「あ! け、刑事さん!?」
大石だと認識した山田は声をあげた。
「ひ、酷いですねぇ!? 声かけなかった私も私ですが……」
「おお、驚かさないでくださいよ! 殺されるかと思った……!」
「何をそんな怯えてるんですか……」
上田は拳を引き、恐怖の顔で頭を下げた。
もう大丈夫ですとハンドサインで示した後、彼は持っていた鞄を開く。
「こんな暑い中、お待たせしましたねぇ! 色々と資料をお持ちしましたよぉ!」
鞄の中から取り出した物は、当時の現場を収めた写真や調書、果ては壊れた柵の一部まで。
予想外に充実した内容に、上田は愕然とした様子だ。
「こんなに……!? 所轄署も違うのに、良くこんな数の資料を……!」
「いやいや、本当に運が良かったですよぉ! 本来ならとっくに破棄されていた物らしいんでしてねぇ」
「はい?」
大石は鞄の中から、事件の報告書を取り出し上田に渡す。
受け取った彼は即座に読んだ。
「……『事故』。やはり、事故で処理されていますね」
「当時、展望台には人はいなかったようですねぇ。目撃者もございませんよ」
「なら、もう終わった案件だ。なぜ、これほどまでに資料が残されているんですか?」
「そこなんですがねぇ? 白川署の知人が、こっそり保管しとったんですよぉ!」
大石は一度ニカッと笑った後に、二人の間を抜けて手摺りに凭れた。
遠く下を流れる川を、じっと見つめている。
「その知人曰く、事件性のない事故との断定は恐ろしく早かった。彼はまだ捜査すべきだと主張したが、上層部に却下されたとか」
「………………」
「しかも早々に資料は処分せよとの命令……んふふふふ! これの意味する事は分かりますかね?」
「……圧力を、かけられていたと?」
物憂げな表情を一瞬だけ見せた後、「ええ!」と肯定し笑顔で二人の方へ振り向いた。
「知人はずっと、事故に見せかけた他殺なのでは? と、考えていたようです。それで上の決定に納得いかず、命令に背いてまで資料を隠していた訳ですよ」
「仮に他殺とすれば……一体、誰が?」
「さぁ? 誰なんでしょうねぇ? んふふふ!」
何やら楽しんでいるかのような、大石の挙動。
金臭さを感じながらも山田は、資料に含まれている写真を取り出した。
事故当時の、展望台の様子を写したもの。
正常な柵と、根本から折れた柵とが撮られている。
「柵の高さは……大体、一一◯◯ミリメートルほどか。成人の墜落を防止するのに、十分な高さだ。格子の隙間は九十ミリメートル、乳児の身体も通らない。足をかける部分もないし、意図してやらなければ乗り越えは出来ないか……安全面に於いては問題はないが……」
「さすがは学者先生ですねぇ! 検分資料の数値とほぼドンピシャですよぉ!」
「いやぁ……それほどの者です」
謙遜しない上田を嫌味に思いながらも、山田は写真を良く見る。
この時代の写真だ。明度や彩度は、現代の物とは劣る。
とは言えフラッシュも焚かれており、鮮明さはあった。現場を把握する点では問題ない。
「……この壊れた柵」
山田は、沙都子の両親が転落したであろう現場の写真に注目。
「根本の方、残ってるんですね」
彼女の言う通り、折れた柵の根本が残っていた。
「そりゃあ、そうだろ。地面に埋め込まれているからな。根本までは出て来ないだろ」
「でもこれ見た感じ……柵と柵の節目の所が扉みたいに開いた感じじゃないですか」
写真から把握するに、根本の部分が折れた事で人間の体重だけで柵が動き、出来た隙間から落ちたと言う風だろう。
ここがまず、山田が気になった部分だ。
「壊れた柵自体は、下に落ちてはいないんですか?」
彼女の指摘には、大石も感心したように頷いた。
「えぇ。山田さんの仰る通りですよ。どう言う訳か根本が折れて、しかももう一方の根本も半分破損。まるで紐みたいにプツッと、柵と柵の間が開いて落っこちたと! だから細かい破片以外は、柵は落ちとらんのですよぉ!」
「じゃあ、こう言う事じゃないですか?」
山田はある、一つの推理を立てる。
しゃがみ込み、今ある柵の根本を指差して説明した。
「根の部分を、切っておくんです。それこそ、あともう少しで切れるほどにまで……」
「切る?」
「溶接用のバーナーか何かを使えば、溶かして切れるハズです。同じ要領でもう片方の根本を、半分切る」
立ち上がり、柵と柵の節の前に立つ。
「後はご両親をここに誘導し、後ろから強く突き飛ばすんです。脆くなった根本は衝撃で切れて、半分切れた方も衝撃で捻れる……その結果、柵が開くようにして破損し、谷底へと落ちるんです」
「んー? 落とすのが目的なら、背後から足を抱えるようにして落とした方が手間がなくて済むんじゃないですか?」
「わざわざ柵を残したのは、事故と断定させる為。だって柵を跨いで落ちたのなら、明らかに他殺、或いは自殺で断定されているハズですよ。自殺に見せかけようにも、遺書だとかの偽造工作が必要になるし、なら『明らかに事故』って現場を作る方が楽かと」
「んなっはっはっは! これは驚いた! なかなかキレる方のようですねぇ!」
大石は山田の切れ者具合を、愉快そうに思っているようだ。
だが上田は彼女の推理に、反論を入れる。
「しかしバーナーで焼き切ると言ったって、時間がかかる。事前に実行するにせよ、客や従業員の目を気にしなきゃならない。それに溶接なんてのをやれば……」
上田の言葉を、大石が続けた。
「──痕跡が残る。残念ながら山田さん、柵には焼き切った痕跡は無かったんですよぉ」
「え!? そうなんですか!?」
大石は鞄から、柵の一部を取り出す。
どうやらその、問題の根本を回収した物らしい。
彼の言う通りボロボロとなってはいるが、切られたとか溶けただとかの、人の手が加えられた痕跡は見受けられなかった。
錆びた鉄が、経年劣化でポキリと折れた、と言う風だ。
「この通りなんです。ほら、まるで虫食いのように崩れてますよねぇ? どうやっても、溶けたようには見えないのです」
「そんな……」
「しかし山田さんの推理、何もかも外した訳ではなさそうですなぁ?」
「へ?」
「奇妙な事に、ボロボロになっていたのは、『この破損した柵のみ』だったんですよ!」
つまり沙都子の両親は、ピンポイントで根本が経年劣化した柵に寄りかかり、落ちたと。だが、そんな偶然がある訳はない。
「知人も山田さんと同じく、誰かが何らかの手を加えて破損させたと、睨んでいたんですよ。だから資料を残した」
「しかし、圧力と思わしき雰囲気で、捜査は終了……んん? どう言う事なんだ!?」
意味が分からず、唸る上田。
山田は「圧力と思わしき雰囲気」と言う彼の言葉を聞き、自分なりに噛み砕く。
「圧力をかけたと言う事は、かなりお金持ちじゃないと────!!」
そう言った途端に、彼女は後悔した。
アッと思った頃には、つい一つの名前が脳裏を過ぎる。
しかし大石は無慈悲にも、その名を口にした。
「……んっふっふっふ! そう。『園崎家』なら、可能ですねぇ?」
意図を把握し、上田も愕然とした表情で大石を見た。
いつも見せつけている、貼り付けたようなニヤニヤ笑いを浮かべたまま彼は話し出した。
「山田さんの言う通り、本当は根本と溶接したのかもしれません……それを、知人が預かり知れない内に、別の物と入れ替えられたとすれば?」
「そ、園崎さんとはまだ、断定は出来ませんよ!」
「園崎家は鹿骨市のみならず、この県議にも影響力がある。白川署へ口添えする事など、容易いのですよぉ?」
「待ってください……!」
園崎家ではないと言う反論を入れた者は、上田の方からだった。
彼は毅然とした態度で、大石に面と向かって言い放つ。
「確かに北条家は、ダム賛成派だった。反対派の園崎家にとっては、反乱分子。排除する目的があった事は分かります……しかし! 園崎家は北条家に対し、村八分を敷く事で手を打った! ここで殺したりなどすれば、寧ろ疑われるのは自分たちだと、あの人たちが理解していない訳はありません!」
あくまで魅音の口から聞いた内容については、隠しておく方針らしい。
だが大石は、それに気付いているのか否か、矢継ぎ早に反論。
「いえいえいえ! オヤシロ様の祟りと宣えば、北条家以外に賛成を表明しようとなど思わないハズ。園崎家の動機は反乱分子の排除と共に、村に賛成派が現れない空気を作る事ではないでしょうか?」
「だから……二年目、三年目も、同じ時期に起こしたと?」
「言うのが酷ですがねぇ……皆が皆、迷信や陰謀論を『違う』と思えるほど、広い視野を持っちゃいない。特に子どもの時から、オヤシロ様と園崎家の恐ろしさを染み込まされた、村人たちなら特に」
「しかし……園崎家なら、もっと上手くやるのでは……!?」
大石はニヤリと笑った。
「上手くやらないから、皆が怯えているんですよぉ?」
彼の言葉を最後に、上田はとうとう沈黙してしまった。
これにはやはり上田自身も、園崎の関与を否定し切れない思いがあるからだ。押し黙ってしまった。
大石は持っていたタオルで汗を拭う。長い舌戦で、彼自身も消耗していたようだ。
それから次に、もう一枚の資料を取り出して、山田に渡す。
「……これは、なんです?」
「事件当時に行った、事情聴取の調書ですよ」
「事情聴取の……? 誰のですか?」
大石はまたニヤリと笑う。
だがその目は、鋭利で冷たく、厳しいものだった。
「……私が、『犯人ではと睨んでいる方』、なんですがね?」
その言葉に驚き、山田と上田は食い入るように、調書に記載された名前を探す。
探して、探して、紙の上部にやっと見つけた。
生唾を飲んだのは、夏の暑さで喉が渇いたからではない。
緊張と衝撃、動揺と愕然によるもの。
『北条 沙都子』
その名を見て、真っ先に声をあげた者は上田。
怒りと呆れが半分ずつ内包した感情なのか、苦笑いを浮かべていた。
「ちょっと、刑事さん! 何を言ってるんですか! 沙都子が犯人? ははは……渡す調書を間違えたんじゃないですか?」
「いいえ? そもそも事情聴取を受けた関係者は、ご両親と同行されていた沙都子さんだけなんですから」
「それは我々も知っています。だからと言って、あいつが人を殺すなんて……それも、自分の肉親を! あり得るハズないでしょう!?」
山田はジッと、食い入るように調書を読んでいた。
その間も、大石と上田の議論は続く。
「ここから落ちて亡くなられた沙都子さんのお父さんですが、血の繋がった親ではなかった」
「母親の再婚相手だとは知ってます。血の繋がりがないから殺したと言うんですか?」
「違う違う! 問題は、沙都子さんとそのお父さんの関係が芳しく無かった事ですよ。実はですね、沙都子さんから度々虚偽の虐待報告が署に持ち込まれていましてね」
「なに……!?」
「おお。ご存知なかったのですか! 沙都子さんとお父さんとの関係が劣悪な事は、署では有名な話でしてねぇ……まぁこの通り、沙都子さんには残念ながら、動機があるんですよ」
「動機って……だからって、人を殺す訳が……」
途端に上田は、ハッとして黙ってしまった。
雛見沢症候群の名と、梨花から聞かされた症状の話が浮かんだからだ。
もしかしたならと、可能性を疑ってしまった。
すぐに考えを振り払い、また大石に檄を飛ばす。
「……じゃあ、おかしいじゃないですか! あなたの推理を信じるなら、沙都子が起こした事件を、園崎家が警察に圧力をかけてまで終わらせたんですよね? なぜ北条家を、園崎が庇うんですか!? 矛盾だッ!」
「自ら手を汚したくない園崎家が、沙都子さんを誑かしたとかでしょうかねぇ? 圧力があった事は確かなので、関わりがあったと捉えているんですが」
「ハッ! な、なんだ! 結局、憶測の域じゃないですか! 無理があるんですよ、その推理には!」
あれほど饒舌だった大石が黙る。
さては論破された為に降参したのかと、上田はしてやったり顔を浮かべた。
だが、さっきからのニヤニヤ笑いが変わらない。
何かを待っているかのように、黙っていた。
「……上田さん」
そしてその時が来た。
山田が調書を読んだ後、口を挟んだ。
「……沙都子さんは事件当時、車の中で寝ていたみたいですよ。だから展望台へは、ご両親だけが行った……とあります」
「ほら大石さん! 沙都子には無理なんですよ!」
勝ち誇った上田の確信は、次の山田の言葉で打ち砕かれる事となる。
「でも、『ご両親が崖から落ちた』って、言ってるんです」
彼女の言葉を待っていたと言わんばかりに、大石は口角をにんまりと釣り上げた。
一瞬、山田の言っている事を理解出来ず、上田は「なに?」と聞き返す。
「沙都子さんはずっと車の中にいたって言っていたのに、ご両親が崖から落ちた事を把握していた……これ、おかしくないですか?」
「ち……駐車場から、見えたとか?」
展望台を見渡した後に、上田は絶望する事となる。
どうやっても、駐車場からこの場所は伺えない。
それは実際に、ここにいるからこそ分かる事だろう。
「じゃあ、つまり……」
「山田……おい……」
「沙都子さんは……」
「……山田……もう良い……」
「現場にいたって、事で」
「やめろッ!!」
つらつらと推理を述べる彼女に、とうとう上田が怒鳴りつける。
驚いた山田は目を見開き、オオアリクイの威嚇をした。
「う……上田さん?」
「……! すまない……」
謝罪し、気まずそうに目を背ける。
空気が重くなり、二人が声をかけづらくなったところで、大石はやっと喋り始めた。
「……んまぁ、上田先生の仰る通り、私の話は憶測の域ですよぉ」
前置きをした上で「しかし」と、語気を強めて続きを言う。
「沙都子さんが嘘を吐いていた事、捜査に圧力があった事。その二点の事実を、見過ごす訳にはいかないんです」
そう話す彼の表情は冷たく、目ばかりが燃えるような執念で鈍く輝いていた。
こうなってはもう、どうにも反論が出来なくなった上田。調書を渡された時点で、それが大石にとっての強い確信ではないかと思えなかった自分を恥じる。
なぜ沙都子は嘘を。なぜ両親を。なぜ、なぜと、疑問ばかりが頭を埋め尽くす。
沈黙してしまった上田。しかし勝ち誇った様子の大石へ、山田だけは話しかけた。
「大石さん」
「ん? どうしました?」
「誰か殺されたりしました?」
文脈を完全に無視した、あまりにも唐突な彼女の質問。
途端に今度は彼が目を見開き、固まった。
調書から大石へと顔を上げた彼女の目は、訝しむように鋭い。
「……山田?」
「……窓から鑓に、一体何を言い出すんですか、山田さん」
「被るんですよ、あなた」
「どなたに?」
「……詩音さんに」
不意に、初めて詩音と会った時の事を思いました。
眩い夏の陽光が照る、穏やかな教室内でコインマジックを教えてあげた。
詩音は言った。「山田さんとは波長が合う」と。
「詩音さん……あー! 園崎姉妹の片割れですねぇ? 私が詩音さんにですか?」
「詩音さんは今でも、悟史さんを探しています」
「確かに私も犯人探しはしていますがねぇ? 仕事なものですから」
「管轄外の、それも終わった事件まで追うなんて、明らかに普通じゃないですよ」
「………………」
次に、園崎邸での夜に出会った茜の話が想起される。
夜風が涼しい静かな縁側で、山田に突き付けられた彼女の言葉。
茜は言った。「ずっと誰かを探し続けて、手当たり次第に疑っている」と。
そこがまた、詩音と似ていると。
山田にはどうしても、茜のこの言葉こそ大石の全てではないかと、思い始めていた。
「……詩音さんと同じ、強い執念があなたにはあります。それはどこから来ているんですか?」
詩音だけではない、自分もそうだ。
今でも父の面影と、真相を追っている。
大石の執念の正体は、薄々気付いてはいた。
「………………」
じっと彼女の顔を見つめ、黙る。
ロマンスグレーの髪が揺れる度に、噤んだ口が歪む。
追い詰めるような山田と上田の目線を受け、まずは息を大きく吐いた。
「……山田さん。あなたこそ、何者なんですか?」
「売れっ子マジシャンです」
「嘘を吐くな」
上田からツッコミが入る。
しかし表情は真剣だ。大石は暫し考え込んだ後、厳しい表情のまま二、三度頷いた。
「……一つ聞きますよ」
「……はい」
「今年の鬼隠しについて、あなたぁ〜……何か、知ってるんじゃないですか?」
毅然とした態度で、山田は彼の質問を突き返す。
「まずはそっちが教えてくださいよ」
「こうして、資料を持って来て差し上げたではないですかぁ」
「いやこんなのなくても、別に参考になりませんでしたし?」
「駄々っ子か!」
煩わしそうに頭を掻き、次には諦めたように目を閉じて天を仰ぐ。
「……分かりました。丁度ここから近いので、そこに向かいましょうか」
「向かうって……どこにです?」
上田の質問には、口元だけの笑みで返す。
山田が持っていた調書を取ると鞄に戻し、二人の間を通って展望台を後にしようとする。
「ちょっと、刑事さん!」
「付いて来てください、お二人方」
「だからどこに……」
「あぁ、あぁ! それと一つ!」
人差し指をピンと上げるわざとらしい仕草の後、彼は一度踵を返す。
「あなた方は鬼隠しを、興味以外の感情で探っている……まぁそれは今朝会った時に気付いてはいましたが、先ほどの上田先生の様子で確信しましたよ。あなた方は子どもたちへの情で、動いていると!」
気まずそうに顔を逸らす上田。
大石は続ける。
「そして山田さん!」
「……!」
「あなたはとても強い正義感をお持ちのようですねぇ。事実と、情を、切り離せる方だ。先ほどのように、合理的に事実を求めるその姿勢には正直、感服しましたよ!」
それは上田と違い、沙都子の証言による違和感を淡々と述べた事を、確認した上での評価だろう。
だがいざ突き付けられれば、ずきりと心が痛む。
「あなたなら、どんな残酷な事実さえも暴ける。私はそこに、賭けたいと思っとるんですよ」
またくるりと振り返ると、「駐車場で待っています!」とだけ言い残し、階段を一人降って行った。
膨よかな彼の大きな背は、なぜか小さく、疲れ果てているように幻視してしまう。
次第に見えなくなり、頭頂部が消えた頃になってやっと二人は同時に息を吐く。
緊張で呼吸が止まっていたようだ。
「なんだあのじーさん!? 昭和の刑事ってこうも、ネチネチなのか!?」
「伊黒小芭内もビックリなネチネチ具合……! 完全に私たちを試す気で連れて来られましたよアレ……!」
「あぁ……! 小芭内伊黒もビックリだ……!
「はい……ん? ん? え? 伊黒と小芭内どっちが名前でしたっけ?」
「乗せたつもりが、実は乗せられていたって訳か……次郎上田、屈辱ッ!!」
「逆になってる!」
悔しがり、地団駄踏む上田。
一頻り動いてから、怒気を滲ませた口調で歩き出した。
「次は絶対に、クールに対処してやるッ! 東京科技大のもうすぐ名誉教授は、狼狽えないッ!!」
「上田さん! あの!」
大石に続いて階段を降りようとするが、山田に呼び止められる。
振り返った先にいる彼女の姿は、とてもバツの悪そうな様子だった。
「その……さっきは、すいませんでした。上田さんの事を考えずに、グダグダと……」
「………………」
「……沙都子さんが、そんな事する訳ないですよね」
「………………」
返す言葉を見失い、上田は閉口して目を泳がせるだけ。
とうとう何も言わず、彼女を置いて先に行ってしまった。
この日もやはり、綺麗な夏空だ。
山の向こうには雄々しく堂々と立つ、絹のように美しく白い、白い、入道雲。
だがその内と真下は、荒れた雷雨なんだと。
「いたっ!」
鋭い頭痛が襲って来た。
同時にまた、思い出したくなかった記憶が蘇る。
「あなたの求めている真実が──必ずしも白く、正しいとは限らない」
記憶の中の女は、机に置いていたグラスを取る。
淹れられていた牛乳を一気に飲み干し、空になったそれを元の場所に置いた。
「ごちそうさま」
勝ち誇った顔とその一言が、焼き付いている。
「う……っ」
ハッと我に返ると、そこは変わらず展望台の中。
「…………また、思い出した……?」
喪失した記憶をまた一つ、取り戻した。
しかし気分の良い記憶ではない。思い出せて嬉しいものでもない。
まるで、今の大石に突き付けられた話に対する啓示のように、その記憶は帰って来た。
嫌な予感と気分が、胸中に満ちる。
垂れた汗を拭う。暑さによる汗と、冷や汗が混じっているように思えた。
それからやっと、山田は歩き出せた。
駐車場に戻る。
下で待っていると言っていた矢部と石原は、なぜかいなかった。
キョロキョロと山田は見渡してみるも、人影なし。
「あれ? 矢部さんたちいないですよ?」
「私が来た頃にはいませんでしたな……まぁまぁ、私の車で行きましょう」
「じゃあ何か、矢部さんたちに書き置きでもしておきましょう」
上田はそう言って自身の手帳を一枚破り、何かを書く。
書き置きを残したところで、山田と上田は大石のパトカーに乗り、白川公園を後にする。
途中見た丸太の看板を、また上田は眺めた。
『エロいな このすば このすばエロナ』
「変わってる……!?」
看板を通り過ぎれば、もう公園の外。
山田は彼にこっそり聞く。
「と言うかあの、上田さん」
「なんだ?」
「……なんであんな、書き置き残したんですか?」
「フッ。むしゃくしゃしてやった」
その頃、矢部と石原は駐車場に戻っていた。
異様に頭髪を撫で付けながら、一安心と言った様子。
「あぶなぁ〜! アナザーだったら死んでたでぇ」
「アナザーじゃなくて良かったのぉ!」
「ちゅーか、オォ? 先生まだ戻っとらんやんけ?」
一頻り辺りを眺めた後、乗って来たパトカーのワイパーにメモ紙が挟まっている事に気付く。
「なんやコレ? 何か書いてあんな?」
パッと手に取り、書かれている内容を読む。
『ズレろズレろズレろズレろ
ズレろズレろズレろズレろ
ズレろズレろズレろズレろ
ズレろズレろレズれろれろ
ズレろズレろズレろズレろ』
「キャァーーーーーーーーーーッ!!!!!!」
「アナザーだったーーッ!!」
矢部の甲高い悲鳴が、公園の隅々まで響く。
車で走り、二十分ほどの場所。
辿り着いたその場所を見て上田は、まずは驚きの声をあげた。
「ここは……」
興宮に戻ったかと思えば、車は町外れの墓所に停まった。
山の中腹にある、蝉の声を抜けば街の喧騒も届かない土地だ。
「……来ると分かってりゃ、花でも買うべきでしたけどねぇ」
「刑事さん……あなた……」
「ほらほら。付いて来てください」
案内されるがままに、二人は墓所に足を踏み入れる。
門を潜り、立ち並ぶ墓石を間を進み、奥の方へと歩く。
時折、参拝者とすれ違う。桶に水を汲みに行く人も。
厳かで、穏やかな、墓所特有の空気が流れている。
「付きましたよ」
彼が立つは、一つの墓の前。
まず手を合わせて跪き、大石はその墓に眠る人物へ謝罪をする。
「……おやっさん。折角の天気ですけど、今日はちと、冷やかしに来ました。またちゃんとしてから来直しますんで、堪忍してください」
「大石さん……その、お墓の方は……?」
山田が質問をすると、大石はのっそりと立ち上がり、背を向けたまま答えた。
「……山田さんが仰った、『殺された誰か』ですよ」
空を見上げ、意思を固めたように頷いてから、その人物について語り出した。
「この人は私の友人であり、人生の先輩でもあり、兄貴のようで親父のような人でした。そりゃもう、戦後すぐからの古い付き合いでしたよ」
「……刑事、だったんですか?」
「いいや、大工でした」
やっと彼は、山田らへ向き直った。
「……市内の人通りのない路地裏で、割れた瓶何度も突き刺されて……ズタズタにされていました」
あまりにも凄惨な光景を想像し、山田と上田は息を呑む。
「犯人は見つからず、迷宮入り。おかしい事件でしたよ……あれだけの殺し方なら返り血も尋常ではないハズ……深夜とは言え目撃者がいても良いのに、一向に情報がない。指紋も採ったのに、該当者はなし。下足痕も途中で消失。犯人は煙のように現れ、煙みたいに消えたんですよ」
「………………」
「私はこの事件の犯人が、鬼隠しの犯人かもしくは近しい者かと考えているんです」
「鬼隠しの事件で、そんな事件は聞かなかったんですが……」
上田の尤もな質問に、大石はゆったりとした口調で答える。
「そりゃあ、北条夫婦の転落事故の前年で、それも秋に起きた事件でしたからねぇ。死者はいるが、行方不明者はいないもんですから、鬼隠しの一つにされとらんのですよ」
「なのに、どうして…………犯人が分からず、殺され方が残忍だったから?」
「それもありますがねぇ。実はこの人……」
一際大きな風が吹く。
どこかの墓で焚いている線香の香りが、鼻を撫でた。
まるで警告するかのような、風。
「現場監督だったんですよ。ダムの」
暑さを無視するような寒気が、腹の底が脳まで迫り上がる。
山田と上田は一斉に、鳥肌を立てた。
「ダム戦争が特に激化した時期。現場監督だった彼は、村の住人たちと何度も衝突しとりました。勿論、園崎家とも」
「そんな……!!」
「彼が死んだ翌年から、ダム建設に対し肯定的だった北条家と古手家の人間が殺される、鬼隠しが毎年発生。紐付ける条件には、十分でしょう?」
「だからあなたは、鬼隠しを……?」
「おやっさんの事件は今も解決していないどころか……進展が完全に止まった状況。関連性が疑われる、この連続怪死事件を追うしか、もう証拠は得られない」
「………………」
「時期と条件が違うとは言え、鬼隠しが起こる前年にダム建設の関係者が殺されるったぁ、偶然ではない。そう考え、捜査を続けてました」
大石は握り拳を作り、ぎりぎりと力を込める。
その目と口元は、憎悪に歪められていた。
「鬼隠しの黒幕は、間違いなくおやっさんを殺した犯人だ……そしてその黒幕は警察にも干渉可能な、強い組織力のある人物」
「……だから、園崎家しかいないと」
山田がそう続けると、大石は自身を落ち着かせるように深呼吸をした。
拳を緩め、弱々しい笑みを二人に見せる。
「これが、私の執念の元ですよ。山田さん」
「………………」
「お約束ですよ。さぁ、持っている情報を教えてください」
山田は一度逡巡した後に、梨花から得た情報を言う。
上田も仕方がないと踏んだようで、止めるような事はしなかった。
何よりも、ここまで事情を晒してくれた彼の覚悟を、無碍には出来なかった。
「……鷹野さんと、富竹さんが、今年の鬼隠しの犠牲者になるかもしれません」
「なに? その情報筋は一体……」
梨花の予言だと言っても仕方がないので、何とか説得力のある理由を述べる。
「ええと……あの二人、結構村の暗黒史みたいのに調べてるっぽいので……もしかしたら目障りに思われている……かも?」
釈然としない様子で、やや不満そうに首を傾げる大石だが、それでも最後に首は縦に振ってくれた。
「……まぁ、良いでしょう。少し期待した情報とは違いましたが……それくらいでしたら」
これで二人はもう大丈夫だろうと、山田と上田は胸を撫で下ろした。
チラリと腕時計を見る。随分長い時間を過ごしてしまった。
「もうこんな時間か……そろそろ、雛見沢村に戻りましょう」
「えぇ、そうですなぁ……あぁ、そうそう!」
もう一度大石は山田の方を向く。
「今の話はまぁ、ちょっと拍子抜けしちゃいましたが、山田さんの頭のキレは正直、期待していますよ!」
これほど褒められても嬉しくない事だってあるのかと、山田は痛感する。そろほどまでにこの大石と言う男は、油断出来ないからだ。
上田は先にパトカーの方を行き、大石はまた墓の方へ向き、手を合わせて頭を下げた。
お参りが終わった途端、ぽつりと呟く。
「……今日はまだ来てはいませんか……」
「来て……? 誰がです?」
大石は墓石の両端にある花立てを示し、山田に訳を話した。
「毎年二回、墓参りには来るんですがね。命日と……鬼隠しの犯人を挙げる意思表示の為に、綿流しの日と」
「はあ……?」
「その、綿流しの日に来た時にいつも飾られているんです。毎年毎年……」
花立ての上を手で撫でながら、少し寂しそうな顔で微笑んだ。
「見事な、青い紫陽花ですよ。おやっさんのご家族は亡くなっていますから、一体誰なのか……」
それだけ言い残した後、大石はやっと墓から背を向ける。
山田は静かに、花立てと墓石を、見つめていた。