なぜに上から目線〜?
私が「10代でぇ〜す。女の子で〜す。」と言ったり「ピアスつけてる」だとか「髪染めてる」は別に病んでるわけでも承認欲求に飢えてる訳でもない。
もっと言っちゃえば、「興味が1秒で無くなった相手に、ずっとしつこく話かけられる」とゆーのが、めちゃくちゃしんどいタイプ。私が「あー、そうなんだー」だとか「はぁい」と言ってる時、頬杖ついてダルそうにスマホいじってたら99%「うるさいから、はやくどっか行ってくれない?」というサイン。まー、通じる相手は、そもそもダラダラと生返事の私に長時間ついてこないんだけど?
学歴や年齢=賢いつもりがウザい
私は身元を隠して色々な場所をうろうろしているけど、そーすると、最初は自分と同族(同じ年齢や立場)と思い込んでる人が、急にお説教タイムや武勇伝語りに入って「うっわ、きもちわる!」となる事がある。
で、だいたい分かってきたんだけど、自分の10代がこうだったから、私も自分の時とどうせ同じみたいな人がいるらしい。そんな訳ないじゃん!
MacBookもiPhoneも物心ついたころには目に前にあって、読みたい本が自由に読めて、色んな方が「私の理解や成長スピードの合わせて最適なハイレベルの教育」を家庭教師として短期集中講座開いてくれて、あれこれ 1 ON 1 で教えてもらえた環境と、親がほったらかしで「みんなと同じ」授業と「みんなと同じ」思考パターンと「みんなと同じ」遊びしかない人では、見えている世界も考えれる範囲も知識の深さも10代であろうと既に大きく違うわけで、なんで同じって思うかなぁ?と不思議になる。
貴族時代の文化社会の劣化版ということを知らない人たち
貴族が当たり前だった時代、文化はもっと自由で個性的だった。例えば会話に合わせてお付きの演奏家が勝手に即興で音楽を奏でたり、理解スピードに合わせて「先生」が教えてくれる。
だから、根本的に今の中世ファンタジーもので描かれる謎の「現代社会的な同調圧力に苦しむ子供」なんていない訳ではないんだろうけど、恐らく大半は「自分は自分の道がある」になっていたはずなんだよねえ。だから内戦や同盟も盛んだったわけで。同じ思想や行動パターンにはめ込んでいたら、そんないざこざ起きるわけがない。
じゃあ今の文化って何ー?
それは私からみたら大半は「大量生産された安物のオモチャ」つまりは工業製品の類であって「娯楽」でもなければ「創造性」もなく、「文化的とは程遠い粗末なもの」を多くの人はありがたかがって大金はたいてる、そんな時代なんだろうなぁって感じる。
この時点で、私の感覚とは大きな断絶があり、私の感じること・思うこと・目指す未来とは交差しないし、別世界なんだよねぇとか思ったりする。
好きなことを好きにやる=他人は他人
私が服を買う時、何か身につける時、何か始める時、それは「面白そう」とか「何となく気に入った」からだけど「誰々がやっているのでやろうと思った」は、ゼロとは言わないけど、ほとんど、無いかなぁ〜って思う。
例えば、カヤックおもしろそーって初めても「私が面白いからやる」だけで「誰かにみて欲しい」だの「みんなはどう思うかな」は、無い。
海の上で、水平線の向こうで夕陽が沈んでいく時、真っ赤から紫、青への綺麗な夜空と夕焼けの混じり合ったコントラストは「私自身のため」に眺めるのであり、もっと言えば「他人のため」でもないし「周りなんてどうでもいい」状態で楽しんでいる。普通そうでしょ?ネトフリ見る人が他人のためにドラマ見るの?
そーゆー当たり前のことが分かることもできない人に、私の外見や年齢で物事とを断言して、あれこれ言われるのが非常にイラっとする。あなたの小さな世界なんか興味もないし知らないんだけど?
言わない=知らない、と思う根拠は何ですか?
私は「無反応」をよく使う。
あ、この人、この程度しか知らないんだ〜、可哀想〜って思っても、わざわざ「あ、それ違いますよ?勉強していないんですか?」とか毎回言うのは面倒だし相手も怒るし、私も暇じゃないし、そもそもが、どうでもいいから。「無視」でおしまい。
私は「見せない」もよく使う。
持っているもの、知っているもの、作ったものを、いちいち知らない相手にシェアしない。Noteアカウントでネコなんとかやってる時に「優しさをシェアしても、ろくなことにならない」と言われたけど「そんなバカな人はいないでしょ」と思って公開したあるものが「私が困っている人」を喜んで興奮する変な人を呼び寄せたり勘違いした人たちの暴走で「はい、沢山バカな人はいまーす」という厳しい現実によって、私に深い失望と困惑、呆れと冷めた心を与えてくれた。
おかげで、ボランティアで慈善活動するお金持ちの人がマジで大変な思いをしているのを理解できたし、多分、私は今後はうずくまっている人が通り道にいたら「どうせ演技だろう」と蹴飛ばして生きていく人間になりかけている気もする。蹴飛ばしはしないけど道をしれっと変えて遠ざかるかな?
そんなことしたらダメだよ、可哀想だよ、という友達もいるので、どう説得すればいいのか、葛藤している。でもさぁ、誰にでも無償の善意や愛情なんて枯渇するよ〜?
あー、くっだらないと思いながらも、先が見えていても、それでもあえてしゃがんで手を差し出す人間に私はなれるのか、ボーダーラインをフラフラとさまよっているよーな気がする。知らないけど。どうでもいいし。
そう、本音はどうでもいい、なんだよね〜。
なんで努力してきた私が、努力していない人の目線(狭い箱庭の世界)に合わせる必要が?その答えを、私はまだ知らない。わざわざ、なんのメリットもないのに相手する必要があるの〜?
かつて、親に「いらない子でーす」と言われて「あー、そうなんだ」だった私が保護されて色々なことを教わって、自動的に聖人聖女になるはずもなく…そりゃね、得たものには感謝だし、与えてくれた人たちには尊敬や敬意もあるのだけど、どーしても、私はそれ(善意や優しさ)を同じように他者にすることが、どーしても、できない。
なぜ?だってさー、多分、私は叔父や叔母の与えてくれた道は無償の善意ではないだろうと思っているからなんだよねぇ。
私の可能性とか、才能とか、そんなのは人とあまり大差ないと思うんだよね。
ただ私はずっと真剣に過ごしてきた。だからそれに見合う初期投資をしてもらえただけで、私の反応が薄けれ今ほどの境遇ではなかったんじゃないの?だってさ、教えにきた人に無反応なら、そりゃもう継続価値ないってなるでしょ?私はそうしなかった。必死に努力し続けた。
つまりは、私は自分の意思で、私はそうされるべき存在だと言う主張や振る舞いを私なりに子供なりに相応に、必死に行ったからなんだよね〜。
雛鳥とて無条件で餌はもらえない。巣から落ちた雛鳥は相手にされない。私は巣から落とされたけども、偶然、巣箱を与えてもらった。だからって別に選ばれた特別な人間でもなく、私は私に降ってきたチャンスを無駄にせずに必死に掴んできただけ…だから今がある。
だからねえ、なぁ〜んにもせずに今はないし、「天から贈り物」とかも無いんだよ。そんな私が優しさを向けることができるのは、そうしたいと思った価値がを感じられる人だけ、人数限定かなぁ〜ってなる。それが私の限界だし、私の本音だし、精神的なサスティナ…持続可能性ってやつ?
単に、今は心の余裕がないのから、かもね。
やりたいことを色々やったら、この気持ちは変わるかもしれないね〜。
でも、私はうんざりなんだよ。なぁ〜んにもしなかった人に同類にみられて同じ目線で同じ価値観を押し付けられるのが。小さな箱庭に興味ないし、勉強しない人=知らないことを素直に知らないって言えないレベルに話を合わせるの、すっごく疲れる。
おっしまい〜。


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