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伝わるはずもなく
いやなのよ、待ってるの。
待ちわびていることに、気がついてしまうから。
あたしはぼんやりしたまま、窓から外をみる。
星一つ見えない、黒ずんだ空を。
網膜にあの子の残像がまだ鮮やかで。
どれだけあたしがときめいていたのか、気がついてしまう。
テーブルの上のオードブルは、オリーブを摘んだだけできれいに残ってる。
まるで喉を通らないみたいじゃない。
フォークで少しスモークサーモンを引っかいておく。
バジルソースのラインを乱す。
馬鹿みたいね、あたし。
チャイムの音がする。
あたしは無意識に、動きを測る。
身体中の神経をおさえ、扉に向かう。
あたしを牽制しながら、扉を開ける。
「・・遅くなっちゃって・・・・」
かおるが困ったように立っている。
あたしは扉を開き、彼女を迎え入れる。
「ごめんね、ごめんね。」
部屋に入るなり、いきなり連呼。
「何が?」
あたしはあえて分からないふり。
「・・・急に・・・会いたい、とか言っちゃって。」
なんでもないふりがやけに上手いあたし。
「別に・・・折角観に来たんだもの、いいんじゃない?」
ほっとしたように、身体が緩むのを感じる。
「ほんと?・・・・ほんとう?」
あたしの顔を、まともに覗き込む。
それは計算とかではない、とても自然に。
とてもあたしには出来ない仕草。
「嘘ついても、仕方ないでしょ。
・・・・座ったら?」
りかさんは微笑んでる。
だけどかえって不安になる。
微笑みは、何かを隠すのにとても都合がいいから。
自分がそうだから、りかさんもそうってわけじゃないけど。
けど・・・けど・・・
「りかさん、あんまお腹空いてないの?」
かおるが無邪気な声で尋ねる。
「う・・・ん、一緒につまもうって思ったから。」
一緒に、っていう言葉だけで顔が変わる。
笑窪だけで、どきどきする。
あたしは急に照れくさくなる。
「もう、食べてきちゃったの?」
焦ったように首をぶんぶん振る。
こどもみたい。
でもかわいい。
「ううん、あんまり食べてない。」
かわいすぎて、あたしは意地悪な気分になる。
「お呼ばれだったんでしょ?」
かおるはふんとでもいうように、顔を上げる。
「仕事だよ。」
あたしは又なんでもないように返す。
「忙しいなら、別にいいのに。」
不満げに唇が尖る。
「忙しくない。」
そんなわけないでしょ、わかってる。
「無理することないじゃない。」
声がちょっと高くなる。
「ううん、無理してない。」
ああ、りかさんと話すといつもこんな感じ。
わたしってあんまり感情的にならないつもりでいるんだけど。
なのに、この人の言葉にだけは馬鹿みたいに反応する。
りかさんはしょうがないわね、とでもいうように。
「いつだって会えるわ。」
「だけど、今会いたい。」
呆れたように、くすりと笑う。
わたし言い過ぎてる?
でも、ちゃんと言わなきゃわかってもらえない気がしてた。
りかさんがわたしにとって、どのくらい特別なのか。
りかさんから見たらものすごく暑苦しいのかな、こういうとこ。
「我儘ね。」
「りかさんのことだけは・・・・我儘だよ。」
かおるはいとも簡単に、あたしの息の根を止める。
あなたの言葉を、いいようにとってしまっていいの?
そんなに無防備でいいの?
触れてしまう距離は傷つけてしまう距離、分かってるの?
りかさんが急に黙り込む。
くるりと回って、テーブルについて。
いきなりワインをグラスに注ぐ。
わたしはその後を追いかける。
「怒ってるの?」
向かいに座り、身体を乗り出す。
「なんで?」
りかさんは目の端だけ上げてこちらを見る。
「我儘だから。」
又、目がグラスに戻る。
「別に。」
りかさん、こっちを見て。
わたしはたまらない気持ちになってくる。
「待たせたから。」
グラスを眺めたまま、口の端だけで笑われる。
「・・・まあね。」
わたしは返す言葉もなく、下を向く。
いきなりグラスが突き出される。
「なわけないでしょ。はい。」
とりあえず一気飲み。
あんまり食べてこなかった。
ううん、りかさんが待ってると思うと喉を通らなかった。
わたしは未だにりかさんを想うだけで胸が詰まる。
だけど、目の前にでると平気。
ううん、平気なふり。
とりあえずフォークとって、マリネを一口。
もぐもぐしてるわたしを、りかさんはただ眺めてる。
自分が食べるのを見られるのは嫌い。
かおるが食べるのを見るのは好き。
食べてるってだけで無防備に思えるから。
綺麗に盛られたオードブルを遠慮がちにちょこちょこ取るかおる。
几帳面にテリーヌをフォークで半分に分ける。
あたしはいささか行儀悪く肘をついて、グラスを舐めている。
「あの・・・・どうだった?」
おずおずと切り出される。
「なにが?」
「今日。」
「面白かったわよ。」
「それだけ・・・?」
「なんで?」
「わたし・・・・、んと・・・どうかなあって。」
「かっこよかったわよ。」
「嘘。」
「本当よ。」
「目が笑ってる。」
だめだ、わたしってば。
いきなり気分がしゅるしゅるなっちゃう。
りかさん笑ってくれたよね。
指さし返してくれたよね。
「かっこいい」って声かけてくれたのに。
そして、ほんの少し、泣いてくれたのに。
ものすごくりかさんが近い気がして、舞い上がって。
あれは本当にあったことなのか。
もう今はわかんない。
だめね、あたしってば。
浮かれそうな気分を押し隠す。
かおるが華やかに笑っていた。
本当にかっこよかったわよ。
思わず声が出るくらい。
あたしの胸が一杯になるくらい。
涙なんか出ちゃうくらい。
どれほどにあなたに魅かれ、憧れてしまうのか。
嫌というほど気がついたわ。
今もあなたはわかっていない。
「こっち、おいで。」
りかさんはしょうがない、という感じでソファに移る。
わたしは急いで後を追う。
「座って。」
膝の上にわたしは乗って。
重くないかな、身体が硬くなる。
かおるの体温が心地よい。
あたしは背中からしっかり抱きしめる。
さっき見たばかりの舞台のせいで、誰よりも一番近くにいたくなる。
この子を誰にも触らせたくない、無性にそう思う。
あたしはものすごくエゴイストね。
背中に頬を寄せ、苦く笑う。
「かけ声なんて、立派なもんじゃない。」
りかさんから今日は抱きしめてくれる。
「あ・・・れは、つい・・・・」
なんだか息が詰まりそう。
「つい?」
細い指が伸びて、わたしの指に絡む。
「なんて言っていいのか、ぐるぐるしちゃって・・・」
わたしは催眠術にでもかかったみたいに、ぼうっとしたまま話す。
「しちゃって?」
りかさんの指は遊ぶように、わたしの指を握り締める。
「いつもは『愛してる!』とかいっちゃうんだけど・・」
あたる胸が柔らかい、そんなことに気づきまたどきどきする。
「だけど?」
耳元にりかさんの息を感じる。
「ぐるぐるしすぎて・・・」
囁くような声にくすぐられ、わたしは震えそう。
「『眩しい』、でしょ。」
なんだかとてつもなく恥ずかしい。
りかさんが観に来てくれた。
わたしを観に来てくれた。
それはりかさんの下から離れて初めてのこと。
『券、ある?』
なんでもなさそうに言ったりかさん。
『も、勿論です!』
わたしは舞い上がりすぎてて、敬語になってた。
幕が開いた瞬間から、もうそこしか目に入ってなかった。
今日のわたしはりかさんにどう観えるかばっかり考えてた。
そんな自分を見透かされたようで、わたしは言葉が出なくなる。
細い首がこくりとうなずく。
耳まで赤くなってるのが分かる。
かおるらしい。
かおるらしくない。
あたしにはわからない。
でもいとおしい。
「あ・・・の。」
いきなりゆっくりと体重をかけられる。
わたしたちはソファに重なるように倒れこむ。
りかさんの頬がわたしの頬に触れる。
弄ぶように、シャツの裾から手が滑り込む。
「ええ・・・と・・」
なんか言葉が出ない、間が抜けているあたし。
細い爪は綺麗なベージュのマニキュア。
爪が胸元にそっと上がる。
「いい男だったわよ。」
忍び込んだ爪がわたしの胸を弾く。
「綺麗で・・・」
たちまちわたしの身体が敏感になる。
「かわいくて・・・」
爪の辿る跡が、じんじんする。
「・・・ね。」
唇が唇に覆われる。
かおるの目が、とろりとした膜に覆われる。
掌に伝わる鼓動が大きくなる。
あたしはたまらない衝動に駆られ、乱暴に口腔を弄る。
かおるの舌は、酔ったようにあたしに絡みつく。
この子の舞台を避けていた。
来て欲しそうな目をしていたのは知っていた。
言い出しかねていたのも知っていた。
だけど、察してあげなかった。
あげたくなかった。
あたしじゃない誰かの下でやっているあなたを観たくなかった。
なんて我儘なあたし。
だからあたしの中では、かおると一緒にやったのはあたしだけ。
なんて子供騙しなあたし。
自分の嫉妬深さに呆れて泣けてきそうよ。
「りかさん・・・笑って・・る?」
かおるがあたしの下で不安そうな声を上げる。
あたしは黙ったまま。
「どうし・・・た・・の?」
答えるかわりにシャツを捲り上げる。
されるがままに、あなたのすんなりとした身体が現れる。
あたしは言葉も無くなって、ゆっくりと掌をあてる。
滑らかにくびれた鳩尾、柔らかく隆起した胸。
なにもかもが、いとおしい。
あなたの瞳に戸惑いが浮かんでる。
あたしを抱き寄せるように、腕が伸びる。
「ね・・・どした・・の?」
あなたはただ、あたしを求める。
見返りとか思惑とか、はなから置き忘れて。
あたしはただ、あなたを観る。
押し寄せる想いに、崩れそうになりながら。
「なんでもないわ。」
伸ばされた腕を抱きとめる。
身体中で抱きしめる。
そして、蕩けるようなキス。
言葉にできない想い。
そう、なんでもないはずなのに。
あたしの中に渦巻く想い。
あたしの心を締め付ける。
それは哀しい幻かしら。
あなたに想いを伝えることは。
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