合成麻薬の闇 名古屋が結節点

米・中・メキシコつなぐ地下経路
米中「新アヘン戦争」の裏側 狙われた日本㊤

中国企業をめぐる米ニューヨークの裁判が調査のきっかけになった=遠藤啓生撮影

2025年6月26日 2:00

米国に合成麻薬「フェンタニル」を不正輸出する中国組織が日本に拠点をつくっていた疑いが判明した。リーダー格は米麻薬取締局(DEA)も足取りを追っている。米中対立を生み、世界を揺るがしている問題は決して遠い国の話ではない。「新アヘン戦争」の新局面に迫る。



足跡は大量の公開データに埋もれていた。

2023年5月、フェンタニル密輸組織に対するDEAの逮捕状請求書

危険薬物を米国に違法流入させた疑いで、DEAは23年6月に中国籍の男「王慶周(Wang Qingzhou)」と女「陳依依(Chen Yiyi)」を逮捕した。捜査の過程で浮かんだのが「日本にいるボス」の存在だ。

「弊社には2人のボスがいる。1人は日本にいて、もう1人がこの私(王)だとクライアントには理解してもらいました」

25年2月、Amarvel Biotech裁判をめぐる米検察側の意見書

王らは中国・武漢の化学品メーカー「Hubei Amarvel Biotech(湖北精奥生物科技)」の幹部だった。法に反してフェンタニル原料を米国に持ち込んだとして米裁判所から有罪評決を受ける。公判で「日本のボス」と目される中国人男性の名前が明らかになる。

「陳はFengzhi Xiaが投資するAmarvel Biotechなど4社で働いていたと証言した」

フェイスブック 「Fengzhi Xia」のアカウント

友達6人、那覇市在住。23年8月22日に投稿した写真はどこか都市部の高層ビルを写している。

日本ではない。簡体字の看板がかかる店舗とビルの形を手がかりに位置を割り出すと、武漢で撮影した風景だった。米当局が摘発したAmarvel関係会社と距離が数百メートルしか離れていない。



浮かび上がる「日本のボス」

日本経済新聞は計100本を超すAmarvelの裁判資料を調べ、膨大な文書のなかから「日本のボス」は「Fengzhi Xia」という人物である可能性をつかんだ。記述はわずか数行のみだ。米当局も詳細を把握できていないのか、漢字名などは伏せたままになっている。

取材班は大量のSNS情報にあたった。そしてFengzhi Xia本人が使っているとみられるアカウントを見つけた。

この人物は実名制のフェイスブックで別の名前も登録していた。

「夏」姓の3文字の漢字名だ。中国語の発音を示すピンイン「Xia=夏」と合っており、とくに下の名前「Fengzhi」にあたる漢字の組み合わせは中国でもそう一般的ではない。

1人しかいないフォロー先はベトナムの薬品関係者だった。

SNS「微信(ウィーチャット)」や通信アプリ「テレグラム」、決済サービス「ペイパル」でも同じ名前のアカウントを見つけた。それぞれ自身を紹介するプロフィル写真はフェイスブックのものと酷似している。



中国企業データベースの天眼査 「富仕凱貿易(武漢)」

夏は中国各地にある少なくとも16社で株主になっていた。このうち武漢にある「富仕凱貿易」は夏が100%出資する。24年7月に辞めた監査役の「王慶周」はニューヨークの裁判で有罪になったAmarvel幹部と名前が一致した。

「法定代表者:夏……」「主要幹部退任:2024年7月15日 王慶周、監査役」

Firsky International Trade (Wuhan) のホームページ

富仕凱は中国語読みに近い「FIRSKY」というブランド名で活動していた。幅広い化学品を扱うとあり、日本とみられるオフィスビルも写っている。

「弊社は日本が100%出資する企業です。武漢に拠点を持ち、日本FIRSKYと強力な提携関係にあります」。自社紹介で使う工場写真はすでに閉鎖したAmarvelのサイトと完全に同じだ。

登記事項証明書 「FIRSKY株式会社」

FIRSKYは日本でも法人登記していた。代表者は夏で、名古屋市西区が本店所在地になっている。21年6月に那覇市で設立し、22年9月に移転した。

「会社目的:建築材料、化学品及び材料に関する輸出入……」「代表取締役:夏……」

取材班は中国や日本の企業データベースを使い、夏の記録を追った。たどり着いたのが中国・武漢の富仕凱であり、名古屋のFIRSKYだった。

両社は実質同じ組織とみられ、米国で幹部が有罪になったAmarvelともつながっていた。

米国でAmarvelの裁判が進む24年7月、名古屋のFIRSKYはひっそりと清算していた。のちに有罪となった王慶周が武漢の富仕凱を辞めた時期に重なる。

夏はAmarvel裁判で明らかになった「Fengzhi Xia」と同一人物で、組織のリーダー格だった可能性が高い。名古屋市に法人をつくり、少なくとも24年7月まで日本から危険薬物の集配送や資金管理を指示していた姿が浮かび上がってきた。

米中対立を生んだフェンタニル危機は人ごとではない。日本も最前線となっているおそれがある。



最悪薬禍生む「日本ルート」

日経新聞はフェンタニル問題をめぐる新たな重要事実をつかんだ。公的文書やSNS、地図、画像、データベースをつぶさに分析し、知られていない新情報を見つける。いわゆるOSINT(オープンソース・インテリジェンス)の手法を駆使した。

掘り起こした内容は欧州調査機関ベリングキャットの検証を受け「AmarvelとFIRSKYは同一組織といえる」との解析結果を得た。

米国ではいま、史上最悪と呼ばれる薬禍が広がっている。

23年には薬物の過剰摂取で、およそ11万人が死亡した。フェンタニルを代表とする合成麻薬が原因だ。なお多くの中毒者が苦しんでおり、とりわけ若年層では交通事故や銃を上回る犠牲者を生み続けている。

中国はメキシコやカナダを経由し、その危険薬物を米国へ送り込んでいる。トランプ米政権はそう主張し、3カ国にフェンタニル関税を課した。新アヘン戦争は世界全体に大きな混乱をもたらしつつある。

そうした渦中に無視できない声を何度も耳にした。

「日本はフェンタニルも含めた麻薬の密輸拠点になっている」

取材班は危険薬物の国際ネットワークを追ううちに、麻薬組織に詳しい複数のメキシコ人専門家らの協力を得た。彼らが決まって指摘するのが「日本ルート」だったのだ。しかも経路はいくつも存在しているという。

実際、その根は予期せぬところにまで広がっていた。

愛知県名古屋市西区――。

自動車など日本の製造業を支える中枢都市だ。ここに密輸団のひとつは静かに、かつ巧妙に、世界をつなぐ活動の結節点を設けていた。

登記先のビルにはFIRSKYの表札が残っていた(5月、名古屋市)=綱嶋亨撮影、画像を一部処理しています

DEAすら所在をつかめていない。そんな中国組織の中心人物が日本にいる可能性がある。「夏=Xia Fengzhi」とは何者か。取材班は専門家の助言を受けながら、まずは米当局が摘発したAmarvelの実態を探った。



メキシコ通じて原料密輸

中国企業であるAmarvelは海外に不正取引のネットワークを張り巡らせていた。米裁判資料からはメキシコとの太いつながりが見えてくる。

23年3月、タイの首都バンコク。市内のレストランで「メキシコの麻薬カルテル幹部」と名乗る男がAmarvelの王慶周と陳依依と向き合っていた。

「ニューヨークにラボ(麻薬製造所)をつくりたい。ただ、送ってくれたサンプルが強すぎて(試した)米国人が何人か死んだんだ」

米国でフェンタニルを密造したい。しかし原料となる化学物質の取り扱い方が難しい。こう話す男に王は中国語で返し、すぐさま陳が英語に翻訳する。

「メキシコや米国に製法を知っている顧客がたくさんいる。完成品をさばくのに助けが必要なら、メキシコの客に連絡も取れますから」

会合は円満に進んだ。最後はAmarvelがニューヨークにトン単位のフェンタニル原料を送ることで合意した。

カルテル幹部と自称する男はDEAのおとり捜査官だった。

米麻薬取締局が入るビル(6月、ニューヨーク)=遠藤啓生撮影

DEAは22年からAmarvelに狙いを定めていた。

Amarvelは自社サイトで「製品ニュース」と銘打って、危険薬物の宣伝を繰り返していた。中には「1-BOC-4-AP」や「1-BOC-4-ピペリドン」といった米国政府が規制するフェンタニル原料も含んでいる。

「私たちの工場は中国にあります。製品はメキシコの運送会社を通じて送ります」

顧客は米国人やメキシコ人を想定したのだろう、一連の情報は英語、スペイン語など多言語表記だ。グローバルな事業ネットワークを売り文句にしていた。



「麻薬テロ」が現実の脅威に

DEA捜査官にはメキシコの麻薬カルテルとの関係もにおわせた。

「シナロアの客が買った製品追跡番号を送ります」

22年11月には、Amarvel社員が対話アプリ「ワッツアップ」で暗号化メッセージを送り「上顧客」との取引実績をアピールした。メキシコ北西部シナロア州は同国最大級の麻薬組織「シナロア・カルテル」が拠点を置く。トランプ政権が25年2月に外国テロ組織に指定した危険な集団である。

ニューヨークを起点にフェンタニルを米全土に流通させる。Amarvelはそうした意図をたびたび示してきたという。

街中の路上でふらつく薬物中毒とみられる男性(6月、ニューヨーク)=遠藤啓生撮影

フェンタニルは致死量わずか2ミリグラムと毒性が強い。もしトン単位で米国に入ってくれば、数十億人が犠牲になりかねない。米当局が「麻薬テロ」と呼ぶ事態が現実にいくらでも起こりうる瞬間だった。

23年6月、南太平洋のフィジー。「合計3トン以上の原料がほしい」。DEAのおとり捜査官はこう言ってAmarvelの王と陳をつりだし、商談場所に指定した常夏の島国で2人の身柄を押さえた。その後、王と陳は米国内に移送され、25年1月にニューヨークの公判で有罪が決まる。

夏はいまも行方が知れない。

中国からメキシコ、そして米国へ。Amarvelがいくつもの国をまたぐ複雑なフェンタニル地下ルートを築いていたのは確かな事実だ。

そこに夏と日本の名古屋がどう絡んでいたのか。少しずつ手口がわかってきた。

=㊥につづく(敬称略)



日本がフェンタニル密輸ルートの結節点になっている疑いが浮かび上がった。「米中『新アヘン戦争』の裏側 狙われた日本㊥」は6月27日公開の予定です。



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