其の一
あ、鳥飛んでる。
空が高くて、いい天気だなあ。
「 ・・・・ っ、たに王子さまっ。」
「・・んあ。」
「また、お心がどちらかに飛んでいらしたの?」
家庭教師のぶん先生が、苦笑いして俺を覗き込む。
「あ、いえ・・・先生、続きを。」
しょうがないわねという思いを、顔中に貼りつかせながら、
先生はそれでもにこやかに、授業に俺を戻そうとする。
此処は、西洋からはお伽のように伝えられる東洋のどこかの伝説の国。
偉大なる美丈夫と語られる大王は、権力者らしく進取の気質に富み。
世継ぎの第一王子のために、遠い異国からはるばる家庭教師を呼んできた。
で、その、王子ってのがね。
咽喉元の高いピンクの異国のドレスで、まだ少女のような先生は
人差し指を立てられる。
「王子さま、そちらの数式はそろそろお解けになれまして。」
「・・・ん、もうちょっと。」
どうにもこうにもならない数字は、馬鹿にしたようにしち面倒臭く並びっぱなし。
歴史とか異国の風物とか、そんな授業は楽しいんだけど、
算術はどうも気が合わない。
口唇が尖り、眉毛が上がり始める。
「算術は・・お嫌いでいらっしゃいますの?」
小首を傾げて、困ったように仰られても、できないもんはできないんだな。
「あのさあ、先生。」
半分八つ当たり気味に、俺は口を開く。
「なんかさ、役に立つの?これって。」
かなり失礼な俺の質問に、あやすように先生は答えられる。
「そうですわね、今すぐ・・・ではなくとも、王子さまがやがて大人になられて、
異国の海を渡られるころには、お役に立ちますでしょうね。」
「でもさあ、今は役に立たないってことじゃん。」
「今・・ではなく、将来あなた様が御立派な大王様となられましたときの為では、
いけませんの?」
「立派、になれんのかなあ。」
「ええ、偉大なあのお方のお子でいらっしゃいますもの。」
で、頬を赤らめる。
わっかりやすいんだよなあ、先生。
そうじゃなきゃこないよな、こんな処まで。
「あの、お方のように、素晴らしい大王様になられますことよ。」
あんまり嬉しそうにさえずるみたいに話されると、つい、ひねくれてみたくなる。
「で、父上みたいに、数え切れないくらいの美しいお后に囲まれて暮らすわけ。」
先生の目が、ちょっと曇る。
だから、俺って、こどもなんだよ、ったく、もう。
「でもさ、あんまりそれって、楽しそうじゃないね。」
やっと数字から解放されて、中庭で息をつく。
甲高い鳥の声、熟れた甘い果実の香りが渦を巻くのが心地よい。
午後からは、剣術の稽古が待っている。
身体を動かすことは、頭を動かすことより嫌いじゃない。
だから、なんの不満があるわけでもない。
父上の期待が、重すぎるわけじゃない。
なにくそと、ヤル気になってしまう性格を見抜くくらいは朝飯前なのだ、
偉大なる、大王さまは。
むしろ気が重いのは、このごろ持ち上がりつつある幾つかの婚礼話のせい。
俺たち兄弟は、皆、お母様が違う。
足を踏み入れることが許されない後宮には、
数え切れないほどの美しい姫君たちが、何番目かの后として控えている。
ある者は貢物として、ある者は褒美として、そしてある者は捕虜として。
この国では、至極当たり前の后たち。
でも、先生のお国では、そうでないらしい。
運命の相手と出逢ったら、一生涯、その人だけと添い遂げる。
そうじゃないと、神様が怒っちまうらしい。
神様が怖いわけじゃないけれど、なんとなく俺はうなずいてしまった。
この辺が、王子としてマズいんだよなあ。
「お兄様っ・・!」
二人の弟が犬っころみたいに、深い緑のあいだから飛び出してくる。
「あのさ、あのさ・・・・」
「ねえ、鳥をつかまえられる?」
上がった息で、競うように叫びあう。
「鳥?」
「あのさ、裏のおっきな、木。」
「見たことないみたいな、きれいなきれいな、鳥がいたんだ。」
「でも、高いとこにずうっと止まってて。」
「僕たちじゃ、とどかなくて・・・・」
まだ午後まで、少し時間があるはずだ。
「ああ、わかった、わかった。」
「一緒に来てくれる?」
「つかまえてくれる?」
引きずられるように、つれてこられた王宮の奥深く。
後宮の塀のすぐそばの、見上げるような大木の、
大きな緑の葉の影に、隠れるようにそれはいた。
「ねえっ、見たことないでしょ。あんな鳥。」
「白くて、ちょっと黄色くて、きれいだよねええ。」
うっとりしたように、弟たちが俺の周りでさえずりだす。
「いいから、ちょっと、黙ってろ。」
鸚鵡よりちょっと大きめな、異国風のその鳥はきょろきょろ空を眺めている。
「お兄さま、気をつけて。」
「お兄さま、がんばって。」
弟たちの、囁く声援をうけながら、俺はそっと木に登った。
真近で眺めてると尚一層、真っ白できれいな鳥だった。
あいつらが欲しくてしょうがないのも、よく分かる。
利口そうな大きな黒目がきょときょと動き、俺の目とぶつかって・・・
「・・っと。」
ヤツは伸ばした腕の向こう、軽やかに羽ばたいてしまった。
で、そのまま、俺も地上に羽ばたいてしまったりして。
「お兄さまぁぁぁ~~!」
俺の頭は思いのほか、頑丈に出来ていたらしい。
剣術の稽古をぶっ飛ばして、目ざめた時には弟たちが両手をそれぞれに握りしめる。
後ろに心配そうなお顔の、ぶん先生。
「ごめんね、ごめんね。」
「僕たちが、お願いしたから。」
「お兄さま、だいじょうぶ?」
「お兄さま、いたくない?」
兄らしくにっこりと、二つの頭を撫でてやる。
「ごめんな、こんど、きっと取ってきてやるよ。」
「ほんとう?」
「せったいだよ。」
そういって、嬉しそうにはしゃぎながら部屋から飛び出していってしまった。
やれやれ、俺より鳥で頭は一杯らしい。
「王子さま、お加減は?」
「ああ、もう大丈夫です、ご心配おかけして。」
ほんとうは、まだ少し痛い。
きっとでかいコブでも、こしらえてるんだろうな、俺。
「あまり無茶をなさっては、いけませんわ、お世継ぎでいらっしゃるのですから。」
「地面にぶつかっても、これ以上頭は悪くなりませんよ、先生。」
先生はくすりと笑って、頭の布きれをかえてくれた。
「弟君思いの、お優しい王子さまですわ。」
「それって、王子として、ほめてんの?」
つい、いつもの口調に戻ってしまう。
「ええ、あなたさまは、本当にお優しくて、いい大王様におなりあそばしますわ。」
「お父さまみたいな?」
すこし寂しそうに微笑む、先生の返事は聞きそびれた。
俺はまた、眠りに落ちていった。
鮮やかな緑の葉が重なり翻り、騒々しい鳥たちの囀りが捩れ戯れる。
それらはぼやけて、混ざり合い、摩訶不思議な模様を作り出す。
煌く熱帯の陽射しが、その向こうで踊るように光の輪をつくる。
輪に囚われるように、とてもとても綺麗な人がいた。
俺は夢中で手をのばして、そのひとはするりと羽が生えたようにすり抜けて。
運命の相手、か・・・・あ。
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