食卓から考えるイスラエル アラブ人の暮らし、人類学者が遺した絵本

平賀拓史

 コロナ禍で行動が制限された。パレスチナ自治区ガザにイスラエル軍が激しい攻撃を始めた。数年前から患っていたがんとの闘病も続いていた……。

 国立民族学博物館(民博、大阪府吹田市)准教授の菅瀬晶子さんは、イスラエル、パレスチナ地域に住むカトリック教徒のアラブ人を研究する文化人類学者だった。長年続けてきた現地のフィールドワークができないもどかしい時間の中で、昨年6月に1冊の絵本を出版した。

 「ウンム・アーザルのキッチン」(絵・平澤朋子さん)。大学院生のときに知り合った友人ウンム・アーザルさんの暮らしを題材にした1冊だ。イスラエル北部ハイファで暮らすアラブ人キリスト教徒の女性。彼女の家で一緒に暮らした日々を、「ある夏」の1週間という形で描いた。

 版元は、「ぐりとぐら」「はじめてのおつかい」などで知られる福音館書店。小学3年生以上を対象にした月刊絵本「たくさんのふしぎ」の第471号として出版された。

「それが人類学者の義務なんです」

 4人のこどもを育て上げ、山の修道院のまかない作りの仕事で収入を得ながら静かに暮らすアーザルさん。作品では、そんな彼女が作るアラブの家庭料理の数々が登場する。

 デュラム小麦で作った自家製パンにパプリカやチーズ、ハーブをのせて焼いたピザのような「マナイーシュ」、炒めたタマネギにレンズ豆と小麦のひき割りを加えて炊いた「ムジャッダラ」……。

 友人や、遠方に暮らす子ども、孫たち。絵本の中では、様々な人たちが食卓を囲み、あたたかな光景が描かれる。と同時に、決して楽とはいえない暮らし、家父長制による女性への抑圧、イスラエルという国の複雑な成り立ちなど、アーザルさんを取り囲む社会の姿も浮かび上がる。

 「紛争の話だけでなく、人びとの暮らし、日常を知ることが大切なんです」

 イスラエルのガザ侵攻開始から1年の節目を迎えた昨年10月。京都市内の「こもれび書店」であったトークイベントで、菅瀬さんは本にふれながらそう語っていた。「戦争が起きているところでも、どこにでも人々の暮らしがある。そこに目を向ける。それが人類学者の義務なんです」

 日本では、中東地域は「紛争」や「宗教対立」の枠組みで語られる。だがそこには、私たちと同じ日々の暮らしの営みがあることを知ってほしい――。絵本は、そう訴えかける。

 穏やかな口調の中にこもる熱い思い。イベントを主催した店主の西岡圭司さん(55)は、アーザルさんたち研究対象に対する菅瀬さんのひときわ深い思い入れを感じたという。「本の中でも、何よりも現地の人びとのことを第一に気にかけていた。だからこそ、パレスチナの日々の暮らしを破壊するイスラエルの行為に、強く憤っていた」

 本にはこんな記述もある。

 「ハイファは自由な考え方の人が多く、アラブ人とユダヤ人がいっしょに平和に暮らせるイスラエルでただひとつの街です」「アラブ人はユダヤ人と比べるとお給料は低く(中略)、アラブ人というだけで差別もうけています。それでも彼らは生まれ育ったこの国で日々生きています」。

 絵本の完成を間近に控えた2023年12月、菅瀬さんが修正を提案した箇所だ。

 もともとは、「ユダヤ人と比べるとお給料は低く、生活は楽ではありませんが、彼らもまた、イスラエルという国を支えているのです」という、ニュートラルな一文だった。

 しかし、ガザの戦闘が激しさを増し、アーザルさんらイスラエル国内のアラブ人がより困難な状況に置かれる中で、アラブ人が差別を受けながらも、そこで生きようとしていることをはっきりと記すことにした。

 このページには、老若男女のアラブ人17人が描かれている。全て、菅瀬さんから提供された写真がもとだという。編集者の北森芳徳さん(43)は「苦しい状況にあるアラブ人一人ひとりの顔を思い浮かべながら、文章を書いていたのだと思う」と振り返る。

 日本人にとって中東はなじみが薄い。しかもイスラエルに住むアラブ人キリスト教徒という複雑な立場を、どうすれば伝えられるか――。研究を通じて彼らの複合的なアイデンティティーを明らかにしてきた菅瀬さんは、子ども向けの絵本でも、紛争地の「生活の場」を見せ、その問いに向き合った。

 「アーザルに直接本を見せたい」。出版後、菅瀬さんはそうしばしば語り、パレスチナ情勢が悪化する中、アーザルさんの安否を気がかりにしていたという。

 だが、がんの病状が昨年後半に悪化。今年3月31日、東京都内の病院で亡くなった。53歳だった。

 くしくもその日、イタリアから思いもがけない知らせが届いた。ボローニャで開かれた世界最大級の児童書フェアで、「ウンム・アーザルのキッチン」が「持続可能性」をテーマにした世界の優れた150冊の選書に選ばれたというのだ。本はフェアで展示され、世界中の出版関係者の目にふれた。入選を受け、すでに海外の複数の出版社から問い合わせが来ているという。

 「アーザルさんへの深い共感を込めて書かれたこの本が、世界で広く読まれるきっかけになれば」と北森さん。

 絵本の後書きで、菅瀬さんは、こう締めくくっている。

 「たくましい彼女の物語から、紛争地と呼ばれる場所で生きる人びとに思いを馳(は)せていただければ」

「デジタル版を試してみたい!」というお客様にまずは1カ月間無料体験

この記事を書いた人
平賀拓史
文化部|論壇担当
専門・関心分野
歴史学、クラシック、ドイツ文化など
  • commentatorHeader
    川上泰徳
    (中東ジャーナリスト)
    2025年6月25日14時2分 投稿
    【視点】

    私は菅瀬晶子さんの絵本「ウンム・アーザルのキッチン」をネットで予約して入手したのは昨年5月でした。私が好きなのは、家族が大きなテーブルを囲んで食事をする光景です。本の中で家族が料理が並ぶ四角い食卓を囲む家族の絵は、いかにもパレスチナらしいと思いました。同時に、イスラエル軍の攻撃が続くガザで、このようなパレスチナのありふれた家族の光景が破壊され、人が死に、瓦礫に埋もれたことの悲惨さを改めて思いました。 https://x.com/kawakami_yasu/status/1786342954220888101 菅瀬さんは私が朝日新聞で「中東マガジン」というデジタル媒体を発行していた2011年ごろ、度々、パレスチナのキリスト教徒についての記事を寄稿してくれました。深い人間的な関わりに基づく、温かな観察とユーモアのある文章でした。 その中に、パレスチナの人々が梱包に使う粘着テープを「サッダーム」と呼んでいるという話が出てきます。彼女が近くのよろず屋に粘着テープがないかと尋ねる場面です。 ーーーーーーーーー   「ああ、“サッダーム”ね。ほいよ」  誰もが使う品だけに、テープはすぐ出てきた。しかし私の頭の中には、「?」マークがいくつも湧き上がってきた。  「えーと、……今、“サッダーム”って言った?」  「ああ、言ったよ」  「“サッダーム”って、あのサッダーム・フセイン?」  「そのとおり。ああサッダーム、彼こそはアラブの真の英雄だね!」  「……で、これもサッダームなの?」  「おれたちは、そう呼んでる」  よろず屋の主人は、荷造りテープをとんとテーブルの上に置いて、にやにやしている。眉をしかめてテープを凝視する私に、彼は笑って言った。 ーーーーーーーーー  菅瀬さんは会話を生き生きと再現します。滞在していたアラブ人キリスト教徒の家主の84歳の老女、ウンム・ジョゼーフから粘着テープを“サッダーム”と呼ぶ経緯を聞いています。 <イスラエルのアラブ人市民の間に、この奇妙なあだ名が定着したのは、あの1991年初頭の、湾岸戦争のときのこと。当時のイラクの元首、サッダーム・フセインは、アラブの大義の体現者としての自己のイメージを強調すべく、開戦直後にイスラエルに対してミサイル攻撃を仕掛けた。> <着弾時のショックで窓ガラスが割れるのを防ぐため、イスラエルに住む人びとはこのとき、こぞって粘着テープをもとめ、補強のために張り付けた。それ以来、アラブ人市民はこの騒ぎの元凶となった人物にちなみ、粘着テープを冗談めかして“サッダーム”と呼ぶようになったのだという。> ウンム・ジョゼーフは物置部屋に通じるドアをさして、「私が自分で張ったのさ」と菅瀬さんに示しました。 <はめ込まれたガラスの部分に、きっちりと十字架の形にテープが張ってある。ガラスが割れたから、修繕のために張ったのではないということを、私はこのときはじめて知った。  「でも、後で剥がさなかったの?」  「ふん、私はだてに長生きしちゃいないよ。後のことも考えて、この形に張ったんだ。ユダヤ人の阿呆はミサイルにおびえて、やたらめったら張るもんだから、剥がした後に汚らしい痕が残って、それもサッダームのせいだなんて文句を垂れるんだよ。でも、こうしてきれいに十字架の形に張れば、戦争の後も窓の模様になるだろう?」  ああ、愛するイエス様。祈りのことばをつぶやきながら、ウンム・ジョゼーフはいとおしげに、“サッダーム”でつくった十字架を撫でさする。なんだか自慢話を聞かされたようだが、このときの会話は私の記憶に、とても強く刻まれた。> この話を思い出したのは今回、イランによるイスラエルへのミサイル攻撃は繰り返され、イスラエル北部のハイファの近郊のアラブ人にも死者がでたからでした。イスラエルでアラブ系市民やアラブ地域は差別され、公共の防空シェルターも十分に整備されないとイスラエルメディアにありました。 イスラエルのアラブ系市民は粘着テープをいまも「サッダーム」と呼んでミサイル着弾による衝撃波に備えて窓に張ったでしょうか。粘着テープにそんな名前をつけたイスラエルのアラブ人について、菅瀬さんは次のように書いています。 <イラクからのミサイル飛来に、パニックに陥ったユダヤ人市民を尻目に、ガラス窓に粘着テープで信仰のあかしを刻みつけ、「いい思いつきだろう?」と笑ってみせる。なにもその強さは、彼女だけのものではない。粘着テープに“サッダーム”などというニックネームをつける、この地のアラブ人市民すべてに共通するものである。それはすなわち、常に戦争とともに生きてきたがゆえのしたたかさだろう。戦争と、血みどろの悲劇がすぐそばにあっても、ユーモアを忘れずにいることが、この地で生きてゆくにはなによりも大切なのだ。>

    …続きを読む