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其の二十九
「先生、借りていた御本、有難う御座いました。」
「まあ、もうお読みになってしまわれたの。」
近頃の王子さまは、わたしが国から持ってきた本を
片端からむさぼるように読んでしまう。
以前は物語がせいぜいだったものを、
近頃は歴史書や地理書などに、随分と興味を示される。
より広く世界を捉えたい、そんな意欲が感じられる勢いで。
「ええ、もっともっと知らなくてはいけないことばかりですから。」
とはいえ、近頃は剣術や体術にもお励みになられているはず、
ついわたしは余計な心配を口にする。
「そんなにお急ぎにならなくとも、よろしいでしょう。」
王子さまは走らせていたペンを止めて、照れたように口を開く。
「いいえ、俺はまだまだ分からないことが多すぎます。」
照れた顔とは裏腹なその真剣な口調に、つい興味が沸き上がる。
「例えばどんなことですの?」
「俺が王となった時、どのような国を作るべきなのか。
国の豊かさや強さとは、一体なんであるのかをです。」
「でも、わたくしの本は戦術の書ではなくてよ。」
まぜかえすわたしに、驚くような真剣な口調が返される。
「ううん。豊かで強いというのは本当はどういうものであるのかを。
国民が何を望むのかを知るには、
まず人間を、世界を知らねば話になりません。」
思いもかけない答えに、わたしは驚きを隠し問い返す。
「国民が望むのは戦争に勝って、領土を広げることではないの?」
「そればかりではないような気がするのです。」
「でも国王様ならば、あなたの望むようにお国を作れますでしょう。」
「いえ、国を作るのは王ではないような気がするんです。」
王子様は眉間に少し皺を寄せ、考え込むようなお顔になられる。
「では、どなただと?」
「人が、作るのです。王はその舵取りに過ぎません。」
「まあ、では、国王様とは随分と割の合わないお仕事ですわね。
戦場で命を賭けて舵をとる。」
「いいえ、そうは思いません。」
「どうして?」
そして、微笑んで王子は口を開かれる。
「王という身分にあるという、
ただそれだけで国民は慕ってくれるのです。
皆で支えてくれるのです。
ならば、それに答えるのは当然のことではないのでしょうか。」
わたしは胸が熱くなる。
なにがあったとしても、このお方にこのような思いを
抱かせることであるならば、
それは素晴らしいことに違いない。
そして、わたしの仕事はもうすぐ終わる。
午後の木洩れ日が遊ぶ部屋で、わたしと王子様は書物に戻った。
気高く美しく、知性あふれる女。
どのような女にあれほどまでに眼を眩まされているのだ、あいつは。
ただの遊びならば、好きにさせよう。
しかし、そうでもないらしい。
悪びれもせずに、よく言ったものだ。
王子のかけていた椅子に目を移し、大王は口の端を上げる。
だが,一体どこの誰なのだ。
卑しくも一国の世継ぎの身。
そう簡単に、あちこちの女に手を出せるはずもなかろう。
書類に署名を入れながら、大王は頭を巡らせる。
恋に落ちるほどに、近しく寄せている女。
気高く知性溢れ、つまりは鼻持ちならない生意気な。
そして、美しい。
「コウ、ここへ。」
「お呼びにございますか、大王様。」
「先生に、あとでこちらへ来るようにと。」
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