TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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懐疑心

「よぉ。沙都子、梨花」

 

 

 登校し、教室の扉を開けた圭一。

 その先には元気な姿の二人がいて、圭一の呼び声に反応して振り返る。

 

 

「圭一さ……おっと?」

 

「うぷっ」

 

 

 二人に近付き、肩を叩く。

 いきなりの事で、梨花と沙都子はポカンと圭一を見ていた。

 

 

「な、なんですの? 昨日学校に居なかったのは、その……」

 

 

 休んだ事を弁明しようとする沙都子だが、圭一もまた浮恵に捕らえられていた為、その事を知らない。

 何も知らないとは言え圭一としては、辛い過去を背負いながらも気丈に生きる沙都子と梨花に、愛着が湧いていた。

 

 

「なんでもねぇよ! 元気なのが一番ッ! 元気があればなんでも出来るッ!!」

 

「みぃ。こないだKO負けした燃ゆる闘魂みたいな事言ってるのです」

 

「がははははは!」

 

「気持ち悪いのですわ……」

 

 

 

 

 鬼隠しによって肉親を失った梨花と沙都子。

 話を聞いた後、幼いのにここまで頑張って来た二人が愛おしく、そしてやるせなさを感じていた。

 

 自分は二人の支えになれるのだろうか。

 自分を目覚めさせた友達へ、恩返しをしたい。そう思っていた。

 

 

 圭一に続くように、魅音も教室に入って来る。

 

 

「ほらほら、逃げなきゃ二人とも! 圭ちゃんが月に一回の発情期だよ!」

 

「きゃー! ケダモノですわ! 離してくださいましっ!」

 

「心配するフリしてボクの柔肌に触れようって魂胆なのですか!」

 

「そうじゃねぇよ!? おい魅音コラァッ!!

 

 

 勿論、そんな彼の気持ちを魅音は知っている。

 いつも通り、いつも通りが一番だ。圭一を弄り、明るく笑う。

 

 

 

 

 一方で未だに足りないメンバーが一人。授業の時間が近くなると同時に、沙都子は暗い声で呟いた。

 

 

「……レナさんは来ておられないのですわね」

 

 

 月曜日、学校を休んでいた二人は、圭一とレナが行方不明だった事を知らない。

 魅音は困ったように髪を掻き上げた。

 

 

「昨夜から行方不明で……おじさんトコの若い衆で大捜索させているけどまだ見つかってなくて……」

 

「誘拐……とか、でしょうか?」

 

 

 沙都子が暗い顔を見せ、慌てて圭一は否定した。

 

 

「あ、あいつが誘拐される訳ないって! 寧ろ誘拐した側が心配になってくるぜ……今頃ボコボコにされていたりな!」

 

「とにかく! 引き続きおじさんとこの人が探しているから!……私たちはとりあえず、信じて待つしかない」

 

 

 

 

 レナは一体、どこへ消えたのか。

 心配する圭一たちとは別に、彼らの後ろに立っている梨花は激しい胸騒ぎを覚えていた。

 

 

「………………」

 

「……梨花?」

 

 

 下唇を噛み、気が付けば拳を震えるまで握り締めていたので、隣の沙都子が心配そうに声をかける。

 

 

「お顔が強張っているように見えましたが……」

 

「……何でもないのですよ! にぱーっ☆」

 

 

 頰を緩め、瞬時に満面の笑顔になれる……そんな自分に呆れ返りながらも、梨花は欺き続けた。

 

 

 

 

「……レナの失踪……『前』より少し早いわね……今度こそは無理かしら」

 

 

 誰にも悟られぬよう呟き、溜め息を吐く。

 教室の扉が開き、知恵先生が入って来た。今日も半日、授業が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ〜……うわ、若いなぁ〜菊池まこと」

 

 

 置いてある雑誌を読みながら、おかきを食べてコーラを飲む山田。イザコザは終焉し、昭和五十八年雛見沢村を完全に満喫していた。

 

 

「いやぁ、園崎さんはなんて懐の深い人なんだ。てかこの村、マジックすりゃ喜ばれるし、友達出来たし、タダでご飯食べられるし……これ元の時代より暮らしやすくない?」

 

 

 あまりに快適な為、家にいるペットの亀とハムスターを忘れている。

 ぐだぐだダラダラ過ごしながら、軽く伸び。

 

 

 

 家でまったりしていると、戸を叩く音が響く。来客らしい。

 

 

「はいは〜い……ヨッコラしょーいちと……あ、ヨッコラしょーいちって言っちゃった」

 

 

 立ち上がり、玄関口から戸を開いてやる。

 

 その先に立っていたのは五人の黒服。思わずオオアリクイの威嚇をする山田。

 

 

「なんすか!? なんなんすか!? なんなんなんすか!?」

 

「山田さん。葛西さんがお呼びですぜ」

 

「……へ? 葛西さん?」

 

「屋敷に案内しやす」

 

 

 そう言って、家の前に停めてあった車の扉を開け、乗車を促す。

 山田は導かれるがままに乗ろうとしたが、黒服らに恐る恐る質問する。

 

 

「……あのぉ〜」

 

「どうなすって? 乗り心地は良いっすよ」

 

「いや乗り心地じゃなくて」

 

「ホワッツ?」

 

「私乗ったら、一人あぶれないですかね?……これ前もあったぞ」

 

 

 黒服は五人。山田を合わせれば六人。車には無理して乗っても五人。

 一人だけ車に乗れない事に気付き、狼狽える黒服たち。

 

 

 

 ジャンケンで負けた一人が、トランクに詰められる事となった。

 

 

 

 

 車は園崎屋敷に辿り着くと、門の前で停車する。

 男たちは下車し、トランクを見ると開きっぱなしにされており、中に詰められていた黒服が消えていた。

 

 

「また神隠し起きてるよ……」

 

 

 山田も車から降りて、一人呆れながら門を潜る。すっかりこの空気感にも慣れたものだ。

 

 

 

 

「ダム戦争は終わったがッ!!」

 

「俺たちの戦いはッ!!」

 

「まだまだ続くッ!!」

 

「次回作にッ!!」

 

「ご期待くださいッ!!」

 

「くぅぅう〜疲れましたぁッ!!」

 

「失踪ッ!! 未完ッ!! エタッ!! 打ち切りッ!!」

 

 

 横一列に並び掛け声を叫ぶ若い衆の一人へ、山田は強烈なフックを与える。

 

 

「そぉーい!」

 

 

 いきなり殴られた若い衆が地面に転がる。その様を見ながら山田は怒鳴った。

 

 

「終わらねぇよ!」

 

 

 悶絶する一人とどよめく組員らを抜け、屋敷内へ。

 

 

 いつもの客間には葛西と、知らない女の人がいた。何だか、魅音や詩音に似ている気がする。

 ひとまずすっかり顔見知りとなった葛西に対し、山田は「どもども」と手を差し出す。

 

 

「あ、どもども葛西さん。お世話になってま〜す」

 

「いえ。お世話になったのはこちらの方です。山田さん」

 

「ええと……そちらの方は?」

 

 

 見知らぬ女の人に対し、葛西は恭しく頭を下げてから紹介してやった。

 

 

 

 

「こちら、『園崎茜』さん……魅音さんと詩音さんの母親です」

 

「えっ」

 

 

 山田からサーっと血の気が引いた。とうとう魅音詩音以外の、園崎家系の人間が現れたからだ。

 そして次期頭首の母親と言う事は、現頭首の実娘だ。おのずと彼女の立ち位置は想像出来る。

 

 

 茜は一度ぺこりと会釈をしてから挨拶を。

 

 

「初めまして、に、なるかい?……名前ばっかり葛西から聞いているせいで、なんかもどかしいねぇ」

 

「茜さん、こちらが山田奈緒子さん……三億円の件で、我々の為に尽力してくださった方です」

 

 

 あの葛西が下に出ている。間違いなく天下の園崎家でもトップクラスの人間だと悟る。

 即座に山田は茜の前にとりあえず土下座した。

 

 

「や、山田奈緒子と仰せつかまつりまするッ!!」

 

「『つかまつる』の使い方間違ってないかい?」

 

「この度は、大変お世話に相成りましたで候ッ!!」

 

「あんた、時代劇の見過ぎさ。ほれ顔をお上げ、こっちが緊張しちまうよ」

 

「はいで候!」

 

「語尾かそれは」

 

 

 恐る恐る顔を上げ、茜の顔を伺う。

 人相に性格的な荒々しさは多分に見受けられるものの、それでも幾分か落ち着いた女性に思えた。魅音より棘が多く、されど詩音より沈着とした……そんな気骨を感じた。

 

 

「……で、あんたが山田さんだね。もう一人上田って学者さんがいるって聞いたが?」

 

「出かけられたんですか?」

 

 

 上田の事を聞く二人に対し、半ばどうでも良さそうな表情で答えてやる。

 

 

「あぁ、上田さん……診療所に行くだとか言ってましたよ」

 

「噂に聞けば一人で敵中に突っ込んで野郎をぶちのめしたそうじゃないかい? 是非ウチに入って貰いたいね」

 

「スカウト……」

 

 

 まさか上田を引き入れに来たのかと一瞬思ったが、キチンと山田を呼んだ理由もあった。

 

 

「まずは……三億円を取り戻してくれた事と、こっちの非礼を改めて詫びたい」

 

「い、いえ、そんな……わ、私もぉ〜、人助けするのが〜、趣味ですしぃ?」

 

 

 本当は金に目が眩んだとは言えない。あわよくば三億円もと過ったのは一度二度、百度くらいある。

 白々しく下心を隠す山田へ、茜は続けた。

 

 

「お侘びと礼を兼ねてだが」

 

 

 その言葉を待っていたと言わんばかりに山田の目が光る。

 

 

「今使っている別宅は滞在する間、使って貰っても構わないよ」

 

 

 もっとあるでしょ、もっとあるでしょと、無意識に手を何度も突き出していた。あるでしょと言うより、「今でしょ」の動きだが。

 そんな山田の期待に応えるように、茜はきっちりと金の話を始めてくれた。

 

 

「あと……謝礼金も約束していたっけ?」

 

「そうでしょ……そうでしょ……!」

 

「百万でどうだい?」

 

「ひゃひゃひゃ、百億円ッ!?」

 

「どう聞き間違えたらそうなるんだい。百万」

 

 

 それでも結構な額。山田は目の前が一瞬、真っ白になる。

 

 

「ありがとさんです! もう、一生付いて行きます園崎さん! 園崎万歳ッ!」

 

「……やけに喧しい人だね」

 

「まぁまぁ茜さん……それより山田さん……本当は上田先生がいてくれた方が良かったのですが、耳に入れておいて欲しい事が」

 

 

 神妙な顔付きの葛西。

 山田は怪訝に思いながらも、彼らの言葉を待つ。

 

 

「雛じぇねは解散。ダム計画もこのまま行けば、間違いなく凍結」

 

「もう連盟だか連合は必要なくなったがねぇ……」

 

「……一部の雛じぇねの者が、未だにジオ・ウエキを信奉しているらしいのですよ」

 

 

 多大なカリスマ性で村を侵略し、蹂躙したジオ・ウエキこと、間宮浮恵。

 彼女の野望は砕かれ、まさかの出来事ではあるが死亡し、それによって村人は目を覚ますハズだった。だが、今も彼女を信じる者がいると言うのか。

 

 

「え!? でも、インチキは全部暴露したじゃないですか!?」

 

「それでもです……変に殺されたのが悪かったか……」

 

 

 葛西に代わり、茜が事情を説明する。

 

 

「あのまま逃げちまえば、あの狐女を信じる人間は寧ろ失望してたろうね……されど死んでしまえば、信奉者からすりゃ『殉死』。逃げたんじゃなく、不当に殺されたって思っちまった訳さ」

 

「んなメチャクチャ…………」

 

 

 

 そうとは言い切れない。これは山田が見て来た経験によるものだ。

 インチキだと暴いたのに、本人が認めたのに、果ては死んだと言うのに、信奉者は愚直に信じ続けた。

 

 そんな山田の考えを汲み取るように、茜は語る。

 

 

「……宗教ってのは、こんなんだっけねぇ。死んだ教祖は神格化される……こうなりゃ宗教の完成だ。誰の声も届かんよ」

 

「ジオ・ウエキは自分を、オヤシロ様の遣いだと喧伝していた……皮肉にも死後、本当にそんな扱いをされていると言う訳です」

 

「まぁ、本当に一部だけだ。だけど、もう奴らはウチの声が聞こえないし、永遠にあの狐女を讃え続けるだろうね」

 

 

 茜は鼻先に指を当て、静かにするように促した。

 

 

 

 

「「ジオジオ〜!!」」

 

 

 遠く聞こえる、集団の声。二人の言う、浮恵の信奉者たちのものだろう。

 

 

「……ダム反対の行進が、布教活動に様変わりさね」

 

「ウチへの抗議か、毎日毎日この前で叫びやがる……」

 

 

 忌々しがに顔を歪める葛西とは打って変わり、茜は言動共にまだ落ち着きがあった。

 

 

「根本にあるのはオヤシロ様信仰だろうけど、そこに不純物が混じっちまった。最後の最後で、あの『霊能力者』は──」

 

「………………」

 

 

 山田の目を伺ってから、茜は間を置いて続けた。

 

 

「……本当に『神』に成り上がったんだ」

 

 

 全て解決したと言うのに、虚しい。

 これに関しては、山田は何を言うべきか、見失ってしまった。

 

 

 間を保たせるかなように、葛西が忠告を口にする。

 

 

「……それで、山田さん。奴らはあなた……山田さんを敵視しております」

 

「……え!?」

 

「昨夜のデマが、山田さんがジオ・ウエキを殺したと言う事になったようで……あなたとご一緒に来た上田先生もまた、同様です」

 

「嘘でしょ!?」

 

 

 今でしょポーズで動揺する山田。すぐに茜が続けた。

 

 

「村にいる間は若い衆が目を光らせておくよ。何かあってもすぐに対処してやるさ……ただ、いつも見張っている訳じゃないから、極力奴らには近付かない方が良い。リンチされるかもしれんよ?」

 

「リンチ……ミンチ……ベンチ……?」

 

「本当ならさっさと村を出た方が良いが、そこはそっちの自由さ」

 

 

 

 

 そこまで言うと、茜はすくりと立ち上がる。

 

 

「そんじゃ、あたしはそろそろお暇するよ。会議があるからね」

 

 

 即座に葛西も立ち、襖を開けてやる。

 出て行こうとした時にもう一度立ち止まり、山田を一瞥。

 

 

「夜、また迎えに上がらせるよ。三億円を取り返した功労者を、ウチでもてなさなきゃならないからねぇ。その時に金封は渡すよ」

 

 

 一言加えてから、彼女は葛西と共に出て行った。

 

 

「…………」

 

 

 一人残った山田。

 青空に立つ入道雲を眺めて、微かに聞こえる掛け声に耳を傾ける。

 

 

「「ジオジオ〜!!」」

 

 

 解決したのか、そうではないのか。勝利の余韻は一気に冷めてしまっていた。

 三億円は戻っても、不穏がそこにいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議室へ向かう途中、茜は葛西に話しかけた。

 

 

「山田と言ったね」

 

「はい…………山田さんが、どうされて?」

 

 

 彼女は「いや」と前置きし、少し考え込んだ後にまた続ける。

 

 

「……堅気にしか見えないが……ありゃ、何度も修羅場をくぐっている」

 

「山田さんがですか? 確かに修羅場にはいましたが……あれが初めてではないと?」

 

「まぁ、あたしや葛西に比べりゃ可愛いもんだが……堅気にしては良い目をしている」

 

 

 想起したのは、山田にジオ・ウエキが神に成り上がった、と話す前の山田の目。

 

 

 

 

「……特に、『霊能力者』って言った時……そこらの若い衆よりも目が据わったよ。ありゃ、狐女よりも前に……霊能力者だとかと不運な縁があったんだろうねぇ」

 

 

 茜は内心で、山田と対談して良かったと思っている。

 最近は退屈な連中としか会っていなかったが、やっと面白そうな人間がやって来た。

 得体は知れないが普通ではない山田奈緒子と言う女。本心から、夜の宴が楽しみだと口を歪ませる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼下がりに移る。レナは静かに、スクラップブックを読み進めていた。

 妙な魅力のある物だ。およそ非現実的なのに、説得力がある。

 

 オヤシロ様の正体、寄生虫、宇宙人、園崎陰謀説…………

 

 

 

 全ては信じていない。ただ間宮律子の豹変が、どうにも説得力を強めているような。

 

 

「……そう言えば姉妹で、魅ぃちゃんの所の三億円を奪ったって……!?」

 

 

 もしかして、園崎家が手を汚さずに自滅させる為に、寄生虫を暴走させたのでは。

 妙な妄想が、レナ自身も驚くほどに展開。

 

 

 暴走した彼女は父親を殺害し、姉を手に掛けたのではないか。

 それによって得をするのは、園崎だけ。

 

 

「……あり得ない……!」

 

 

 そうは思っても、ページを進める手は止まらない。

 この本が醸す魔術に、取り憑かれているかのようだ。

 

 

 鬼の正体は寄生虫で狂った人間。オヤシロ様はそれを鎮めた医者。

 村から出れば狂わされる、それが祟りの正体。

 

 

 村から出れば狂わされる。

 ここが強く、自分に当てはまった。

 

 

 私は過去、「暴走した」と言う経験がある。

 

 

 

 

「ヒィッ!?」

 

 

 

 数々の実体験が合致する。怖くなり、スクラップブックを放った。

 

 

「本当に…………寄生虫…………!?」

 

 

 この頭の中で蠢き、人間を操っているのか。

 壁に凭れ、頭を抱え、震える。

 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ…………

 

 こんなのはただの、空論だ。

 スクラップブックの仮説に則るなら、「首を掻きむしって死ぬ」ハズなんだ。

 

 

 

 

 いや。確かにやっていた。

 瞬時に、反射的に、昨夜の出来事が蘇る。

 レナの脳裏に、「あの時」の光景が蘇る。

 

 

 

 

 

 

 

──暗い道路上、停留所前、寂しい街灯の明かりの下だった。

 醜い死体のそばでもあった。

 

 

 血だらけになりながら、レナは何度も律子に殴られ、罵られ、踏みつけられた。

 

 

「あっははははは!! 無様ねぇ!! 聞いてるわよ、あんたのお父さんから!!」

 

 

 

 こんな時でも彼女は、プンプンとあの匂いを撒き散らしていた。

 

 

 

「離婚した母親のお荷物ってぇ!? 何考えてるのか分からないし、話し方はおかしいし!!」

 

 

 

 父親からプレゼントされたあの香水の匂い。

 

 

 

「『キレて学校中の窓ガラス割った』!?『生徒をバットで滅多打ちにした』!?」

 

 

 

 すぅっと、心が空いて行く感覚。

 父親は律子に、全部話してしまっていた。

 

 

 

「そんな事友達に知られたら嫌われるよねぇ!!」

 

 

 

 自分は死ぬと言う直感と、或いは過去を暴かれた衝撃。

 

 

 

「あんたなんかを、愛してくれる人間はいないのよぉッ!!」

 

 

 

 街灯で鈍く光る鉈と、燃えるような律子の目を、ずっと見ていた。

 

 

 

 

 シャネルの五番の、匂いを放ちながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

「生まれて来るべきじゃなかったのよぉおおおおおッ!!!!」

 

 

 

 振り下ろされようとする鉈。

 レナは指先に、何かが当たった事に気が付いた。

 

 

 

 浮恵が持っていた、ジャックナイフ。

 刹那、彼女は考えるよりも先にナイフを握り締め────

 

 

 

 

 

 

 

「──ヒイッ!?」

 

 

 悲鳴と一緒に、律子の脇腹へ突き刺した。

 

 牛肉や豚肉を切るような、と思っていた。

 だが案外、人間の身体と言うのは柔らかい。

 

 それは肉に刺すと言うよりも、スプーンで掬うような感覚に似ていた。

 

 人を刺すと言うのは、あまりにも呆気なかった。

 

 

 

「──うげ……ッ!?」

 

 

 レナの反撃により、痛みで動揺を見せた律子。

 身を縮め、鉈を手放した。

 

 

「あ、あんた……!?」

 

 

 レナはそれから、何度も何度も引き抜いては、突き刺した。

 

 痛みに耐え切れず律子は叫び声をあげ、道に倒れ込む形でレナを拘束から解放する。

 

 自由の身になった途端、レナは無我夢中で起き上がり、律子が手放した鉈を掴む。

 ナイフは最後の一撃の際に、突き刺したままにしてしまった。

 

 

「はあっ、ハァ……ッ!?」

 

 

 鉈を構えて、律子の反撃を待ち構える。

 

 

 しかし彼女は、レナに刺された箇所を押さえながら、苦しみ悶えているだけだった。

 

 

 

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!!」

 

「……ッ!?」

 

 

 泣きじゃくり、「痛い」とただただ連呼するだけ。

 その一転して弱り果て、悶える姿を見ていると、レナには罪悪感が生まれて来た。

 

 

「ああああ、あなた、やったわね……やってくれたわね……!? 痛い痛い痛い痛い……!!」

 

「はぁ、はぁ……ッ」

 

「なんで、なんで、なんでなのよぉ……! なんでこんな目に遭う訳ぇ……!?」

 

「……ッ……ッ……!!」

 

 

 血の臭いと、シャネルの匂い。二つが混沌と匂い立つ。

 気持ち悪さからか、罪悪感からか、レナは鉈を構えたまま片手で口を押さえる。

 

 

 

 その内、律子はあらぬ方向を見た。

 痛みに悶えていた顔に、恐怖が混ざる。

 

 

 

「……な、なんで、『あんた』、生きてんの……!?」

 

「……え……!?」

 

 

 律子の見ている方向に何かいるのか。

 しかしレナがそこを見ても、何もいない。

 すぐに律子にしか見えていないのだと気付く。

 

 

 

 

「こないで、こないで、殺したじゃん、だって今。ぐちゃぐちゃにしてやったじゃん、さっき」

 

 

 脇腹を押さえていた手を、離した。

 レナは一気に怖くなり、震えた足で立ち上がる。

 

 

「なんで生きてんのよ、なんで生きてんのよ。意味分かんない意味分かんない意味分かんない」

 

 

 律子の手が、自分の首を掴む。

 レナは転びながらも這うようにして、一気にその場から逃げた。

 

 

 背後から風が吹く。ここは山間にあり、良く強い風が吹いた。

 風上にいる律子が放つ血とシャネルの匂いが、ずっとずっとレナを追い立てている。

 

 

 それから逃げようと、逃げようと、夜道を走った。走り続けた。

 

 

 

 

 

 

「痒い、痒い」

 

 

 後ろからか細い声が聞こえてる。

 

 

「痒い、痒い、痒い、痒い、痒い」

 

 

 耳を押さえながら、レナは走った。

 しかし耳を押さえても、頭の中で声が反芻されてしまった。

 

 

 

 

 痒い、痒い、痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い………………

 

 

 

 

 

 

 

「──あー! いた!」

 

 

 外で聞き覚えのある声。

 レナは口を押さえ、記憶の海から意識を戻して息を殺す。

 

 

「矢部さん、ここで何やってんですかぁ!?」

 

「矢部? 僕は常磐ですがぁ? 東京で時計屋を営んでいますぅ」

 

「兄ィが別人になった!?」

 

 

 こっそりカーテンを開き、窓から外を見る。

 あの警察三人が、家の前で突き飛ばしたおじさんと仲良く歩いている。

 

 

 

 サッと血の気が引いた。

 あの人も、警察だったんだ。

 

 

 あのエリート風の男が叫ぶ。

 

 

「まぁ良いッ!! これから殴られずに済むとなれば、素晴らしい事じゃないかッ!!……それよりもだッ!! 矢部くんッ!!」

 

「常磐ですぅ」

 

「女の子見なかったか? 短めの髪の、中学生程度の!」

 

 

 やめて、言わないで。そう心で願っても、届く訳がない。

 

 

「女の子?……ツクヨミちゃん? ツクヨミちゃんはロングだけど……」

 

「ツクヨミじゃないッ! なんで日本神話の神が出るんだ……不審な女の子だ!」

 

「不審な女の子……それなら、そこの家にいた子かなぁ?」

 

 

 あっさりと、自分のいるこの家を指差す。

 バレた。全員がこっちを見る前に、彼女はカーテンを閉める。

 外からは尚も声が聞こえた。

 

 

「良い家に住んどるのぉ」

 

「でも、なんか、見分の後って感じですねぇ? 事件かな?」

 

「という事は無人かぁ……隠れるのに打ってつけだなッ!! 行くぞ諸君ッ!!」

 

 

 バタバタと走り、鍵のかかった玄関の扉を開けようとする音が響く。

 中に入られると悟ったレナは急いで、逃走を開始。

 

 

「に、逃げなきゃ…………!!」

 

 

 まず彼女は、裏口へ走り、鍵を「開けた」。

 

 

 

 

 

「玄関は施錠されていますねぇ」

 

「なら裏口を探せッ!! あと、縁側の窓にも注意しろッ!!」

 

「アラホラサッサーじゃ!」

 

「ソウゴくーん? いるのぉー?」

 

 

 四人は家を包囲する。

 窓が施錠されていないか調べ、小汚い男──秋葉は裏口の前に立つ。

 

 

「裏口!」

 

 

 取手に手を掛けて引くと、いとも簡単にガチャリと開いた。

 

 

「あ! ここ、開いてますよぉー!」

 

 

 扉を開け、警戒しながら中へ入る。裏口には誰もいない。

 

 

「隠れているのかなぁ?」

 

「どけぇッ!! 突撃ぃぃぃぃ!!」

 

 

 秋葉を押し退け、エリート風の傲慢そうな男──菊池が突っ込む。

 その後に秋葉、間抜けそうな男──石原、不審者──矢部の順で入り込んだ。

 

 

 

 

 

 だが一階には誰もいない、何も無い。

 あるのはなぜか壊されているテーブルと、血のついた服。

 

 

「血塗れですねぇ!」

 

「これは殺人か!? やったぁ!!」

 

「キクちゃん、殺人が好きなんかのぉ?」

 

「ソウゴくんは?」

 

 

 菊池は屋内を見渡し、階段を発見する。

 

 

「一階にいないのなら、二階だ! 続けぇぇッ!!」

 

 

 強烈なバイタリティを発揮し、ヘロヘロの三人を無視して菊池は階段を駆け上がった。

 

 二階には幾つかの部屋がある。その一つ一つを確認し、一番奥の部屋。もうここしか逃げ場はないと踏み、扉を蹴り開ける。

 

 

 

 

 

 

「警視庁だぁぁぁぁぁッ!!!!」

 

「お縄につけぇー!」

 

「逮捕じゃけぇのぉ!」

 

「ゲイツくんでも良いよぉ〜?」

 

 

 

 駆け上がり、ドアを蹴破った先はレナの部屋。

 窓は開かれ、昼下がりの空が見えていた。

 

 

 

 裏口を開けておく事によって全員の注目を集中させ、その隙に窓から屋根を伝い、家から脱出。

 レナはスクラップブックと鉈と共に、村の中へ消えた。




・「アントニオ猪木」は1983年6月2日の試合でKO負けしましたが、その相手こそ「ハルク・ホーガン」。ハルクだ!ベストマンだ!
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