三十五
それでも、かをるは稽古を欠かさず、
それでもその日は迫ってくる。
踊りも唄いも三味線も、人前にだせる位には一通りこなすようになり。
あたしは取り残されたような、気分に襲われる。
水無月を越えた季節。
廓は一日から、孟蘭盆を賑やかに。
店ごとに趣向を凝らした、玉菊燈篭が仲の通りにずらりと並ぶ。
とりどりの光が不夜城に回り、客たちを幻惑し引きずり込む。
そんな夜の中を、取り残されたように、
あたしは漂い続ける。
天は高く澄み渡り。
星々が降りそうに瞬く、七夕のお祭。
店ごとに出された笹の葉が、揺れて掠れた音をたてる。
あたしたちはそれぞれに、短冊に想いの丈を込める。
「太夫、短冊を吊るしてきます。」
かをるが短冊を抱きしめるようにして、顔を覗かせる。
「なら、あたしも行こうかしら。」
「え、でも。」
あたしの姿をみて、戸惑うような顔をする。
浴衣に洗い髪、今日はあたしの馴染みは入っていないもの。
「どうして?いけない?」
「いえ、じゃあ、着替えますか?」
「いいわ、これで。」
手早く髪を一つにまとめる。
小指で皿から紅を取り、
言い訳程度に、口唇にのせる。
「変かしら?」
さらりと纏う長板の本藍染め。
粋な小紋から覗く、真っ白な胸元。
少し顔を傾けた風情に、色香が匂いたつ。
団扇を片手に、背を伸ばすかをるを眺める。
「太夫は?」
こちらを向いて、尋ねられる。
「ん、いいの、あたしは。}
かたちに出来るような願いなど、いままでは持っていなかったから。
はじめてかたちになった願いは、文字になどできないもの。
「少し、歩きましょうか。」
あたしは思わず、かをるの手を握る。
七夕にやっと会えた、ふたりみたいに。
そして太夫は、ふわりと滑るように歩き出した。
ざわめく人通りが、太夫の前で割れてゆく。
そのただ中を、天の川を渡るかのように優雅にしなやかに漂ってゆく。
とりどりの玉菊燈篭、さわさわと笹の音。
わたしは手を引かれ、太夫にあわせて歩く。
素見の客たちが、ぽかんとした顔でこちらを見る。
だけど太夫は意にも介さずに、物憂げにも見える瞳をゆらりと流す。
「お腹 ・・・・空いた?」
いきなり、わたしは目を覚ます。
ぼんやり歩いている通りには、色々な屋台が出ていて。
縁日みたいな町だなと、思ったのが蘇る。
「かをる、何がいい?」
「え・・と、何でも。」
「だめ、決めて。」
わたしと同じくらいの背のはずなのに、小首を傾げて上目を向ける。
なんだか、とても可愛らしい。
かをるはぐるりと首を回し、顎を上げて唇を尖らせる。
そんなに真剣に考えなくてもいいのに。
だけど可愛くて、あたしはあなたを見つめるばかり。
「決まった?」
小さく頬に窪みを浮かべ、屋台の一つをそっと指差す。
「まだ、屋台でね。
食べたこと、ないの。」
珍しく甘えたような、声の色。
燈篭の灯りが、ふわふわと町に漂う。
柔らかな夜風が、襟足に触れていく。
わたしはうっとりと、太夫と掌を重ねる。
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