「欲しいのは日本の芸術花火だ」 韓国の財閥ハンファが示した好条件

室矢英樹

連載「HANABI」第9部 海外へ向かう大曲(5)

 2024年4月、韓国の財閥ハンファの視察団が秋田県大仙市の「響屋大曲煙火(ひびきやおおまがりえんか)」を訪れた。

 火薬製造で創業したハンファは、花火の打ち上げも手がけている。ドローンやレーザー光線を採り入れた演出は、世界の最先端ともいわれる。

 ハンファの幹部は「われわれが求めているのは日本のすぐれた芸術花火だ」と言った。それが響屋だった。

 打診は23年夏。社長の斎藤健太郎(45)は「まさか、あの巨大企業が」と耳を疑った。ハンファはソウルや釜山で開く国際大会の目玉を探していた。

 ハンファは好条件を示した。1回の取引で花火を2千発。コンテナ船も手配する。契約は2年、その後の更新もあり――。

先行投資が生きる

 危険物にあたる花火の輸送を敬遠する船舶会社は多い。国内では、1社単独で打ち上げる大会で1千万円を超えると大規模だ。契約額はその数倍。1回限りではなく、複数年契約は事業の安定化につながる。

 斎藤に断る理由はなかった。

 響屋で総務・経理を担う「番頭役」の隈元信義(43)は海外取引のインパクトを思い知らされた。

 隈元は大曲出身の妻(39)と出会い、鹿児島・奄美大島から移住した。勤め先の税理士事務所で担当したのが響屋だった。

 「世界中に日本の花火を見せたい」。会社を訪ねると、斎藤は決まって夢を語った。「この男を支えたい」と17年に入社する。

 響屋は18年、海外進出に乗り出す。国際事業部を発足させ、語学力にすぐれた社員を探した。コロナ禍で売り上げが激減する中でも、2億円を投じ、工室4棟に国内最大級の火薬庫(35トン収納)をこしらえた。

 そんな斎藤に、心配した隈元は何度も待ったをかけた。しかし、斎藤は「出口のないトンネルはない」と言って、将来に向けた投資の手を緩めなかった。

 その成果は、初めての輸出となる韓国事業で実を結ぶ。24年10月、ソウル・漢江の夜に響屋の花火が舞い上がった。現地で歓声を聞いた斎藤は、胸が熱くなった。

 25年は輸出を軌道に乗せる年になる。

「逆転させたい」

 日本煙火協会(東京)によると、日本の花火の輸入額はコロナ禍前の19年に27億円。一方、輸出額は1億円にすぎない。

 「これを逆転させたい」と斎藤。響屋は、今年の生産量を前年比1・5倍の9万発とする目標を立てた。上乗せ分の3万発は海外向けだ。

 それでも1社では生産量に限界がある。国内業者と協力し、響屋が世界に届ける「ハブ(中継基地)」になることを描く。

 厚生労働省の人口動態統計調査で、秋田県は出生率が全国47位。逆に死亡率は全国1位だ。

 人口が減れば、地域経済は衰え、自治体の財政力も弱まる。今年、響屋が請け負う花火大会も2カ所で中止になった。「今から海外市場に目を向けないと、日本花火は廃れるかもしれない」。斎藤の危機感は強い。

 「世界の花火工場」と称される中国・瀏陽(リウヤン)市には、海外からバイヤーが駆けつけ、観光客が訪れていた。「いつか、大曲を世界中の人たちが集まる花火のまちにしたい」。これが斎藤の目標である。=文中敬称略、第9部おわり

【動画】世界最大の花火のまち、中国・瀏陽=「響屋大曲煙火」エミリー・ザン氏撮影

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