TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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6月18日土曜日 鬼隠しと大災害 その2
深夜枠


「おいで」

 

 

 不気味な仮面の男が目の前で踊っている。

 

 蓑虫のように藁を編んだ装いのまま、手足をかくりかくり動かせながら呟く。

 何度も何度も腕をクイッと引き、こっちへ来るよう促している。

 

 

 声は、椎名桔平に似ていた。

 

 

 

 

「私はね、お前のお母さんが生まれた島から来たんだ」

 

 

 彼の後ろには手押し車があり、その上に米俵が三つ乗せられていた。

 身体をそこへ向け、両手を下から上へと何度も動かす。

 

 

 動きに合わせ、ふわりふわりと米俵が三つ、宙に浮いた。

 

 

 

 

 母の、自分を呼ぶ声が聞こえる。

 謎の人物は繰り返し、繰り返し、こっちへ来るよう誑かし続ける。

 

 

 

 

「おいで、おいで、おいで……」

 

 

 一度俯くと、彼はとうとう仮面を外した。

 奇妙な仮面のその下から、不気味に浮かべた笑みを晒す。

 

 

 

 

「来れないのかい? なら──」

 

 

 顔は、椎名桔平に似ていた。

 母の呼び声は強まり、駆けて来る音まで響く。

 

 

 

 男は一言だけ言い残し、身を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待っているよ。────」

 

 

 仮面を被り、煙のように姿を消す。

 

 気付けば自身の左目から、涙が流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおわっ!?」

 

 

 悪夢から飛び起きた山田は、がつんと何かに頭をぶつけた。

 

 

「んにゃーっ!?」

 

 

 痛がり、床を転がる山田。

 何にぶつかったのかと思えば、自分はテーブルの下に頭を突っ込んでいた事に気付く。

 

 寝相の悪さ故、彼女は敷かれた布団からかなり離れたそこにいた。

 同室にいる沙都子は、すやすやと眠っている。

 

 

 

 傍に、すっかり彼女のお気に入りとなったからくり箪笥が置かれていた。

 その上に、ヌイグルミが乗せられている。ある俳優に似ていたので声を上げる。

 

 

「椎名桔平!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 北条邸の捜索が終わった山田らは、特別もうやる事はないので神社に戻る。

 先に戻っていた梨花だが、体調が優れないと言って早めに眠っていたそうだ。その為、どうしても話がしたい山田と上田は、神社にその日も泊まる事になった。

 

 夜を迎え、食事をし、眠りにつく。

 

 

 廊下にかかった時計を見る。深夜三時で、もう土曜日になっている。

 すっかり眠れなくなった山田は、何か飲み物でも飲もうと居間まで来た。

 

 

「うおっ!?」

 

 

 驚いた声をあげた。上田が扇風機の風を浴びながら、大型のテレビを工具で弄り回していたからだ。

 彼は山田に気付くと、作業の手は止めずに声をかける。

 

 

「よぉ。早いな? 中途覚醒はストレスが原因の可能性もあるぞぉ……おっと? 君はストレスとは無縁な能天気人間だったなぁ? じゃあトイレか?」

 

「……夜通し弄っていたのか、それ……」

 

「沙都子が直してくれって言うから、やったってんだよ。こう見えて俺は、テレビ修理検定の一級を史上最速二日で取得したんだ!」

 

「……ちょっとなんか最近、沙都子さんに甘くないですか?」

 

 

 上田は何も言わず、黙々と手を動かし続けた。

 

 このテレビは北条邸の二階で発見したもので、壊れて電源の付かないそれをわざわざ神社まで運んだ。それを上田は延々と修理している。

 

 

 テレビは二十四型で、下部のキャビンと一体となっている形状だ。

 現代では「レトロ」扱いされている代物だ。だがこの時代に於いては、この家にある物よりも遥かに性能は良いだろう。梨花と一緒にこのテレビで番組を観たいのが、沙都子のリクエストだ。

 

 

 

 夕餉を終えた彼は、厚さ四十センチほどのテレビの中に頭を突っ込み、あれこれ弄り続けていた。

 

 

「……もう綿流しが明日にまで迫っているんですから。これからどうするのか考えましょうよ」

 

「考えろたって、犯人の特定すら出来ていないんだ。現状、警察に便宜を図って貰っているし、入江先生から鷹野さんに注意するよう伝えてもいる。それに、未来の事を知っている俺たちもだ」

 

「………………」

 

「元の時間軸より、遥かに分が良い。これもう、強くてニューゲームで完全勝利確定だろぉ?」

 

 

「うははははは」と、気味の悪い笑い声をあげる上田。

 言う通り、確かに未来の事を知っている分こちらが有利だろう。だが山田の表情は晴れない。

 

 

「……警察署で、矢部さん()部下の人が言っていたじゃないですか」

 

「あぁ……矢部さん()部下の人か……」

 

 

 二人は菊池が訴えていた事を思い出す。

 

 

 

 

『「竜宮礼奈は学校を占領しなかった。だが、我々がこの時代に介入したからこそ……異変が起きている」

 

 「それが良い結果に転べば良いが……最悪の場合。我々の介入によって、我々の知る未来の出来事が変容するかもしれない。この、竜宮礼奈の件と同じように……!」

 

 「あまり、真相に踏み込めば……これから起こる未来は予想出来ないものとなる。ご注意を……」』

 

 

 彼の口から語られたのは、自分たち未来人の介入によって、正史とは違う事件が起こっている事に対する警告だ。

 明らかに未来が変わっている証左だ。山田はこれから起こり得る、イレギュラーを恐れていた。

 

 

「私たちは未来を知っているからと言って……その通りに事が動く保証はない。私はやっぱり、迎え撃つよりもこっちから追った方が良いと思うんです」

 

「だとしてもだ……犯人に繋がり得る鬼隠しの調査は止められている。これを破れば、入江先生が俺たちを信用しなくなるって事になってんだろ? 今からじゃどうにもならん」

 

「そうですけど……」

 

 

 上田は修理の手を止め、背後に立つ山田の方へ振り向く。

 

 

「今、俺たちがやれるのは綿流しに向けての準備と、北条夫妻の事件の究明だ。無闇な行動は寧ろ、敵に意図が気付かれる恐れがある。そうだろぅ?」

 

 

 山田を諭し、またテレビの修理に戻る。

 だが十秒ほどで、テレビ内部から手を引いた。終わったようだ。

 

 

「よぉ〜し! 完ッ璧に治ったぞぉ! どうだぁ? 天ッ才物理学者に出来ん事はないッ!! 生意気な梨花め! これで俺に跪けッ!!」

 

 

 コンセントを付けてから、電源を入れる。しかしモニターは黒いまま。

 間抜けな顔で、チャンネルを変えるツマミを回し続けていた。

 

 

 終いにはテレビから火花が散り、情けなく腰を抜かす。

 

 

「うひょぉう!?」

 

「……上田」

 

「お、おかしいな? 違う回路に繋いじゃったかな?」

 

 

 呆れ顔で山田は、飲み物を取りに台所へ行った。

 台所に付くと、テーブルの上に置かれていた水銀スイッチの束に気付く。

 

 

「上田さん、なんでここに水銀スイッチ置いてるんですか?」

 

「沙都子があの箪笥を気に入ったもんで、中身だけ出しといたんだ!」

 

 

 ひょっこりと居間から顔を出す上田。

 

 

「一応引き出しの中を調べたが、別に何か混ざっていたって事でもなかった! そうなりゃそれは、無用の長物だ!」

 

「じゃあ捨てたら良いじゃないですか。ポイしましょうよポイ」

 

「YOUのような人間が自然を破壊するんだ愚か者ッ! 水銀だぞ!? 朝のゴミ出しで一緒に出して良い物じゃない!」

 

「いきなりなんだお前は」

 

「とりあえず適切に処分出来るまで、誰の目にも届かない所にでも置いといてくれ」

 

 

 居間で落雷かと思うほどのフラッシュが発生。

 テレビがまた何かおかしくなったのか、上田は頭を引っ込めて対応に追われている。

 

 

「ちょっと、上田さん!……誰の目にも届かない所ってどこに……」

 

 

 とりあえず山田は台所にあったビニール袋を一枚取り、中に水銀スイッチを全て放り込んで纏める。

 口を縛り、後は場所を探すだけ。

 

 

「……いやまず、何か飲もう」

 

 

 山田は袋を持ったまま冷蔵庫前まで行き、扉を開く。

 中には「ネーポン」と銘振られた、オレンジジュースっぽい物の瓶が置いてある。

 

 

「おぉ……! 幻のジュース、ネーポン!!」

 

 

 すぐに山田は戸棚からコップを取り、冷蔵庫前でそのネーポンを注ぐ。

 それをグビグビと飲み、「プハー!」と笑顔で顔を上げる。

 

 

 

 

「……もう一回飲も」

 

 

 もう一度注ぎ、グビグビ飲み、「プハー!」と笑顔。

 

 

「めっちゃオレンジジュース!」

 

 

 喉を潤した彼女は冷蔵庫を閉め、流しにコップを置く。

 寝直すかと考え、テレビ相手に格闘する上田を尻目に寝室前まで到着する。

 

 

 そこでふと、考えた。

 

 

「……あれ? なんか忘れているような……」

 

 

 両腕を組み、うーんうーんと思い出そうとする。

 首を傾げ、さっきまでの自分の行動を頭の中で逆再生させる。

 

 

 

 そんな時に、妙な気配を感じた。

 何も分からないまま、山田はその方へ目を向ける。

 

 

「……? 誰か?」

 

 

 知らない誰かに呼ばれた気分だ。

 目線の先は、二階に通じる階段。確か、梨花が一人で眠っている。

 

 

「……梨花さん? 起きたんですか?」

 

 

 応答はない。

 気になった山田は、ゆっくりと階段を上がる。

 

 

 

 

 

 二階の廊下の電気は付いていなかった。

 だが窓から差し込む月明かりのお陰で、視覚に問題はない。

 

 とは言え暗い事には変わりないので、山田は摺り足で一寸先を確かめつつ、梨花の眠る部屋へ向かう。

 驚かせない為に一声かけるべきかと思った時、何かが聞こえて足を止めた。

 

 

「……声?」

 

 

 子どもの声だが、梨花のものではない。だが、聞き覚えはある。

 山田はその声に誘われるがままに、ゆっくりゆっくりと進む。

 

 

 

 目の前に一枚の襖が現れる。

 そこまで辿り着いた時、何を話しているのかが分かった。

 

 

 

 

 

 

 

「──梨花──あの人が────いるのです────」

 

 

 

 

 

 

 山田はガラリと、襖を開ける。

 視界に入ったのは、布団に包まる梨花一人の姿だけ。

 

 

「……? アレ?」

 

 

 部屋は決して、広くはない。一回だけ首を左右に動かせば、全て見通せる。

 布団と梨花と、人を隠すには無理のある家具だけ。

 

 第三者は、どこにもいない。

 

 

「……梨花さーん……?」

 

 

 応答はない。眠っているのだろうか。

 しかし山田は、今の梨花を見て違和感を抱いた。

 

 

 

 部屋に扇風機などはない。窓が開いているとは言え、熱が籠っている。

 

 対して梨花は、まるで冬場の時のように掛け布団に包まっていた。頭まですっぽりだ。

 

 

「……暑苦しくないんですか?」

 

「………………」

 

「……誰か隠しています?」

 

 

 気になった山田は梨花の傍らに座り、布団を取ろうとする。

 それを、寝ているとは思えない力で引いて阻止する梨花。

 

 

「梨花さん起きてます?」

 

「………………」

 

 

 力を込めて布団を引くも、梨花はそれを阻止。

 

 

「起きてますよね?」

 

「………………」

 

 

 両手で布団を掴み、「オリャーっ!!」と身体を動かしてまで力強く引く。

 それを同様の力で引き返す梨花。

 

 

「いや起きてるだろ!」

 

「起きてないのです」

 

「起きてんじゃん!?」

 

 

 山田は機転を利かし、上半身の方を引くフリをして、下半身の方から引っぺ返してやった。

 足からぺろんと、掛け布団の下が露になる。

 

 

「誰だーーっ!……って、誰もいない!?」

 

 

 梨花の身体だけしかない。その下に、もう一人はいなかった。

 だが何かを抱いて隠すような、胎児姿勢の梨花に気付く。

 

 

「……なに持ってます?」

 

「…………持ってない」

 

「持ってますよね?」

 

「持ってない」

 

「………………」

 

 

 山田は目を細めた後、窓の方を指差し、わざとらしい声で告げた。

 

 

「あ! 椎名桔平!」

 

「誰なのです?」

 

 

 人差し指の先は、勿論だが何もいない。

「UFOだ!」ぐらいの程度の嘘で気を逸らそうとするも、この時代に椎名桔平を知る者はいない。

 

 作戦は失敗に終わった。

 山田は腕を引き、どうしようかと口角を縛る。

 

 

 

 

 

 

 指先で、彼女の脇腹をデュクシと突き刺す。

 それに反応し、びくりと身体を震わす梨花。

 

 

「ソイヤっ!!」

 

「あ……!」

 

「取ったどーーっ!!」

 

 

 ガードが弱くなった隙に、山田は梨花が抱き締めていたソレを取り上げた。

 だが掴んだソレを見て、目を疑った。

 

 

 

 

 

 緑色の一升瓶だ。どう見てもジュースが入っているような代物ではない。

 細やかな絵と英語が描かれたラベルに、オシャレなロゴと、瓶の中で揺れる紫色の液体。さすがの山田でもそれが何か察せる。

 

 

「……ブドウジュースですか?」

 

「その通り」

 

「いやワインだろ!」

 

 

 山田はパッとラベルを見やるも、筆記体の英語は読めない。

 

 

「び、べ、べ……? は? 火星語かこれは……?」

 

 

 読むのを諦め、梨花の方を見る。その目は「まさか」と言いたげだ。

 梨花も観念したようで、悩ましい溜め息を吐きながら身体を起こす。

 

 

「ちょ、ちょっと、梨花さん!? いやまさかですけど、飲んだり!?」

 

 

 ふらりと起き上がった彼女は、またふらりと振り向く。

 赤い頰に、ややとろんとした瞳と、手に握る赤い水滴の付いたワイングラスを見て、確信に至る。

 

 

「飲んじゃったんすか!?」

 

「……悪い?」

 

「がっつり未成年飲酒ですよ!?」

 

「こんなの、甘酒と一緒なのです」

 

「いやいやいやまさかまさかまさか」

 

 

 山田の言う通り、彼女はまだ小学生にしてワインを飲んでいた。

 またパッと瓶を回し、裏にあった成分記載表を読む。

 

 

「……アルコール濃度十三パーセント!?」

 

 

 その隣に、製造者の似顔絵がなぜか描かれていた。

 

 

「椎名桔平!?」

 

 

 

 

 騒ぐ山田を尻目に、梨花は煩わしそうに頭を掻いている。

 

 

「……嗜む程度なのです。大目に見て欲しいのです」

 

「いやでも、半分まで減ってますよ!?」

 

「その半分は上田に、カレー作りの隠し味で使われたのです」

 

「でもでも、嗜む程度でも飲んじゃ駄目ですよ!?」

 

「なんで?」

 

「育ちませんよ!! お胸とか!!」

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 

 

 言ってから山田は自分の胸を見て、悔しそうに口を歪めた。完全に自爆ではある。

 彼女の主張を聞き、梨花は鼻で笑う。

 

 

「……魅音と詩音は普通に飲んでいるけど、あなたの倍育っているじゃないの」

 

「うっせぇうっせぇわ! 育ってないのは……梨花さんもそうでしょ!?」

 

「こっちはまだ伸び代あるけど、あなたはどう?」

 

「まだ育ちますぅ〜!」

 

「私、十二歳。あなた、何歳?」

 

「この話やめましょう……て、てか、梨花さん、なんかキャラ変わりました?」

 

 

 言う通り、梨花の口調は若干大人びており、いつもの子どもっぽさは消えてやけに妖艶だ。

 酒は人の本性を暴くと言うが、もしやこれが彼女の素なのかもしれない。

 

 

 梨花は自身の口元を親指で拭い、話し出す。

 

 

「……胸騒ぎが止まないのよ」

 

「え?」

 

 

 吐露されたのは、不安の声だった。

 

 

「おかしい事だらけ……ジオ・ウエキもいなかったのに、一年目の事件が無かった扱いにされているし、赤坂が村に来たのもなぜか半年前……色々とおかしくなっている」

 

「………………赤坂って誰です?」

 

「なのに沙都子の件もレナの件も、良い方向に向かっている……そこが不安なの。これから私の知らない何かが絶対に起こる……それは果たして、これまでのように対処出来るものなのか……って」

 

 

 梨花の手が、ボトルの方に伸びた。

 それをサッと遠去けた山田を、恨めしそうに睨む。

 

 

 

 対する山田も、真剣な眼差しで受け止めた。

 

 

「……梨花さん。あなた、何者なんですか?」

 

「……何者とは?」

 

「まるでこれから起きる全てを、あらかじめ知っていた……いえ。未来予知と言うよりも、ずっと見て来たかのような……」

 

 

 山田の見解を聞き、目を瞑って乾いた笑いを出す。

 彼女の反応を訝しんでいると、また目を合わせて話す。先ほどとは違い、好奇の念が梨花の瞳に宿っている。

 

 

「何者かって言えば、あなたもそうじゃない?」

 

「質問に答えてください」

 

「答える以前にフェアじゃないってだけよ。私はあなたの事は何一つ知らない」

 

「私はご存知の通り、未来の東京から来た、ムチムチダイナマイトボディの超売れっ子マジシャンで──」

 

 

 

 

 

 

 途端に梨花が山田に詰め寄り、その口を手で塞ぐ。

 視界が彼女の顔に埋め尽くされる。瞳孔から虹彩までしっかりと、伺える距離だ。

 

 

「ん!?」

 

「静かに」

 

 

 引き離そうとするも、爛々とした梨花の目の迫力に押され、膠着する。

 彼女の目が、部屋の出入り口の方へ動く。

 

 

「……あなたは雛見沢症候群に感染していない。なのに、『感じ取る事が出来た』」

 

 

 山田も、梨花の視線の先へと目を動かす。

 

 

「それも強く、強く……」

 

 

 開かれたままの襖の向こうは、真っ暗だった。雲が月を隠し、明かりがなくなった。

 気配は感じない。誰もいないハズだ。

 

 

「そんな人間は初めて出会った。私はなぜかそれが嬉しい」

 

 

 

 目が闇に慣れ、薄らと見えるようになる。

 そして驚愕から、呼吸が止まった。

 

 

 

 

 襖の向こうの闇の中から、ひたりと爪先が現れたからだ。

 

 

「──ッ!!??」

 

 

 山田の視線は釘付けだ。

 最初は沙都子か上田かと思った。だが誰でもないと、なぜか直感でそう思い直された。

 

 

 

 

「あなたは、もしかして────」

 

 

 梨花は耳元で囁いた。

 

 

 

 

 

 

「────私と似ていて、全く非なる人間、かしら?」

 

 

 再び視線が梨花の方に向く。

 

 

 

 

 

 途端、彼女は一気に山田から離れた。

 その手にはボトルが握られている。

 

 

「……あ!?」

 

 

 没収していたボトルを奪い返されてしまった。

 だが山田はすぐに立ち上がり、廊下に出る。

 

 

 誰もいない。微かに見えた爪先も、消えていた。

 荒い呼吸を繰り返し、呆然と立ち尽くすだけ。

 

 

「今のは誰……!?」

 

 

 トクトクと、音が聞こえて我に返る。

 振り向いた先、梨花はさも当たり前かのようにグラスにワインを注いでいた。

 

 

「だ、だから飲んじゃ駄目って──」

 

「飲む?」

 

 

 グラスを山田に差し出した。ヴァイオレットの液体がゆらりと揺れる。

 てっきり飲まれるかと思っていただけに、意表を突かれた。唖然とした山田の表情が面白いのか、梨花はしたり顔だ。

 

 

「いらない?」

 

 

 雲が晴れ、月光が注ぐ。

 浴びる梨花の姿は、底冷えするほどに艶があった。歳不相応な魅力だ、だからこそ恐ろしさも感じた。

 

 

 

 山田は一歩踏み出し、また部屋に入る。

 

 

「……この村に来て、何度か見たんです。聞いたんです」

 

 

 賽銭箱の前や、山の中。

 自分を呼ぶ声と、藤色の髪をした女の子の姿を、見た気がしていた。

 

 

 幻覚だと思っていた。だが先程の現象と梨花の様子で、確信に至る。

 アレは確かに、存在していたと。

 

 

「……誰なんですか……!? 何者で、どこにいるんですか……!?」

 

「山田」

 

 

 梨花は膝を抱き、グラスを回しながら話した。

 

 

 

 

「……私が死んだら、沙都子も死ぬ。魅音も詩音も、圭一もレナもみんなみんな死ぬ……」

 

 

 落ち窪んだような声だった。この世への絶望を吐き出したかのような、暗い声だった。

 

 

「……私は、生きたい。生きて、その先の未来に行きたい……その為にはどんな痛みにも耐える。千載一遇のチャンスともなれば、何だってやる」

 

「………………」

 

「もう、私にとってあなたたちは……最後の希望なのよ。特に山田奈緒子、あなたがそう」

 

「……私が、なんで……?」

 

 

 二人の視線がまた交わる。

 上目遣いの梨花。瞳が潤んで見えるのは、見間違いだろうか。

 

 

 

 

「……散々、試すような事をして申し訳なかったわ。けど、確信した……あなたには、不思議な力がある」

 

 

 目を見開き、動揺する山田。

 梨花は無視し、続ける。

 

 

 

「私なんかよりも、もっともっと強い……もしかすれば、『あの子に近付ける』ほど」

 

「……っ!?」

 

「その力なら間違いなく、この永遠の牢獄を打ち壊してくれる」

 

「り、梨花、さん……?」

 

「でも同時に、その力が怖い。数多のイレギュラーは、あなたが関係しているハズ……それが吉兆さえも、壊し得るの」

 

 

 グラスを持つ彼女の指が、僅かに震えていた。

 山田がそれを見た瞬間に、梨花はもう片方の手で押さえて震えを止める。

 

 

「……お願い。私の仲間でいて欲しい……まだ言えない事はたくさんある……けど、必ず全てを話す。その子の事も、元の時代への帰り方も……話してあげるから……」

 

 

 梨花は頭を下げ、目を伏せた。

 

 

 

 

「…………こんな私でごめんなさい。ワガママだけど、信じて欲しいのよ……こんな事を話せるの、あなたしかいない」

 

 

 騙すような事をした罪悪は、彼女の中にあった。確かにあった。

 アルコールを入れなければ、それさえ隠してしまっていただろう。やっと心情を吐露出来た。

 

 

 安堵と、不安が、半分ずつ。

 罵る権利も、無視する権利も、山田にはある。

 試すような事をして、彼女に必要以上の恐怖を与えた。逃げられても文句は言えない。

 

 

 

 

 祈りも捧げたが、諦念の方が強い。

 何が起こるか察するのが怖くて、つい目を伏せた。

 

 

 

 

 

 一分、経過。もう無理かと思う。

 

 途端に持っていたグラスが、宙に浮いた。

 

 

 

「……!」

 

 

 顔を上げる梨花。

 グラスは宙に浮いたのではない。山田が手に取っていた。

 

 

 山田はワインを、仁王立ちのまま一気に飲む。

 喉を何度も何度も鳴らし、液体が減る毎に身体が仰け反って行く。

 

 今度唖然となるのは、梨花の方だ。

 

 

 ワインを飲み干した山田は「プハァーっ!」と言いながら、仰け反らせた身体を戻す。

 

 

 

 

「──ざっけんなーっ!!」

 

「!?」

 

 

 赤ら顔で、焦点の合わない目で梨花を見下ろす。

 足も覚束なくなり、ふらふら。有り様は完全に酒乱だ。

 

 

「こちとら、家に帰る為に頑張っとんじゃーい!!」

 

「あなた誰よ」

 

「それを勝手に、私の為にだのみんなの為にだの……」

 

 

 両手を広げ、宣言する。

 

 

「当たり前だーーっ!!」

 

 

 その言葉を聞き、梨花は信じられないと瞬いた。

 

 

「それ込みで動いてんに決まってんでしょーがっ! 私も、アホ巨根の上田も! んなもん察せずに勝手に試すなーーっ!!」

 

「……!」

 

「だからっ!!」

 

 

 一回ふらついた後、何とか立っていられた山田はビシッと、梨花に指差す。

 そして断言してやった。

 

 

 

 

 

「……大船乗ったつもりで、信じてください……! 私も、信じてやりますから……!!」

 

 

 一言余計につける。

 

 

 

 

 

「……謝礼次第でッ!!」

 

 

 ガクッと、ずっこける梨花。

 結局対価を付けるのかと、失望した。

 

 

 

 だが、絶望はなかった。寧ろ希望が湧いた。

 めちゃくちゃだが、今の彼女の言葉は胸に響く。安心して良いんだと、思えるようにはなった。

 寧ろ山田らしいと、失望より安堵が勝った結果とも言える。

 

 

 

「……謝礼ね」

 

「そうっ!! 謝礼っ!!」

 

「……いいわ」

 

 

 不敵な笑みを浮かべて、山田を見上げた。

 

 

「……古手家には代々伝わる、それはそれはウン十万はくだらないお宝があるの」

 

「え、マジすか」

 

「全て終わらせてくれたら場所を教えてあげる。元の時代に帰っても、その場所にキチンとお宝があるようにしてあげるわ」

 

「マジすか」

 

「……だから」

 

 

 腕を伸ばし、山田の前に翳す。

 掴んでくれと、手の平を見せた。

 

 

 

 

 

「……全部、暴いて。私を、助け」

 

 

 

 

 山田はバターンと、倒れた。

 

 

「──はぇ?」

 

 

 何事かと思えば、酔った彼女は床で大の字になって、グーグー寝息を立てていた。

 

 

「椎名……桔平!」

 

「だから誰よ」

 

 

 謎の人物の名前を叫んだ後、完全沈黙。夢の世界に去って行ってしまった。

 立ち上がり、山田の傍らでしゃがむ。手放されたワイングラスを、受け取った。

 

 

「……ありがとう」

 

「風祭モーターズーっ!!」

 

 

 叫ばれた変な寝言に呆れながら、梨花は窓の方へ目を向ける。

 

 

 

 

 

 空は明るくなっていた。鳥が鳴き始め、気温が増して行く。

 同じ頃、蝉もじわじわと現れた。

 

 

 

 夜は明けた。これで最後だと、決意する。

 

 

「……雛見沢は消させない」

 

 

 遠く空には、薄く消え行く月が見えた。

 清々しい朝の空気を、肺いっぱいに吸い込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 梨花は気付いていない。

 

 眠る山田の左目から、涙が流れている事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢の中、また山田を誘う仮面の男が現れた。

 ふらりふらりと踊り、手で何度も促す。

 

 

 

 

「おいで、おいで、おいで…………」

 

 

 仮面の男は、確かに言った。

 あの時、去り際に、確かに言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待っているよ。『雛見沢』で」

 

 

 山田はうわ言のように呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

「椎名……桔平……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、居間。

 上田はテレビの中に頭を突っ込んで眠っていた。




・チャンネルを変える事を、今でも「チャンネルを回す」と表現するのは、この頃のテレビはチャンネルをダイヤル回して変えていた名残みたいです。

・「ネーポン」とは兵庫県発の飲料で、主に関西で出回っていた天然果汁のジュース。その後メディアで「幻のジュース」と取り上げられ、知名度を全国に拡大させた。
 1963年から、2007年まで発売されていた。製造元は廃業しているが、権利を譲り受けた愛好家が味の再現に成功し、2019年にシロップとして復活している。
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