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「仏恩」という言葉

我々曹洞宗の『修証義』の末尾はこうなっている。

(第三十一節)謂ゆる諸仏とは釈迦牟尼仏なり、釈迦牟尼仏是れ即心是仏なり、過去現在未来の諸仏、共に仏と成る時は必ず釈迦牟尼仏と成るなり、是れ即心是仏なり、即心是仏というは誰というぞと審細に参究すべし、正に仏恩を報ずるにてあらん。
    「第五章・行持報恩」


それで、我々自身の日々の行持が、仏恩に報ずるもので無くてはならないという結論に至るのだが、その詳細は『修証義』本文に任す。それで、ここで「仏恩」という用語が見えるのだけれども、実は『正法眼蔵』の中では、1箇所しか使われていない。

又、かの結界と称する処にすめるやから、十悪をおそるることなし、十重つぶさにをかす。ただ造罪界として、不造罪人をきらふか。況や逆罪をおもきこととす。結界の地にすめるもの、逆罪もつくりぬべし。かくのごとくの魔界は、まさにやぶるべし。仏化を学すべし、仏界にいるべし、まさに仏恩を報ずるにてあらん。
    『正法眼蔵』「礼拝得髄」巻


このように、文脈が全く違っているのだが、『修証義』とは大内青巒居士が指摘するように、断章取義的文献なので、その辺はまぁ、どうでも良いとするべきか。それで、他に「仏恩」が用いられた例は、次の通り。

良久して云く、若し伝法度衆生せずんば、終に名づけて仏恩を報ずと為さず。
    『永平広録』巻2-155上堂


他にも、同巻7-483上堂には「仏の恩徳」という表現も見えるけれども、それは差し措く。実際、道元禅師の言葉として、「仏恩」が見えるのは、この2箇所のみである。数の多寡で重要性を単純に決められるとは思わないし、類語まで合わせて見れば、道元禅師が仏の恩に謝するべく、日々の行持を行うように勧めていたことは明らかであり、それをもって議論する必要は無い。

拙僧が気になるのは、この「仏恩」という用語だけれども、浄土教系の文献に多く見られることである。

・大悲をもつて伝へてあまねく化するは、まことに仏恩を報ずるになる。
    善導大師『往生礼讃偈』
・もし一人も苦を捨てて生死を出づることを得れば、これを真に仏恩を報ずと名づく。
    同『観経疏』
・また釈迦・諸仏同じく勧めて、もつぱら弥陀を念ぜしめ極楽を想観せしめて、この一身を尽して命断えてすなはち安楽国に生ぜしめたまふ。あに長時の大益にあらずや。行者等ゆめゆめつとめてこれを行ずべし。つねに慚愧を懐き、仰ぎて仏恩を謝せよ、知るべし。
    同『般舟讃』


最初の一節などは、『永平広録』に見る「仏恩」の意義に極めて近い。なお、善導大師は「自信教人信」に関連して、「仏恩への報謝」を説いている。次も同様であり、阿弥陀仏への帰命によって安心を得た衆生の起行の様子として理解して良いものといえよう。最後の一節は、釈迦牟尼仏や諸仏が阿弥陀仏の優れたる様子を説いてくださったからこそ、今の娑婆世界に生きる我々が安楽国(極楽)を想うことが出来ると説いたものである。よって、仏恩と一言ではいわれるけれども、その対象は阿弥陀仏に限定されたものではない。

然るに、当然に曹洞宗系統で使っていても違和感自体は無いのだが、ここでいわれる「恩」については、他力門という文脈であれば、なるほど理解はし易かろう。だが、自力門としてはどうだろうか?道元禅師の場合、見聞し難き仏法に出逢ったこと、そのものを「恩」として想うようにされている。例えば、以下の文脈もそうである。

如来無上の正法を見聞する大恩、たれの人面かわするるときあらん。これをわすれざらん、一生の珍宝なり。
    『正法眼蔵』「行持(下)」巻


よって、この「恩」の対象は、法をもたらしてくれた契機そのものに向く。師匠であったり、或る時に見た経典であったり、それこそ禅僧であれば大悟の機縁自体が対象となる。そうなると、「仏恩」という形で描かれる状況というのは、叢林修行などを通して、三宝を一に修行する禅林では、余り自覚されにくい感じがしている。浄土門の場合、阿弥陀仏からの救済が、自分に直接来ていることを自覚できたとき、それこそ獲信しているのであれば、仏と衆生との結びつきは直接的であるから、「仏恩」は意義のある内容となる。その意味で、善導大師の言説は、理解が可能である(まぁ、善導自身の他力門強調がどこまでのものだったかというのは議論して良いが、ここではしない)。

さて、我々曹洞宗で、ここまで「仏恩」が強調されたのは、『修証義』をきっかけとしている。『修証義』は、「四大綱領(かつては四大原則と呼称)」の影響が強いが、この「四大綱領」は、「本証妙修の四大綱領」ともされて、しかも当初これを唱えた大内青巒居士は、「本証妙修」と「安心起行」との関連を認めている(『修証義聞解』)。それは、道元禅師の『弁道話』から引いてきた「本証妙修」を「安心起行」で解釈したというのが、正確な表現であるといえようか。

つまり、『修証義』と浄土教系の安心起行論、或いは往還二相の発想は類似している。その中で、「仏恩」が強調されてきた可能性があるのである。ただ、これも合わせて指摘しておくが、青巒居士が当初に編んだ『洞上在家修証義』には見えないのであり、むしろ滝谷琢宗禅師によって精力的に進められた改訂時に導入されたのである。青巒居士と滝谷禅師との関わりは、中々不明瞭な点もあるけれども、滝谷禅師も他力門的な宗教構造の導入に否定的であったとは思えない。

ここからは推測に過ぎないが、「仏恩」については「本証妙修の四大綱領」構築時に、特に「第三章・受戒入位」に『梵網経』の一節が導入され、「仏位に入る」ことが安心決定の源泉となった時に、その『梵網経』を説いている仏陀(これが、釈迦牟尼仏と見るべきか、盧舎那仏と見るべきかで迷うけど)への報恩主張へとつながり、「仏恩」が導入されたのだろう、とか思うのである。その意味でも、やっぱり『修証義』って、「他力門」的ではあるのだが、それを超えて曹洞宗が社会一般に対して教化できた実績は、今後勉強しなくてはならないな。

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