TOP   




 其の五





空は抜けるように、木々は瑞々しく、花々が鮮やかに、
弾むように時が回る。


「はいよっ、先生。次の問題は?」
「王子さま、今日はもうお仕舞いですわ。」
「ちぇっ、今日は幾らでも解けそうなのにな、算術。」


劣等生の余りの変貌ぶりに、ぶん先生は面食らったように、
それでも嬉しそう。
今日は、頭、冴えまくりなんだよ。
なんかすべての事に、ヤル気がわいてくる。
いや、いままでヤル気無かったとか、そういうわけじゃあないけれど。

単純とでも現金とでも、何とでも呼んでくれ。



弟たちは、今度は珍しい亀に夢中らしい。
あの鳥のことは、どこへやら、
そんなもんだよな、子供ってさ。





「先日は、お疲れ様でございました、王子さま。」



コウ先生と話すのは少し緊張する。
「先方も大変に、ご満足でしたようでございますよ。」
褒め言葉から始まる会話は、ロクなもんじゃないと相場は決まってる。
「あの後は、たいそうご機嫌が宜しくなられたとか。」

「で、如何でございましたか?」
「え・・・如何って? いつも通りだよ。」
「いえ、ですから、なんと申しますか。
 ・・・お気に召した姫君などはいらっしゃいましたか、という意味にございます。」

ははあ、父上の差し金だよな、これって。

「ん、別に。」
「皆様、また、お気に召されないと・・・」
「いや、でも、そういうもんとして見てないもん。俺。」
「そろそろ、そういうもんとして!
 ・・・・・いえ、失礼。そのような対象として、ご覧頂きませんと。」
「う――ん、なんか違うんだよなあ。」
「皆様、より選りの美姫にございますよ。」
「そ、そりゃあ、認めるけどさ・・・・・」
「将来のお后候補として、教育を受けた方ばかりにございます。
 しとやかで、控えめで、清らかに、女性としての美徳を身につけられた。」
「そりゃあ、そうなんだろうけど・・・・」
「では、なにがご不満なのでございます。」
「・・・・・・」
「皆様、幼き頃より王子さまのお后になるべく、
 王子さまをお慕い申し上げておりますのが分からぬほど、
 あなたさまは愚かでは、ございますまい。」



お慕いしてるのは、王子さま。
それが分かっちまうから、ご不満なんだよ。



「あなたさまも一国の主となられるお身の上にございます。
 そろそろ御自覚を持って頂きませんと。」



実に説得力の有る、ぐうの音も許さない論理。
それでも、俺は、どうも納得できない。









雲間の月は中天に、さやかな月明かりは切れ切れに。
こんもりと茂った葉が、重なって揺れる音がする。
日中の熱はすっかりなりをひそめ、こないだよりはもう少しマシな格好で、
寂れた裏門に鍵を差し込んだ。
余り使われていないはずの蝶番、あの方のくれた鍵が滑らかに回る。


足元すら定かではない細い路は、微かな明かりへと導いてゆく。
小さな中庭の東屋に、ほんのりと灯りがともっている。
一足ごとに、心臓の音が高まってゆくような。
ちょっと待てよ、
お義母さまに、お会いするだけだってば。





夜より深い黒い夜着、吸い込まれるような七色の瞳がゆるやかに開かれる。
硝子のランプの下、柔らかく翳のかかったように、
しなだれて長椅子に腰掛けた、お義母さま。


「待ちくたびれて、眠くなってよ。」

細い指には、小さな杯と華奢な指輪が一つ。
酔っているのか、ほんのり目元が赤みを帯びる。
「お約束どおり、この子も連れてきたわ。」
細い枝を絡ませた、華奢な鳥篭が揺れる。

そうだ、俺、鳥を見たかったってことになってたんだよな。
とりあえず、眠そうな鳥に挨拶して、
でも、心は思いっきりうわの空。

「この子の次に、わたくしのお相手もお願いね。」

咽喉から心臓が飛び出すって、このことか。
弾かれたように振り向く俺に、この人はまた目を見開いて、
そして、身体を折って笑い転げる。

「お外のこと、あなたのこと、色々伺ってみたいのよ。」

は・・・はは・・・
そうだよな、いきなりこんなでかい息子なんてさ。
珍しい猿くらいは、興味わくよな。
コウ先生の授業を、頭で反芻させて、
落ち着いた声音で、王子らしく。

「俺なんかで、お義母さまのお話のお相手がつとまりますか?」
「つとまるかどうか、お話してみないと、わからないわ。」
瞳が色を変え、口唇が嬉しそうに膨らんで、
いきなり少女のような風情を漂わせる、お義母さま。


そして俺は、なにか色々話そうとした。
いつのまにか、頬杖などつきながら、
それでいて妙に鋭い質問などを差し挟み、
言葉に詰まる俺を、実に楽しそうにご覧になる。
お義母さまは俺のお相手をしてくださる。
俺は、お相手になっているんだろうか。

お義母さまの微笑むお顔がみたいばかりに、声は上ずりまくる。
道化のように身振り手振りを交えながら、必死で話し続ける。
 

・・・・・どうしてこんなに、必死なんだろ、俺?







「また、この子にお会いしたくなったなら
 ・・・・・裏門に、この指輪を。」
華奢な細工の指輪には、裏側に俺の分からない文字。
お義母さまのお国の言葉なのだろうか。
俺の手を掌で包み込むように、そっと忍ばせる。



そして、柔らかく頬に口唇を寄せられて。





「お話のお相手は、合格よ。」










← Back   Next →





SEO