§14
葉陰の向こう、海が月翳を映し寄せては返す。
プライベートプールに、せせらぎの流れ込む音だけが静かに響く。
頬をなぶる空気の流れ。
火照った身体はまだおさまらない。
まだ冷やさないとだめだ、わたし。
そんなことを思いぼうっとしていると、ふわりと肩に腕が回る。
念入りに身体を拭いて。
バスケットにタオルをばさりと投げ込んで。
あたしってば苛々をどこにぶつけているのかしら。
どうしてこんなに苛ついているのかしら。
素直になろうって決めたのに、ひとつもなってないじゃない。
部屋はもぬけの殻だった。
開きっぱなしの扉の向こう、佇む陰にほっとする。
まるで、馬鹿みたいなくらいほっとする。
何処に行くって言うのよ、何焦ってるのよ。
口の中で呟いてみる。
月翳の下、ほっそりとした体が銀に縁取られて浮いている。
吸寄せられるように、腕を回す。
華奢な肩が、微かに震える。
肩甲骨にゆっくりと、あたしは身体を押しつける。
バスローブを通して、心臓の鼓動が伝わるほどに。
りかさんの腕は徐々に力が入るようで。
わたしの火照りが伝わってしまいそうで、
わたしはそちらを向くことなんてできない。
柔らかな胸の、静かな鼓動が背中から流れ込む。
破裂しそうなわたしの胸に、気付かれないといいのだけれど。
「月が・・」
「ん。」
「大きい。」
かおるの顔が仰がれる。
「そうね。」
「まんまるだね。」
りかの顔が埋まる。
「やあね。」
ぽかりと天には、大きな白いお月様。
なぶる風は、微かに熱を帯びながらあたしたちを擽って。
波の音に葉擦れの音が混ざる
地上にふたりきりみたい。
だからあたしは怖いのかしら。
まともに向かい合ったら、化けの皮が剥がれてしまうかもしれない。
気にもかけたことなんて、なかったのにね。
これまでの相手とは。
怖いことなんて、なかったのにね。
今までのあたしには。
確固たる自信があったわけじゃない。
心から信じていたとも言い切れない。
なるようになるものと、心のどこかで諦めがついていた。
辛くなり過ぎないように、心のどこかに逃げ場所を作っていた。
近づいて、近づきすぎて、
見えなくてもいいものが見えてしまった時。
こんなもんよね、って蓋が出来ちゃうように。
だから、変な癖がついている。
近づきたいけど、近づけない。
本当に欲しいものにだけ。
なのに突き放す事なんて、できるわけがない。
この柔らかな髪に、滑らかな背中に、
こんなにも執着しているから。
いつも強張る背中が好きよ。
すぐに言葉をなくしてしまう唇も。
キスする時に固く閉じる瞼も。
あたしの下で震える睫も。
わかってないのはわかってる。
「ねえ・・・」
りかさんが頬に唇を寄せるように。
少しでも動いたら、寄せあった肌が離れてしまいそうで。
わたしったら固まったまま。
「あたしの喜ぶことを、言って。」
「え・・・何を。」
「何か。」
口元が笑っているのが分かる。
だけど、なんて言えばいいんだろう。
喜ばせるような事なんて、言えた試しないの知ってるはずなのに。
わからない、だからわたしにとって一番大事なことを言ってみる。
「・・・好き。」
「ん?」
「大好き。」
「それが・・・あたしが喜ぶこと?」
「多分、ううん、絶対ちがう、と思うけど。」
ほっそりした腕に、そっと頬で触れてみる。
甘えて、許してって言ってるみたいだな、わたし。
「違ったら?」
「だって、他になんにも浮かばない。」
「 ・・・・そうよ。」
「え?」
「喜ぶ、ことよ。」
耳朶に軽く、歯が立って。
胸が強く押し付けられて、次の瞬間もう離れてる。
いい大人がなに甘えてるの、って言われたみたいに。
こういうのは胸に刺さるくらい、恥ずかしい。
「お風呂、入りなさい。」
わたしは月から目を落とし、まだ振り向けないままで。
りかさんが部屋へと戻る風だけが、ふっと身体を通り過ぎた。
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