TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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6月11日土曜日 指導者は霊能力者 その2
入道雲


 雛見沢に朝が来る、古手神社に日が射した。

 既に起きていた上田と山田、梨花と沙都子ら四人は朝食を食べていた。

 

 

 朝食は昨晩作ったカレーの残りだ。山田がツッコむ。

 

 

「昨日のカレーかよ」

 

「残したら悪いだろ? 俺は米なら幾らでも食える」

 

「………………」

 

「コラ沙都子ッ! 野菜をこっそり俺のに入れるんじゃないッ!!」

 

 

 短いスパンで二度目のカレーとあり、さすがにうんざりはしている。とは言えがめつい山田はパクパク食べていた。一方で野菜嫌いな沙都子は目が死んでいた。

 

 その隣、梨花のカレーは他の者のカレーよりも真っ赤に染まっている。心配になって上田は尋ねた。

 

 

「……YOU。辛くないのか?」

 

「みぃ。どうせ同じ物食べるなら新たな刺激が欲しいのです!」

 

「いや、まぁ、だからてそんな……七味入れるか? もはや四川料理と化しているぞ……?」

 

 

 見た目にそぐわず辛党のようで、臆する事なく涼しい顔でモリモリ食べている。それを見て山田は感心していた。

 

 

「梨花さんって変わってますねぇ。私は無理だなぁ、七味とか入れるの」

 

「……ちくわとバナナを入れてタルタルソースと醤油かけている奴よりマシか」

 

 

 山田はかなり悪食家のようで、梨花の何倍も理解出来ない食い合わせでカレーを食べていた。

 その隣、皿の端へジャガイモを除ける沙都子。

 

 

「……コラッ!! ジャガイモを残すんじゃないッ!!」

 

「うぅ……上田先生がイジメる……」

 

「折角昨日と違い、新たなブレンドで煮込んだと言うのに……」

 

「……カボチャ以外になに入れたのですの?」

 

「これだよ!」

 

 

 取り出したのは赤ワインの入った瓶。

 

 

「……それどこで見つけたのですか?」

 

 

 途端に梨花が渋い顔となる。上田は得意そうに言った。

 

 

「戸棚の裏だ! 子供の君たちは飲めないだろうし、勝手に拝借させて貰ったぜ!」

 

「ワイン混ぜたのか。全然わからなかったなぁ」

 

「そんだけゲテモノにされたらなぁ!!」

 

 

 こっそり人参を皿の端に除ける沙都子。

 

 

「コラ沙都子ッ!! 人参を除けるんじゃないッ!!」

 

「七味追加するのです」

 

「胃に穴開くぞッ!?」

 

 

 

 

 朝食を済ませると、早速出掛けの支度を始めた。山田は上田に行き先と予定を聞く。

 

 

「上田さん、病院行くんですか?」

 

「病院じゃない、『診療所』だ。この村唯一で一番の医者と、日本で一番の頭脳を持つ天っ才物理学者は有意義な対談をしてくるのだ」

 

 

 上田とは梨花も沙都子も同行するようで、一人別行動となる山田に沙都子は尋ねた。

 

 

「山田さんはどうなさるんですか?」

 

「ちょっと、村を見て回ろうかと」

 

 

 山田としてもジオ・ウエキと出会ったダム工事現場前に行き、メモ帳の文字を読み取ったトリックの、考え得る可能性を試しに行くつもりだ。

 

 

「お昼過ぎには戻ると思いますんで、またそれまで」

 

「みぃ。今生の別れにならない事を祈るのです!」

 

「……神社の子にそう言われると不安になるな」

 

「にぱ〜☆」

 

 

 こうして一旦別れ、山田はダムの工事現場前へ、そして残りの三人は「入江診療所」へ向かう事となった。

 

 

 

 

 まさか平穏な朝がこれっきりになるとは、誰も知り得は出来なかった。

 今この時でさえも、着実に確実に、不穏が全てに覆い被さらんと、首を伸ばし始めていたのだから。

 

 丁度村を俯瞰する、巨大な入道雲のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜宮レナは、寝惚け眼で一階に降りる。

 途端に鼻を突いた、甘い「シャネルNo5」の匂い。彼女はこの匂いが何よりも嫌いだった。ぼんやりしていた頭が即座に冴え渡る。

 

 

 居間に続く襖を開けるのも、勇気を出さねばならない。

 一息吸って、深く吐いて、意を決して開いた。

 

 

 

 やはりだと、「気のせいかも」と信じていた一縷の希望を無かった事にした。

 

 

「あらっ、『礼奈』ちゃん。おはよっ!」

 

 

 底の知れない何かを、厚い厚い皮膚で覆い隠したような満面の笑み。

 短く切った髪、穏やかな声、優しそうな笑み。それがなぜかレナの神経を逆撫でする。

 

 

「…………『リナ』さん」

 

「あ。おはよう、礼奈」

 

 

 台所から出て来たのは彼女の父親。

 リナと呼ばれる女性の傍らに近付き、何も知らない笑顔を浮かべている。

 

 

「……おはよう、お父さん」

 

「今日は父さんが作ったよ。朝から少し重いかな……カレーだけど」

 

 

 鼻をスンスンと動かせば、確かに香るルーの匂い。

 それを、シャネルが邪魔をしているようにしか思えなかった。

 

 

「三人揃ったんだし! ねっ! 一緒に食べましょうよ!」

 

「食べるだろ? 礼奈」

 

「…………うん」

 

 

 父親は張り切って、台所に戻って行く。

 その間にリナは座布団の上に座り、運ばれて来るであろうカレーを鼻歌混じりに待つ。

 

 

 

「………………」

 

「……どうしたの、礼奈ちゃん?」

 

「………………」

 

「座らないの?」

 

 

 わざわざ自分の隣を、勧めて来る。本心を隠そうと決めていたのに、思わず躊躇を見せてしまう。

 

 

「………………」

 

「……まだ、信用してくれないの?」

 

「…………そう言う訳じゃ……ないんです……」

 

「…………礼奈ちゃん」

 

 

 リナは微笑みながら、少し困ったような顔を見せた。

 

 

「……私、あなたのお父さんとの『結婚』、本気で考えているの」

 

 

 本当だろうか。

 

 

「とても、深く……愛しているのよ」

 

 

 信じて良いのか。

 

 

「だからね? 是非、礼奈ちゃんと」

 

 

 その漂わせている匂いの元、「シャネルNo5」は誰からの物だろうか。

 知っている。父親が、楽しそうに、買って来ていた事を。

 

 

 その前に、あなたが、猫撫で声で、ねだっていた事を。

 

 こっそり見てしまった、父親がいなくなった途端に浮かべた、下卑た笑顔を。

 

 

 

 全部全部知っている。

 

 

 

 

 

「…………礼奈ちゃん?」

 

「……っ!」

 

 

 ハッと気がつくと、目の前には不安そうな彼女の顔。

 

 

「どうしたの?」

 

「い、いえ……寝惚けてまして……」

 

「あら? 礼奈ちゃんも低血圧なの? うふふ! 私もなのよっ! 朝がキツいのよねぇ……」

 

「お! 楽しそうにお喋りかい?」

 

 

 期待した顔で、父親がお盆に乗せたカレーライスを持って戻って来た。

 

 

「是非、父さんも混ぜて欲しいなぁ」

 

「あははっ! もう、寂しがり屋さんなんだから!」

 

「ははは! かもね!」

 

 

 何も知らない、幸せな笑み。

 ああ。何も知らない事が、どれほど幸せなんだろうか。

 知らずに、ずっとずっと、眠っていたい。

 

 憂鬱な朝を無くして欲しい。

 それが駄目なら、どこか遠くへ行ってしまいたい。

 

 

 

「ほらっ! 礼奈ちゃん!」

 

「…………失礼、します……」

 

 

 リナの隣に座る。

 二人が手を合わせて「いただきます」と唱和するのに合わせ、レナも「いただきます」と呟く。

 

 

「丹精込めて作ったからね!」

 

「お茄子も入っているわ。夏野菜カレーねっ!」

 

「美味しいと思うよ! 隠し味もあるからさ」

 

「あら! 当ててみようかしら?」

 

 

 

 茄子の味も隠し味も、分かりっこない。

 隣の女のシャネルが邪魔をする。

 

 どんよりとした、何とも形容し難い気味の悪さが、入道雲のように心に現れ広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 診療所への道すがら、沙都子は上田へアルバイトの話をしてくれた。

 

 

「栄養剤の……つまり、『治験』のバイトか」

 

「朝から『痴漢』とはさすがはむっつり学者なのです」

 

「治験だつってんだろ! あと物理だッ!! 死ぬまで言わせる気かッ!?」

 

 

 沙都子は小脇に抱えていたファイルを上田に渡す。

 

 

「毎日二回お注射して、その日の体調をそこに記録するのですわ」

 

「まぁ、確かに一般的な治験のバイトだな。しかし毎日注射とか大変だろ。大丈夫なのか?」

 

「針が小さい注射器ですし、敏感な腕とかじゃなくて脇腹に刺すように言われていますし、痛みはあまり気にしてはいませんわ」

 

「みぃ。もう三年も続けているのですから大丈夫なのです! 寧ろボクらの生活の為なのです! 何が何でも続けさせるのです!」

 

「梨花、少し外道じゃありませんか?」

 

 

 記録表を見ると、一週間分の枠があって、そこに注射時間や健康状態の有無の記入欄がある。書き方も手馴れているようだ。

 思わず上田はふと思った事を聞いてみる。

 

 

「……しかしまぁ、なんだ。毎日二回注射って、まるで糖尿病の治療みたいだな。実は病気なんじゃないのか?」

 

「あら? 心外ですわね! 私、これでも凄く健康なんですわよ?」

 

「野菜食べられねぇ癖に」

 

「そ、それとこれとは別ですわ!」

 

 

 二人の会話を遮るように梨花が指差し言った。

 

 

「見えて来たのですよ」

 

 

 前方に、白く清潔感のある建物が見えて来た。

 今まで古い木造建築ばかりだった分、現れたコンクリート製の建物には少し驚かされる。

 

 

「ここがその先生の?……デカイな。こんな田舎に良く……」

 

「入江は良い人なのです! でも上田に負けないくらい変態なのです!」

 

「……なんで俺は変態扱いされてんだ」

 

「さっ! 入りますわよ!」

 

 

 沙都子に勧められるがまま扉を開け、中に入る。

 すぐに飛び込んで来たのは白衣の男と、変な声。

 

 

 

「沙都子ちゃあぁぁあん!! 会いたかったよぉぉおぉお!!」

 

 

 両腕を広げて抱き締めようとしてくるその男を、沙都子は慣れた様子で回避する。お陰でその後ろにいた上田が抱き締められる。

 

 

「やめろぉぉ!! 俺にそんな趣味はないッ!!」

 

「うぉっと!? あ、し、失礼しました!」

 

「朝から不気味な物見てしまったのです」

 

 

 ウェーと舌を出す梨花。

 男は眼鏡を少し持ち上げ、見慣れないと言いたげな様子で上田の顔を凝視する。

 

 

「えっと……あの……ええー、どちら様でしょうか?」

 

「あぁ……私、日本科技大の上田次郎です。この村にはちょっとしたフィールドワークに来てましてね!」

 

「地質調査……おお! それは大層、ご立派な事を!」

 

 

 大急ぎで彼は手を白衣で拭き、それを上田へ差し出した。

 

 

 

 

 

「申し遅れました。私はこの入江診療所所長の、『入江京介』と申し上げます。上田教授……で、よろしいですか?」

 

「えぇ、教授の上田です! 入江先生、よしなにお願いいたします」

 

 

 二人は握手を交わす横で、呆れた顔の沙都子がファイルと使用済みの注射が入ったケースを差し出した。

 

 

「相変わらずなんですから……ほら。今週も記録して来ましたわよ?」

 

「おっと! ありがとう沙都子ちゃん! お給与は後で渡しますから、ちょっと待っててくださいね?」

 

「それは、何の調合薬なんですか?」

 

 

 上田の質問に対し、入江は苦笑い。

 

 

「ビタミンやアミノ酸等ですよ。栄養剤の研究もしていまして、沙都子ちゃんに協力してもらっているんです」

 

「医者の傍らで研究ですか! なかなか、あなたもご立派な事をなされて!」

 

「いやいやいや……」

 

 

 そっと入江は上田へ耳打ちする。

 

 

「……沙都子ちゃん、酷い偏食家でお野菜が嫌いですからね。健康をサポートしてあげようかと……」

 

「栄養剤投与しなければならないほどなのか……少しは好き嫌い無くせってんだ!」

 

「その様子では、沙都子ちゃんや梨花さんと親密なようですね」

 

「まぁ、私の研究のサポートをさせていましてね。彼女らの部活にもお邪魔したりもしましたよ!」

 

「ははは! 思った以上に村に馴染んでいらっしゃるようで!」

 

 

 

 入江はクルッと回り、再び沙都子と梨花に向き直る。

 

 

「それより! どうかなっ!? 待っている間……コスプレ、したくない?」

 

「したくないですわ!」

 

「みぃ……昨日の圭一のメイド姿で十分なのです」

 

 

 それを聞いた入江の目が血走った。

 

 

「なっ!? け、圭一くんが!? なんで私を呼ばなかったんです!?」

 

「お仕事の時間でしたし、お邪魔になるかと」

 

「圭一くんがメイドさんになるなら……私は全てを投げ捨ててでも行ったのに!!」

 

 

 なぜか悔しがる入江に、上田が話しかけた。

 

 

「まぁ、なかなか似合ってましたよ。あれは面白かった! そのまま水鉄砲で遊んで」

 

「しかも濡れたんですか!?……女装したメイド圭一くんのびしょ濡れ姿が見れなかったなんて……鬱になりそう」

 

「……もしかして、そっちの人なんですか?」

 

「いえいえ! ただ、女装した圭一くんが見たいだけです! 彼が女の子だったら結婚したかったとは思ってますが!」

 

「メイド姿の圭一が見たい。濡れた圭一が見たい。女装した圭一が見たい。女の子だったら圭一と結婚した…………つまり、ホモでは?」

 

「…………ん?」

 

「ホモでは?」

 

「…………なんでそんな事言うの?」

 

 

 勝手に一触即発のムードになる上田と入江だが、その暴走は沙都子に蹴られて止められる。

 

 

「早くっ!! してくださいましっ!!」

 

「うおお!? ご、ごめんなさい! すぐ用意しますから!」

 

 

 受け取ったファイルとケースを抱え、大急ぎで奥に引っ込む入江。なかなか濃い人物であり、上田は唖然と彼の後ろ姿を眺めていた。

 

 

「……まぁ、面白い先生だな?」

 

「どうしようも無い変態……って事を除けば、とても良い人なんですけどね」

 

「でもあんな感じに曝け出す入江より、ひた隠す上田の方が危ないのですよ?」

 

 

 一々棘のある梨花の話し口に、上田はうんざりしたような顔を向ける。

 

 

「お前、隙あらば俺を貶すのやめないか?」

 

「にぱ〜☆」

 

「にぱーをやめろっ!……ったく……」

 

 

 呆れ果てながら目線を上げた時、「おおう!?」と叫んでそこまま釘付けにされる。

 ナース服を着た美人が現れていたからだ。

 

 

「お、おほほう!……ナースさんだとぅ!?……しかも、めちゃんこビューティー……!」

 

「上田先生? 上田先生……?」

 

「ほれ見た事かなのです」

 

 

 看護師は梨花らに気が付くと、微笑みながら歩み寄って来る。

 

 

「おはよう、梨花ちゃんに沙都子ちゃん!」

 

「おはようございます!」

 

「おはようなのです」

 

「それと……ええと、失礼ですが……?」

 

 

 目からキラキラ星を飛ばしながら、上田は出来るだけ低くダンディーな声で話す。

 

 

「私……いや、僕は、日本科学技術大学の教授……ふふっ、もうすぐで名誉教授なんですがね? そこで物理学を研究しております、上田次郎と申し上げます」

 

「まあ! そんなお偉い先生が! すいません、ちゃんとした格好でなくて……」

 

「いえいえ! 眼福……間違えた。病院での正装なんですから! 寧ろ僕の方がキチンとするべきでしたねぇ! 参ったなぁ、ははあ!!」

 

「うふふ! 面白い方ですわね」

 

「うほほう! ありがとうございます! ええと……」

 

 

 胸にある名札を見遣る。

 ついでに膨よかな部類にある彼女の胸も見て鼻の下を伸ばす。

 

 

「『鷹野』…………」

 

 

 

 

 次の二文字を見て、読み方がパッと出て来ず眉を寄せた。

 

 

「……『さん、よん』?」

 

「ふふふ、読めないですよね……これで、『三四(みよ)』と呼びます」

 

「三四さんですか! いやいや、なかなか、風情あって良い名前じゃないですか!」

 

「ありがとうございます。そう言われたのは初めてですわ!」

 

「初めて……うひょひょい! 光栄です!」

 

 

 小躍りしながら話す上田を、冷めた目で忠告する梨花。

 

 

「鷹野! 危ないのでその男から離れるのです! そいつ獣なのです!」

 

「獣?」

 

「バッ!? なんて事言うんだッ!!……あぁ、いやいや! 僕の界隈では、獣は『フレンズ』を意味するんですよ! その事を教えましてね? ははは! たーのしー!」

 

 

 良い所だけを見せようと頑張る上田に、梨花も沙都子もとやかく言う気は失せた。

 そうこうしている内に、入江が帰って来る。

 

 

「お待たせお待たせ……あっ、鷹野さん。ここにいたんですか」

 

「薬品の整理とカルテのカテゴリー分け、完了いたしましたわ」

 

「ありがとうございます! 助かります……あぁ、こちらは、日本科技大の……」

 

「先ほどお互いに自己紹介しましたよ。上田教授! この村は良い所ですので、是非楽しんで行ってくださいね!」

 

 

 上田は有頂天な笑顔で、鷹野にぺこぺこ頭を下げる。

 

 

「是非是非是非是非、楽しませていただきますよ! 研究なれどもパーリナィッ!! なんちゃって!!」

 

「うふふ……愉快なお方ですわ!」

 

「うひょひょい! はいッ!!」

 

 

 上田と鷹野は互いにキツく握手を交わす。その間、上田の視線は彼女の顔から剥がされなかった。

 

 

「しかし、ここの診療所の設備。かなり、充実していらっしゃいますねぇ!」

 

「ははは! 親の威光ですよ……医者のいない所で誰かの助けになるのが、私の夢でしたので」

 

「それは本当にご立派だ!」

 

 

 沙都子が横から話しかける。

 

 

「それに入江先生は……ほら、前にも言いましたけど、野球チームの監督もされていますのよ!」

 

「地域密着型と言う訳ですね? そこまで出来る人はいませんよ!」

 

「あの〜……もう、離してもよろしいでしょうか?」

 

 

 鷹野と握手しっ放しだった。慌てて上田は手を離し謝罪する。

 

 

「いやいや、申し訳ない!」

 

「上田。帰るのですよ」

 

「もう少し待ってなさいッ!」

 

「なんで付いてきた上田が仕切るのですか」

 

 

 梨花にグチグチと言われた為に、仕方ないので話は切り上げる事にする。

 最後にもう一度だけ、上田は別れの挨拶をしておいた。

 

 

「では、入江先生。また是非、お暇な時に伺います。なんせ私には、ノーベル賞レベルの研究を山ほど抱えていますからね!」

 

「ここに来てから上田、遊んでばかりな気がするのです」

 

「黙ってなさいッ!!」

 

「あの……どうしてまた握っているのでしょうか?」

 

 

 無意識で、また鷹野の手を握っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方の山田は、建設現場までの道をテクテク歩いていた。

 

 

「ダムは〜、ムダムダ〜」

 

 

 雛じぇねの行進をまた見た辺り、今日も活動は活発のようだ。

 

 

 

「……喧しいのは、蝉だけにしろっての……!」

 

 

 ブツブツ文句を言いながら、暑苦しい陽の下で工事現場へと足を進める。

 

 

 

 

「えぇ、本当に。そうですねぇ」

 

 

 

 背後から突然、年配の男の声が聞こえた。誰かと思い、山田は振り返る。

 

 

 立っていたのは恰幅の良い体格をした、中老年ほどの男。上着を脱ぎ、特徴的な色合いのシャツとサスペンダーが目立つ。

 意地の悪そうなニタニタ笑いを浮かべ、ロマンスグレーの髪を撫でた。

 

 

「私、暑いのは我慢出来ますがねぇ? 煩いのは本当に勘弁と思っているんですよ」

 

「…………」

 

「ほら、暑いのは仕方ないじゃないですか。太陽を無くさない限りは。んふふふふ!」

 

 

 唐突に話しかけては、こちらを小馬鹿にするような気に触る喋り方と笑い方をする。山田は彼へ最大限の注意を払った。

 男はそんな山田の警戒心を知ったか知らずか、ペラペラと減らず口を続ける。

 

 

「しかしまぁ? 煩いのは頑張れば無くせますからねぇ。例え百でも二百でも、一気に追い払えたり出来ますから!」

 

「…………どちら様ですか?」

 

「あー、喋り過ぎてしまいましたな! 良く舌が回るもんで、名乗り遅れてしまいましたよ! なははは!」

 

 

 愛想の良い笑顔と言うより、本心を隠しているような笑顔。

 男は胸ポケットから、何かを取り出した。

 

 

 

 山田にとっては見知ったもの。とは言え普通に見られる物ではないもの。

 怪訝に満ちた表情は、一瞬でギョッと愕然色に変貌した。

 

 

 

 彼が取り出したのは警察手帳だった。

 

 

「私、興宮署の『大石 蔵人(くらうど)』と申し上げます」

 

 

 入道雲が太陽を隠した。

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