TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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番記者

「圭一さん!?……あれ、私ここに泊まっているって教えましたっけ?」

 

「魅音の奴から聞いたんすよ! この村小さいから、すぐどこか分かりました!」

 

「大丈夫なんですか? もう学校の時間じゃ……」

 

「それより師匠ッ!!」

 

「本当に師匠呼びするのか」

 

「大事な話があるんです……! あ、中失礼します!」

 

 

 辺りを憚りながら、サッと玄関に潜り込む。

 何かから逃げているような彼の挙動を怪訝に思い、尋ねる。

 

 

「どうしたんですか?」

 

「山田さん! いや、師匠ッ!!」

 

「呼び方安定させろよ」

 

「……ジオ・ウエキ。魅音の所の三億円を、持っていたんです……!」

 

 

 彼の報告は、朝の気怠さを吹き飛ばすのに十分なインパクトを持っていた。

 

 

「三億円!? ジオ・ウエキが!?……やっぱり、あの事故で無くなってなかったんだ……」

 

「一から話すとキリが無いんですが……とにかく、伝えるべき所を伝えます! 我が救世主ッ!!」

 

「ランクアップ……!?」

 

 

 圭一の報告は耳を疑う内容の連続で、しかし山田にとって腑に落ちる所のある内容でもあった。

 同時に、想像以上のジオ・ウエキ──もとい、間宮浮恵の欲深さと狂気に戦慄する。

 

 

「……とんだサイコだな……ともあれ、三億円は無事なんですね」

 

「いつ高飛びするか分かりません……今日にも逃げちまうかも……俺たちが逃げたって知ったら、もっと早まるっす」

 

「私によりも園崎に報告したら良いじゃないですか?」

 

「ジオ・ウエキの下には雛じぇねがあるんです……なんかの拍子に村人が俺が園崎行った事喋ったら、気付かれていない今のチャンスを逃しちまう!」

 

「だから、園崎さん所から遠い私の所に?」

 

「そこの電話使えるっすよね!? 山田さんから園崎家に、この事を報告してくださいよ!」

 

 

 とは言うが、山田はかなり難色を示す。

 

 

「……昨日一昨日、園崎家にいたんですけど……あの人たち、事実と証拠がないと動かないと思うんです。それに、ジオ・ウエキは工事現場……村で唯一、園崎が易々と入り込めない所と言うのは良く考えたとは思います。普通じゃ入れない所にいるって言っても、園崎家は動いてくれるかどうか……」

 

「三億が盗まれているのにですか!?」

 

「向こうはそう思っていないんです。ジオ・ウエキの策略にはまっていて、三億円は燃えてなくなったと……園崎家、ダム建設に反対しているだけに、墓穴は掘りたくないハズです。間違いだったら、ただ建設現場に難癖付けて大暴れしただけになりますし」

 

「マジかよ……あ、なら……魅音なら聞いてくれるハズだ!」

 

「魅音さんだけでは無理です……多分、園崎家を丸っと動かすにはお婆さんの決定がないと……」

 

「……あー! じゃあどうすんだよーっ!!」

 

「………………」

 

 

 山田は少し考えて、考えて、考え抜くも、どうするべきか思い付けなかった。

 圭一たちの不在がバレるのは、まだ先だと思われる。浮恵に協力していた作業員はほんの一部だ。彼らにだって仕事はあるだろう。途中に抜け出して他の作業員に怪しまれるなんて事があれば、本末顛倒だ。

 

 

 早くて昼。今日中に終わらせなければなるまい。

 

 

「……てか、こんな時に上田はどこほっつき歩いてんだ……」

 

「……あの、師匠」

 

「………………あ、私の事か。なんですか?」

 

「作業員に変装して、三億円を奪い返すってのどうっすか? それが無理でも、決定的な証拠を写真に撮るとか!」

 

 

 単純だが、効果はある作戦だ。

 だがあまりにもリスキーで問題しかない。

 

 

「……誰が変装して潜入するんですか? 私は顔が割れていますし、園崎家にも頼れませんし……そもそもこんなスパイ映画みたいなやり方、話聞いて『やってやろー!』って人いるんですか?」

 

「上田先生は!? 上田先生はまだ、ジオ・ウエキらに顔が割れていませんよ!」

 

「……いえ、駄目です。あいつ、魅音さんと遊んでいる所を多分見られています」

 

 

 大石を思い出す。あの男が知っている事を、村中にシンパを作っている浮恵が知らない訳がない。

 要注意人物として顔を覚えられている可能性は明らかに高いだろう。

 

 事態は八方塞がりだと感じた圭一は、頭を抱える。

 

 

「んじゃどうするんすか……!?」

 

「でも、その作戦は有りですね……村外の人間で、作業員らに顔を覚えられていなくて……あと、ガテン系って言っても信じられそうな、ムキムキ」

 

「ムキムキ……」

 

「………………ん?」

 

 

 外から聞こえる音に山田は気が付いた。

 無機質で連発した音で、すぐにカメラのシャッター音だと気付く。誰かが近場で写真撮影をしているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 山田の脳裏に、上田の話が蘇る。

 あれは罰ゲームを受けに学校に向かっている最中の事。

 

 

 

 

「……『ジロウの名を冠す者』っ!!??」

 

 

 

 

 山田は驚く圭一を無視して家から飛び出し、辺りを見渡す。

 

 

 

 すると少し歩いた先に、村の風景を撮る、タンクトップ姿の逞しい身体つきをした男を発見する。

 速攻で、上田の言っていた男で間違いないと悟る。

 

 

「『ジロウの名を冠す者』ッ!!」

 

「え? へ!?」

 

 

 そう叫びながら、その男のそばまで駆け寄って捕まえる。

 圭一も追いかけて来たが、彼を知らないようで眉を寄せていた。

 

 

「……どなたです? お師様……」

 

「だから、ジロウの名を冠す者ですよ! この人に行って貰いましょう!」

 

「あ、あの……誰でしょうか?」

 

 

 知らないのは、突然捕まえられて勝手に話を進められている、この男もそうだ。若干怯えたような目を山田に向けていた。

 しかし山田としても退っ引きならない状況にある。圭一と協力し、彼を家まで引き摺り込む。

 

 

「話は後です! ほら、こっち来いッ!!」

 

「うわっちょっとお!? やめ……あーっ! あーっ!!」

 

 

 家に引き込まれたその人物こそ、上田が山で会ったと紹介していた富竹ジロウだ。

 彼は毎年この村に来ていると言うが、村外からの作業員が多い工事現場内ならば、顔を知っている人間は少ないだろう。

 

 

「この人なら! 作業員らもジオ・ウエキも顔知りませんよ!」

 

「妙案っすッ! 我が奇術師……ッ!」

 

「僕の意思はないんですか?」

 

 

 とりあえず困惑している富竹へは、上田の事と園崎三億円事件、そしてジオ・ウエキの事まで全てを説明した。

 勿論、彼には作業員に化け、三億円の証拠を欲しいと言う計画も。

 

 

「上田さんにも恩あるみたいですし、出来ますよね?」

 

「いやいやいやいや!? 僕はただのカメラマンですよ!?」

 

 

 圧をかけて山田は押すが、富竹は及び腰だ。

 

 

「いや、バレませんって。カメラマンにしてはムキムキじゃないですか! 寧ろカメラマンより、建設業って言った方が信じて貰えますって! ちょっと腹出てるのもリアルですし」

 

「いやでも、しかし……!」

 

「良いからピャーッと行ってピャーッと撮って来てくださいよ! それなりに園崎さんから報酬も貰えますって!」

 

「僕にはそんな事とても……」

 

 

 机をバンッと叩く圭一。

 

 

「さっきから出来ない出来ないって……出来ないじゃねぇ、やるんだよッ!!」

 

「……のっぽさん?」

 

「のっぽさんは喋りませんよ師匠ッ!!……そうじゃなくて。なんでやる前からそんな消極的なんだ……!」

 

「いや、僕はだから、ただのカメラマン……」

 

 

 何度も言ってるのにと悲しい顔をしながら訴える。しかし圭一は無視した。

 

 

「まだあんたは、男を魅せていないんだ……景色を魅せるのが、カメラマンなんだろ?……自分さえ魅せる事が出来ない男が、良い写真なんか撮れるもんかッ!!」

 

 

 よくもまぁそんな台詞が言えるなと、山田は呆然と圭一を見ていた。

 

 

「……今からあんたは被写体だ、魅せて欲しい……そして起死回生の一作品を撮る撮影者だ!……無茶な話とは思う。けどもう、これしかないんだ……!」

 

 

 富竹の前で正座をし、そして手を床に付いた。

 

 

「……俺はみんなの、幸せを守りたいんです……!」

 

「…………」

 

「…………よろしくお願いしまぁぁぁああすッ!!」

 

 

 鼻血でも出そうなほどの勢いで頭も床に付け、土下座して頼み込む。

 そんな真っ直ぐで骨っぽい言葉の数々は、同じ男の心に沁みるものがあったようだ。

 

 富竹は少し渋ったように顔を顰めてから、溜め息と共にフッと微笑んだ。

 

 

 

「……そこまで真っ直ぐな人、なんだか久しぶりに出会ったような気がするよ」

 

 

 首にかけていたカメラを持ち上げる。

 

 

 

「……まぁ、上田教授には恩があるからね。やれるだけ、やってあげるよ」

 

 

 シャッターを切り、頭を上げた圭一の顔を撮った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 工事現場前、そこにいるのは富竹ではなく、なぜか山田一人。

 事前に合わせた作戦はこうだ。

 

 

「私がまた、ジオ・ウエキに会おうとする名目で工事現場に乗り込みます」

 

 

 一回深呼吸し、山田は堂々と搬入口に乗り込んだ。

 勿論、またデモに来た村人なのかと思った作業員たちが止めに入る。

 

 

「あんた! ここは立ち入り禁止だ!」

 

「ジオ・ウエキは今日も来ていないんですか?」

 

「そんなしょっちゅうはこねぇよ! ほら、出て行け!」

 

 

 門前払いを食らい、渋々帰ろうとする……フリをしてからまた、振り返る。

 

 

「……これも何かの縁です」

 

「あ?」

 

「……本物のマジシャンに、会った事はありますか?」

 

 

 山田は荷物を降ろし、そこでマジックショーを開演させた。

 

 

 

 

 

「ここに、四枚のカードがあります」

 

 

 裏を向けたままのカードを開き、四枚だと示す。

 

 

「絵柄は全て……」

 

 

 一枚目を捲ると、「クラブの六」。

 一枚目を束の下に差し入れてから、一番上に来た二枚目を捲るとそれもクラブの六。

 同じ要領で三枚四枚と一枚ずつ表を見せるが、全てクラブの六。

 

 

「私の持っているカードは全て、クラブの六です……ですが」

 

 

 しかしまた一枚目を捲ると、なんと「ハートのクイーン」になっていた。

 一枚目だけではない。二枚三枚四枚も全て、ハートのクイーンだ。

 

 

「どうなったんだ!? さっきは三つ葉だったじゃねえか!?」

 

「なんだ、ええ!? どうやった!?」

 

 

 途端に湧き上がる作業員たち。しかし山田のマジックはまだ止まらない。

 

 

 

「ハートのクイーンでしたが、実は……」

 

 

 次は四枚全てが「ジョーカー」に変貌。

 どこかに隠し持っている素ぶりはない。たった四枚のカードの束を持っているだけで、絵柄を全て変化させてみせた。

 

 

 

「次は、これを使います」

 

 

 手にしたのは、アメリカの「五ドル札」。表には「アブラハム・リンカーン」が描かれていた。

 

 

「これを折って行くと……」

 

 

 半分に折り、それをまた半分に、またまた半分に折り、小さな四角形にする。

 次はそれを逆戻しにするように広げて行くと、「伊藤 博文」が描かれた「千円札」に早変わり。

 

 

 お札の変化マジックが成功し、作業員らからはまた歓声が湧き上がる。

 

 

 

 

「あと、もう一つ」

 

 

 取り出したのは、中央が凹んだコーラの缶。

 空き缶のようで、飲み口は既に開けられている。

 

 

「よっと」

 

 

 手の中に収め、何度か振った後、再び作業員らの前に現れた缶コーラは復活していた。

 しかも開いていたハズの飲み口が開いていない。

 

 プシュッと開き、用意していたグラスに注ぐ。中身もキチンとある。

 このマジックのインパクトが一番強かったようで、皆の度肝を抜いた。

 

 

「おお!? すげぇ!? 缶が戻った!?」

 

「どうしたんだおいおい!」

 

「おーいみんな! この嬢ちゃんすげぇぞ!!」

 

 

 山田のマジックを一目見ようと、いつの間にやら多くの作業員らが彼女を取り囲んでいた。

 この騒ぎを聞きつけた現場監督が走って注意しに来る。

 

 

「あんたたちぃーっ! なぁにやってんのよ!! ほら、散りなさい! 散れ! 散れやバカタレどもがッ!!」

 

 

 圭一によれば、彼は三億円事件の協力者の一人だ。

 山田は一瞬キッと睨み付けるものの、自らはまず何もしない。

 

 

「まぁたアンタなの!? ほら早く出て行きなさぁい!! サイサイサーイ!!」

 

「ウィーっす! おつかれさまでぃーっす!」

 

 

 抵抗も言い訳もせず、山田はチャラ男口調ですんなり出て行く。

 やけにあっけなく去る彼女を怪訝に思いつつも、現場監督もまた作業場に戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 このマジックショーも作戦の一つ。家で提案した山田の計画はこうだ。

 

 

「私が幾つかマジックをして、作業員らの目を盗みます。その隙に富野さんは」

 

「富竹です」

 

「こっそりと、現場に入り込んでください」

 

 

 

 

 

 マジックの技法、「ミスディレクション」。人々の注意を、本命から逸らすマジックの基礎。

 作業員らが山田のマジックに夢中になっている内に、富竹は上手く気付かれず搬入口から忍び込んだ。

 そのまま停められたトラックを遮蔽物として隠れ、三億円が隠されていると言う作業員小屋に入る。

 

 

 

 まず小屋に入ったのは、事前の打ち合わせの通りだ。

 

 

「小屋にはツナギとかヘルメットもあるハズですし、バレない為に変装してください。あとは三億円を探して、写真に収めて欲しいです」

 

「カメラは『インスタントカメラ』にするよ。これなら小さいから、ポケットに忍ばせられる」

 

「仮に三億円が無くても、現場内でジオ・ウエキを撮っても立派な証拠ですので……無茶だけはしないように」

 

 

 

 

 

 小屋の中は誰もいない。

 急いで富竹は掛けてあったツナギを纏い、ヘルメットを被る。

 

 

「汗クサっ!」

 

 

 つぅんと立つ臭いに顔を歪めつつ、小屋の中で三億円を探す。

 簡易ロッカーの中、持ち込まれた雑誌の下、天井にかけられた荷物置きなど、目に付く場所は探し回った。

 

 

「無いか……まぁ、他の作業員が出入りする小屋には置けないか」

 

 

 三億円の捜索を諦め、ならばジオ・ウエキを探そうと小屋を出る。

 出来るだけヘルメットを目深に被り、顔を見られないようにする。万が一に自分の顔を知る者がいるかもしれないし、仲間の顔を覚えている人間ならば見覚えない自分を怪しむだろう。

 

 

 身体つきが逞しいお陰か、作業員らは富竹の存在に気付かず、普通に通り過ぎる。

 行動に注意しながら富竹はまず、一人の男を探す。

 

 

「……いた」

 

 

 現場監督だ。彼がジオ・ウエキに近い人間なので、尾行をすれば彼女のいる場所に連れて行ってくれるだろう。

 

 

 彼は作業員に指示を飛ばし、暑苦しい顔を更に暑苦しくさせていた。遠くから観察し、何かの拍子にジオ・ウエキの元へ行こうとする機会を待った。

 

 そのチャンスはすぐに訪れる。

 

 

 

 一人の作業員が現場監督に近付き、耳打ちで何かを告げる。

 すると彼はその作業員と共に、現場の奥へと歩き出した。

 

 

「来た……!」

 

 

 潮時だと判断した富竹は、一定の距離を置きながら尾行を開始した。

 

 

 彼の行く先は、まるで城塞のように組み立てられた、鉄骨とコンクリートの山。

 富竹はゴクリと生唾を飲み、緊張しながらも不自然な行動をしないよう細心の注意を払い、二人を尾け続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い、何もない、空っぽの部屋の隅で、ぼんやり座る梨花。

 

 

 

 

 どこからか声が聞こえた。

 やっぱり、期待し過ぎてはいけない。

 

 

「……そんなの分かっているわよ」

 

 

 あの二人が好転を呼ぶ確証はない。

 

 

「分かっている」

 

 

 次を考えなければまた、同じ結末だ。

 

 

「……分かっているってッ!!」

 

 

 傍らにあった枕を取り、投げようとした。

 しかし寸前に止めた。その枕は、一昨日まで沙都子が使っていた物。

 

 

 

 怒りに任せて投げようとしたそれを、抱き締めた。

 あの日、二人で使った石鹸の……シャネルの淡い匂い。

 

 

「………………」

 

 

 これからどうするつもりか。

 

 

「……分からない」

 

 

 このまま塞ぎ込むのか。

 

 

「分かんないって」

 

 

 もうああなっては、沙都子は……

 

 

 

 

「…………っ……」

 

 

 言葉が出せず、涙が溢れる。

 もう何時間流しただろうか。

 枯れるのを待つように泣いていたが、涙は止め処なく流れ出る。

 泣き慣れているハズなのに、涙は枯れない。

 

 永遠に永遠に。

 

 

「………………」

 

 

 ずっと沙都子の顔が脳裏にチラつく。

 彼女もまた、壮絶な過去を背負って来た者。

 同じく親を亡くし、辛い毎日を送った事もあった者。

 境遇が似ていたから、二人身を寄せ合って暮らせた。

 

 

 

 暗闇を照らす、光のような存在。

 そんな風にずっと思って来た……とは言えない。失ってから寂しさに気付いただけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 蝉の声が泣き止まない。

 耳を塞ぎ、全てを遮断しようとした。

 

 

 だがその手は止まる。

 誰かが窓ガラスを叩いたからだ。

 

 

 風かと思ったが、それは何度も何度もしつこく叩く。

 

 

 

「……なに?」

 

 

 

 ふらつく足で窓まで寄り、閉めていたカーテンを開く。

 入り込んだ太陽光で、視界が一瞬だけホワイトアウトする。

 

 

 

 

 

 明かりに慣れた網膜が次に捉えたのは、眼鏡をかけた、乱れた髪の見慣れた男。

 ここは二階、またハシゴをかけてやって来たようだ。

 

 

 馬鹿らしくなってまたカーテンを閉めようとする。

 だが彼の、真面目な表情を見て、自分でも不思議な事に窓を開けていた。

 

 

 

 

 

 

 上田次郎が、叫ぶように言う。

 

 

 

「梨花ッ! 身支度をしろッ!……沙都子を助けに行くぞ!!」

 

 

 唐突にそう言って、彼女へ手を差し伸べる。

 

 

「ほら、行くぞッ!! 沙都子を助けるにはお前がいるんだ!」

 

 

 その手を梨花は、なかなか掴めないでいた。

 

 

「何やってんだ!」

 

「……それはこっちの台詞なのです。園崎家に頼めたのですか……?」

 

「うっ……そ、それは……あ、ああ! な、何とか便宜を図れたよ!!」

 

 

 あからさまに目が泳いだ彼を見て、即座に嘘だと悟る。

 

 

「上田は信用出来ないのです」

 

「……!? い、いや、本当なんだ! もう役所には話を」

 

「……もう良いのです」

 

 

 暗闇にまた沈もうとする梨花。

 上田は少し躊躇し、戸惑い、でも彼女の腕を後ろから掴んでいた。

 

 

「分かった分かった! 嘘だ! 園崎家の協力は無理だった……!!」

 

「……離せ」

 

「へ?」

 

「離せッ!!」

 

 

 無理やり彼の手を引き剥がす。

 梨花の目にあるのは、強い失望と諦念だ。しかしそれに勝ったのは上田への怒り。

 

 こいつは何で現れた、何で安い希望を口に出来た。嘘つきも大概にしろ……頭に噴き出た罵倒の数々。その全てを吐き出そうとした途端、剥がした彼の手がまた、梨花を掴んだ。

 

 

「待ってくれッ!! 聞けッ!!」

 

「ッ!?」

 

 

 今度は引き剥がされないよう、肩を掴む。

 そして目を合わせた。

 

 

「まだ、方法はある……! それは、沙都子自身の『証言』だ……!!」

 

「……沙都子の?」

 

「ああ! この時代でも、児童虐待を防止する法律はあるんだ……!! 園崎がいるんなら、鹿骨市から出れば良いッ!! どこか、県内の家庭裁判所か福祉相談所に彼女が証言すれば、法律が守ってくれる! 裁判でも良い! 弁護士でも……なんなら、俺が代理人になって提訴してやるッ!!」

 

「…………本当に上手く行くのですか?」

 

「親権を主張していようが、虐待が発覚すればすぐに行政は動く! 親権の停止と隔離を訴えるんだ……だが、それには沙都子自身の……被害者の証言がいる。そこまでしなければならない……!」

 

 

 この時代にも「児童福祉法」と言うものがあった。

 これは現在に比べ、機能性が全く無い法律とも言われている。事実、家庭裁判所の申告方法が分からない児童福祉士がいたほどだ。

 

 だが法律は存在しているし、手続きさえ上手く進めれば問題なく、鉄平から沙都子を引き剥がせる。ならば通常の裁判と同じく、証人を作る事が必須だ。

 

 

「……沙都子を連れ出すぞ……!」

 

 

 

 上田の説明を聞いても尚、梨花はまだ暗い表情のまま。

 

 

「……沙都子は、過去に罪を感じているのです」

 

「…………なに?」

 

「……その罪は、自分のせいだって……だから沙都子は甘えず、生きて行けるように……茨の道を望んだのです」

 

「………………」

 

「……沙都子は鉄平に尽くす事を禊と信じ、望んでしまったのです……もう、誰の言葉も届かない……」

 

「本当に届かないと思っているのか?」

 

「…………どう言う意味なのですか」

 

 

 上田の瞳は、真っ直ぐ澄んでいた。

 

 

 

「沙都子は今、迷っているハズだ……今の生活よりも、君との生活の方が楽しかったハズだ。そんなのは一緒に暮らしていたお前の方が、実のところ気付いていただろが」

 

「………………」

 

「……同時に世話焼きの沙都子にとっちゃ、生活力皆無のお前は未練だな。同時に、同じ境遇であるからこそ、お前は誰よりも沙都子に近い」

 

 

 つまりと上田は言って、真っ直ぐ真っ直ぐ梨花を見据え、結論付けた。

 

 

「沙都子の本心を引き出し、説得出来るのは……俺や、誰よりも、お前だけなんだ……!」

 

 

 喋り倒し、ゼェゼェと息切れする。

 疲れからか、やっと梨花から手を離した。

 

 

 

 

 瞬間、彼女は上田を押す。

 

 

「生活力皆無は余計なのです!!」

 

「㍌㍖!?」

 

 

 昨夜と同様、ハシゴを滑り落ちる。

 地面に平伏し、呆然としていると、玄関から梨花が出て来た。

 

 

「下。ずっと鍵開いていたのですよ」

 

「……なに?」

 

「わざわざハシゴ使うとか、覗き魔なのですか? さすがは天災むっつり学者なのです」

 

「だから天っ才物理学者と言ってんだろがッ!!」

 

 

 上田の叱りつけに対し、梨花は微笑んだ。

 次にはお互いに、見つめ合う。

 

 

 

「……さあ。沙都子の所に行くのです」

 

「……はん! 最初っからそう言えってんだ! この天っ才物理学者上田次郎が直々に動いてやるって言っているのに……」

 

 

 立ち上がると乱れた服を整え、拗ねた顔でそっぽ向く。上田その素直じゃない表情が少し、頼もしく見えた。

 

 

 

「案内してくれ」

 

 

 拝殿の方へ先に行く上田。

 その後を付いて行こうとした時に、一度梨花は振り返る。

 

 

 

 

 

 信じるのか。

 

 

「……あんだけ言われたなら……一回ぐらい良いでしょ?」

 

 

 

 彼女も駆け出す。かけがえのない親友を救う為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校に来た魅音はまず、驚いた。

 

 

「……みんないないじゃん!?」

 

 

 圭一、レナ、梨花、沙都子の部活のメンバーが、全員欠席していたからだ。知恵先生に聞いてもみたが、全員無断欠席らしい。

 唯一連絡の取れた圭一の両親によれば、彼は昨夜から行方不明となっており、警察に通報したところだそうだ。

 胸騒ぎがする。全員がいないなんて、こんな事は初めてだ。

 

 

 

 

 

 昼休みの時間。彼女は他の生徒たちが校庭で遊ぶ中で一人、隅の方で黄昏ていた。まるでみんなが来るまで待つかのように。

 

 

「……どうしたんだろ」

 

 

 とても寂しい。それよりもとても心配。

 自分の知らない所で何かが起きた気がして、居ても立っても居られない。

 

 このまま学校を抜け出し、一人一人の家を回ろうとも考えた。

 考えただけではない、実際にそうしようと、身体が前へ進み出す。

 

 

 

 

 

 

 

「はいストップ」

 

 

 

 後ろ手を引かれて止められた。

 先生か、他の生徒か。しかし声音はその誰でもなく、意外な人物。

 

 

 双子の妹、詩音だ。

 

 

「し、詩音……」

 

「オネェ、少しお時間よろしいですか?」

 

「あれ……バイトじゃないの?」

 

「緊急事態につき抜け出して来ました」

 

「えぇ……」

 

 

 微笑み顔だった詩音は、スッと神妙な顔付きに変わった。

 

 

「……北条鉄平が帰って来て、沙都子を連れてったらしいです」

 

「え!? な、なんで……!? なんで帰って来てんの!?」

 

「大方、北条家の資産目当てだと思う。誰かに知恵付けられたんじゃないかな……自分たちがあれほど、使いまくった癖に……」

 

 

 彼女の表情に怒りが滲み始めた。

 なぜなのかは魅音は知っている。詩音は、「悟史の件」で鉄平を恨んでいた。

 

 

「誰から聞いたの、それ……」

 

「……葛西。ウチに食べに来ていてね……上田先生が、沙都子を助けたくて屋敷に行ったそうですよ?」

 

「う、上田先生が屋敷に!? 私聞いてないよそれ……」

 

「……聞き入れて貰えなかったそうですけど。ホント、変わらないね……あの鬼婆さんは」

 

 

 詩音は葛西の報告を聞き、わざわざ姉に伝える為だけにバイトを抜け、ここに来たのか。

 彼女は一見して温和そうだが、こう見えて自分と似た所がある。思ったことは絶対だと考えて、だから絶対に止まらない。ある種、カッとなりやすいのは園崎の血筋らしい。

 

 バイトを抜けてすぐに来たのも、一刻も早く伝えたいと思い立ったからだろう。

 

 

「……詩音さ」

 

「………………」

 

「……行くつもりなんでしょ。沙都子の家に」

 

 

 乗り込むつもりだなと、魅音は見抜いた。

 詩音は北条家の事になると、見境がない。「一年前のように」。

 

 

 見抜かれた詩音は、眉をハの字にしながら自嘲気味に笑った。

 

 

「……バットかなんかで一発殴って、沙都子を連れ出そうかなってね」

 

「凶暴過ぎだって……早まっちゃ駄目」

 

「……ほんと。なんであんなクズじゃなくて……『悟史』くんが……」

 

「詩音……」

 

「………………」

 

「……私の所に来たのは、クールダウンしたかったから?」

 

 

 ふいっと目線を逸らす。

 いつもは詩音に振り回されてばかりだが、こういう時の詩音はとても分かりやすい。

 

 

「……オネェ。どうしたら……沙都子が助けられると思う……?」

 

「……役場に言うとか……?」

 

「無理でしょ」

 

 

 分かっている。

 園崎が北条を敵視する以上、役場も似たような風だ。こればかりは魅音がどうこう手を回せない範囲だ。

 少し失望を込めた目を見せてから、詩音は独白のように話す。

 

 

「あのクズをどうにか消せないかな……って、ここに来るまで考えていて」

 

「………………」

 

「……あいつのせいで……そればっかグルグルしていて」

 

「………………」

 

「……今度は……沙都子がいなくなっちゃうかもって思って……あはは……やっと仲良くなれたのに」

 

 

 あまりに運がない。

 気運に見放され、突き放され、やっと故郷に戻れても彼女の心はまだ帰って来れていない。

 そんな詩音があまりにも可哀想だと、魅音は心を痛めて止まない。その理由の一端を自分が担いでいた事も含め、やるせない。

 

 

 詩音は縋るように尋ねる。

 

 

「……ねぇ……オネェ……良い考えはありませんか?」

 

「そんなすぐ、思い付けないよ……私……あの……頭悪いし……さ……」

 

「……このまま行くのもアリじゃない? あいつの死んだ嫁みたいにして」

 

「落ち着いてって詩音!」

 

「落ち着いてますよ。オネェの所に一回寄っただけでも褒めて欲しいですね」

 

 

 魅音にとって幸運だったのは、彼女の怒りが張り切ってくれた事か、ベクトルが違ってくれた事か。

 今の詩音にあるのは怒りより、呆れが勝っていた。だから落ち着けている。

 

 それもそうだ。一年間放ったらかしにしていた姪へ、金目的に親権を主張し出す身勝手なクズ。ほとほと呆れ返る。村から逃げた癖にと、そう思うのも無理はない。

 

 

 しかしそれでも、沙都子への心配は強い。

 魅音は胸中に渦巻く不安や不愉快、そして気鬱の感情に戸惑っていた。

 どうすれば良い、どうなれば良い。そればっかりが頭を巡る。もしかしたら、詩音より混乱しているかもしれない。

 

 

 

 

「噂じゃ、相当コソコソ隠れて悪どい事してたみたいですよ。なんで……あんな奴ばっか……」

 

 

 

 

 詩音の恨み節。

 その一言が、魅音の脳内にあった混乱の霧を払いのけた。

 

 

 

「…………詩音」

 

「うん?」

 

「……お願いがあるんだ」

 

「……なにか思いついたの?」

 

「うん」

 

 

 真っ直ぐ、詩音を見つめる。

 

 

「……沙都子を助ける方法」

 

 

 この時ばかりは、「園崎の名をかなぐり捨てる覚悟」だ。

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