なぜわたしたちは日本を嫌うのか − 海外で暮らすと、あまりにも「自分が日本人だ」ということに気づく。
わたしは日本が嫌いだった。
視野が狭く閉鎖的で、世間の価値観や他人の目を気にするあまり、自分の意思を口にできない日本人が嫌いだった。こんな窮屈な国、早く出て行ってしまいたいと思っていた。
昨年ニューヨークに行ったとき、そのあまりの自由さに衝撃を受け、興奮し、これこそわたしが求めていたものだと思った。日本人ももっと、ニューヨークのようになれば楽しく生きられるのに、と何度思ったかわからない。
けれど今のわたしの気持ちは少し違う。
あれから月日が流れ、オーストラリアで暮らしている今、海外で暮らせば暮らすほど、どれだけ自分がその、忌み嫌う日本的思考を持った人間のかということを思い知らされている。
わたしがどれだけ日本を嫌おうとも、日本の国民性は、まるっとそのまま自分にすべて当てはまるのだ。
「視野が狭く閉鎖的で、世間の価値観や他人の目を気にするあまり、自分の意思を口にできない日本人」というのは、わたしのことだったのだ。
わたしは「日本が嫌いだ」と思っていたけれど、わたしが嫌っていたのは自分が持っている日本的な部分だったのだ。日本にいる間は気づかなかったけれど、海外で暮らして初めてそのことに気がついた。
自分が生まれ育った国を嫌うことは、すばわち自分を嫌うことなのだと思う。
人が何かを「嫌う」とき、たいていその「嫌いな部分」を自分の中に持っている。その自分にある嫌いな部分を、他人や、あるいはわたしのように国に見出し、批判する。自分がそんな部分を持っているのを認めるのが嫌で、代わりに自分以外のものを否定するのだ。
日本のことを嫌いだと思う人は、ぜひ一度海外で暮らしてみてほしい。自分がいかに、その「嫌い」な日本人的思考を持った人間かということに気がつくだろう。
そしてきっとどこかで「どこまでもいってもこれが自分なんだから仕方ないよね」と、嫌いな部分を含めて、自分のことを認められるときがくる。
そのときはきっと、日本のことも嫌いじゃなくなっているだろう。
だってそれが日本なんだもん。仕方ないよね。と。


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