§11
鼻の頭が赤くなる前に、観音開きのガラス戸からそっと入る。
りかさんは、なんだか疲れちゃったみたいで、
ラタンの長椅子に寝そべってる。
荷物なんか持ってくるな、って言うから、
一番小さいスーツケース。
身の回りの物だけさっさとチェストに投げ込んだ。
「顔・・・・。」
目を瞑ったまま、人差し指だけちょっと動かして。
「・・・見せてみ。」
顔、って言われても、はいどうぞって見せるものでもないんだけど。
とりあえず側にぺたんと座ってみる。
りかさんは薄っすらと目を開けて、
猫みたいな柔らかい人差し指でわたしの鼻の頭に触れる。
「熱い、じゃない。」
ああ、来て早々あたしってばもう咎めるみたいな口調だわ。
「日に焼けたら、どうするの・・・?
帰ったら、稽古あるのよ。」
あたしのすぐ側でくるんとしてた目が、どうしようという顔になる。
フォローしようとして、もっと咎めるみたいになっちゃうのね。
「そこのね、棚の上・・・うん、そのガラスの青いやつ、取って。」
そうだよね、わたしってどうしてこう迂闊なんだろう。
りかさんの溜息混じりの言葉が、胸にちょっとささくれを作る。
言われた瓶を急いで取ってくる。
「塗っとくわよ。」
人差し指がそっと触れる、ひんやりとした液体が鼻の頭を擽るみたい。
りかさんらしい甘い匂い。
わたしってば正座したままうっとりしてる。
あたしの指に、この子は顔を差し出すようにして。
それは無防備に、瞳を閉じて。
長い睫、細い鼻筋。
そして小さく開いた唇。これって確信犯?
構いたくなればなるほど、そっけなくなるあたし。
熱をもってる鼻先に、そっと掠めるようにしてローションを伸ばす。
ひやりとする感触に唇が尖り、あたしってばぞくっとしちゃう。
そのまま鼻のてっぺんに、唇
を寄せて軽く触れる。
驚いた目が開く前に、あたしは思いっきり椅子に沈み込んじゃう。
「あ・・・。」
駄目、なんにも言わないで。
あたしかなり悔しいんだから。
もっと格好つけたいんだから。
ここで誘われたら、もっと格好悪い事しちゃいそう。
「 お礼っくらい、 ・・・いいでしょ。」
「うん。」
さらさらの頬が、ちょっと躊躇しながらあたしの腕に触れる。
あたしたちはお腹一杯の猫みたいに、
目をそらしたまま、柔らかく寄り添ってる。
時差があんまり無いから、もう陽が傾きだした。
部屋一杯に広がる、鮮やか過ぎるオレンジの翳りを、
わたしは細い腕に頬を押し当てたまま眺めていた。
「ねえ、お腹。 空いた?」
寝そべったまま、絶対空いてないって声でりかさんが言う。
「そうでもない、飛行機で結構食べたし・・」
「何持ってきたの?」
「ううんと・・・Tシャツとか・・・水着とか。」
ああ、何答えてんだろう、わたし。
聞かなくてもわかってるよ、ってことしかいってない。
わたしってば、ばっかじゃないの。
だけどそんなものしか、持ってきてないんだもん。
いざ話そうとすると、つまらないことしか出てこない。
「ふうん。」
なんか考え込んでるのか、眠いのか分からないりかさん。
何だかわからない期待で、変に目がさえまくってるわたしとは大違いだ。
「じゃ・・とりあえず、買い物。」
「え・・・こんな格好のまんまだし。」
「いいのよ、敷地内のショップに行くだけ。」
でもってさっさとカートをよんで、
サンダルひっかけたまんまの、よれよれの格好でわたしは連れ出された。
柔らかなコットン、しゃきしゃきのリネン、分厚いシルク。
一流ホテルのショップだけあって、
街中の土産物屋では見られないような、いいものばかり揃ってる。
人気のない店内を、りかさんはすたすたとリゾートウェアのコーナーへ。
あれこれラックを物色する。
「りかさん、服買うの?」
「これは?」
ふんわりと裾の流れる透けそうに薄いコットンのサンドレスを外す。
レースのストラップ、が薄い肩にきっと映える。
りかさんが着たら、バレリーナそのものって感じかな。
「うん、すっごく似合うと思いますよ。」
「違う、かおるの。」
「えっ。」
冗談・・じゃ、ないよね?
りかさんてば、笑ってるようにも見えるけど。
汗の気配すらない、涼しさを描いたようなさらっとした顔してる。
「でも、服は持ってきてるし。」
「こういうのは、持ってきてないでしょ。」
そりゃ、そりゃ、そうだけど。
あたしってば、かおるを着せ替え人形にでもしてるつもりかしら。
でも、ここは非日常を楽しむためだもの。
だから、このくらいいいでしょ、って自分に言い訳する。
傍らで吃驚した目のあなた。
眉毛を片方上げて、どうしたの、って顔しないでよ。
「でも・・・似合わない、と思う。」
「いいでしょ。
あたしがね、見たいの。」
「じ、じゃあ。」
「これなんか、・・きっと
・・・・・・・・・・・・・・りかさんに似合う!」
そういってシルクのスリップドレスを手に取った。
入った時から目についてたんだ、りかさんが着たらどの位格好いいだろうって。
絶対引くもんか、そういう上目でじいっと見つめる。
りかさんとわたし、人気の無いショップの中で、
ドレスを抱えて向かい合って。
「りかさんが着るなら、着ても・・・・・いい。」
結局あたしたちは着せ替えごっこをするように、
お互いドレスに妥協した。
キャッシャーでルームキーを見せ、ペンなど走らせながら、
ホテルの大きな袋を横で抱えてるかおるは、ちょっと困り顔。
服じゃなくてもよかったの。
ただ、人のためになにか選ぶってしてみたかっただけ。
ううん、かおるのためだけに、ね。
ああ、もう、あたしってば。
楽しくて仕方ないわ。
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