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二十五
「 紫吹だ !」
「紫吹太夫 !」
ひしめき合う群集から、声が上がる。
今日の道中はまた格別で、
吉原一の紫吹太夫の気紛れ道中。
噂は町中を駆け巡り、人いきれで充満した仲の町。
新造のわたしは、太夫の後ろを寄り添い歩く。
女歌舞伎の禁圧に代わり、台頭した色の街。
歌舞伎役者もかくやというほどに、
粋に口の端をあげ、ぐるりと目を渡らせる。
男とも女ともつかない色香を漂わせ。
見る者たちを、現の世界から引きずり落とす。
虚の世界に、迷い込ませ。
華やかな堤燈の灯り、賑わしいお囃子の音。
浄瑠璃のような激しい恋を、この人に夢で見る。
わたしの見ているものは、夢なのかしら。
今夜も太夫は座敷に揚る。
今夜もわたしは太夫を見送る。
五つ重ねの衾、錦の垂れ布、
閉じられる閨に顔を背けながら、わたしは臥所に戻る。
子時の通りは、人影もまばらで、
妓楼の柩戸は、すっかり閉ざされて。
重苦しい天から、水滴が頬に当る。
じめついた夜の通りで、足を早める。
部屋に戻っても、じめつきは離れない。
身体の内から蝕むような、こんな思いはわたしの知らなかったもの。
身体の内から滲み出る、この寒さはなんだろう。
化粧を落とし髪を解き、寝巻きに替えて蒲団に入る。
こんな静かな夜なのに、ざわつく胸が収まらない。
いつもと同じはず、太夫のいない夜。
なのにわたしの胸の奥で、なにかが暴れている。
舐めるような雨音が、薄暗い部屋を包みこむ。
「り ・・か。」
舌で歯を、なぞってみる。
頭まで蒲団に、潜り込む。
ぎゅっと目を瞑り、眠りが訪れるのを待ち侘びる。
渦巻く思いを、無理やりに押さえようと。
不意に胸に、鈍い痛みが走る。
押し潰されそうな、息苦しさに襲われる。
もう落ち着いたと思っていたのに、
高価な薬は大事に取っておいた。
澱んだ夜に、またわたしは咳込んで。
縋るものの無いままに、歯を食いしばり続ける。
りか。
夢と現の区別のつかない狭間を彷徨う、わたし。
回り続ける、情景。
初雪の峠、清掻の響。
賑わう宴、花魁道中。
握る掌、開く口唇。
溶けあう肌。
何を教えてくれたのか、まだわたしには分からないことばかり。
ただ想いは蒸留されてゆき、荒い息の下あの人だけが浮かぶ。
灯篭が、止まる。
りか。
わたしだけの、あの人の名前。
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