とか、弱者を相手にしたマウントを感じるため、私はあまり好きではない。自分を上にも置かず、自分を下にも置かず、対等に付き合える関係性にヘルシーな喜びを感じる。誰かのためは、あっという間に「誰かのせい」になる。誰かを助けることで自分を助けようとするよりも、自分を救える自分になろう。自分には、その力があることを認めよう。助ける助けられるの上下関係ではなく、楽しいだけで一緒にいられる関係性に充実がある。そこにはもう、上も下もない。金があろうがなかろうが、職があろうがなかろうが、年齢を超え、性別を超え、あらゆる垣根を越えて、ただ、楽しいだけで一緒にいられるようになる。そこにはもう、我慢も犠牲もない。あるのは、ただ楽しいという純粋な喜びだけだ。
おおまかな予定
6月28日(土)東京都世田谷区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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