ずっと家にいた。40年、ほとんど外に出なかった。
若い頃は予備校に通っていた時期もあったらしいけど、就職もせず、大学にも行かず、気がつけば部屋から出てこなくなった。
親が元気だった頃はそれでもよかった。母は何も言わずに食事を部屋の前に置いていたし、父も何かを諦めたように黙っていた。
私が中学生の頃からそんな状態だったから、兄というよりも、家の中にある「何か」だった。
部屋の奥からたまに聞こえるテレビの音とか、夜中に水を飲みに出てくる気配とかで、ああ、まだ生きてるんだなと思うくらいだった。
親が死んだあと、私が実家に戻った。結婚もしていないし、仕事も在宅でやっていたから、都合はよかった。兄は相変わらず部屋にいた。私は朝と晩に食事を置いた。洗濯物は出してくれれば洗った。言葉はなかった。たぶん15年くらい、声を聞いていない。
ある日、食事を置いても減っていなかった。1日経っても変わらなかったので、意を決してドアを開けた。中は異様なほど整っていて、テレビも本も整頓されていた。でも兄は布団の中で冷たくなっていた。
役所に電話して、いろいろな手続きをした。特に泣くこともなかった。ただ、兄の荷物を整理していたら、古い日記が出てきた。びっしりと書かれていた。誰にも見せる気はなかったんだろう。何度も何度も同じ言葉が出てくる。
そして私は、これからもこの家にいる。
兄が最後まで出られなかった部屋の隣で。