其の二
俺の一日は、弟たちと比べると格段に慌しい。
剣術を始めとした、様々な鍛錬。
村々の視察に駆りだされたり、父上の名代として行事に臨席したり。
優雅な社交術、会話術、はかなり苦手。
そして、教養としての文学だったり、歴史だったり、で一日はすぐ暮れる。
算術のある日だけは、一日が少し長いけれど。
来るべき未来を、常に叩き込まれてきたせいか、
俺は生徒としては、中の上くらいは貰ってもいいと思う。
大人になることは、父上の後を継ぐことで、
それは至極光栄なことで。
でも、俺、父上とは違うんだぜ、とか、此の頃呟いちまう。
俺が見ていた未来は、たぶんかなり幼稚なもので、
この世界は、もっともっと複雑で。
其の中に飛び込むには、運命の相手が背中押してくんないかな、とか。
さかってんのか、俺。
「たに王子さま、ようこそお越しくださいました。」
今日は足を伸ばして、近隣の国の、なにかの典礼とやらに顔をだす。
勲章やら何やらが重いほどついた白い軍服に、押し込まれ、
赤い縁取りが、あくまで王子らしく。
にこやかに微笑みながら、数え切れないほど握手して、
心尽くしの、歓待を受ける。
上着の詰まった首を、少し開けて風を入れる。
熱風でも、無いよりはましだ。
そんな俺をみて、皆あたふたと走り出し、
選ばれた美しい姫たちが、大きな扇であおぎに飛んでくる。
皆、甘すぎるほどの香料に浸ったような匂いをさせて、
色とりどりの衣装は、過剰なほどに素肌を露出させ、
ありったけにちりばめた、目が眩むほどの金細工。
赤く染めた長い爪を持ち、複雑に髪を結い上げて、
媚びたように、みな同じ笑顔。
王族は愛されないと、やっていけない。
幼い頃はこうやってちやほやされると、ただひたすらに嬉しかったっけ。
たぶん、今の弟たちくらいの頃。
今だって、そりゃあ嬉しいけど。
「あ、ありがと、もういいよ。」
しまった、ついいつもの調子で・・・・・
あくまで優雅な物腰の、王子さまのぞんざいな口調に、
姫たちが困惑したように眼差しを、交し合う。
「あの、申し訳ございません。
なにかお気に、障りましたのでしょうか・・・」
おずおずと年長の姫が口を開く。
わざわざ、暑い中あおいで頂いて、お気に障るわけないじゃないか。
でも、俺はおくびにも出さずに、にこやかに返答する。
「いいえ、このような美しい姫君にあおいで頂きますのは、余りに心地よくて。
このまま、あなた様のお膝で眠りたくなってしまっては、大変ですから。」
「まあ、王子さま、お戯れを。」
そういって、嬉しそうに扇の影に顔を隠す。
「大変なご無礼を、致しました。
姫君、あなたのお名前は?」
「第一王女のシーナと申しますわ、王子様。」
わけ隔てなく、もう傍らの姫に笑みを向ける。
「こちらの、可愛らしい姫君は?」
「第二王女のアヤでございます、王子様。」
そして、ぐるぐると頭を巡らせ、満遍なく姫たちに声をかけて、
差し障りない会話をひとしきり披露して、俺は席を立った。
こういう時、いつも軽めの自己嫌悪に襲われる。
「王子さま、あなたさまは、時折ご自分に正直すぎますよ。」
「あなたさまが仰りたいことよりも、まず、お相手のお聞きになりたいことを、
仰い下さいませ。」
「お相手の心を柔らかくなさってこそ、折衝は滞りなく進むものでございます。」
礼法の授業で、耳が腐るほどに叩き込まれた、コウ先生のお話。
そして、顔の見えない架空のお相手との会話を、数え切れないほどやらされて、
なんとかかんとか人前に出せるようになったと、此の頃は評価されているらしい。
幸いいまのところ、でかい失敗はしていない。
でも、時には、靴の裏から足を掻くようなもどかしさを感じてしまう。
あわない冠を無理やりはめられているような、決まり悪さを感じてしまう。
正直ばかりがいいとは、決して思っちゃいないけれど、
俺の身の丈にあった冠で、話せるお相手ってもんはどっかにいるのかなあ。
きっとあの姫君たちも、何人ものお后候補の一人なのだろう。
可愛らしくて、しとやかに、うっとりととろける瞳で見つめてくれる。
優しくて、守ってくれる、豊かで強い国を持つ、
見目麗しく飾られた、世継ぎの王子さまを。
それって、俺のこと・・・・、なのかな?
みんな、俺の背中をただ見つめてくれるけれど、
背中に届く腕をもった姫君は、未だ、現れない。
昨日の訪問は、とてもうまくいったらしい。
ご褒美として、午後の礼法の授業はお休みをくれるそうだ。
父上が又、縁談話を持ち出す前に、俺は中庭に逃げ出した。
あの鳥を見つけてやるためだと、自分で自分に言い聞かせながら。
こんもりと生い茂る、重い葉をかき分けながら、王宮の裏への道を急ぐ。
あの大木を、根元から仰ぎ見る。
鳥だってバカじゃないよな、そうそう同じ処にいて、たまるもんか。
陽の光を遮る厚く重なりあった葉陰で、しばらく涼んで帰ろうかと思った其の時に、
上のほうで羽音がした。
見間違えようもない、美しい白い鳥の奴、
こともあろうに後宮への塀の上から、俺を見下ろしていた。
で、又、目が合って、あせったように後宮の中へ飛びこんでいった。
俺の顔って、よっぽど怖いのかなあ。
幼い頃、後宮の庭に虫を取りに行ったことを、不意に思いだした。
どうしても欲しいものが、我慢できない頃ってあるんだよな。
後先考えず、塀の片隅の崩れた穴から潜り込み、
こっそり取って、夢中で逃げた。
あれを捕まえてやったら、弟たちはどれほど喜ぶことだろう。
いちおう俺、王子だから、見つかっても、父上の説教くらいで済むはずだ。
深呼吸して、息を止め、思い切り身体を小さくして、
昔は丁度よかったはずの穴に、俺はもぐり込んだ。
流石に穴は、丁度良いはずはない。
泥にまみれて、擦り傷までこしらえながら、
やっとの思いで、穴を抜ける。
幾つもの棟が連なりながら、其々を隠すように大きな木々に囲まれて、
深い森に眠るような、後宮の隅で中をうかがった。
昼でも薄暗い庭を渡る風が、静かに衣擦れの音を運んでくるようだ。
塀から一番近い棟の奥で、何かが動く気配がした。
そっと、植え込みの陰まで進み、おそるおそる中を覗き込む。
木々が形作る分厚い影の真ん中が、ぽっかりと穴でも開いたように広がって、
天からの光の輪をその一身に浴び、光よりもなお輝いて。
とても美しいその人が、振りかえった。
SEO |