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其の七





扉がいきなり開かれて、静かな読書が遮られる。



「恐れながら、大王様。
 女性の部屋にお入りになられます時には、
 一声おかけ頂きとうございますわ。」
ドレスの裾を摘み一礼する家庭教師の言葉など、気にかけるふうもなく、
王はどしりと、椅子に腰をかける。
「先生、近頃のあれは、どうかね?」


彫刻のような美貌で笑いかけられて、私は心なしか強張ってしまう。
生真面目そうな眼鏡を外し、異国風の柔らかな笑みをかえす。
「そうですわね、生徒といたしまして申し分ございませんわ。」
「ほう。」
「果てしない大海原のように、何事をも吸収してしまわれる
 伸びやかなお心をお持ちでいらっしゃいます。」
満足げに王様は頷かれる。
「好奇心も旺盛で、何事にも素直なお心でとらえようとなさいます。
 そして、それに伴うだけの向上心もお備えでいらっしゃいますわ。」
「そうか。」
「加えまして、何事もやり通そうという忍耐強さも
 お持ちでいらっしゃいます。」
「世継ぎとしても、及第か?」
「はい。このご気性は、いつの日かご立派なお世継ぎとして、
 この国を治めますのに相応しい器でいらっしゃると存じますわ。」


珍しく王様は私を覗き込まれるように、微笑んで、
負けず嫌いの私の見返す瞳から、思いが零れていないとよいけれど。


「あなたのような方が、そこまで仰って下さるならば、
 其の通りなのだろうな。」




このお方は、私を信頼して下さっている。

私は、尊敬で答えなければ。









人間、思い切りが大切だ、と思う。



「お義母さま、お願いがあるのですが。」
「まあ、なにかしら。」


今日の土産は小さな砂糖菓子。
綺麗な花びらのように象られたそれが、お義母さまの掌で揺れる。


「あのう、今、俺、ぶん先生のお国の踊りを習っているんです。」
「まあ。」
「ええ、いつか、あちらのお国にでも伺うこともあるかもしれないし。」
「随分と、お気の早い先生だこと。」


先生ごめん、と心の中で手を合わせる。


「で、結構難しくて、
 お義母さまに練習のお相手になっていただけないかと。」
いつものように長椅子に横たわり、
こちらを上目使いでご覧になるお義母さま。
砂糖菓子を舌に乗せて、口唇を尖らせるように転がして、
俺は見透かされているみたいで、なんとなく背中が痒くなる。
ああ、馬鹿なこと言わなきゃよかった。
本当に、猿の浅知恵だよな。



「わたくしで、お相手がつとまるのかしら?」


口の端が上がり、ゆるやかに右の手がさし出される。






東屋のおもて、裏庭の奥深く、月明かりが凝縮したような片隅で、
夢に迷い込んだように、お義母さまはかろやかで。
俺なんかより、よっぽどこんなこと知ってるかもって、
どうして気がつかなかったんだろう。
俺はついてゆくのに、精一杯。
地に付いていない足が、お義母さまの足に乗らないようにすることだけに、
細心の注意をはらいながら。


月の光を一身に浴びたこの人は、はじめてお会いしたあの日のままに麗しく。
俺の腕の中で、とても楽しそうにくすくすとお笑いになる。
覗き込むような瞳は、まるで誘ってでもいるかのように色を変えながら。
砂糖菓子より甘い香りが、全身から立ちのぼる。
上気した頬は仄かに薄く色を帯び、
俺はもう、踊りどころじゃなくなりそうだ。
耳朶をお義母さまの息遣いが這いまわり、
夜着を通して体温がこちらに伝わってくる。
思わず、指に力が入る。


しなやかな手が、するりとほどかれる。




「楽しい趣向を有難う。」



そして触れるか触れないかほどに、頬に口唇をよせられて。
お義母さまの衣擦れの囁きが、残響のように耳の中に離れない。
火傷みたいに熱い頬を押さえ、俺は夜の庭に立ち尽くしていた。
















寝所に飛び込む脚が震える。
寝台に倒れこむ脚が縺れる。




わたくしは、あの子にこんなにも魅かれている。
あどけない少年は、
いつのまにこんなに魅惑的な青年になってしまったのだろう。
この透き通るような絹を通して、まるで自分がさらけ出されているようで。
あなたの腕で昂まる吐息が、まるでわたくしの思いを綴っているようで。
逃げるように飛び出してしまったわたくしが、
あなたには分かってしまったかしら。


わたくしはあなたの義母なのよ。

心で百回唱えても、疼く熱はおさまらない。
身体を抱き締めるそばから、又震えがぶり返す。



近在きっての我侭一杯の、傲慢で美しいお姫さま。
お相手に事欠くことなど、あろう筈が無い。
時には純愛を、時には戯れを、
お芝居のように巧みに、愛を演じてきた。
たとえ大王様であっても、それは同じこと。
わたくしは、いつも変わることなど無かったはず。


心の底から揺さぶられるような、そんな激しい感情に出会うことは、
楽しいけれど、とても恐ろしい。



あなたの瞳が美しすぎて、わたくしはあなたを読むことができない。








ままならぬ手で、枕もとの鈴をならす。


「りかさま、お呼びにございますか?」
蜀台を手に、ユウヒがやって来る。

「身体を。」


柔らかくほぐしてゆく彼女の手に、わたくしは囁きかける。
「熱が、おさまらないの。」
燭台の灯に照らされた、彼女の顔に長く睫の影が差す。
微かに口唇が弧を描き、指が吸い付くような動きを帯びる。

「御意にございます。」


上掛けがゆっくりとすべり落ち、燭台が吹き消される。
ひんやりと冷たく、絹のように滑らかな肌が肌に重ねられる。
そして隅々まで知り尽くした口唇が、縦横に身体を這うにまかせる。
彼女の舌で、指で、昂りつめてしまえば、この熱は下がるのかしら。





闇に紛れるようにして、上掛けを羽織り彼女は寝台から降りる。






そして、わたくしの熱はまだ、心の底で疼き続ける。










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