其の三十一
「 ・・・・・・・ りかさま?」
ちらちらと光が遊ぶ裏の庭で、わたくしは覚醒する。
「あの、お加減でも・・・」
心配げなチカとアカネが声を合わせる。
「いいえ、なんでもなくてよ。」
あれからわたくしは考えてばかりいるようで。
刺繍も全然進んでいない。
やれやれ、これではチカに何も言えないわね。
「ならば、よろしいのですが。」
「ごめんなさいね、、心配をかけて。」
「いいえ、宴の前よりずっといいですわ・・」
「チカっ!」
アカネに小突かれて、チカは決まり悪そうな顔になる。
「すみません。」
消え入りそうな声のチカに、わたくしは微笑みかける。
「いいのよ、本当に心配をかけたわね。」
そして、薔薇色の少女達の頬に口づける。
はしゃいで微笑みあう、可愛らしいわたくしの女官達。
「でも、本当によかったですわ。」
はらはらするアカネを気にする風もなく、チカが嬉しそうに話し出す。
「ほんとうにね、怖いくらいでしたのよ。
あの夜の王子様。」
何度となく繰り返す、あの夜王子がわたくしを追ってきた下り。
「あんなにお優しそうな方なのに・・・・
でも、そのくらいお好きなのですよね、りか様が。」
声に誇らしげな調子が混ざる。
わたくしは曖昧に微笑みかけて、刺繍を手に取った。
「んもう、いいかげんにしなさいよ、チカ。
りか様が、呆れていらっしゃってよ。」
アカネの囁きに、猫のような目を不安げにこちらに向ける。
「そんなことはなくてよ。」
「ほら、聞いて?アカネ。
私達がお教えしなかったなら、
王子様は浜になどいらっしゃらなかったことよ。」
必死で逃げるわたくしを、追いかけてきた王子さま。
たとえあの日、会うことが叶わなかったとしても。
きっといつか、わたくしは追いつかれてしまったことだろう。
「そうね、あなた方のおかげだわね。」
それを聞いて、アカネとチカは嬉しげに肩を竦めて笑い合う。
そして二人顔を寄せ合って、刺繍に戻る。
器用なアカネの指先を、必死でチカが真似てゆく。
わたくしはそ知らぬふりで、波の文様を布に写しとってゆく。
じきにチカは飽きてしまったようで、又話に精を出し始める。
「りか様、そちらは王子様の・・・・?」
「そうね、考えていなかったけれど、それもいいかもしれないわね。」
「ああ、早く大王様のお許しがでたらいいのに。」
「もうすこし、時を待たなくては駄目よ。」
「だって・・・・わたしたち。
美しいお二人を見るのがとても好きなのですもの。
いえ、勿論りか様お一人でも充分美しいのですけれど。」
「もう、失礼なことばかり言ってるんだから。
やめなさいよ、チカ。 りか様、お許し下さいませ。」
「失礼なことなんか言ってないもん。」
叱るようなアカネの口調に、チカが泣きそうな顔になる。
「だって、あんな素敵な王子様、御芝居でだって見たことないわ。」
「あら、だってこのあいだの御芝居、
とっても素敵だったって大騒ぎじゃなかった?」
チカの家は身分はともかく、この国ではかなり豊かな部類。
旅役者達を呼び寄せて、芝居などを打たせることもあるそうな。
そういう時には女官達を、誇らしげにチカが屋敷に招待するらしい。
「だって、それとこれとは違うわ。」
食って掛かるチカ、すこし矛先を変えてあげなくては。
「それで、どんな御芝居だったの?」
そしてしばらくチカの長広舌が続く。
アカネさえもそれに加わり、よほどに素晴らしいものだったらしい。
それなりに目も肥えた娘達をこれほどに感嘆させる、
なかなかに達者な一座なのだろう。
「そしてね、りか様。主役を演じた者達が、
それはもう美しかったのですわ。」
勢い込んでチカが言う。
「腕の中で息絶える恋人を抱き締める主役の役者の
それはもう凛々しかったこと。
歴戦の騎士だって、あのように男らしくはございませんわ。」
「恋人の娘だって、そりゃあ、もう、それは綺麗だったのですよ。
儚げで、でもきりりとして。
どこの王女様だろう?って思えてしまうくらいに。」
負けじとアカネも口を挟む。
「ああ、御芝居みたいに、
早い処、なにもかもうまく行かないのかしら・・・」
この娘達にとって、まるで御伽噺の中のそれような存在なのだろう。
いいえ、わたくしにとってもそうなのね、
気高く美しい、わたくしの王子さま。
なにか策を練らなくては。
勝ち戦の領土を手土産に、大王様はじきにお帰りになる。
盛大な誕生の宴が、始まる前に。
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