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其の二十七
あの宴以来、わたしは自己嫌悪から逃れられないまま。
王子さまになにかが起こったのであろうことは、容易に想像がついた。
明るさがお戻りになり、それは以前より一段と輝きを増して。
逞しさすら感じさせる眼差しは、
わたしですらどきりとしてしまうほど。
物事に取り組む姿勢も、真剣さが違ってきた。
未来が、すぐそこまで迫っているかのような。
遠い夢ではなく、確固たる現実として捕らえ始めたかのような。
王子さまの家庭教師としては、喜ぶべきことなのかもしれない。
とはいえ、大王さまとの折り合いはあのままのようで。
あの方の望むような人格から、羽ばたきつつあるのだろう。
もがきながらも目覚めていく自我を止めることなど、
誰にもできはしない。
そして、王子さまは生まれながらに帝王の資質を備えたお方。
あの方の思われる器には、溢れてしまうほどに
しかしわたしはあの方を、少しでもお助けしたいのだ。
それは潰えてしまったあの懐かしい日への、
センチメンタリズムに過ぎないのかもしれないけれど。
抽斗の奥から、古びた箱をそっと出す。
真っ赤なビロードに包まれて、ロザリオはあの日に時を戻す。
故郷を出る時も、どうしても置いてくることは出来なかった。
それはいまも穏やかな光を放ち、わたしを慰めてくれる。
あの方のたった一つの形見の品。
穏やかで、争いなど好まぬ方だった。
王家の遠い一族でありながら、リュートを奏で、詩を紡ぎ、
微笑みながらわたしにダンスを教えてくださった、あのお方。
優しく穏やかな山間いの領地。
領民達に愛されながら、静かに時を紡いでゆく。
それが、あの方の夢だった。
じゃじゃ馬と笑われた貴族の娘が恋をしたのは、そんな人だった。
駆け引きなど出来なかった、そんな必死な瞳に、
あの方は笑いかけて下さった。
驚きと祝福の渦の中、わたしたちは婚約した。
好奇心が旺盛で、何にでも手を出す性癖が幸いしたのかどうなのか。
わたしは必死で、あの方の為になることならば、
いつか来る未来に、お役に立てるようにと夢中になった。
芸術、学問、社交術、少しでも広く此の世を知らねばと、
少しでもあの方に近づきたいと、ただそれだけで。
「 王位継承権など関係無いのだよ、私のような立場ならば。
なんと幸せなことだろう。 」
それが口癖、遠い血筋を茶化すように微笑んで。
そうだったならば、どれほどに幸せだったことだろう。
「 王妃などより、君の方がずっといい。 」
時は戦乱、領土を広げることに血道をあげる男達。
小国のひしめきあう中で、次々と無駄に命を落とす。
いつのまにか、あの方にとって王位は遠いものでは無くなっていった。
「 私は、小さな領地で暮らすんだ。
ひかりと風に囲まれて。
君と二人、御伽噺のようにね。 」
そう言って微笑まれるお顔を、わたしは腕の中で見つめ続けた。
二人でならば、乗り越えられぬものなど無いと信じて。
そして、ある夜知らせが届く。
あの方が、刺されたと。
王位継承の争いは泥沼に陥り、
不穏な芽を摘まなくてはというただそれだけで。
あの方はそんなもの、欲しくなかったのに。
あの方はそんなもの、必要無かったのに。
わたしは棺に縋りつき、泣いて泣いて、
そして、ひかりと風は遠く霞み、消えていった。
ロザリオを握る手を、祈るように重ね合わせる。
額に痛い程押しつけて、それでもまだ涙がせり上がる。
神にこの身を捧げよう、この世など捨ててしまおう。
ノル様のいない世界など、わたしには辛過ぎる。
そんな時、遠い異国からの知らせが回りまわって
わたしの国までやって来た。
どれほどの未開の地かと、誰もが尻込みするような、
名も知らぬ東方の国。
我こそは文明国と信じている、不遜で下らない人々は、
そんな蛮族の地へは文明を伝える気は無かったらしい。
だからこそ、わたしでも雇われたのだろうけれど。
分からないものばかりの未知の世界、だからこそ魅かれた。
修道女になられるくらいならばと、散々な逡巡の末、
お父さまの、溜め息混じりの許しが下りた。
足踏みして時を逃すくらいならば、息を止めて飛びこんでしまおう。
そしで溺れてしまっても、わたしにはもう失うものなどないのだから。
何事にも傲慢で高圧的、人を人とも思わない。
皆が自分に従うことなど当然と、信じきっているかのような大王様。
とんでもない人に雇われたものだと、最初は思った。
ノル様とは正反対、蛮勇をふるう輩に違いないと。
簡単には帰ることの出来ないこの国で、心ならずも足止めされて、
性に合わない我慢をするうちに、見えてきたことがある。
そうあるしかなかったこの国が、そうなるしかなかったあの方が。
時代とか社会とか、そんな諸々の高波に飲まれないように、
国を守るという重責を一人背負うということは、
生半可なことではないのだと。
立ち止まることすらしなかったから、
わたしはそんなことも分かっていなかった。
歩み寄ってみたならば見えてくるものがあることに、
始めて気が付いた。
高圧や傲慢は、あの方にとって自らを守る鎧。
人を人とも思わないのは、あの方にとっての社交術に過ぎない。
その底にあるものは、大きな愛。
一人の人間では背負いきれない、この国と国民への愛なのだ。
かたちは違うけれども、それはノル様が、
そしてわたしが描いていた未来にもあったはず。
眩しいほどに凛々しい王子さま。
悠々たる未来に向けて、船出の時に心ときめかせ。
乗り越えられぬものなどないと、風に向かい顔を上げる。
鎧に押し込められた大王さまも、そうだったのかもしれない。
逃れられない思いの為に、自らを全て捨てるまでは。
そのことに気がついた時、わたしは恋に落ちていた。
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