始まりは「覆面調査」のチラシ なりすまされたマンション住民の後悔

福冨旅史

 首都圏のマンションで5月、大規模修繕委員会に男2人が住民らになりすまして参加し、住居侵入容疑で神奈川県警に逮捕された。マンションへの違法な「潜入」のきっかけは、1年以上前にさかのぼる。なりすまされることになった住民が取材に応じ、経緯を振り返った。

 昨年3月の平日の朝。首都圏のマンションに住む30代女性は、自室の郵便受けに茶色のA4サイズのチラシが入っているのを見つけた。

 「ミステリーショッパー(覆面調査)のアルバイトをしませんか?」

 一般客を装い、飲食店の接客態度などを調べる仕事の募集だった。女性は育休中で、「子ども連れでもできる」「日中も好きな時間にできる」といった文言に引かれた。チラシに載っていたQRコードから応募した。

 大阪市のマーケティング会社から電話があり、自宅近くのカフェで仕事の説明を受けることになった。担当者は「マンションの大規模修繕の調査の仕事メインで進めたい」と言った。

 担当者は言った。住民らでつくる大規模修繕委員会で不正がないか、正常に機能しているかどうかの内部調査をする。マンションの管理会社から依頼されている――。

 担当者は、女性の夫の立場を借りて同会に出席したいと申し出た。「外部の目が入ることはいいこと」「会議で口を出すことはない」「報酬は毎月1万5千円相当の商品券」。そうたたみかけてきた。女性は他の住民と深い交流はなく、不審に思われる心配はなかった。応じることにした。

子どもの名前、生年月日、学校を聞いてきた男

 管理組合の理事会の議事録などをマーケティング会社にLINEで毎月送った。しばらくして大規模修繕委員会のメンバーの公募があり、昨年7月、自身の夫の名前を書いて提出した。

 後に住居侵入容疑で逮捕される男とは今年4月、近所のカフェで初めて会った。マーケティング会社の担当者も同席した。

 男は、自身が大規模修繕委員会に参加していると明かし、「もし誰かに聞かれたら、旦那さんの兄だと言う」と言った。他の住民に聞かれた場合に備え、子どもの名前や生年月日、学校、乗っている車種も教えるよう求めてきた。

「怪しまれている」合鍵を要求

 男は委員会に参加する時、他の住民の後ろについてオートロックの自動ドアから入っているといい、「少し怪しまれている」と明かした。共用部分に入るための合鍵の手配も依頼してきた。

 女性はすぐに対応した。「こんなに協力的な人はいない」と感謝されたが、仕事なので当たり前だと思っていた。しかし――。

 「どういうことですか」。5月17日午後5時ごろ、大規模修繕委員会のメンバー4人が突然、自宅を訪ねてきた。男が夫の兄を名乗るのではなく、夫の名前を使って委員会で積極的に発言していたことを知った。

既読になり、返信はなかった

 マーケティング会社から「お話ししたいことがある」とLINEでメッセージが来ていた。「至急お電話いただけますか?」と返信した。既読になったが、連絡はなかった。

 この直前、男は委員会のメンバーらに問い詰められ、マンションから走って逃げていた。住居侵入容疑で逮捕されたのは6月3日だった。

 女性は、管理組合や神奈川県警に経緯を説明し、謝罪した。事件で大規模修繕工事の議論は白紙になり、スケジュールは遅れている。

 「なりすますのが目的だと分かっていれば、引き受けなかった。住民のみなさんをだました形になり後悔している」

 マンションの管理会社は取材に、このマーケティング会社やその他の企業に内部調査を依頼した事実は「一切ございません」と答えた。

 マーケティング会社には数回、電話とメールで取材を依頼したが、期限までに回答はなかった。

住民なりすましをめぐる経緯

2024年3月

住民女性がポストで覆面調査のアルバイトに関するチラシを見つける

大阪市のマーケティング会社に連絡。その後、管理組合の資料をLINEで送る

5月

1回目の大規模修繕委員会

7月

女性が夫の名前で委員会に参加を申し込む

8月

逮捕された男2人が4回目の委員会に初めて参加。以降の参加はそれぞれ計5回以上

9月

男がコンサルタント会社公募の要件の私案を提示

25年3月

管理組合の総会で、公募14社の中から大阪市の大規模修繕コンサル会社に発注する方針が決まる

5月17日

男2人が委員会に参加。なりすましを指摘され、1人は住居侵入容疑で逮捕。もう1人は逃走

6月3日

もう1人が同容疑で逮捕

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この記事を書いた人
福冨旅史
東京社会部|調査報道担当
専門・関心分野
調査報道、事件、平和
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    小西美穂
    (関西学院大学総合政策学部特別客員教授)
    2025年6月27日13時53分 投稿
    【視点】

    住民自治の“盲点”に気づかされました。他にも同様の事例があるのでは。そんな不安すらよぎります。共同住宅の自治は、善意と信頼で成り立つがゆえに、今回のような“なりすまし”を誰も見抜けなかったのでしょう。マンションの防犯というと鍵や監視カメラを思い浮かべがちですが、防犯の要はむしろ“情報”にこそあると痛感しました。再発防止には、会合参加時の最低限の本人確認や、情報の扱いに関するガイドラインの整備が求められるように思います。信頼を前提とした仕組みだからこそ、ちょっとした確認のルールがあるだけで安心につながるのではないでしょうか。

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    綿野恵太
    (文筆家)
    2025年6月27日15時21分 投稿
    【視点】

     マンションの住民自治がうまく機能していないのではないか、と思わされる事件でした。住民同士が顔も知らないほど交流が希薄で、管理組合の活動にも関心が薄い。そうした無関心の積み重ねが、部外者による不正な“ハック”を許してしまった背景にあると言えるでしょう。  マンションの大規模修繕を決める場に企業が巧妙に入り込んでいた点では驚かされますが、こうしたケースは決して例外的ではないように思います。たとえば、企業の労働組合や大学の自治会などでも、多くのメンバーの無関心につけこむかたちで、一部の団体や人物が組織全体を牛耳ってしまう、という構図はよく見られるものです。  やはり日々の生活においてつねに関心を持ち続けることが、自治という民主主義の実践の場において重要だと思います。

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