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其の十
大王様はゆったりと肘掛に寛がれ、杯から私に眼を向けられる。
「どうなさったのだ。先生。」
「このような夜分にお伺い致しますご無礼を、
何卒お許し下さいませ。」
「あなたのようにお美しい女性のご来訪ならば、いつなりとも。」
すこし酔っていらっしゃるのか、
からかうような口調で私は頭に血が上る。
「失礼とは存じますが、お伺いしたいことがございます。」
「おやおや、わたしのような者があなたにお教えすることなど。」
そう仰って微笑まれるお顔には、
いつまでも若々しい青年のような輝きが垣間見える。
眼光だけがそれを裏切るような鋭さを漂わせ、
私は振りきるように口を開く。
「王子さまのことに、ございます。」
「あれが、どうかしたのですか?」
「近頃のご様子がいささか気懸かりに御座います。」
「なにか、手に負えぬ悪さでもしていると。」
「いいえ、そのような事でしたらば、心配はいたしません。」
椅子に沈みこみ、この方は私を面白そうに見つめられる。
「近頃、なんと申しますか、
何事にも覇気が感じられなくなっていらっしゃいますような。」
「なんだ、そのような事か。」
「そう仰られましても、
あの方はそのようなお子ではございませんわ。」
「で、わたしにどうしろと仰る?」
「いいえ、なにかお心当たりでもございましたらと存じまして。」
杯を手で揺らしながら、この方は少しお考えになられ。
「大方、誕生の宴で臍を曲げてでもおるのだろう。」
「誕生の、宴・・・・・・・・・・と申しますと?」
「ああ、あなたにはまだお伝えしていなかったか。
今度のあれの誕生日に盛大な宴を開こうと思う。」
「それで、何故王子さまがお臍を曲げられると?」
「うむ、后選びを行うと申し付けたら、
えらい剣幕で怒鳴り込まれてな。」
「・・・・それで、どうなさいましたの。」
「どうもこうも、ない。宴は予定通りと申し渡しただけだ。」
ご様子が、まざまざと眼に浮かぶ。
婚姻も恋愛も、この方にとっては政の方策にしか過ぎないのだわ。
この方にとって運命の相手を待つことや、
生涯連れ添う相手を探すことなど、
愚の骨頂以外の何物でもないのだろう。
全てを手に入れたかのような、この豊かで傲慢な大王様に心魅かれてしまうのは、この愚かしさなのかもしれないけれど。
「全くいつまでたっても子供で、困ったものだ。」
「子供ではないからにこそ、ではございませんか?」
真正面から向き合うようにして、私は言ってしまった。
「なんだと?」
「王子様は、もうご自分の頭でお考えになられるお年に御座います。」
「ならば、そろそろ、この世の理もわかってよいではないか。」
大王様は心底不思議そうなお顔で、私を見つめられる。
この彫刻のようなお顔に、連れてこられた姫君たちは、
どれだけうっとりとしたことか。
でも、この方は眉毛一筋動かさず。
政の駒としてしかご覧にはならない。
静かな怒りと悲しみが、心の中でない混ぜに浮き上がる。
「この世の理とはなんでございますか?」
私に呆れた様に、この方は口の端をあげる。
「つまらぬ情などに縛られず、
政を為すのが王家の務めだということだ。」
「情は、つまらぬものばかりではございません。」
「つまらぬものが大半だ。」
女相手に、何を言っているのやらという風情がありありと漂い始める。
「そのように・・・王子様にも仰ったのでございますか?」
「言ったらどうだというのだ。」
「王子様は、あなた様とは違います。
どうしてお耳を傾けてさしあげないのです。」
「あの年で后も選べぬなどというような戯言は、聞く耳は持たん。」
「選べないとは仰っていらっしゃらない、と存じます。」
「では、何と申しておる。」
「あなた様の仰るような縁組はしたくない、
というだけでございましょう。」
「同じ事だ。」
「違います。」
声が荒くなる私に、大王様はゆっくり立ち上がる。
「どう、違うというのだ。」
いつか、王子様にからかわれたことを思い出す。
「ですから、お心に叶うお相手を見つけたいと、
それだけではございませんの?」
「そのようなもの・・・・これから幾らでも側女は増えてゆく。
そこから、気に入ったものを選べばよかろう。」
「いいえ、あの方はご自分のお手を携えてくださる只一人のお相手を、
お探しで御座います。」
「なにを、愚かなことを。」
「それが愚かなことですか?」
「ああ、つまらぬ情に絡まれて臆病で身動きがとれなくなる。」
「情もご存知ないお方に、果たして国民を思う政ができましょうか?」
私達はお互いに睨み合い、
私は涙が出ないようにするのがやっとという有様。
「それは、あなたのお国の理か?」
「ならばどうだと仰います?」
「あなたのお国はあなたのお国、
わが国はわが国の理があるというものだ。
勝手に口を出すのはやめてもらおう。」
「お国など関係御座いません。」
「わたしは、いままで、この信念にそってやってきた。」
「人としての理に御座います。」
この方の鋭い瞳がしばらく私の上に注がれて、
そして大きく溜め息を付きながら、お椅子に戻られた。
「わたしは、あれに知識を与えてくださるようお願いしたはずだ。
しかし、いらぬ理など教えてくださらなくて、結構。」
「 ・・・・・・・・・・大変なご無礼を、致しました。」
歯を食いしばりドレスの裾を摘む。
「でも、王子様はあなた様とは違う、お一人の人間でございますこと、
お心にお留め頂けますよう。」
一礼して部屋を後にした。
あの方にこんなに魅かれながらも、あまりに裏腹の光景に
部屋に飛びこんだ私の顔は、酷いものだったに違いない。
俺は寝台で唸り続けた。
このまんまじゃ、どうにかなっちまう。
茹だった頭を冷やそうと、部屋続きの小さな庭に出る。
腐っても王子だから、俺は専用の棟なんかもらってる。
豊かに繁る深い緑のその上に、大王様の棟が豪奢にそびえる。
それは棟とかいうチンケなものでは勿論無くて、
宮殿とよぶに相応しい、
この国の力の象徴のような。
溜め息なんかつきながら顔を回す。
暗い木々の向こう、夜の海がざわめいて広がって。
降るような満天の星、浮き上がるように星空を映す海。
潮風に微かになぶられながら、ゆっくりと深く呼吸する。
いつか一人前になって、父上の後を継いで、
だけど思いは変わらないだろう。
あの人の手をとって、俺は歩きたいんだ。
俺は熱に浮かされて、この上もなく愚かな決断を下そうとしていた。
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