7月を神妙に待ちましょう
「俺はやったぁぁーーッ!! ロアナプラから帰って来たぞぉーーッ!! 双子を救ったぜぇーーッ!! イピカイエーーッ!!」
スキンヘッドのおじさんが全速力で田んぼを走り去って行く。
その後ろ姿を眺めていたのは、圭一だった。
「……誰? 双子? 魅音と詩音か?」
疑問に思いながらも、彼は山の中へと急ぎ足で入って行く。
上田と山田が滞在している家の前に、息を切らしながら到着。
レナはおろか、上田も梨花も消えてしまった。
そうした事と、やって来た刑事の要請を受け、学校は午前までと言う運びとなる。
下校し、自宅待機を命じられた生徒たち。
しかしジッとしているなんて、圭一の性格上不可能だ。
「ぜぇ……ぜぇ……や、山田さん、沙都子と一緒にどこ行ったんだよ……」
最初は二人に会いに神社に行ったものの、留守。
こっちの方に帰ったのだろうかと思い、走って来たようだ。
「……鍵かかってる」
しかしここにもいない。
圭一は疲れと焦りから「あーっ!!」と叫び、頭をガシガシと掻く。
走って来た上に夏の暑さもあいまって、汗でビショビショだ。
「山田さん、どこだぁ? 俺を置いて探すとか、そりゃないぜ〜っ!」
ここで黄昏ていても仕方がない。
すぐに圭一は別の場所を探しに行こうと、振り返った。
次の瞬間、背後に立っていた人物に肩を掴まれ、制止させられる。
「ッ!?」
その人物の顔を確認し、驚き声にも似た声色で名前を呼ぶ。
「まさか圭ちゃんも来てるなんてね」
魅音だ。
彼女も走って来たのか、ひたいから汗を流している。
圭一と同じく、学校が終わったと同時に向かって来たようで、学校鞄も持ったまま。
「魅音!? お前、なんで!?」
「それは私にも言えた事だけど……山田さんに用があるの?」
「……なんだ、お前もそうなのか」
「ははは……変なところで考えが合うもんだね」
圭一は入り口の、鍵のかかった戸を引いて留守だと言う事を示す。
「ここにはいないみたいだな。沙都子も学校に来なかったし、どこか二人で動いているハズだけど……」
「折角時間も出来たんだし、一緒に探さない?」
「それはいいんだけどよ……魅音はなんでマイマスターを」
「ま、マイマスター?」
「間違えた。なんで山田さんを探してんだ?」
「どう言う間違いなの……?」
魅音は少しだけ気まずそうに笑う。
「昨日からモヤモヤしててね。レナの事とか、上田先生に梨花ちゃんの事。それに警察や、ウチの組の人を動員しているのに全く見つけられないなんて、どうにも何かの思惑がある気がするんだ」
「何かの思惑か……」
「そう。もうおじさんはお手上げだからさ、頭の切れる山田さんに意見を聞こっかなって」
先の三億円事件以降、魅音は山田の持つ推理力と直感に一目置いていた。
それは圭一にも奪還作戦の時に言えた事で、こうやって彼女の下宿先を訪ねている。
この短い間に、上田と山田が村に与えた影響は大きいものだった。
「……なぁ」
ふと、圭一が魅音に話しかける。
彼にはずっと抱えていた、ある考えがあった。
「どしたの圭ちゃん?」
「……俺、思うんだけどさ」
「ん?」
「もしかしたら、レナ──」
圭一が話し出したその瞬間、家の中からけたたましい音が響いた。
ベルの音。屋内にある黒電話が鳴っている。
「……電話か?」
「みたいだね。こんな時に山田さんたちに用がある人って誰だろう?」
「警察の人とか?」
「かもしれない……」
電話はずっと、鳴り続けていた。
「……出た方がいいかな」
「は? でも、誰もいないし鍵かかってんぜ?」
魅音は取り出した鍵で堂々と、戸を開いてしまった。
「ええ!?」
「この家はウチの所有物。合鍵があって然るべきじゃあん?」
「で、でも良いのかよ!? なんか、悪くない?」
「盗みはしないしセーフ」
「顔面セーフみたいに言うな!」
屋内は旅行者への貸し出し宿と言う訳もあり、必要最低限の家電以外は何もない。
他は二人の荷物と、部屋干しされている厚手の上着。
それを見て圭一は、つい呟く。
「……そう言えば山田さん、初めて会った時……やたら冬着だったな。なんでだろ?」
「実は札幌と雛見沢を間違えていたとか?」
「いかりや長介を高木ブーと間違えるレベルだぞ」
部屋の隅に、依然として鳴り続ける黒電話。
二人は一度、顔を見合わせた。
どっちが取ろうか目で語り、魅音が受話器を取る。
「…………もすもす?」
「!?」
警察か、それとも間違い電話か。
半ば軽い気持ちだった魅音だが、受話器から飛び出した声に絶句する事となる。
『その声……魅ぃちゃん?』
レナだ。
間違いなく、レナの声だったからだ。
「…………ッ!?」
「……魅音? どうした? 誰だ?」
「け、け、圭ちゃん! レナ、レナ……!!」
「はっ!? レナ!?」
魅音が言った「圭ちゃん」の言葉は、レナの耳にも届いた。
『圭一くんもいるの? あはは、ちょうど良かった。手間が省けたし』
「れ、レナ……なん、だよね? 声が似ている別人とかじゃ、ないよね……!?」
『うん。レナだよ、魅ぃちゃん……でもおかしいな。山田さんの所にかけたハズなのに……そこ、山田さんのいる家だよね?』
「ええと……」
『……まぁ、圭一くんもいるし、良っか』
受話器からの声を拾えるよう、圭一も耳を寄せる。
魅音は電話口とは言え、やっと会えたレナに対し急いで居場所を聞く。
「と言うかレナ!! 今、どこにいるの!? みんな心配しているから、早く戻って来てよ! 梨花ちゃんと上田先生もいなくなっちゃったし……!」
『ごめんね、魅ぃちゃん。後で待ち合わせるから、まずレナの話を聞いてもらえるかな?』
レナの様子がおかしい事は、二人ともすぐに察せた。
声色に一切の感情がない。彼女の声だが、彼女の物ではないようだ。
どうしようかと焦燥する圭一に対し、とりあえず話を聞いてみると魅音は頷いてみせた。
「……分かった」
『ありがとう。今から言う事は、レナが決めた人以外には言っちゃ駄目だよ。約束してくれる?』
「う、うん……」
レナの言葉を聞き漏らさないよう、息を殺すように黙り込む二人。
三秒ほどの間を置いて、レナは話し始めた。
『話して良いのは、部活のメンバーと山田さんだけ。私の決めた人たちで、私の決めた事を守って、私の決めた場所に来て欲しいの』
「え?……どうして? やっぱ、普通に会えない?」
『普通に会えないからこう言ってるんだよ。だから言う事を聞いてね』
突然の命令に、尚のこと困惑する。
まるで彼女の話し口は、身代金を要求する誘拐犯のそれだ。
耐え切れず、圭一は魅音から電話を取り、話しかけた。
「おいレナ!! なんだよその言い方ッ!!」
「あ、ちょっと、圭ちゃん……!」
「俺たちはずっとレナを心配して、探してたんだぞ! やっと声が聞けたと思ったら、決めた人だけに話せだの、決めた所に来いだの……今度は誘拐犯ごっこか!?」
電話の向こうのレナは黙っている。
圭一の言葉が済むまで待っているかのようだ。
「……なぁ。何があったんだ? もしかして、誰かに脅されてんのか……? 梨花ちゃんと上田先生も消えちまったし……何か、知ってんのか?」
彼の質問に、レナはあっさり答えた。
『二人なら大丈夫だよ、圭一くん。だってレナが捕まえちゃったからね』
「は?」
『そう言う事。言う通りに聞かなかったら、縛ったまま頭を開いちゃうかも』
「……は……!?」
言っている内容を脳が処理出来ない。
それほどまでに彼女の話は性急で、辻褄さえ存在しないほどに唐突なものだった。
彼女は言い切った。
上田と梨花は彼女が捕らえて、人質にしていると。
「……おい……何言ってんだよ……?」
「なに……圭ちゃん!? レナは何て話してるの!?」
やっと絞り出した声は、懇願するような情けのないものだ。
嘘だと信じたい圭一へ、レナは言葉を付け加えた。
『……圭一くん。これから言う話はさぁ……魅ぃちゃんに聞かれたら都合の悪い事だからね。気をつけてね』
「意味が分からな────」
『なんだかんだ変われたとか幸せとか言ってたけど、人の幸せ奪った事には変わりなくないかな?』
とうとう、圭一の口が止まった。
説得しようとしたまま、開いたままになった。
『東京でモデルガン子どもに撃って怪我させて』
唾液が蒸発し、澱んだ空気の中へ発散して行く感覚が生々しい。
舌の先から喉の奥までの渇きが、声を奪う。
『幸せを奪って奪って、ちょっと反省したら逃げて』
けたたましい蝉時雨も、魅音の案じる声も聞こえない。
鼓膜に直接電話線を繋がれたかのように、レナの声しか聞こえない。
『村のみんなには黙ってて、いざ自分より酷い人を見つけたら、説得材料にやっと白状』
「ねぇッ!? 圭ちゃんッ!?」
「し、静かにしてくれ……」
「レナはなんて──」
「うるさいッ!!!!」
「ッ!?」
やっと聞こえた魅音の声を、制してしまった。
「…………あ」
呆然とする魅音を目の当たりにし、圭一は自分の行動にハッと怯える。
『……あはは。間違えちゃったね、圭一くん』
全てを読んでいたかのような、レナの超然とした声が脳を撫でる。
『あの時、圭一くんが言っていた事だよ。「人は間違える」。思い出した?』
そんなつもりで言ったんじゃない。
言いたい陳腐な反論さえも、ショックからか飲み込んでしまった。
『で、もう一つ励ましてくれたよね。「自分の幸せに気付け」って』
電話の向こうから、クスクスと笑い声が流れて来た。
『……もうレナを縛る物はないよ。レナはもう、どうしようもないほど間違えちゃったから……せめて、幸せを掴むんだ』
とどめの一言を突き刺した。
『……圭一くん、みたいに。レナと圭一くんは、似た者同士なんだよ……だよ?』
「……ッッ」
『だからさ。乗り越えて行こうよ。過去なんて』
もうこれ以上、聞きたくはなかった。
無意識の拒否反応が、受話器を落とす事となって現れる。
茫然自失の圭一から離れたそれを、魅音は慌てて拾う。
「れ……レナ……?」
『……じゃあ、魅ぃちゃん。今から言う事、ちょっと長いからメモしててね』
「圭ちゃんに、何て言ったの……?」
『それは……えへへ。二人だけの秘密っ。じゃあ、話すよ』
即座に魅音は、持参していた自身の学校鞄からノートと鉛筆を取り出す。
内容に何度か疑いを抱いたものの、口達者な圭一が取り乱す様子を見て説得は不可と判断し、聞き取る事に専念した。
『……分かった?』
「……うん。全部、書いたよ」
レナの命令は、二分後に全て伝え終えられた。
通話も終わるかと思われた寸前に、レナは「そうだ!」と思い出したように付け加えた。
『上田先生から山田さんに言伝を頼まれていたっけ』
「え? や、山田さんに?」
『ちゃんと伝えてあげてね。ええと────』
聞き取り、ノートに書き出しながら圭一を見やる。
視線を床に落とし、何かを悶々と考え込んでいる様子だ。
後悔、自責、絶望……ごちゃ混ぜにされたそれらの感情を、表情に厳しく出している。
「…………俺の、せいかよ…………ッ!!」
ただただ、項垂れるだけ。
『入江診療所』
『本日、午後より診察を開始します』
『メイドさんに虐げられたい』
入江診療所に辿り着いた、山田と沙都子。
丁度、診察の準備に追われていた入江に、会う事が出来た。
「監督ー!」
「ん? あれ、沙都子ちゃん……え? 金田一?」
「八つ橋村ですわ!」
「八つ墓ですよ」
「六つ墓村じゃなかったっけ……?」
そう呟いた山田の方を、入江は訝しげに見ている。相変わらず肩に乗せた鬼壱が、異様な存在感を放っていた。
「沙都子ちゃん、えーっと……あの、そちらの方は……?」
そう言えば山田と入江は、初対面だ。ただ山田の方は、上田から色々と話を聞いていたので、相手が何者なのかはすぐに合点が行った。
「ど、どうも……山田奈緒子です。あの、上田先生の……」
上田の名を聞き、向こうも気が付いたようだ。
「あ……ああ! 上田教授と鷹野さんから伺っています!」
「あ、そうですか……」
「頑張れば大きくなれますよ」
「なに吹き込まれたてめぇ、おぉ?」
鬼壱を掲げて詰め寄ろうとする山田を宥めるように、沙都子が前に出て事情を説明してくれた。
「監督! 今、とてもマズい状況なんですわ! 上田先生と梨花が行方不明なんです!」
「…………上田教授と、梨花ちゃんが?」
少し頭が冷えた山田が、彼女の後を引き受ける。
「昨晩から見当たらないんです。それでさっき、上田さんの目撃情報があった裏山を調べに行きまして……」
「裏山に……だからそんな、ヨレヨレなんですね」
「えぇ。こんな、ヨレヨレなんです」
山田の服装は、何度も引っかかった落とし穴のせいで土まみれだった。
大元の原因であろう沙都子はこっそり、そっぽを向く。
「……それで、えーと……入江先生にお聞きしたいのは……」
「二人を見たか、ですか?」
「それもですけど……まず、これに見覚えは?」
山田から注射器を見せたれた瞬間、彼は激しく驚いていた。
「ど、どこでそれを!?」
「山の中で見つけたんです、薬品の入った注射器が。この辺に置いていそうは場所と言えば、ここだと思いまして」
「山の中に……く、詳しくお話を!?」
入江に案内され、まずは診療所内の給湯室に通される。まず彼は窓を指差した。
「あそこの窓が開いていたんです。いつもは鍵も閉めているのに、今朝はなぜか……」
「全く使わないんですか?」
「換気扇がありますから、掃除をする時ぐらいです……あー。もしかして鷹野さん、掃除の時に閉め忘れたんですかね……?」
次に通されたのは器具と、薬品が置かれた倉庫だ。開閉部にガラスが埋め込まれている保管棚の中には、瓶詰めの薬が数多並べられている。ラベルを見ただけでは全くどれがどの薬か分からない。
室内に貼られている紙には、「整理・整頓・してくれるメイドさんが欲しい」と書かれていた。
「ええと……麻酔の類はぁ……」
別室から持って来た鍵で保管棚のロックを解錠すると、手元のリストを見ながら麻酔保管棚にある瓶を一つ一つ確認している。
全てを確認し終えた後、彼は困ったように首を振っていた。
「……一つ足りない。確かに……持ち去られています……!」
「やっぱり、監督の診療所に忍び込んだ人がいたのですわね!」
「でも、おかしいですよ……」
扉を閉めると、彼はそこに付いていた小さな鍵穴を指で示した。
「保管棚はこの通り全て、施錠をしています。鍵は別室にあって、それは持ち去られていなかった上に、棚の鍵も開けっ放しではなかった……どう言う事ですかコレは……?」
「……何者かが最初から開けていた、こっそり後で施錠した……?」
山田のその推理には、さすがの入江も否定的だった。
「仮にそうだとしても、誰が何の為に……?」
「……分かりませんけど……給湯室の窓の事もあります。誰か、レナさんに手引きを……」
「……え? レナさん?」
「あ」
うっかりレナの名を言ってしまい、焦る山田。同時に沙都子も鬼壱も焦っている。
「い、いえ!? 違いますっ!」
「でも確かにレナさんって」
「あーーッ!? あそこにメイドさんがっ!?」
「なにっ!?」
山田が指差した先には、メイド服を着せられた人体模型が置かれていた。それに抱き付かせて、何とか入江の注意を逸らす事が出来たようだ。
その後は入江に注射器を返却し、二人とオニ壱はまた捜索に戻ろうと外に出た。
「……それでは、私たちはこれで」
「人の趣味に色々言うのはアレですけど、人体模型にメイド服を着せるのはどうかと思いましてよ?」
「ごめんね沙都子ちゃん。こればかりは譲れないんです」
「筋金入りですわね……」
大真面目な顔でそう言う入江の腕の中には、メイド人体模型が抱かれていた。
「じゃあ、これで…………あ、そうだ」
何か聞きたい事でも出来たのか、山田はもう一度だけ入江に尋ねる。
隣に立っていた沙都子とオニ壱が「どうしたの?」と言いたげに、小首を傾げていた。
「あの、ちょっとお聞きしたいんですけど」
「はい? 僕でよろしければ」
目を細めて、難しい事を考えていそうな様子の山田だ。彼女の脳裏には、矢部の話したレナの二面性についてが、蟠っていた。
「……人間の人格が変貌すると、言うのに……何かこう、理由と言うか、そう言うのがあるんですか?」
「人間の人格が……変貌?」
少し動揺したように目を泳がせてから、入江はすぐに表情を引き締めて、色々と考察を立ててくれた。その表情には高い知性が宿っていた。
「……そうですね。まず、我々が『意識』と名称している現象の殆どは、『脳』によって培われております」
自身の頭部を指差し、解説する。
「記憶、言語、行動、感覚、思考……感情さえも」
「感情、さえも……」
「えぇ。そもそも、我々人間には他の生物が持ち得ない性質を持っております。それは、『抑制』……つまり、我慢する事。これは思考や行動、意欲や注意、感情さえ司る『前頭葉』の発達が起因していると言われております」
なかなか学術的な話になって来たので、山田も沙都子も顰めっ面になっていた。
二人の様子に気付いた入江は、困ったような笑みを浮かべながら説明を変える。
「例えば、『夕食前だから間食は控えよう』とか、『恥ずかしい思いをするからやめておこう』だとかは、実は人間特有の思考なんです」
「え!? そうなのですか!?」
「僕たちは抑制によって行動をコントロールし、生活の為と他者とのコミュニケーションの為にと、上手く利用しているんです」
「ハッ!? それでは、私がお野菜を食べられないのは、生活の為で」
「沙都子ちゃんのはただの好き嫌いだから。いっぱい食べて」
暫くして少し入江は、暗い顔を見せた。
その機微に山田らが気付く前に、何とか表情を繕う。
「……性格が変わると言うのは思うに、『抑制の度合い』です。タガが外れれば人間、何をしでかすか分からない……と、言うのは、山田さんも沙都子ちゃんも経験がおありかと思います」
入江のその話を聞き、山田は染み入る思いに打たれた。沙都子も同じ気持ちだったかもしれない。
「しかし、原因については難しい話でして……感情なのか、脳の異常なのか、一概には判断は出来ません。それに、自分と他者の関係を図ると言われるのは『扁桃体』と呼ばれる耳の奥にある部位でして、そこの異常も考えられます」
「………………」
「或いは神経細胞上の異常……つまり、ニューロンやシナプスの問題もあります……全てが全て前頭葉のせいとも言えないんです」
「………………」
「だから、『人格が変貌する』理由については……総括的に判断する必要がありますね」
「……あの、もう一つ良いですか?」
山田は入江の話を聞き、ついつい思い出してしまった人物について話し出す。
その人物とは、数日前に雛見沢村を引っ掻き回した悪女、ジオ・ウエキ──浮恵の事だ。
浮恵がしていた話を何となく、思い出していた。
「……変な話かもしれません。ある、ドイツ人の女の子が、交通事故に遭いました」
魂の転生の主張に使われた、「ヘレーネ・マルカルド」の話だ。
入江は嫌な顔一つもせず、真剣に聞き入っている。
「その女の子は意識不明の後、何とか回復するんですが、起きた時に振る舞いも言葉遣いも何もかもが変貌していたんです」
「…………ふむ……」
「その子は訛りの強いイタリア語で自分の名前と生まれた場所を答えました。すると本当にその場所に、言った通りの人間が実在していたんです。それも、何十年も前に亡くなっていた人物です」
「………………」
「……この話をした人は、『魂の転生』だと言っていました。でも、入江さんからすれば、どう考えられますか?」
暫く考え込んだ後に、入江は「憶測と僕なりの考えで恐縮ですが」と律儀に前置きして語り出す。
「……恐らくその子は、『前頭葉』を損傷したのでしょう」
入江は自身の額を横になぞりながら、言葉を続けた。
「『フィアネス・ゲイジの症例』は、ご存知ですか?」
「いえ……」
「このゲイジは土木作業員で、真面目で几帳面で人柄も良く、誰からも愛される男でした。しかし岩に爆弾を設置する作業の時に、事故で誤爆させてしまい重傷を負ってしまいました」
「………………」
「その事故と言うのが、爆発で吹っ飛んだ杭が、左の頬から入って右の頭部まで貫通すると言うものでした」
地味に想像出来る痛い内容に、沙都子はゾッとした様子で左頬と右側の額に手を置いていた。
「しかしゲイジの怪我は回復。麻痺もなく、外見に大きな崩れも見受けられなかった。これは抗生物質が無かった当時にとっては、『奇跡の出来事』。人々は彼の回復を喜びました──しかし……」
「しかし…………?」
「……ゲイジの性格が、全くの別人になっていたんですよ」
その言葉を聞いた途端、山田と沙都子は驚きから目を見開いた。
「仕事は雑になって、嘘吐き。更には怒りっぽくなり、それまで慎重な性格だった彼は騙されやすい性格にもなったとか」
入江は一呼吸置いてから、続ける。
「ゲイジの死後、遺体を確認すると、前頭葉が破壊されていた事が分かりました。この症例こそ、前頭葉と人格の関連について述べられた、世界最初の症例なんです。前頭葉の破壊が、ゲイジを変えたんです」
「じゃあつまりですわ!……さっきの山田さんの話に出ていた女の子は……」
「その通りだよ、沙都子ちゃん……性格が変わった原因は恐らく、事故で前頭葉を損傷したのではないのでしょうか」
山田と沙都子は思わず、息を飲み込んだ。
「前頭葉には言語を司る言語野も存在します。ここの破壊によって、呂律が回らなくなったり、最悪の場合全く言葉が話せなくなると言った症状が現れます。その子の場合、失語症よる発音の乱れから、意思疎通が不能になったのかと」
「でも、でもですわ……実際にイタリアに、その子の言った人が生きていたって言う話はなんなのですか?」
沙都子の質問に答えたのは、山田だった。
彼女は納得したような面持ちで話し出す。
「……話題の為のデマカセ」
「え、えぇ!?」
「思えばそうですよ。イタリアの訛りだとか、何だとかって、一家庭が調べ切れるハズがありません。恐らく話を聞き付けたゴシップ誌の記者だとかが、でっち上げたんだと思います」
山田の意見に対し、「科学的な話にするならばそうなりますね」と入江も同意の姿勢を示した。
「…………証拠なんて、幾らでも作れます。それが真実だとすげ替えられる場合だって……ありますよ」
話し終えた彼、入江に対し沙都子は、驚きと尊敬が半々ずつぐらいの視線を投げかけていた。
「……監督って、意外でしたわ……頭の中の事に詳しいのですわね」
「意外って……ははは。まぁ、医者をやるからには当然だよ」
「少し、監督の事を見直しましたわ!」
「そう? なら僕だけのメイドさんになりゅ?」
「は?」
「ごめんなさい」
聡明で若く、ややスケベな医者先生。山田が抱いた入江の印象は、それであった。
だがなぜだか山田は、彼が時折見せた暗い表情に、違和感を抱かずにいられなかった。
脳の話がそんなに嫌だったのだろうか。つい、そう思ってしまう。
「……真実にすげ替えられる……か……」
彼の言葉がその瞬間、妙に気になって仕方なかった。
山田はオニ壱と共に、首を傾げる。
山田と沙都子を探していた魅音と圭一だったが、二人は案外あっさり見つかった。
診療所を後にしていた二人は、呑気に駄菓子屋の前で買った、真っ赤なすもも漬けを吸おうとしていた。
「あー! いたー!」
「沙都子と主さま……!! ここにいたのか……!」
「主さまってどなたですの?」
「あ、私の事です。また呼び名増えたな」
すもも漬けの入ったパックに小さなストローを突き刺し、すももが浸された汁をチューチュー吸い続ける山田と沙都子。
少し話しにくい光景だが、事態は一刻を争う。魅音はすぐに用件を二人に伝えた。
「聞いて、山田さん! さっき」
「ごっふぉッ!? ぐふぉッ!?!?」
「……大丈夫?」
「あ、すみません。すもも漬けの汁でむせただけです。どうぞ続けて」
「さっき山田さんらの」
「ぐぇふごッ!? ぼっふぉおッ!?!? 酸っぱッ!!」
「吸うの下手過ぎない?」
気を取り直して、先ほどあったレナとの電話の内容を伝える。
その間、山田にすもも漬けを吸わせないようにさせた。
「山田さんらの家で、レナからの電話を受け取ったの」
「レナさんからですか!?……え? てか、勝手に入ったんですか!?」
「泥棒してないからセーフ」
「いやそう言う問題じゃないし!」
「レナも様子がおかしいし……何より、上田先生と梨花ちゃんを人質にしていたり……」
なによりもその事実が、かなりのショックを招く。
裏山で山田と沙都子が推測した通りだったが、それが事実だった事とやり口の読めなさに困惑するのは自然の反応だろう。
「………………」
「……?」
それよりも山田が気になったのは、妙に暗く様子がおかしい、圭一の姿だろう。
すもも漬けをまた吸いながら、彼の様子に注意する。
「レナさん……どうしてこんな事を……」
「何もレナの本意って決まった訳じゃないよ。あの……ほら、誰かに脅されている可能性もあるじゃん」
「……きっと、そうですわね。あの優しいレナさんが、梨花を傷付けるなんて事は……」
あくまでレナの本意ではないと考える、沙都子と魅音。
それはいつもの、天真爛漫とした彼女を知っているからこその信頼だった。
「……いや。あれはレナの意思だ。誰にも脅されている訳じゃない」
しかし圭一は二人の憶測を否定する。
驚いた様子で振り向けば、影のかかった彼の表情があった。
「レナがああなった原因は、その……俺にもあるんだ……!」
「圭一さん……!?」
「……レナを止めないと。出来る事なら最悪、俺一人でも行くから」
「ちょっと待って圭ちゃん、落ち着いて」
焦燥感を募らせる圭一を、魅音は厳しい口調で咎めた。
「……レナに何言われたのかは知らないし、圭ちゃんも言いたがらないからこの際聞かないけどさ……一人だけとか、誰々のせいだとかは、こんな状況で言わないで。混乱するだけ。分かってる?」
「でもな魅音……! 早くしねぇと、上田先生も梨花ちゃんも……!!」
圭一の次の言葉を、魅音は自分の宣言で以て封殺する。
「みんなでレナを止める。終わったらまた元通り。だから一人で焦っちゃ駄目」
「……!」
「分かった圭ちゃん?」
そう言ってまた魅音は、ニコリと微笑んでみせた。
こんな時の彼女はとても頼りになる。圭一もそこは信頼している為、これ以上は何も言わなかった。
同時にまた自身の中でも、罪悪感は膨れて行く。
メンバーの方針と結託を魅音が宣言したところで、再びレナの話に戻る。
気が付けば山田は、肩に乗せたオニ壱にすもも漬けの汁を吸わせてあげていた。
「それでレナさんは何と仰っていて……?」
「うん……話は全部、メモって来たから」
魅音は学生鞄からノートを取り出し、書き留めた内容を伝える。