「あれ? 詩音さんじゃないですか! なんか、久しぶりですね。二年ぶりですか?」
「いやいやいや。宴会以来ですから、四日ぶりですよ」
「そうでしたっけ?」
「それより山田さん、こんな所で何してたんですか?」
山田はピッ、道の奥を指差す。その先には、薄らと雛じぇねの行進が見えた。
察したように詩音は「あー……」と、頷く。
「私もたまにギロッて睨まれちゃったりします。子どもの頃、一回は見た事ある人たちでしたから……ちょっとショックですね」
「まだ詩音さんは園崎家の人ですから良いですよ。私なんて見つかったらその場で、叩っ斬られかねないですから」
「あら? 本家の方々は守ってくれないんですか?」
「いつもいるって訳じゃないですし、今日はほら……綿流し前ですから、色々と忙しいんだと思います」
ある程度の事情を話したところで、今度は山田が詩音に目的を聞く番だ。
「そう言う詩音さんはここで何を?」
「あ。駄菓子屋でカンカン棒を買おうかなって!」
「チューチューですか?」
「カンカン棒です。そしたら山田さんを見かけたもので、お声掛けを……」
「なら、奇遇ですね! 私も、チューチューを買いに行く途中でした」
「カンカン棒です」
「チューチュー」
どうやら目的は同じようだ。
二人はそのまま並んで歩き、共に駄菓子屋へ到着。早速買ったアイスを一本、店前で食べている。
軒先に立て掛けられている看板には『枝垂カンパニーとM&A交渉中』『不眠症、治します』『きんたま』と書かれていた。
「あーー生き返る! もうホント暑い! 願わくばずっと屋内に引っ込んでいたいもんですよ」
「あはは! それは私も同感ですね! 暑いと、下着とかほら、蒸れちゃいますし……」
「…………」
「んー……やっぱり小さいのかな……食い込んじゃってますから余計に……」
「………………」
羨望の混ざった冷ややかな目で山田は、詩音の双丘を見ていた。
そんな彼女の視線に気付く事はなく、詩音はチューペットを咥える。そのまま物思いに耽った様子で、中身を吸い上げていた。
「……色々とお噂は聞いていますよ。鬼隠しを、調べているとか」
「え?……まぁ、そうですね」
入江に止められているとは言えない。
複雑な山田の心中に対して、詩音は祈るような声色で尋ねる。
「……今年の鬼隠しを、阻止するおつもりで?」
返答に迷った末、チューペットを咥えながら首肯するに留める。
すると詩音は、物憂げな微笑みを見せた。
「……ホント。山田さんがあと、一年早く村に来ていれば……悟史くんはいなくならずに済んだかもしれませんね」
「……あの、この間の宴会の時、私ったら無神経で……」
「謝らないでください。寧ろ、謝るべきはこっちなのですから」
チューペットを咥え、山田に向かって見せた彼女の笑みには、やはり影がかかっている。
それからの詩音はまるで、堰を切ったかのように話し始めた。
「山田さんと初めて会った時……ほら。マジックを教えて貰っていた時に、ちょこっとだけ話しましたよね。『山田さんとは波長が合う』とか何とか……何でだろうって、ずっと考えていたんです」
「…………」
「結局、私の頭じゃ分からなくて……でも、宴会での夜の後も……やっぱり、山田さんは信頼できるって、思ってて……」
詩音が辿り着けなかった、その「波長の合う理由」は、まさに彼女と別れた後に茜から聞かされた。不意に山田の脳裏、あの時の言葉が蘇る。
『……あんた』
『……家族とかの身内か誰か、殺されてないかい?』
『……或いは、殺したか』
『山田さん、何だか詩音に似ているとは思っていたが……そこなんだろう』
『ずっと誰かを探し続けて、手当たり次第に疑ってんのさ……憐れな子だよ』
良く子どもを見ていると、改めて茜に感心させられる。
同時に自身の事も看破された。あの言葉を思い出す度に胸が騒つく。
詩音はハッとし、山田に対して失礼ではないのかと思い、頭を下げていた。思慮に耽る山田の沈黙を、不快感によるものと捉えたようだ。
「す、すいません、私ったら……あはは。私なんかと、似ている訳なんて──」
「──私は」
「え?」
山田がこの話をするのは、十年程ぶりかもしれない。
あまり話したくはない過去な上、更にこの時代で話す事にはリスクが生じる。
しかし山田は、詩音には打ち明けなくてはと、まるで独り言のように語り始めた。
「私は、父親を殺されたんです」
その告白は、詩音に呼吸さえ忘れさせる程の衝撃を与えた。
「父は有名なマジシャンでした。私がマジシャンを志したのは、一重に父の影響でもあります。子どもの頃は色んなマジックを私に披露してくれました……そんな父を、今度は私が驚かせてやりたい。それが私のルーツになります」
「………………」
「でもある日……水中脱出マジックの練習中に、仕掛けに不備でもあったのか……不慮の事故で、父は溺死してしまいました」
「……え……でも、殺されたって……」
察したように目を見開く詩音。あえて山田は目を合わせず、遠い白雲を眺めながていた。
「勿論、私もその時は事故死だって思っていました。でも十六年経って、実は殺されたと分かったんです。そして実際に父の死は誰かの手によるもので、私が二十三歳の時に真犯人を暴きました」
山田の母、里見は「黒門島」と呼ばれる島のシャーマンだった。島を守る大事な役割の為、決められた者と結婚し、島から一生出られないと言う運命を背負わされていた。
しかし余所者だった父「
剛三の死はその黒門島からの刺客「黒津分家」によるものだった────これが山田が暴いた、父の死の真相だ。
長い話となるので、詳細は詩音に語る事はなかった。それでも彼女は山田の壮絶な過去に驚き、同情さえしてくれる。
「そ、そうだったの、ですか……凄いですね、山田さん。お一人で犯人を暴いてしまって……」
「………………はい。一人で頑張りました」
本当は上田の協力もあったが、黙ってやった。
この話で終わりかと思われたが、山田は更に続ける。
「でも、本当にその人たちが犯人かは……分からなかったです」
「……え? でも、暴いたって……」
「確かに犯人は逮捕させましたが、それは別の殺人事件での話。父の件は、証拠は不十分でしたので」
「自白はしていないんですか……?」
少し躊躇った後に、山田は話した。ここまで来たなら話さねばと、覚悟を込めて口を開く。
「『呪いを使って殺した』なんて、警察は信じませんよ」
詩音の反応を待たずして、続ける。
「私は呪いも霊能力も、絶対に信じていません。『全ての奇蹟にタネがある』、今でもそう思ってます……でも、この歳までに色々とありました。色んな霊能力者と対決して、時には死にかけて、誰かを亡くして……そうした中で、時々考えるんです。『本物の霊能力者は、実はいるんじゃないか』って」
母の腕の中で息絶えようとしていた父が、今際の際に語った遺言を思い出す。
「……『本物の霊能力者はいた』。父は最後にそう言っていた……」
次に思い出すは、山田が対決した最初の霊能力者である「霧島 澄子」の言葉。
自ら毒を飲み、倒れ伏した彼女が遺した言葉は、記憶を喪った山田が最初に思い出した事柄だった。
「そしてある、死にかけた霊能力者は私に言った……『あなたは父を殺した真犯人に、殺される』と」
半ば茫然自失となった様子で、譫言のように呟いた。
「……彼女はもしかしたら、本物だったんじゃないのか」
風が吹いた。
「ひょっとして、私が殺されていないって事は……真犯人は別にいるんじゃないのか」
木々が揺れた。
「捕まえた人たちは呪いで殺したと思い込んでいるだけで……本当は、私はまだ父の仇を討てていないんじゃないのか……父は私に、呆れているんじゃないのか……」
駄菓子屋の外壁に張り付いていた空蝉が、風に吹かれてぽとりと落ちる。
それを目で追った後、半ばトランス状態だった山田はやっと我に返った。急いで詩音の方を見る。
既に溶けたチューペットを握りながら、詩音は号泣していた。
「や、山田さん……! そんなごど言わないでくだざいよぉ……!!」
「めちゃくちゃ泣いてる!?」
「あなたは立派でず……! ずっと、お父さんのごどを思っでいらじで……!」
「あーあー! 何か、拭く物は!?」
「ハンガヂ持っでまず……」
自前のハンカチで涙を拭うと、深呼吸をして落ち着きを取り戻す。腫れぼったい目を山田に合わせ、優しく微笑んだ。
「……そうだったんですね。私が似ているって思ったのは、そこからかもしれませんね。犯人を追い続けているところとか」
「んまぁ……本当にその人たちが真犯人で、その霊能力者はインチキでしたから、ただの譫言だったって事もあります。父に関しても、本人の思い込みだったかもしれませんし……」
「それでも可能性として捨て切れないところ……何と言うか、山田さんらしいなって」
「………………」
一つ、言うべきか迷った事がある。それは真犯人に関する、「もう一つの可能性」。
だが山田にそれを打ち明ける勇気は、なかった。今でも知っているのは母親と、上田だけだ。
迷っている内に、溶けたチューペットに気付いた詩音が「あっ!」と声を上げる。
「わわ! だいぶ話し込んじゃった!? おつかいの途中だったのに……!」
「え?……うわっ! ベッタベタ!?」
山田の自分の手を見て叫ぶ。溶けて噴き出したアイスが、手をベトベトに濡らしていたからだ。
駄菓子屋の時計を見ると、ザッと四十分も話し込んでいたようだ。道理でアイスも溶け切る。
「お婆さん! えーと、オネェとレナさんと圭ちゃんと、あと沙都子も来るから……カンカン棒、五つ追加でくださーい!」
「こっちもチューチュー十本追加で!」
「カンカン棒十本ですか!?」
「チューチュー十本です」
駄菓子屋の店主である老婆からチューペットを受け取ると、詩音はペコリと山田に頭を下げた。
「色々とお聞かせくださって、ありがとうございます! あの……また明日、会えますか?」
「あ、明日ですか?」
「山田さんばかりお話させてしまいましたし……それに、まだ色々とお話をしたいですから」
「いや、まぁ……良いですけど……」
「それじゃ! 明日、お昼に『鬼の子地蔵様』の前で!」
「え?」
約束を取り付けてから、詩音は大急ぎで走り去る。
山田に関しては「鬼の子地蔵様」と言う聞き慣れない言葉に戸惑っていたが、それを聞く前に詩音は遠くへ行ってしまった。
詩音は落ち着いた娘だと思っていたが、宴会での激怒っぷりを考慮すると、実は魅音よりも忙しない性格なのかもしれない。土煙を起こし、遭遇した雛じぇねメンバーを吹き飛ばす様を見送りながら、山田はそう思った。
「……鬼の子地蔵様って、なに?」
縋るように、アイスケースからチューペットを取り出す駄菓子屋の老婆を見やる。山田の注文したチューペット十本を袋に入れながら、話しかけてくる。
「なんでぇ、おんし。まーだカンカン棒をチューチュー言うとんか。女がチューチューなんざ、都会モンははしたないのぉ」
「……あのー、お婆さん? お婆さんは、『だべ』とか『ちょる』とか、訛らないんですか?」
「ここはそんな訛り言う地域じゃないんよ。『ちょる』ってそりゃ、九州モンじゃろ?」
それを聞いた時、山田は「あれ?」と首を捻る。
「……じゃあ、あの図書館の司書さんは……雛見沢村の人じゃないのか?」
興宮の図書館で資料を渡してくれた司書の老人が、確かそんな訛りだった。色々と雛見沢村の事に詳しかったので、地元の人間かと思っていたが。
とりあえず今は、鬼の子地蔵様だ。山田はそれを聞こうと、チューペット十本を受け取りながら再度老婆に問う。
「あぁ、あと……鬼の子地蔵様って、分かります?」
「裏山の山中にあるお地蔵様ですよ! 村のミステリースポットの一つです」
老婆の嗄れた声ではなく、若く落ち着いた女性の声が横から投げかけられる。
聞き覚えのある声。山田は振り向き、「あっ!」と驚きの声をあげた。
「奇遇ですね、山田さん?」
にこにこと微笑み立っていたのは、鷹野だった。
「鷹野さ……アッ!?」
駄菓子屋の前を、雛じぇねが通る。大急ぎで山田はまた、カカシの真似をした。
「神威っ!」
気付かず彼らは通り過ぎる。
「ジオは〜、ジョジョリオーンッ!!」
「すてぃーるぼーるらーん!」
「すとーんおーしゃーん!」
「黄金の犬ーッ!!」
「この夢の果てまでーーッ!!」
落ちていた空蝉を踏み抜いて、どこかへ行ってしまった。
一方で上田。適当に見つけた公衆電話のボックス中にいた。壁には新聞から切り抜いた、ちょっとエッチな広告やらステッカーやらがベタベタ貼り付けられている。ついつい見てしまう上田。
『イデオローグ』
『メリトクラシー』
『ヒストリア』
「お問い合わせは1、1、1……ワンワンワン?」
すぐに矢部から教えて貰った電話番号を打ち込み、連絡を飛ばす。
きちんと電話は、矢部らの占拠する会議室の、勝手に奪った黒電話へと繋がった。じりりんと鳴った電話の受話器を取り、矢部が耳に当てる。
「はい? もしもーし。どちらさんですかー?」
背後では石原と数人の刑事らが、踊っていた。
「あぁ、矢部さんですか? 上田ですよ」
「あ、先生ですか!? 昨日のあの書き置き、先生のでしょ!? あれ何やったんですか!? その日の夜ぅ、リトルナイトメア見ましたわ!」
「黄色いカッパの女の子に食われる夢やったそうじゃ!」
横から声を出す石原を、矢部はぶん殴って突き放す。殴られて吹っ飛んだ石原は、刑事らとぶつかって一緒に床にバタバタ倒れる。
「それより矢部さん。明日の件に関して、そちらの計画をお聞きしたいんですが……」
「計画ぅ? あー……そりゃ、イシちゃんに聞かなアカンですわぁ。今ぁイシちゃん、署の刑事らと作戦会議中ですんで、それ待ちですねぇ!」
「イシちゃんて、ワシの事かのぉ兄ィ!?」
突っかかる石原をまた殴り飛ばす矢部。
吹っ飛んだ石原は「ありがとうございます!」と叫びながら、開いた窓から落っこちた。ここは四階だ。刑事らが窓の下を大急ぎで覗く。
「大石さんの報告待ちですか……では終わったら、古手神社に連絡してください」
「電話番号は?」
「タウンページ見てください」
「あ、この時代まだ電話帳ありましたねぇ!? 忘れてましたわぁ!」
じゃあこれでと、電話を切ろうとする上田。
だがその前に、何か思い出したように矢部が呼び止めた。石原が窓から、笑顔で這い上がって来ている。
「そうそうそう、先生ぇ! 昨日、公園から先生たち帰った後にですねぇ? 偶然、公園の管理人さんと話しましてね?」
「管理人さんと?」
「ええ! そんで、オモロい話を聞き出せましてねぇ、コレが?」
矢部の聞いたと言う話を、上田にも教えてやる。
途端に上田の表情は、愕然としたものへと変貌した。
「そんな……!? じゃあ、事件が起こる一ヶ月も前から……沙都子の母親は、公園に度々訪れていたんですか!?」
上田の頭の中で、カラクリ箪笥の中のガリウムが繋がる。同時に鳥肌が立つ。
「えぇ、らしいですわ! そんでいっつも一人で来て、あの展望台に登っていたとか!」
「なんでそんな重要な事、その管理人さんは警察に話さなかったんですか!?」
「いや本人曰く話したそうですよ? 多分、揉み消されたんとちゃいますぅ? 知りませんけどねぇ?」
受話器を握る上田の手が、ブルブルと震えている。
それが本当なら、鉄柵に細工をした人間は────嫌な想像が抑えても抑えも、頭の中を駆け巡る。
居ても立っても居られない。そう考えた上田は、決意を込めて話す。
「……矢部さん。今すぐに停留所まで、パトカーで迎えに来てください。また公園まで出して欲しいんです」
「へ? ちょっと先生ぇ? ワシら警察であってタクシーじゃ──あ、切れた」
呆れた顔で受話器を置き、くるりと振り返る。
石原が刑事らに胴上げされていた。
「なにやっとんねん」
同時に受話器を置いた上田。すぐにボックスを出て、停留所まで走り出す。
鬼隠しの件を調べるなと言われていた事などは、暫し忘れていた。
焦燥感が、動悸を激しくさせる。
上田は精一杯の力を込めて、畑道を駆けていた。
雛じぇねと遭遇する。急いでカカシの真似をした。
「千年殺しッ!!」
何とかやり過ごせたようだ。そのまま忍者走りで停留所まで急ぐ。
ボックスの壁から一枚の広告が落ちた。
その裏にはもう一枚の広告が、隠れていた。
『山田 剛三のイリュージョンショー 昭和五十八年六月二十日、興宮市民会館で開催』
大急ぎで帰って来た詩音は、玄関口から中に入る。さすがに下足場の石畳は乾いている頃だ。
「ごめんなさい! ほんのちょっとだけ時間食っちゃいました!」
「いやいやいや四十分のどこがほんのちょっとなのさ!? おったまげるぐらい遅かったよ!?」
玄関先の廊下には、エプロンを脱いで帰り支度をしている魅音の姿があった。綿流しの準備の為に家へ戻らねばならないと怒っている。
「もう帰らなきゃ駄目な時間になっちゃったじゃんかー! まだやり残した所もあるのに、洗剤がないから出来なかったし……詩音の馬鹿! 許さない!!」
「許してちょんまげ!」
「駄目!」
「アイムソーリー!」
「もう一声!」
「ヒゲソーリー!」
「ん〜〜〜〜許すッ!」
廊下には他に、拭き掃除をする沙都子がいた。沙都子にとっては、詩音との久々の再会。嬉しそうに手を振っている。
「あ! 詩音さん!」
「……あ。沙都子……」
詩音は靴を脱いで家に上がると、すぐに沙都子の元へ寄る。
そして彼女の前で屈み、心配そうな眼差しで視線を合わせた。
「どうなさいました?」
「あ……ええと……」
詩音は鉄平帰郷の一件以降も、彼女を気にかけていた。怪我や精神状態を心配するのも無理はない。しかしその話題を持ち出す訳にはいかなかった。
沙都子自身も、叔父との一件は皆に心配をかけさせまいと、梨花や上田以外には秘密にしている。また鉄平逮捕の一因に詩音の協力はあったが、魅音が警察と協力関係を取った事を園崎家に知られない為、秘匿としている。
沙都子は、叔父の事を詩音らは知らないだろうと踏んでおり、詩音と魅音もまた、関係した事を言ってはならない立場にある。
衝動的に駆け寄ってしまった詩音は、キョトンとする沙都子の手前、何とか理由を探した。
「その……な、何だか久々でしたから! 病気とかしてないかなって」
「あぁ……この通り、元気ピンピンですわよ! 夜もグッスリ眠れておりますし、食欲も問題ありませんわ!」
「そ、そうですか? 本当に?」
「意外と心配性ですのね、詩音さん?……本当に大丈夫ですことよ」
「…………なら、良いんです」
安堵の息と共に、沙都子の頭を撫でてやる。
突然撫でられて少し戸惑い、むず痒そうに「んぅ」とうめく。だが拒否はせず、寧ろそのまま沙都子は受け入れた。
詩音らがした事を、沙都子は知らないままだろう。
しかし、それで良い。元気なままの彼女を見られるのなら。
「……ん。詩音さんこそ、何だかお疲れのようですわね」
「へ? まぁ、オネェのパシリの帰りですから……」
「私が悪いみたいに言うな!」
魅音が後ろでツッコむ。玄関先で靴を履きつつ、詩音が雑に脱いだ靴を揃えていた。
その間沙都子は詩音の顔をまじまじと見ながら、分析する。
「目元がちょっと腫れておりますわよ?」
「……あ」
山田との会話で号泣してしまった事を思い出す。それを言うのは恥ずかしいので、誤魔化してやった。
「ちょ、ちょっと不眠症気味でして……あ、あはは」
「まぁ! 私よりも良くないじゃありませんのよ! 不眠症でしたら鷹野さんに伺うと良いですわ」
「鷹野さんにですか?」
「お母さんも眠れない時があったので……鷹野さん、カウンセラーの資格を持っておりますから力になって貰えますわよ!」
「あ、いや、別に病んでるとかそう言うのじゃ……」
言い淀んでいる内に、居間からレナと圭一が顔を出した。
「あ、詩ぃちゃん! 遅かったけど、何かあったの?」
「詩音よぉ! 玄関が濡れてんなら前もって教えてくれよなぁー!」
二人を見た魅音は、つい下唇をキュッと噛んでしまった。
何とかすぐに表情を笑顔に変え、皆に別れを告げる。
「さて、おじさんは家に戻りますか。より良い祭りの為、一肌脱いで来るからねー! 何か、余興のリクエストあるなら今の内聞くけど?」
「ビートルズを呼んで欲しいですわ!」
「今からじゃ……いや、一生かけても呼べないかなー?」
「レナは、えっとえっと……村民全員参加型はないちもんめ!」
「それ多分一晩で終わらないと思うよ」
「完全無欠大物天才マジシャン山田奈緒子大閣下の超絶怒涛イリュージョンショーーッ!!!!」
「圭ちゃん、いきなりどうしたの?」
一通りリクエストを聞き終え、「それじゃ!」と言い残し、レナ宅を後にする魅音。
軒先に出た時、後から付いて来た詩音に呼び止められる。
「あ、オネェ! 折角買って来たんですから!」
持っていたカンカン棒を差し出された。
今日は一段と暑く、冷えたアイスは日照りに雨だ。嬉しそうにそれを受け取った。
「おぉ! サンキュー、詩音」
「今日はもう戻って来ないんです?」
「んー、そだね。公由のお爺ちゃんと話し合って〜、予算の確認して〜、古手神社に行って進捗を確認して〜……今日は寝るまで戻れないかな」
「あぁ、そうなんですね……なら、言っておこうかな」
「え。何を?」
アイスを口に咥える魅音へ近付き、悪戯な笑みで耳打ちをする。
「早くしないと、圭ちゃん取られちゃいますよ?」
「………………グフッ!?」
間を置いてから噎せる魅音。顔が真っ赤なのは、暑さのせいではない。
「ちょ、あの、詩音さん!? え、いきなり何!?」
「え? だって、好きなんですよね?」
「……そうですけど」
度々詩音に、圭一との事を相談していたようだ。
「さっきのオネェ……圭ちゃんとレナさん見てて、ちょっとモヤモヤした様子でしたし」
「……よ、良く見てるね。参ったなぁ……」
「危機感あるって感じですか?」
「…………うん。あるっちゃあ、あるけど……」
二日前の出来事がよぎる。
レナを許し、またレナからの好意に気付いた圭一は、間違いなく彼女を意識し始めていた。
この件を自分の口から詩音に言う訳にはいかない。しかしあれほど劇的な進展を見てしまえば、臆病になってしまう。
果たして、もう自分に入る隙はあるのかと。
「……そもそも圭ちゃん、私を女として見てない感じだし……レナなんてそりゃ、前からお弁当を作ってあげてたみたいだし……」
「あららら……ひっじょーにキビシーって奴ですね」
「財津一郎……」
ここまで茶化すような態度を取っていた詩音だが、ふと表情に翳りが生まれる。
「……思いを伝えるなら、早い方が良いですよ。いつ、いなくなっちゃうか分かりませんから」
「…………」
脳裏に悟史の顔が浮かんだのだろう。
彼女の未練と痛みを察してしまい、魅音もまた押し黙ってしまった。
空気を悪くしたと感じた詩音はハッとして、大急ぎで取り繕う。
「それに! ポテンシャルの面ではオネェにも分がありますよ! 恋愛なんて押せ押せの押せー!……ですから!」
「……うん。そ、そだね……」
「なんなら明日、祭りの最中に告っちゃえばどうです?」
「…………なんですと?」
ニヤッと笑い、詩音は魅音を押し出す。
「さぁさぁ、そろそろ戻らないと!」
「ああ、あ、あの、詩音さん?」
「あ。告るか否かは明日の正午までに、私に確認とってくださいね」
「そんな急に!?」
「善は急げ、旨い物は宵に食え、思い立ったが吉日! 何でも早い方が良いんですよ!」
「明日とはホント無理だから! せ、せめて、夏の終わりに……」
「因みに『告白しない』って答えたら、村内放送で『園崎魅音は前原圭一にゾッコン』ってバラしますから」
「鬼か!?……アイタっ!?」
軒先から道路まで押して、そのまま突き飛ばす。
転びそうになったところを踏ん張り、恨めしそうな目付きでじとりと振り返った。
後ろに手を組んだ詩音の姿が、儚げに映る。風が吹き、垂らした長髪が波のように揺れた。
「……どんなワケがあるにせよ、オネェが引く理由なんてないですよ」
にこりと笑う。
いつも見る、詩音らしい優しい笑みだ。
「妥協や遠慮は駄目。やってみなきゃ、前へ進めませんから」
レナが起こした一件については、まだ話していない。けれど、圭一とレナに何か大きな事があったとは、見抜かれたようだ。
何か言おうかと惑う魅音の手前で、詩音はクルッと踵を返す。
「……あなたの心へ向かって、僕は歩いて行く……By、財津一郎……それじゃ、また明日!」
それだけ言い残し、詩音はレナの家へ戻ってしまった。
呆然と、水滴が滴るチューペットを握りながら、魅音は苦笑いをしてみせる。
ひたいから流れる汗を拭い、一言。
「それ和夫の方……」
太陽は西へ落ち始める時間だ。