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  其の十五






ぼんやりと数字を目で追って、ぼんやりとペンを走らせる。



算術とか歴史とか礼法とか、
もう好きとか嫌いとかいう感覚は既に無い。
なんとなくいわれるままに、頷けばいいや、って。


「王子様、なにか、ご質問は?」
「あ、いえ、別に。」
「そう。」


そしてぶん先生は溜息をつかれる。
今までなら、身が入ってないとかなんとか、
くってかかってきそうなもんなのに。




「では、次に参りましょうか。」


静かで穏やかで理想的な授業だって、コウ先生なら仰るに違いない。
俺たちはどんよりとした空気の中、
ひたすらに紙を捲っているだけなのだけど。










「王子さま、なにかご要望はございますか?」


手にもった書類をペンで叩きながら
うきうきした様子で、コウ先生が話しかける。
「なんの?」
わかっててもわざと、聞いてやる。
宴の一切合財を、とり仕切って下さってる。
闇雲に派手やかに、やっちまうつもりらしい。
「お誕生の、宴にございます。」
望みなんて、ただひとつしかない。
言えば、聞いてくれるのか?


口元は皮肉に歪み、吐き捨てるように答える。
「ないよ。」
「ではこちらで、進めてしまってよろしゅうございますね。」


「いんじゃない。」


ひらひらと手だけ振って、俺は背を向けた。








王子様のご様子は、本当はとてもおかしいはず。
お行儀がよろしくなられた、とかそういうものとは違うもの。
あの時より、なお一層覇気が感じられなくなってしまった。


私が余計な事をしてしまったせいなのかしら。
どうして、血が上ると考えが足りなくなってしまうのかしら。
あの横暴な大王様に、余程に厳しい事を言われたに違いない。
家庭教師失格も、いいところだわ。


いつもならば、いても立ってもいられなくなるはずなのに、
あれから私は、かなり力が抜けてしまっている。
私がどれほどにあのお方に魅かれているか、自覚してしまった。
あのお方がどれほどに私から遠くにいるか、気がついてしまった。



責任感と虚脱感の板ばさみで、
私はこの上もない無力な自分に嫌気がさしていた。














「りかさま。」


夜半に微かな音がする。
熱帯の雨は、たちまちに勢いを増す。


「寒いわ。」


わたくしの傍らのユウヒに身を寄せる。
あの夜から一人で寝ていない。
あの子がわたくしを、眠りの淵から引きずり上げる。
眠りに身を浸すために、心が麻痺するまで愛撫に身を任せる。


心配そうな瞳で、それでも慎ましやかに口唇を這わせる、
アカネ。
はしゃぐ少女そのままに、しなだれて暖かく抱きしめてくれる、
チカ。
なにもかもわかっているくせに、決して自分からは言おうとしない、
ユウヒ。


愛らしくいとおしいわたくしの大好きな女官たちが、
夜毎にわたくしの部屋を訪れる。



潤んだ瞳で、敬愛を込めてわたくしのために尽くしてくれる娘たち。
戯れと偽りに、わたくしは静かに浸されて、
一時の平穏と、自らに言い聞かせる。



「雨が、激しくなりそうです。」

「そうね。」



珍しくユウヒがなにか言いたげに、此方を見つめる。
わたくしは人差し指を、彼女の鼻梁から薄い口唇へと這わせる。



「なあに。」



「いえ・・・・・・」
言いかけて、口篭る。
指の先を鎖骨におろす。


「仰い。命令よ。」




「はい、あの、裏の門の・・・・・お方が。」


思いもかけぬ言葉に、心臓が掴み上げられる。
あの日から毎晩のように、いらしている事は知っていた。
女官たちは、本当は自らを部屋に繋ぎとめる方策に過ぎない。
どんなに無慈悲な女だと、罵られても構わなかった。
罵られたのならば、きっとそれでわたくしの呪縛は解けたはず。


ひたすらに、真っ直ぐな思いが、
門の向こうから飛び込んでくるようで。
わたくしは目をそらすことしか、できやしない。



「このままですと、お身体に障ります。
 もしも、大王様のお耳にでも入られましたら・・・」


そういって、口をつぐむ。
大王様のお耳に入ったならば、騒ぎは大きくなるばかり。
かといって、わたくしに何が出来るだろう。


思案した末、傍らの鈴に手を伸ばす。









「お呼びですか。りかさま。」


蜀台を手にしたチカが寝ぼけ眼でやってくる。
ユウヒの姿を目にとめて、少しすねたような顔をする。


「ごめんなさいね、起してしまって。」
「いいえ、あの・・・」
「ええ、申し訳ないのだけれど。
 裏の門のあの方に、お伝えしてきてくれるかしら。」


雨音はすこし弱まってきたようだ。
とはいえすぐに、勢いは戻るだろう。
今のうちに、行かせないと。
彼女にそっと耳打ちして、わたくしは送り出す。








「よろしいのですか・・・・・」


「構わないわ。」







そして、わたくしはユウヒを抱きしめる。
自らを、ここに縛り付けるために。










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