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  其の三十










「お呼び頂きましたそうで。」



廊下を小走りにしてきたのが悟られぬよう、
息を詰めて恭しく頭を下げる。
ああ、髪はきちんとまとまっているかしら。
後れ毛がやけに気にかかる。




「いや、そちらへ。」


どうしてこの女は、いつもこんなに硬い顔をするのだろう。
精一杯の媚びた微笑に慣れすぎた大王は、ふと思う。


首の詰まった藍色のドレス、ひっ摘めた髪の毛、
まるでお国の修道女のようではないか。
きちんとはしていても、まるでわたしを拒絶するかのような物腰。
しかしその面差しには、えも言われぬ魅力が宿る。
表情が硬くなるほどに、少女のような初々しい色香が漂うような。
ふんわりとした輪郭、抜けるような白い肌、
艶やかな口唇には装いなど、必要とはしないのかもしれない。





大王様がわたしをじっと見つめられる。
ああ、やはり口紅くらいはさしてくるべきだった。
わたしは王子の家庭教師、姫君ではないのだから、
変なところでばかり、意地を張ってしまう。




「なんでございましょう。」



「あ、いや。先日はご苦労だった。」
「は?」
「いや、わざわざご列席頂いて。」
「教師として、当然の勤めでございますわ。」


ああ、どうしてわたしは、
このような木で鼻を括ったような返事しかできないのかしら。



警戒するような尖った声が返ってくる。
全く、わたしをなんだと思っているのだ。
宴では王子に微笑みかけていたではないか。
今日とはえらく違う、海の色の服だったな。
柔らかく膨らんだ袖、大きく開いた襟ぐり、
ああいう女らしい装いの方が、ずっと似合いだというのに。



「あれから、どうだ、あれは。」


いつも同じ問いかけ、それはそうね、
わたしは家庭教師なのだから。


「あなたさまがご心配なさることは、なにもございませんわ。」


そして又、大王さまはわたくしを見つめる。
一体今日はどうしたことかしら。
この方が、言い澱んでいるような。
なにか気に入らないことがあるならば、どうしてさっさと仰らないの。
そして、わたしの悪い癖が頭をもたげる。
持って回った言い方ができないという。



「何か、仰せがございますのでしょうか。」



どうも、調子が狂う。
主導権を握られているような。
堅苦しげに背筋を伸ばし、わたしに問い掛けるこの女が、
どこか可愛いとすら思えてくる。








文明はそこにしかないと信じている、豊かな遠い西の国々。
腹の中で笑われていることは百も承知の上だった。
この国が生き残る為には、過去に囚われてばかりはいられない。
次代の国王に必要なのは、未来を見通す広い視野。
藁にも縋る思いで募った家庭教師。
桟橋に降り立ったのは、まだ少女のような娘だった。
あちらの国では相当な家柄だとか。
珍しそうに頭を巡らせ、潮の香りを胸一杯吸い込んで、
海に映えるその瞳には、この国がどう映ったものか。
慣れない気候、珍しい食事、理不尽な習慣、
気位の高そうな女一人、すぐ音をあげるものと踏んでいた。
野蛮な国と見下されるのならば、それも仕方がなかろうと。


思いもかけず、王子達がなついたという。
気取った処もなく、この国に馴染もうとしているらしいのが、
風の噂で耳に入る。
教師としての力量も、なかなかのものらしい。
小娘と見くびっていたわたしの見る目は変わってくる。





「大王さま?」


そのように急かされるのには慣れていない。
どのように切り出すか、思案する暇もない。




「わたしは、また、戦へと出なくてはならない。」
「ご武運をお祈りしておりますわ。」
ああ、なんという月並みな言葉しか出てこないのかしら。
どうかご無事でなどと、思いが伝わるはずも無い。
「その前に、お伺いしたいことがあるのだが。」
ああ、どうしてこうも話が進まないのだ。
わたしが戦に出ようが戦死しようが関係もない、という顔をして。
「いや、あれのことだが。」
「ですから・・・・」
全く、少し落ち着くということが出来ないのか、あなたは。
「そういうことではなく。」
「では、どのような?」
「后選びの件だが。」
全く、何を言い出すと思えば、この方は。
そのように仰られても人の心は動かせないと、
まだ分からないのかしら。
「王子さまは、まだお若いのでございます。」
「うむ。」
「今、しばらく、時を差し上げては如何です。」
あなたは、わたしに指図でもしようというのか。
わたしは、あいつの父親だぞ。
つい、口調が荒くなる。
「いや、そういうことではなく。」
またわたしはご機嫌を損ねてしまった様子。
でも、お気に障ることなど言っていないはずだわ、今日は。


「では、どういうことですの。」
「いや、つまり。
 あいつはもう心に決めた者がおるなどと申しておるのだが。」


ああ、そういう事だったのね。
やっと分かったわ、王子さまのこの頃の目覚しいまでの成長ぶり。
あのような影響を与えられるお相手ならば、
きっと素晴らしい方に違いない。
なにより、あの王子が選ばれる方、ならば間違いはないでしょう。


「あなたに・・・・。」
「は?」
「いや、あなたに・・・なにか、心当たりはあるかね。」
「心当り、でございますか?」


「もしや・・・身に覚えということも、あるのか?」


うまく聞き出すつもりが、つい口が滑る。




なあに、一体これはどういうこと?
この方はそんなことを聞くために、わたしを?
情けないったらありゃしない。
わたしが色仕掛けで、この国の王妃を狙っているとでも言いたいの?
后選びにあれほど五月蝿かったのも、このせいだったのかしら。
女だから、というだけで色眼鏡で見られたくなくて、
わたしなりに精一杯やってきた。
なのに、わたしの雇い主がわたしをそんなふうに見ていたなんて。
よりにもよって、この方が。
悔しさと情けなさで、頭に血がのぼる。
わたしはこの方のなにを見ていたのだろう。



溜まっていた自己嫌悪が、怒りと一緒に爆発した。





「身に覚えなど  ・・・・・・あろうはずがございません!」




なにか言おうとする大王の言葉など聞く耳は既に無い。
ドレスの裾を翻し、わたしは部屋を飛び出した。








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