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 §16






眠りの淵は、溺れるように深く。
水面を通したような、くぐもった鳥の声が聞こえてくる。
水から上がる瞬間のように薄く目を開けると、
木製のブラインドの隙間から真っ白な光が床にストライプを描いていた。
陽差しの強さが、日本を遠く離れたことを感じさせる。
傍らを、手で探る。


「起きたの?」

あさっての方から、声がする。
思う前に身体が声に反応する。
部屋の隅の籐の椅子に、りかさんが腰掛けてる。


「おはよう。」
ゆったりと足を組んで、肘をついてこちらを見つめている。
シャワーでも浴びたらしい白いガウンがぼうっと浮かぶ。
「おっ、おはようございますっ!!」
わたしは飛び起きて、いきなりベッドの上で正座になる。
「あ、あのっ!あのっ・・・!
 いつもはこんなじゃなくてっ・・・・わたし睡眠少なくても、目が覚めるほうなんですけど・・
 ですけど・・・なんだか昨日はよく寝ちゃってっ・・・・」
まるで舞台でとちった反省みたいに、朝っぱらからまくしたてるわたし。
りかさんは肘をついたまま、表情は陰になってわからない。

「ああ、別にいいから。
 疲れてたんだろうし。」
声のトーンは変わらない。
せっかく二人きりなのに。
せっかく一緒に寝てたのに。
なにを寝過ごしてんのよ、わたしのばかばかばか。
「朝ごはん来るまで、寝かせておくつもりだったし。」
その声音は変わらない。

こういうもんなのかな?
ふたりっきりで旅行に来て、ふたりっきりで起きた朝なのに。
わたしがはしゃぎすぎたのかな。
子供じゃあるまいし、ってことなのかな?


「顔、洗っていらっしゃい。」








かおるはぱたぱたとバスルームに飛び込んだ。
あたしは大きく息をつく。
せっかくの旅行だから。
せっかくの朝だから。
本当は抱きしめていたかった。
おはようのキスの一つもしたかった。
けれど、あの子の寝息だけでも目が覚めてしまう。 
あの瞳が間近で開いたら、この非日常のなかであたしはそれだけで息苦しくなってしまう。
だから、じっと見つめていた。
あなたが見えないところに注意深く身を潜めるようにして。
あたしがどんなに情けない顔になってしまうのか、想像もできなかったから。

あたしが求めたならば、あなたは微笑を返すのだろう。
あの極上の笑窪を浮かべて。
けれども、それが失われることを先に考えてしまう。
悪い癖ね。

「シャワーも浴びちゃいなさい。」
声をかけながら、ブラインドを開ける。










タオルで頭をごしごし拭いて、すっぴんの顔のまま戻る。
わたしがシャワーを浴びている間に、朝食は綺麗にセッティングされている。
目が眩むような光に部屋は満ちて、りかさんがそのアウトラインに光を纏い座っている。
「あ、すみません。お待たせ、して。」
「いいから、そのしゃべり方、よして。」
りかさんは髪をかきあげながら、睫を伏せて呟く。
ゆったりとしたガウンがはだけて、眩しいような胸元が見える。
こんな光の中でみる白い胸元に、どきどきしてしまう。
「ご・・・ごめん。」
だめだ、どうしてもりかさんの前だとこうなっちゃう。
本当は凄く甘えたいのに、でもって、ずうずうしいけど甘えてほしいのに。
どこまでも、下級生丸出しの自分にうんざりする。

「食べましょ。」

りかさんがコーヒーポットに手を伸ばす。
「あ、入れます!」
りかさんが無言でこちらを見る。
「・・・じゃなくて・・・入れる・・・・」
ふうっと溜息の音が聞こえてきそう。
ぴりぴりと緊張した腕で、コーヒーを注ぐ。
南の国のそれは、ちょっときつい香りがして、ちょっと苦い匂いがする。

大き目のフォークでぼそぼそスクランブルエッグをすくう。
やけに大きなソーセージと格闘して、ふかふかのパンを頬ばって。
りかさんは葉っぱを申し訳程度に齧ったまま。
「えと・・・りかさん・・・食べないの?」
「あんまり、食欲ないかも。」
ゆるりと乱れた前髪の隙間から、大きな目がこちらを向く。
ものすごくびびりながら、なんとか言ってみる。
「でも・・・ちゃんと食べなきゃ。」
大きな目は少し伏せられて、そしてくすりと笑う。
わたしはそれだけで、なんだか嬉しくなる。



この子が嬉しそうに笑う。
朝の光がなんて似合うのかしら。
たどたどしい言葉が、とてつもなく可愛くてたまらない。
今はあたしのことだけ考えて、あたしのことだけ気にかけている。
欲張りなあたしは、すっかり浮かれてしまっているのかもしれない。
「ナイフがごついわね。」
我ながら、なにを言っているのかしら。
この子はそんな言葉を一生懸命考えている。
「そ・・そうだよね。疲れてるもんね、りかさん。」
なにを疲れてるっていうの?
だけど、そんなことすら疑いもしないのね。
だから、そういうことにしてしまおう。
心地がよいから。
「じゃ・・・じゃあ、わたしが切ったげる。」
そういっていきなり立ち上がり、ナイフとフォークを持った手をこちらに伸ばす。
余りにストレートでダイレクトで、あたしは顔に出てしまったよう。
「あ・・・迷惑 ?」
「ううん。」
素直に首を振ってみる。




胸が小さく締め付けられる。
首をふるりかさんが、まるで小さな女の子みたいでかわいくて。
だけどそんなこと言えるわけない。
絶対絶対機嫌悪くなる。
大体、向かいに腕を突き出してカットするなんて、無作法もいいところじゃない。
何考えてたの、わたし。
差し出してしまった腕を今更引っ込めるわけにもいかず、わたしは黙々とカットした。
りかさんの食べやすいように、小さめに、小さめに。
「ちょっと・・・小さすぎない・・?」
りかさんの声で我に返る。
頭が飛んでいたせいだろう。
これじゃ、ソーセージのみじん切りだ。
「あ・・あっ!ごめんなさい」
りかさんの顔が見られない。
なんだか、わたし、馬鹿なことばっかしてる?
朝っぱらから落ち込みそう。

「かえって食べやすいかもね。」
もう何回あきれてるんだろう、りかさん。
いちいちやることがどんくさいよ、わたし。
もう、このままベッドにもぐりこみたくなる。
「食べさせてくれるのよね。」
「え?」
あたしは顔を上げる。
「切ったら責任持ってよ。」
そして、微笑みが浮かぶ。
りかさんの笑顔は、朝のすっぴんでも瑞々しくて華やかで。
ああ、スターなんだなってこんな場所なのに今更思う。
「うん。」




「ねえ、りかさん、今日はどうする?」
かおるが物凄い笑顔をこちらに向ける。
あたしは本当に息が詰まりそう。
「口に、ついてるわよ・・」
「え?」
「パン屑。」
分かりやすいほど真っ赤になって、あわてて腕でこすろうとする。
「はい。」
ナフキンを差し出すと、気まずそうに拭き取っている。
そんなに慌てる必要はないわ。
その仕草すら可愛くて、あたしはもっと眺めていたいのに。
「えと・・・えと・・・・
 だから・・・今日は・・・どう・・しよう・・」
いきなり消え入るような声。
こんなにあたしに剥き出しなんて。
ねえ、怖くないの?
あたしは心で呟いた。
あたしには絶対出来ないワザね。
「かおるはどうしたいの?」
とりあえず、質問には質問で返す。
我ながら、いやらしい癖。
「んっと、なんか山とか綺麗らしいし・・・・マーケットも面白そうだとか・・
 本に書いてあったけど・・だから、そういうとこ回ってもいいかなあ、って。」
「そう、じゃ、いってらっしゃい。」
あたしは反射的に答えてしまう。
かおるの目がみるみる大きくなる。
「え・・・?」
ああ、まずい事をいってしまったのはわかってる。
でももう取り繕いようがない。
「だから、行きたいとこに行ってくれば?」
なんて酷いことを言っているのかしら。
「別にべったりくっついてなくても、いいでしょう。」
心にも無い言葉が、つらつら出てくる。
本当は片時も離れてなんかいたくない。
独占欲の強さに、辟易してしまうほどに。
覆い隠そうとするあたしは、呆れるほど不器用だわ。
ねえ、かおる、あたしを助けて。
なのにあたしの顔は、一筋の乱れも見せない。

「・・・・いやっ!」


あなたが思いつめたように叫ぶ。
「いやだ、・・・りかさん。
 わたし、どんくさいけど・・・けど、
 なかなか一緒にいられないんだもん・・・だから・・・わがままだけど
 ・・・・今日は一緒がいい。」
つかえつかえ、必死な目で訴える。
それは本当は、あたしの言葉ね。
そんなことすらいえないあたしの、ちゃちい見栄にうんざりするわ。
せめて、罪滅ぼしの顔くらいしてみよう。
上手くできるかどうか、わからないけれど。



あたしは丁寧に微笑んでみる。
まだ、かなり作ってはいるのだけれど。

「そうね、じゃあ、そうしましょう。」

















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