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  其の十七






「あ、痛っ !」


昼下がりの木陰に涼やかな風が渡り、
甘く花の香りが空気に乗ってやってくる。
後宮の女官は侍女といえどもそこそこの身分の者の集まりだ。
仕事といっても優雅にこなせる程度のものばかりで、
どちらかといえば行儀見習のようなものだった。





「ほら、口ばっかり動かしてるから。」
「口なんか閉じてたって、針は刺さるわ。
 苦手なんですもの、刺繍って。」
「本当にお喋りなんだから、チカってば。」


そう言って、アカネは日に透かし刺繍の出来具合を確かめる。
薄紫の大輪の花々が綺麗に木漏れ日に映える。
これならばりかの室内着の裾模様としても、恥ずかしくない出来栄えだろう。そう満足して膝に置き、チカのお喋りの相手になることにした。


「んもう、聞きたいっていったのは、アカネじゃなかった?」
「聞いてあげる、っていったのよ。
 で、どうだったの、王子様は?」
拗ねてみるチカを、横目で眺めながら話を急かす。
女官たちの間であれだけ噂の王子の話を、
刺繍の手助け位で聞けるのならばお安いものだ。
「そりゃあ、素敵だったわよ。
雨に打たれて、お疲れのご様子だったけど。」

「ふうん。お噂通り?」
王子と口をきいたというだけで、
チカはなんとなく誇らしいような気持ちになった。


「うん、すっごく優しそうだった。」
「それで?」
「それでって?」
「やっぱり?」
「やっぱりって?」
「やあね、じらすんだから。
 そんな風だったら、もう手伝ってあげなくてよ。」


そう言ってチカの、やりかけの刺繍を取り上げる。
いかにもチカらしく一所懸命なのだけれど、どこかたどたどしい。
糸のほつれに嫌気がさしてしまったのか、
百合の花弁の真ん中で放り出してそのままだ。
「ほらこの辺とか、こんな雑じゃあ、りかさまに叱られるわ。」
「りかさまは、叱ったりしないもん。」
口を尖らせながらも、チカは刺繍を取りかえそうとはしなかった。
口では色々言っていても、アカネだって聞きたいのはわかってる。
王子様の話などなくっても、最後にはアカネが助けてくれるのは
いつものことだった。




針に鮮やかな絹の糸を通し、アカネは不揃いの刺繍を直し始めた。
「だ、か、ら、王子様は?」
「うん、お好きなんだと思うわ、りかさまのこと。」
苦手な針仕事から解放されて嬉しげに、
チカは両手を胸の前で組んで空を仰ぐ。
夢中で話すときの、彼女のいつもの癖だった。
瞳がきらきらとひかり頬が紅潮し始める。
「だって、そりゃあ嬉しそうだったのよ、私が行ったとき。」
「で、りかさまは?」
「昨日から、ずうっと臥せったまんま・・・だっけ。」
「そうなのよね。」
「あああ、お気の毒だなあ。王子様」
「勿体無いじゃあ、ないの?」
銀の針を走らせながら、アカネが含み笑う。


「んもう、やめてよ。
 あのご様子をみたら、他の人なんて目に入ってないのがわかってよ。」
「ふうん、よっぽどお好きなのね。」
「うん、私たちもりかさまのこと、大好きだけど。」
「そりゃあね、美しくて、お優しくて、賢くて。」
「でもね、あの方なら・・・
 あんなに、お好きならしょうがないかって気もするのよ。
 そりゃあ、かなりお年が下なのは認めるけど。」
妙に真面目なチカの声音に、アカネは思わず吹き出した。
「なにが、しょうがないの?」
「だからあ、りかさまがお好きになられても、よ。」
「だって、ここは、後宮よ。」
驚いて瞬くアカネに、チカは人差し指を顎に当てて思案したふうをする。
「でもね、なんか、なんとかならないかなあって。」
「なんとかねえ。」
「だって、其の方のたったお一人になるなんて、素敵じゃないこと。」
「それはなにかの御伽噺からの、受け売りかしら?」



そういえば、チカはこの宮一の箱入り娘だった。
いつも夢見るような童話を読んで、
罪の無い我侭を口を尖らせつつ言いながらも、皆に愛される。
規律正しい軍に名を連ねる、将軍の娘のアカネとは正反対の性格ながら
なぜか気があった。



「しかもよ、それが、あの素敵な王子様なのよ。」
「でも、王族の殿方よ。いつかは後宮を作ってしまうのではなくて?」
「ううん、そんな方じゃあないと思うのよ。絶対。」
そういって、腕を組んで頷く。
チカの根拠のない太鼓判に、アカネは苦笑でかえす。



苦笑を同意と勝手に受けとりながら、チカは更に勢い込んだ。
「だからさ、今度のお誕生の宴。」
「ああ、後宮も呼ばれていたのだったわね。」
「うん、だから、是非私たちもお祝いの気持ちを伝えたいってことで。」
「そうねえ・・・・」
そう言って、また針に顔を戻す。
「りかさまだって、ご出席しないわけにはいかなくてよ。」
「そりゃあね。」
「だから、唯一のお顔が見られる機会なんです、ってさあ。」
「ん、まあ、機会があればお願いしてみましょうね。
 はい、出来たわ。」



「うわあ、さすが、アカネね。」
「もう、なんにも出ないわよ。」





そして笑いさざめきながら、二人は木陰を後にした。








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