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  四十一










そう、あたしたちは本当はなんにもいらない。




そんな簡単な事にすら気付かずに、
どれほど長い時間この夢幻の里にいたのかしら。
あの子の透徹した瞳は、冴え渡り沁み通り。
それはあたしの心を映し、静かにそして穏やかに。
揺ぎ無い強さをもつ眼差しに、あたしは洗われてゆくようで。






縁起棚の燈明も、清掻の音も、
いつもと変わらないはずなのに。
見世を張って、羨望と賞賛の眼差しを浴びて、
時は同じように流れているはずなのに。
あたしの流れは、確かに変わってきている。




金襴の綸子も贅を凝らした繻子も、
重くあたしを縛り付けるだけのものとなる。
そんな思いを引き摺りながら、物憂く踏む外八文字。
その風情がなぜか、浮世離れしているこの町では喜ばれる。






さまざまな色を纏って、生きてきた。
炎のような緋を背負い、飛び込んだ回り灯篭で、
蘇芳であったり石竹であったり。
そしていま、あたしの色は全て抜けてゆくようで。
それはかをると同じ色。
どんな色でも纏える、どんな色も纏わない。
それが行き着いた色なのかしら、
どこまでも澄み切った、初雪のような白へと。





あの子が調える衣に袖を通し、
あの子に見つめられて座敷をこなす。
あの子の閉じる襖の奥にあたしは消えて。
そして蒸せかえる香に首の後ろが焼けるような焦燥の中、
虚無に身を任せる。
瞳の裏で想うのは、かおるの紅い唇。




あれからあたしたちは、変わらず睦まじく。
だけどかをるは崩れることはなく。
ただ憧憬と信頼の眼差しで、
あたしたちは微笑みあう。


それは言葉よりももっと深い処で、
あたしたちを繋げてゆく。
こころが、溶けあってゆく。



人と人とがこれほどに近しくなることなど、
あろうとは思わなかったほどに。
かをるの全てが、あたしに叫びかける。



あたしたちは、離れてはいけない。













「だから、お願いよ。」





そして小判の包みをそっと渡す。
文字通りの袖の下。


「出入り切手、なんとか出して頂戴。」

大門をくぐる時には、あたしたちは出入り切手が必要。
後見に名主をつけて、医者に行くとかなんとかの理由をつけて。
出せる小判の値によって、あたしたちの縄は緩くなったり固くなったり。
どちらにしても、結局は籠の鳥だと思い知る。
生まれ持った羽根などとうにもぎ取られ、
其の上からけばけばしく作られた羽根を捻じ込まれた、奇妙な鳥。

「だけどね、紫吹太夫。
 その次の日は・・・わかってるだろう。」
ああ、わかってるに決まってる。
お店の秘蔵のかをるのお披露目。
だから、どうしてもその日じゃなくちゃいけないの。
あたしは眉を顰め、怒りを抑えながら低く言う。
「あたしが預かってる子なんだから、
 きちんと嗜みを教えて送り出したいの。」



この処はちゃんと客もとっている。
背中の微かな傷跡がたまらないという、馴染みどもはひきもきらない。
ああ、このくそばばあ、これ以上話が通らないなら、
あたしはまた部屋で伏せると言わんばかりの顔付きになる。






「まあ・・・・それもそうかもしれないね。」

溜息をつきながら、渋々というようにお内儀は小判を懐に入れた。


「じゃあ、いいのね。」
「ああ、お前とかをると二枚、今月の晦日に出しておくよ。」











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