松重豊さん「おいしい」は平和の原点 被爆地生まれ、表現の基盤に

聞き手・榧場勇太

米国による広島、長崎への原爆投下から、今年で80年。いまだ戦争も核兵器もなくならないなか、どうしたら少しでも平和に近づけるのか。被爆地とつながる各界の人たちに聞きました。

 長崎市の平和公園の近くにある病院で生まれ、2歳か3歳ころまで、近くに住んでいました。家族から聞いた話か自分の記憶かあいまいですが、近所にカステラ工場があって、甘いにおいが漂っていました。安く売っていたカステラの端切れをよく食べていたので、今でもカステラが大好きです。

 当時、平和祈念像は子どもの遊び場で、上に登っている子がいました。自分もいつか登れるようになりたいと思った記憶があります。

 祖母は一番下のおじを妊娠中に被爆したと聞きました。風呂掃除をしている最中で、背中にガラスが刺さった。おじは胎内被爆者です。

 私たちの世代は「戦後」という言葉が学校教育で色濃く残っていて、上の世代の人たちが学生運動で「二度と戦争の起こるような世の中にしてはいけない」と訴えていたことを肌で感じていました。

 演劇の世界で、私の師匠である演出家の蜷川幸雄は反戦や平和に強い意識を持った人でした。表現で国境を越えることを常に意識していましたし、日本人は日本の中だけで表現すべきではないと考えていました。まず世界に目を向けるべきだと。海外の公演にも連れて行ってもらい、異文化や異国の芸能、芸術を学びました。

 長崎出身の野田秀樹さんの作品「パンドラの鐘」の舞台に、蜷川さんの演出で立ちました。長崎原爆の話を、パンドラの箱を開けた人類と重ねたストーリーです。過去の悲劇をどのように伝えるかということを考えさせられた作品でした。

 被爆者、戦争体験者が高齢になって、直接話を聞く機会が得られなくなる。彼らから直接話を聞いた私たちの世代がどうやって継承していくか考えています。日本は唯一の被爆国であり、その意識は絶対に忘れてはいけない。それを世界にちゃんと伝えていく責任がある国だと思います。第2、第3の被爆国が出たら、人類は終わってしまう。

 青臭い言葉ですが、芸術や娯楽の世界に身を置く者として、最も重要なものは「愛と平和」だと思っています。被爆者が多い長崎で生まれたということは、表現をする上で基盤として持っておきたいです。

 最近、私はただの飯を食っているおやじと思われているかもしれません。「劇映画 孤独のグルメ」で共同で脚本を書いて監督をしました。食文化として近くて、少し違って面白い東アジアを一つのテーマにしました。

 アジアの人々は支え合って豊かな食文化を育んできた。政治的な理由で緊張が高まることもありますが、戦争が起こったら、中国にも韓国にも行けなくなることを想像してほしい。おなかがすいたというキーワードは世界中の人とわかり合えるし、食べ物を通じて平和を考えることができます。

 広島も長崎も、今は過去の悲劇を忘れることができるほど繁栄しています。2011年の東日本大震災の後も、東北では復興という言葉の下に立ち上がってきました。その原動力の一つがその土地ならではの食文化です。

 昨年、震災と豪雨の被害にあった能登で「孤独のグルメ」を撮影しました。主人公の井之頭五郎が言っていたように、何か起きてもおいしいものを工夫して作り、人に食べてもらい、おいしいと感じることが大切なのです。そして、またその土地に来たいと思う、このこと全てが平和の原点だと思います。

     ◇

 まつしげ・ゆたか 1963年、長崎市で生まれ、福岡市で育つ。故・蜷川幸雄氏が主宰する劇団に入団。退団後はテレビ、映画、舞台に幅広く出演。2012年からドラマ「孤独のグルメ」で主人公の井之頭五郎役を演じる。Netflix「隣の国のグルメイト」配信中。

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この記事を書いた人
榧場勇太
長崎総局
専門・関心分野
平和、国内政治、地方自治、沖縄
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    平尾剛
    (スポーツ教育学者・元ラグビー日本代表)
    2025年6月24日8時39分 投稿
    【視点】

    我が家ではドラマ「孤独のグルメ」をよく観ます。食べて飲むことが好きな妻と盛り上がるのはもちろん、最近では小学校1年生の娘も楽しんでいる様子で、主人公井之頭五郎の美味しそうに食べるその仕草には思わず表情が綻びます。食は、大人も子供も関係なく笑顔にさせる。当たり前だけど食は世代を超えて、人をつなぐんですよね。あらためてそれをわからせてくれるのが「孤独のグルメ」です。 松重豊さん扮する井之頭五郎の、店を選ぶときとメニューを見ながら料理を選ぶときの真剣さ。供された料理に目を輝かせ、いざそれを口に運んだときのなんともいえない幸せな表情。そして完食を惜しむかのように夢中になって食べるその仕草は、何度見てもたまりません。あの名演技の背景に「被爆地生まれ」という背景があったのは、得心がゆきます。 平和の原点を問い続ける松重さんだからこその「孤独のグルメ」。私たち家族のオールタイムベストドラマです。

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