其の十四
明け方に、転がるように部屋に戻った。
被った毛布のその下で、瞼の裏に残るのは、
それでも愛しいお義母さま。
俺の手を振り解き、冷たい口唇で微笑んで、
見たことのない瞳で一蹴された。
何にも知らない若造に、閨房の嗜みを教えただけだったのか。
一人で舞い上がって、永遠の思いを伝えたと思っていただけなんて。
幾ら子供でも、そんなの惨め過ぎる。
お義母様の瞳は、それでも、少しでも、
愛しいと思って下さっていたのではなかったのか。
教えて頂きたかったのは、愛しあうこと、
それだけだったんだ。
俺は男だから、声を上げて泣くなんて真似などできはしない。
だけど、胸が押しつぶされそうに苦しくて、
頭が気持ち悪くなるくらいがんがんして、
咽喉が詰まっちゃったみたいに痙攣して、
泣いた方が絶対楽に、違いない。
本当に辛い時って、
そう簡単に涙なんか出てくれないんだよな。
寝苦しいとかそんなんじゃない。
寝てるのか起きてるのかすら、わからぬままに、
震えそうな自分を、抱きしめた。
取り憑かれたように、ぼんやりとした毎日。
どうやって、あんなに楽しく過ごしてたんだろう。
どうして、あんなに日々が輝いていたんだろう。
黙々と日課をこなして、今更騒ぎ立てる気にもなりゃしない。
とことん気力なくなった、ってのもあるけれど。
そんな子供じみた真似したくない。
お義母さまに軽蔑されそうで。
今更、遅いのかなあ。
「コウ、準備は進んでおるか。」
「は、大王様。
宴は近来稀に見る、晴れやかなものになることでございましょう。」
「で、あれの具合はどうだ。」
「ええ、大王様に仰っていただきましたせいか、
すっかり素直におなりあそばしまして。」
「先生、あなたもご列席いただけるのかな?」
急に呼び出したと思ったら、
この方はふざけるかばかにするかしか無いのかしら。
「はい、教師の務めで御座いますから。」
「あなたも、あれの后選びでも手伝ってやってくれ。」
「わたくしで、お力になれますかどうか。」
失礼を承知で、思いっきり扉を叩きつける。
私には、どうしてあげることもできやしない。
大王様は、どうしてもわかっては下さらない。
荒々しい音を残して、憤然と部屋を出て行ってしまうとは。
大王相手にあそこまで顔にあらわせる女は、そうはいまい。
その様子が面白くて、ついからかうように話をしてしまう。
あんな、跳ねっかえりは後宮の何処をさがしてもお目にかかれない。
真剣に私あいてに理を諭そうとするなどと、思い違いもはなはだしい。
それなのに、なぜか、彼女の言葉は胸に残る。
それは、あの真摯な瞳のせいなのか。
思いもかけず長いこと、彼女への思いに囚われていたことに
大王は気がついた。
皮肉な笑みが口の端にのぼり、そして消えていった。
「王子様、本日はお気に召されましたか?」
今日もどっかの国の、なんとかという催し物に招かれる。
例によって、着飾った娘たち。
俺の目には、どれもこれも一緒。
なんだって、どうだって構わない。
何杯目だかわからなくなった、杯を傾ける。
「ええ、みなさん、お美しくていらっしゃる。」
「そういえば、もうすぐお誕生の宴とか。」
「ああ、よろしければ、是非。」
空っぽな心からは、空っぽな言葉がすらすらと流れでる。
「ええ、是非伺わせて頂きたいと、娘がご挨拶に参っております。」
しずしずと、美しい姫たちがやってくる。
長く伏せた睫、赤く染めた口唇。
「姉のカナミと妹のアスカにございます。」
初々しくて、可愛らしくて、
恐らくやこの国自慢の姫君たちなのだろう。
でも、ごめんよ、みんな同じ顔にみえちまう。
お義母様以外は、みんな。
「当日が楽しみです、お待ちしております。」
そういって、よろけながらもなんとか手の甲に口付ける。
酒臭い俺の口付けを、嬉しげに受ける娘たち。
ばら色の頬で恥らう娘たちを、ぼんやりと眺める。
こんな娘たちが運命の相手だったなら、
俺、こんなになってなかったのかな。
虚ろな頭で答えながら、やり過ごして一日が終わる。
日が落ちて、海から闇が迫る。
俺の頭は、今夜もあの方に埋め尽くされる。
その他の何もかもは、きれいさっぱり消え果てて、
情けない、みっともない、でもどうしようもない。
完全に王子なんて失格だ。
本当は世継ぎなんてどうでもいい。
引き寄せられるように、今夜も中庭を走り抜ける。
お義母さまのお好きな砂糖菓子を、手にしっかりと握り締める。
いつものように持ってゆけば、また喜んで迎えてくれるんじゃないかって。
そんな訳ないことなんて、わかってる。
だけどくたばった頭に浮かぶのは、子供じみたやり方ばかり。
大きな葉をかき分けて、辿り着くのはいつもの裏の門。
細い指輪は、かかったまま。
門は、固く閉ざされて。
俺は、びくともしない柵に未練がましく手をかける。
かけたまま、うなだれて、沈み込んで、
それでも諦め切れなくて。
血が出るほどに口唇を噛み締めて、
熱くなる鼻の奥を必死で押さえ込んで。
柵の間に顔を押し付け、息を殺し、
見えるはずも無いあの方の姿に、必死で目を凝らす、
聞こえるはずも無いあの方の足音に、耳を澄ます。
あれは悪い冗談だったって、
抱き締めてもらいたくて、囁いてもらいたくて。
目に映るのは、俺を拒むような鬱蒼とした闇。
耳に響くのは、俺を嘲る様な深い静寂。
菓子が潰れる。
指の隙間から、ぱらぱらと欠片が零れ落ちる。
マントに包まって、蒸し暑い夜風はからかうように俺を弄る。
鳥の囀りが響くまで、うつらうつらと時を過ごす。
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