2割の子がピッチに立たず 世界に逆行する小学生のサッカー全国大会
サッカーをする小学生が試合でプレーする機会は、十分に確保されているのか。そんな課題が浮かび上がり、日本サッカー協会が改善に向けて本腰を入れ始めた。
昨年末に鹿児島市で行われた全日本U12(12歳以下)選手権で、2割の子どもたちが試合に出場しないまま大会を終えた――。1月中旬、熊本市で行われた「フットボールカンファレンス」で、こんなデータが示された。2年に1度、全国の指導者が集まる日本協会主催の研修会での一コマだった。
全国から48チームが集まり、1次リーグで3試合を行い、16強による決勝トーナメントで日本一を争う大会。選手登録した小学生749人のうち、18.56%にあたる139人が未出場だったという。登壇した日本協会の木村康彦・指導者養成ダイレクターは言った。「危機感がある。子どもたちにはプレーする権利がある」
前身の全日本少年大会が始まったのが1977年。当時はJリーグのようなプロリーグがなく、小学生年代の競技普及で大きな役割を担った。当初は大人と同じ11人制だった。
一人ひとりがボールに触る機会を増やそうと8人制を導入した2011年、全員が出場したチームは24あった。翌12年は31に。一方で、11年時点で54人だった未出場選手も時を経るごとに増加。22年は18.01%、23年は21.66%と、その割合はここ数年、2割程度で推移する。
サッカー界では近年、低年齢のうちからエリート教育をする「早期選抜」は意味がないとされている。特に小学生年代は成長の度合いによって体格の差が生まれやすい。優劣をつけるのは、競技離れを招く弊害の方が大きいと言われて久しい。
サッカーの本場、欧州ではすべての子になるべく等しくプレー機会を与えることが常識となっている。デンマーク連盟の担当者は「様々な研究から、どの子がトップに到達するかは分からないのが明確だ。だから、我々は全員に投資する」。スイス連盟の担当者も「遅咲きの子もいる。(国の競技力を高めるために)潜在性を持った人材を見逃す余裕はない」と語る。
全日本U12選手権で起きていることは、世界の潮流に逆行する。理由はどこにあるのか。
「テレビ放送もあり、優勝すればクラブに入ってくる子が増える。勝利至上主義への誘惑が指導者にある」
「チームの勝利のためと言って、個々に我慢や犠牲心を求める風潮もある。結果、子どものプレー機会を奪っている」
関係者からはこんな声が聞こえた。
日本協会もこうした状況を把握し、問題意識を持っている。代表チームの強化や選手の育成を統括する影山雅永・技術委員長は「10年後やその先の将来を見据え、サッカーを続けてくれる人、好きでいてくれる人を増やすためにも重要な課題」と話す。
日本代表の伊東純也や24年パリ五輪代表の平河悠のように、大学生以降に頭角を現し、海外で活躍する選手もいる。長く競技を続ける子どもたちが増えることは、代表チームの強化につながる可能性を高めることになる。
子どものプレー機会創出の重要性について、影山技術委員長は「日本協会の発信が弱まっていた反省もある」。指導者の研修会などで改めて呼びかけ始めた。さらに、全日本U12選手権では全員出場のルールを設けることも検討材料にあがる。都道府県予選での出場データ収集など、子どもの出場機会の調査にも乗り出す方針だ。
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- 【視点】
「10年後の選手の姿に責任を持とう」 これは、『本音で向き合う。自分を疑って進む』などの著書がある佐伯夕利子さんが所属する、スペインリーグの強豪ビジャレアルの合言葉です。 例えばスペインでは、U12の大会は全員が試合に出場させなければいけません。ひとりでも試合に出なかった選手がいたチームはサスペンション(大会への出場停止)が課されます。佐伯さんによると、保護者からも「うちの子、ほかの選手より出場時間が少なかった」とクレームが届くそうです。しかも、指摘がなくても試合後にプレータイムに差があったことが判明すると、コーチがあわてて親子に謝罪に行くと聞きました。コーチはプレー機会を均等にしようとしますが、ごくたまに計算違いもある。故意ではありません。 一方、日本の多くは故意です。保護者からプレー機会の差を指摘されると、多くのチームでは「嫌ならやめてください」と言われる。残念ながらそれが現状です。そうなる背景には構造的な問題があります。全国放送されメディアにも取り上げられる全国大会に出場すること、さらに勝ち上がることで、クラブの運営は安定する。なぜならば保護者や選手の評価軸が「強豪クラブ」だからです。強いクラブに入れば将来が約束されると勘違いしています。 したがって、勝利ではなく個の育成に軸足を置いた指導をするクラブを求める価値観の醸成が必要です。サッカーのみならずジュニアスポーツで勝利が優先される文化が半世紀以上続く日本でこの価値観を塗り替えるには、記事にある「早期選抜の弊害」をあぶり出す縦断的研究や過去分析が望まれます。幸いにも「10年後やその先の将来を見据え……」と影山技術委員長はこの問題を矮小化していません。本格的な育成の見直しへ舵を切ってほしいと願います。 記事にある「サッカーの本場、欧州ではすべての子になるべく等しくプレー機会を与えることが常識となっている」は紛れもない事実でしょう。 冒頭のビジャレアルは、昨年バロンドールを受賞したロドリを育てています。10年後に責任を持ったからこその結実でしょう。
…続きを読む - 【視点】
サッカーに限らず、どんな競技でも、低年齢のうちからエリート教育をする「早期選抜」を進めることで、例えば幼少期から親やコーチからの過度な期待をかけられたり、厳しいトレーニングや結果重視の環境に置かれることで、精神的・肉体的に疲弊し、成長期に競技へのモチベーションを失うことは、あり得るのでは、と思います。 また、早期の選抜では「今できる子」が優遇され、「遅咲きの才能」が見逃されたり、選手として出場経験のない子が「自分はダメなんだ」と自己肯定感の低下につながることも考えられます。早期に専門競技に絞ってしまうと、他のスポーツや文化的活動を経験する機会が失われてしまいます。長期的にみればその競技の人材育成の点でも、また子ども個人にとっても望ましい結果を生まないと言えます。 海外の事例を見ると、児童や青少年のスポーツ参加率が9割に上るノルウェーでは、1990年代には既にノルウェースポーツ連盟(NIF)によって「子どものスポーツ憲章」が設定され、子どもは「権利の主体」であるという考えに基づき、「楽しさを感じる権利」「安全な環境で活動する権利」「自分のペースで学べる権利」など7つの権利が設定されています。才能よりも「楽しさ」と「参加」を優先するノルウェーのスポーツ施策は、教育者やコーチ、保護者の間でも共有され、「子どもは守られるべき存在であると同時に、自分の意思を持つ存在である」という意識が文化として根付いていると言えます。 日本では子どもがスポーツに触れる機会のひとつある、学校の部活動では楽しさより規律や根性、礼儀作法が重視され、「親や先生の期待に応える」ことが望まれているように感じます。また、子どもにスポーツを指導するには特別な資格が必要で、権利や発達心理の理解が必須とされるノルウェーと違い、ボランティアベースで指導に関わることも多い日本の場合、子どもの成長段階を十分に理解せずに「強い子が優先される」勝利至上主義につながりやすいのかもしれません。そこには、「子どもに権利がある」という発想自体がまだ十分に浸透していない、日本社会特有の問題もあるように感じます。 子どもが才能を幅広く伸ばし、競技からの離脱を防ぐためには「全員出場」「複数競技の経験」といった取り組みが必要です。そのためには子どもの声を聴き、選ぶ自由や安全・楽しさを保障することを、ノルウェーのように明文化、指導者や保護者の理解の促進が不可欠なのだと感じます。
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