TOP
三十九
内燈篭の灯が落とされる。
明かりの落ちた仲の通りに、ぽつりぽつりと光が浮き上がる。
遊里は客寄せに暇がなく、紋日の趣向は蛍狩りだという。
どこからかかき集めてきた蛍たちは、夕闇にその身体を焦がし始める。
たおやかな風に首筋を弄られながら、あたしたちは通りに出てゆく。
浴衣姿の遊女たちは笑いさざめき、客と共に蛍に興じる。
洗い髪に一つ櫛、野晒し柄の浴衣。
遠巻きにも肝を潰されているのがわかる。
団扇の陰で、太夫が小さく微笑む。
「太夫、なにがおかしいの ?」
不思議そうにかをるが尋ねる。
「ううん、ちょっと、みんなの顔がね。」
かをるは初めて気が付いたように、周りを見る。
遊女の嗜みに従って、団扇の陰からこっそりと。
薄ぼんやりと蛍の中に浮き上がるかをるが、嬉しげに微笑んだ。
その愛らしいさまに、あたしは見とれて笑みを寄せる。
太夫の選ぶものは、いつも他のお姐さんたちとはどこか違うもの。
贅沢とか値が張るとかはあるのだろうけれど、
何よりも太夫しか似合わない、そんなものしか近くには寄せなくて。
意気とか張りとか、そんなふうにも言われているらしいけれど、
どんな時でも、粋で美しくてなまめかしい。
憧れて止まないわたしだけれど、
櫛ひとつ差すにしても、太夫のそれとは及びもつかない。
蛍に幻燈のように浮かび上がる仲の町、
太夫は細い首を少しうな垂れるようにして、柔らかな薄闇を纏う。
湯上りの真っ白な胸元から、衣紋を抜いて、
ゆっくりと団扇を仰ぎながら、漂うように足を進める。
「だって、とても、素敵だもの。
・・・・・りか。」
口元を隠すように、こっそりと囁くかをる。
「そう、嬉しいわ。」
通りには感嘆する顔と呆れる顔は半々くらいかしら。
分からなければそれでいいと、何事もそう思ってやってきた。
野暮な輩に分かったふうをされたくなかった。
それくらいなら、眉をひそめられ溜息をつかれるほうがずっといい。
けれどかをるの言葉は、顔が赤らむほどに嬉しいのね、あたし。
「今日はお座敷は少しだけよ。」
引く手あまたの松の位の噂を真に受けて、
僅かな逢瀬でも有難がってくれる、遠国のお大名。
この町で本当にものをいうものがなんなのか、
分からぬままに、お国へ帰ることだろう。
そちらのほうが、きっと幸せなことだろう。
「具合がすぐれないようなら、戻っていらっしゃい。」
涼やかに吹き始める夜風が気にかかり、つい口にでる。
「いいえ、そんなことありません。」
とは言っても、その抜けるような肌の色、
蒼く薄く血が浮いて見えるような。
「じゃあね、さっさと切り上げましょう。」
「まあ、太夫ってば。」
そしてあたしは、おつにとまった風情で客をあしらう。
戯れに頬を上げるだけの笑みを浮かべ、
吉原と地女との違いを見せつける。
一刻ほども、もう経ってしまったかしら。
身体がすぐれないとか、夏風邪の気味だとか、
なんとかかんとか理由をつけて、あたしはかをるを連れて座敷を抜けた。
そろそろ亥の刻、賑わっていた遊女たちもそれぞれの座敷に上がり、
人影もまばらな通りを、かをると共にゆっくりと戻る。
微かに揺れる柳の陰に、仲間とはぐれた蛍が震えている。
「蛍・・・もう随分と減っちゃいましたね。」
声音に淋しそうな響きが混ざる。
「かをるは蛍が、好きなの?」
「好きっていうか ・・・ 懐かしかった。」
微かな光が滲んだように、遠くを見つめる瞳が潤む。
「そう。」
「だけど、みんなどっかにいっちゃった。」
そっと、後ろからあたしに手を重ねる。
掌は熱を持って、あたしはそれを握り締めるように。
「そうね、ここには住めないわね。」
「うん、きれいな水でないと駄目なんですって、蛍。」
「ここの水なんて、お歯黒どぶ位のもんだから。」
「わたしが蛍なら、あそこで溺れたくない。」
「かをる蛍は、じゃあ、どうするの?」
澄み切った夏の空、かをるは瞬きして頭を上げる。
降るような星の下で、柳のそよぐ音だけがたおやかに。
「う・・・ん、一番綺麗な星に向かって飛んでみるの。」
「それで?」
「飛べる処まで飛んで ・・・・。」
そして唇を尖らせて、ぐるりと天を見渡して。
瞬間ふわりと口が開く。
「そうしたら星の屑くらいには、なれないかしら?」
まるで夢でも見ているように。
「そうね、かをるなら、きっと。」
あたしも星空に酔ったように。
「蛍みたいな、綺麗な星になるわ。」
かをるの瞳が此方を向いた。
「わたしの向かう、一番綺麗な星はね、」
星のような煌きを宿しながら、小さな唇を綻ばせる。
「 ・・・・・・りかよ。」
← Back Next →