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 其の四







「りかさま、お加減は如何でございますか?」



色とりどりの花片たちが、鮮やかに埋め尽くす。
緩やかにわたくしを包む靄の中で、先ほどの強張りを徐々にほどいてゆく。
甘く纏わりつく花々の香りを楽しみながら、わたくしはゆっくりと手を滑らせる。
腕から肩へ、そして首筋へ。
あなたにはわたくしは、どう映っていたのかしら。









本当は、はじめからわかっていたのよ、素敵な王子さま。



遠い小さな北の国で、我侭一杯に育てられた、わたくし。
愛し慈しんでくだすったお父様は、望むもの全てを与えてくださった。
それは、飾りたてる宝石や目を見張るようなドレスでもあり、
殿方にしか必要とされない、深くて広い知識や教養でもあった。

少女が大人への階段に足をかけた頃、お父様は病にお倒れになり、
看病するいとまもないままに、お亡くなりになってしまわれた。
後を継がれた叔父様が、お国の安逸の為にわたくしを貢物となされると伺ったとき、
わたくしはわが身を哀れむ余裕すらなく。
我に帰ったその頃には、眩いような輿の行列が、
けばけばしく着飾らされたわたくしを、この国に運び込んでいた。

怯えるわけでもなく、哀れみを請うわけでもなく、
ましてや愛を媚びるわけでもないわたくしを、王さまは面白く思われたらしい。
時折お渡りになられながら、其の度にお話になさるのは、お国の舵の取られ方。
お父様が望んだ形ではないのであろうけれど、
それでも、わたくしの浅薄な知識は、いくらかは役に立っているらしい。
いつしか、夜伽のお役目は減ってゆき、
それでも、わたくしは后として何不自由なく日々を過ごしている。

何不自由など、ないはずなのだけれど。









湯浴みを終えて、女官たちが恭しくしくわたくしに傅いて。
ユウヒの手が柔らかく、身体を滑る。
「まあ、ずいぶんと凝っていらっしゃいますわ。
 どうか、なさいまして?」

「そうね・・・・・・ちょっと。」

気に入りの香油に浸されながら、ゆっくりと身体を伸ばしながら、
わたくしはあの頃に戻ってゆく。








はじめて王宮に足を踏み入れたのは、もう遠い昔のこと。

見るからにご立派な王様の傍らには、幾人ものご婦人方。
其のきらびやかさに、気後れするわけでもなく、かといって感嘆するわけでもなく、
ただ其処にいる自分を、ぼんやりとわたくしは眺めていた。
その先頭のご婦人の、ドレスの裾に手をかけられた、
まだあどけない少年と目が合った。
きらきらとした大きな瞳が、不思議そうにこちらの顔を仰ぎ見て、
次の瞬間、臆する風もなくわたくしに微笑みかけた。



遠い異国に只一人で連れてこられたわたくしの、
一番最初の、そしていつまでも忘れられない、大切な思い出。










「今日はどのようなお色に、お染め致しましょう?
 無垢な少女の、つぼみのように淡い色?
 情熱を映した、血のような紅の色?」
わたくしの手をチカが捧げ持つ。

「そうね、淡い色を・・・・
 あどけない、処女のときめきのように。」


丁寧に色をつけられてゆく指先は、
この心のときめきがうつるように、美しく花開く。









昼でもなお、仄暗い後宮の森のその奥に、
擦り傷だらけで、泥にまみれて、
それでもあなたは、輝くばかりに美しかった。

その微笑を一目見て、わたくしはわかってしまったの。
嬉しさに綻ぶ顔を抑えるのが、あなたにはわかってしまったのかしら。

あれほどに真っ直ぐな眼差しは、もう久しく見ていない。
あなたの紡ぐ言葉の一つ一つが、わたくしを少女に戻してゆくようで、
そして、悪戯な少女はつい意地悪を言ってしまった。


義母の立場をよいことに。
わたくしは、とてもずるい女なのね。










「りかさま、今宵の夜着にございます。
 生まれたての赤子の肌のように、しなやかな絹でございますわ。」

アカネの調える衣は、なるほど、吸いつくようになめらかで、
着ていることすら忘れさせてくれるほどの、極上の献上の品。








鳥を追ってきただけなのに、
とんでもない目にあったとでも、思っているかしら。
可哀相な籠の鳥とでも、思われてしまったのかしら。

あの瞳に浮かんでいたのは、戸惑い、怯え、物珍しさ、
・・・・・・それとも。










身体の隅々まで、蕩かすように揉みほぐされて、
わたくしは、いつしか、まどろみの淵に流されてゆく。





お約束のそのときは、太陽が三たび沈んだ夜、
月が中天に浮かぶ頃。

わたくしは、あなたの義母なのよ。








本当に、来てくださるの?
 


 ――――――――― 王子さま。













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