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  其の二十二












空の彼方から緩やかに波が寄せる。
満天の星が降るように海に融ける。

風の立つ音がする。
世界は回り始める。



全ては、あの方の元へ。








指さされた方角へ転がるように走り続ける。
なりふりなんか構っちゃいられない。
砂に脚がとられそうになる。
息が上がって汗がふき出す。
それでも全然苦しくなくて、頭の中は浜の砂より真っ白になって。



夜光虫のように瞬く天、星屑を溶かしたような海を背に、
すんなりと立つ仄白い影。



{お義母さま ・・っ 」



いつかよりももっと上ずった声で、叫ぶように呼びかける。
背中がぴくりと張って、そして、


その人は走り出した。


縺れそうな脚を引き摺る俺は必死で追いかけて。
影になった洞窟に入ってしまわれたら、
もう見つけられないかもしれない。
伝う汗が冷たくなる、瞬くことすら忘れた瞳にはあなたしか映らない。
破れそうな心臓を抱えながら、その入り口で薄い絹地を引っつかむ。

強張ったように立ち止まる細い肩に、よろけながら腕を回す。
あの夜の匂いに包まれて、胸が詰まりそうになる。



「お・・願い・・・・・・・・です。」



そう言ったっきり、声が詰まって出てきやしない。
ゆっくりとお義母さまが振りかえる。
黄金色の月明かりに照らされた、愛らしいそのお顔は、
夢に見ていたものなどと比べ物にならぬ程に美しく。
俺と同じ高さの瞳が、揺れて空を仰ぐ。


「怒らないで。」
思わず出た言葉は、情け無いったらありゃしない。
煙るような睫が伏せられる。
聞えるか聞えないか程の囁きが漏れる。















「怒ったりなど、しないわ。」
「お義母さま ・・・・俺。」
「聞きたくない。」


そう言って崩れるように、お義母さまは蹲る。
「聞きたくなんか、ないのよ。」
耳に両手をあてて、子供のようにお顔を伏せる。
その姿は心の奥の一番小さないとおしいもののようで、
跪いてそっと手をかける。




一体どうしてしまったの。
息が出来ない、胸が潰れそう。
この方のお姿を見た途端、砂の中に吸いこまれてしまいそうで。
そんな不安定な自分が耐えられなくて、駆けるしかなかったの。
ひたすらに逃げて、そして捕まってしまったら。
もう、どうしてよいかなんてわからない。
わたくしの大好きなそのお顔を、まともに見ることすら出来ないなんて。


耳を抑える手に、あの方の指がかかる。
その温かさに魔法でもかかったように、たやすく手ははずされる。






「お義母様。
 俺がお嫌いですか?」









覗きこむのは、深い深い藍の瞳。
溺れそうなわたくし、答えることなんかできやしない。
ただ小さく震えるだけ。
そんなわたくしを、温かい胸が包み込む。


「たとえそうでも。  それでも、
 俺、お義母さまを愛しています。」


言葉なんか信じない。
星の瞬きみたいだわ、微かだから美しいの。
たとえ、どれほどに誠実そうであったとしても。
思いなんて信じちゃいけない。
夜光虫みたいなもの、漣に吸いこまれ消えてしまう。
たとえ、どれほどに胸が苦しくても。
ずるいわたくしが、心で叫ぶ。


耳を、優しく声がくすぐる。 
「だから、いつか。俺が一人前になったなら。
 その時もう一度、俺を見てくださいますか?」
王子さまの囁きは、心のなにかを溶かすほどに温かい。


後悔するのは容易いこと
わたくしは何を見ていたのだろうか。
好きなものすら信じられない。
盲いてしまった、わたくしの心。
後悔するより、裏切られるより。
そちらの方が、余程に惨めなことなのに。
「俺には、あなたしかいないんです。 」
胸の奥で波が立つ、涙が咽喉元にせりあがる。
静かな波の寄せ来る音と、温かい王子さまの鼓動の中、
わたくしの頬を柔らかな涙が伝う。


「お義母さま ・・・・?」


心配そうな王子さまのお顔。
開いたままの瞳、ぽろぽろと零れつづけるわたくしの思い。
「ごめんなさい。又、考え無しのことばかり言ってしまって。」
困ったように眉根を寄せる。
そんなお顔までもが、
ひたすらに誠実で、闇雲にいとおしい。





「待っててとか、そういうつもりではないんです。
 あの・・・だから・・・。」




海よりも天よりも、豊かに広く包んでくれる、
わたくしの、ただお一人の王子さま。












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