LGBTとPZN、差別化戦略と戦いの歴史。
★はじめに ~「LGBTPZN」って???~
皆様は、「LGBTPZN」という言葉をご存じですか?
「LGBTPZN」はポーランドで生まれ、PZNに対するネガティブなイメージを利用することで、LGBTの分断、差別を助長するために作られたワードです。
上記引用の通り「LGBTPZN」という表現は、LGBTをPZN(P=ペドフィリア[小児性愛]、Z=ズーフィリア[動物性愛]、N=ネクロフィリア[死体性愛])といった極めて反社会的なセクシャリティと同カテゴリに置くことで、LGBTの健全なイメージを貶める文脈で使われるジョークの一種です。「健全な性愛」であるLGBTと、「不健全な性愛」であるPZNを同じ枠組みで並べて、
「権利擁護されても、しょせんLGBTは変態の一種だ」
と、嘲笑するニュアンスが多分に含まれています。
「LGBTPZN」はあくまでジョークですが、LGBTとPZNは何故かやたらと比べられる(特に同性愛とペドフィリアは歴史上でもSNS上でも度々比較・混同される)事もまた事実であり、実際にSNS上ではペドフィリアを非難するポストに対して同性愛を絡めた反論が付けられ、LGBT当事者が怒り心頭で反論し国内外でレスバが巻き起こっています。そして、その際にLGBT側が展開する反論は主に4つのパターンに分類されますが、PZNすべてにそれを適用するとどれも矛盾や曖昧さを含むため議論は決着せず、レッテル貼りや誹謗中傷、個人攻撃に終わる事もしばしばです。
そもそもPZN側は、LGBTの権利擁護の流れに便乗し「LGBTだけではなく我々にも社会的保護と権利を寄越せ!!!同性婚の次はズーフィリアの動物婚だ俺はこのゴールデンレトリバー(メス、2歳6ヶ月。超可愛い)と結婚するぞウオオオオオ動物性愛万歳獣姦最高!!1」と超アクティヴに的に主張しているわけではありません。むしろ社会からの理解とは程遠い沼地の中のヌルヌルした泥濘の中でひっそり仲間とクネクネしているだけに過ぎず、差別主義者により勝手に議論リングに引きずり出され望まぬ異種格闘技戦を強いられています。LGBTを攻撃したい連中がPZNの反社会性に眼をつけ、PZN当事者の意思など無視し対LGBT攻撃用特攻兵器として勝手に利用している訳です。
この構図はPZN側にとっても大変不本意であり、議論の前提自体が歪んでいます。悪の組織の策謀により本来は敵でなかった者同士が闘技場で死闘を繰り広げる展開はとても燃えますが、今ではLGBTとPZNは基本仲が悪いので多くの場合憎しみが生まれます。
LGBT活動家側の方の中にはPZNを存在自体が悪だと切り捨てて否定せず、部分的に許容し理解を示すべきだと主張してくれる方もおられます。現に、LGBTQ+のQ+にペドフィリアは含まれるか否かが、LGBT活動家の間で意見が真っ二つに分かれたこともあります。そして仲間同士で攻撃し合い炎上しあってSNSアカウントが次々凍ったりする事も、Xなどで多く見られました。
そして、折角なのでこの状況を機に、LGBT側が提示する反論のパターンを冷静に検討してみたいと思います。え、なんでそんな事をするのかって?
それは、LGBTが攻撃されてもPZNが攻撃されても
バイ(B)寄りゲイ(G)のズーフィリア(Z)の俺個人に甚大な精神ダメージが入るので、この論争を仕掛けた奴にもする奴にも滅茶苦茶腹が立っており、BGではなくZとしての俺が、いつも優勢なLGBT側の反論をあえて反証してバランス取りたいからです。
反論のパターンは主に4つ。
それぞれ、「性的合意」、「カテゴライズ」、「社会常識」、「連帯性」を論拠にして展開されます。一つずつ見ていきましょう。
1.「合意形成論」
*概要
「LGB(T)は性愛対象との合意が可能であり、対等な関係を築ける為に健全。
一方、PZNは性愛対象の合意が一切不可能であり、合意はあり得ない。
故に、LGBTとPZNは全くの別物。」
*補足
「例えLGBTでも、強姦行為などの非合意な性的行為は決して肯定されない。
PZNの性的関係は属性からして非合意な為、勿論肯定されない。」
一見、筋が通っています。
特にペドフィリア(P)に対しては有効です。
現代先進国では、未成年(特に幼児)に性的同意能力はないとされ、法的・倫理的に明確な線引きが存在しています。幼児の感覚遊びとして行われる「性器いじり」の動機を誤解して、「この子…まさか“性行為“を望んでいる…ってコト!?」と解釈する人は、即座に座敷牢に隔離して脳に電流を流したほうが良いです。
この点で、LGBTとペドフィリアの同一視は簡単に退けられます。
しかし、ズーフィリア(Z)とネクロフィリア(N)にこの論を適用すると、話が一気にぐにゃぐにゃになり説得力が失われます。
(Z)ズーフィリアのケース
「動物に同意はできない」と一括りにするのは簡単です。多くの人が「まぁ、そうだよね。喋れんもんな」と納得します。
しかし、これはまず「動物」の主語がデカすぎて問題があります。イソギンチャクとイルカ、犬とクラゲの認知能力を同じテーブルで論じるのは無理がある。とりあえず、「賢い動物」に絞りましょう。
例として、ズーフィリアは犬をパートナーとして選ぶ人が多い(これは海外のズーフィリア関連フォーラムに長年いた俺の知見です、あと馬)為、犬を挙げます。犬は吠える、唸る、噛む、尾を振る、身体を擦り付ける、マウンティング、マーキングなどの多種多様なボディランゲージで好悪を示し、場合によっては飼い主を「誘う」行動も報告されています。
(まぁこれ、ズーフィリア側の主張なんですけどね)
「いやそれは人間の勝手な解釈で犬のホントの気持ちは性行為なんて望んでなくて~~~!!!」
と思わず反論したくなる気持ちはわかりますが、
そもそもその動物の能力的にどこまで認知できるか、「動物との合意」とは何かを厳密に定義しないと議論は空中戦になります。嫌がる小型犬を無理矢理押さえつけて淫行に及んだら勿論「ただの非合意で人間の身勝手な動物虐待で加虐性獣欲の発露」ですが、体格差がそこまでない犬が発情期に飼い主との性行為を自発的に行おうとしたケース(犬が「挿入側」のケースにおいて、多くのズーフィリアがこのような行動があると主張します。また、それは「性行為の訓練」を習慣づけて覚えさせなくても自然に行われる、とも)はどうなのか、犬の自発的行動を受け入れるだけならばそれは合意ではないのか、といった形で答えなき議論へ派生してしまうのです(ここは『聖なるズー』(濱野ちひろ, 2019)に詳しい。面白いので是非読んでみて下さい)。
勿論、「犬が求めてくるから受け入れるって、児童から身体を求められても受け入れるとでも言うの?」というPZ同一視の誹りは発生するんですけど、発情が安定した犬は子犬ではなく成犬で身体が成熟しており、そもそも犬は人間の児童では決してない為、PとZを同じ文脈で非難できません。
加えて、「動物の合意」を問うなら、飼育、去勢、屠殺、実験などで人間が動物に一方的な行為をする際、いちいち動物に契約書と同意書を書かせて合意を得ているのかという根本的な矛盾も浮上します。
フライドチキン食べる時に肉用鶏の同意書に目を通してから噛ります?
「動物の認知能力」や「同意の可能性」、「異種族間の同意の定義」を真剣に検討し始めると、種ごとの知能差や行動特性を精査する必要が出てきますが、残念ながら「動物性愛者の飼い主に性行為を誘われた際の動物の性的同意の能力と実態」を検証する科学的実験データなんて反倫理的なものは存在する訳がなく、今後も研究される見込みは未来永劫ゼロです。
つまり、答えは永遠にブラックボックスの中です。
故に、同意能力が「ある」とも「ない」とも断じれません。
「ない」と断言するのはおかしい。そして「ある」と断言するのもまた、おかしいのです。犬の気持ちを推し量るのは人間のエゴである
(N) ネクロフィリアのケース
ここでは、さらに話がややこしくなります。
死体は「生命体」ではなく「物体」なので、同意能力の有無という次元自体が適用不能です。綿棒や電柱に同意能力を問います?
コーラ飲む時にペットボトルのキャップに同意得てから外しますか?
仮に死体を生前の本人の「所有物」と見なすなら、「生前に同意を得ておけば倫理的双方合意ネクロフィリアが可能」という話になりますが、LGBT側の反論者はそんなケースを想定していません。死体は日本国では法的に物体ですが、「元人間の物体」なので、対物性愛(オブジェクトフィリア)の人が車と性的合意を結ぶより遥かに合意形成の可能性がある事になります。
そもそもネクロフィリアは「LGBTPZN」ミームで嫌悪感を煽るために反倫理的セクシャリティ群から「最後に死体でも入れとくか」と雑に選ばれた感が強く、「擁護団体」や「組織的な主張」はPやZに比べ多く存在しません。PやZよりよっぽどマイノリティです。
しかし、もし仮に「生前の契約に基づく合法倫理的ネクロフィリア」を主張する倫理的絶対正義団体が現れたら、LGBT側はそれの受け入れを余儀なくされ、新たに「LGBTN」として生まれ変わることになります。ならねえよ。
まとめると、「合意形成論」は、LGBTがペドフィリアと絶対に同一視されたくない文脈で生まれたペドフィリア特化型反論です。特にペドフィリアに対しては強力な反面、ズーフィリアやネクロフィリアに適用すると論理が破綻します。ま、このあと紹介する論達もそうなんですが、基本的にPZN差別化戦略はやたらとPに対する殺意だけ滅茶苦茶高いです。
これは、LGBT側がペドフィリアとの距離を明確にしてきた歴史的背景(1980年代に少年愛団体NAMBLAをLGB運動から切り離した経緯など)とも関係しています。現代でも、LGBT攻撃者らによって「LGBTグルーミング陰謀論(LGBTや支援者らが子どもへ性的手懐けを行い、性的搾取しようとしてるとする陰謀論)」が吹聴されたりしますし、同性愛にとってPとの同一視は絶対に避けるべき事であり、一瞬たりとも少年愛団体NAMBLAと連帯した過去は汚点そのものなのです(そしてありとあらゆる差別の文脈でPは、LGBT攻撃用の便利な飛び道具として毎日ぶん投げられています)。
結局この論はPZN全体を一括りに論じるには雑なフレーミングであり、ペドフィリア絶対殺す論として限定的な効果しか持ちません。それでも、なんとしてもペドフィリアとの同一視を避けたい気持ちは理解できるし、議論の出発点としては悪くない。
ただZとNを巻き込むと話がグチャグチャになります。
*補足
Xのフォロワーさんから教えてもらったんですが、2016年にスウェーデン自由人民党青年部が
*加害者が起訴される恐れなく、死後に性行為のために自分の遺体を
「遺贈」する事の許可
*生前に本人が同意するという条件で、死体との性行為の合法化
を(経緯はわかりませんが)主張していました。他にもオーストラリア等でネクロフィリアの無害性と合法化の主張をした政党が存在していたようです。
倫理的絶対正義ネクロフィリア団体はあった!!本当にあったんだ!!
LGBTとPZNの違いが「合意形成の有無」によるもので、Nは社会的・宗教的弾圧や偏見、法整備不足で「健全な合意の形成を妨げられている」ならば、ネクロフィリアはLGBTと一緒に戦えるポテンシャルを秘めたセクシャリティとなりますね。でも、そうはならなかった。ならなかったんだよネクロ。だから、この論はここでお終いなんだ。
2.「性指向/性嗜好 論」
*概要
「LGBは性指向(sexual orientation)だが、PZNは性嗜好(sexual preference/paraphilia)。前者は性的アイデンティティの中核、後者は単なる嗜好に過ぎない。だからLGB(T)とPZNは根本的に別物。」
*補足
「反社会性が無く無害な性嗜好はK(キンキー)として連帯可能」
この反論はLGB(T)のカテゴリーである性指向と(Tは性自認)、PZNのカテゴリーの性嗜好(性倒錯とも)の違いに着目したもので、言葉の響きが似ているだけに(なんと日本語だと同音!美しい!)すっきり分けたように見えて極めて芸術点が高い。一瞬「なるほど!」と思わされますが、深掘りすると矛盾と曖昧さが浮き彫りになります。
まず、歴史的背景です。LGBT、特に同性愛は過去に「精神疾患」とされ、1973年に米国精神医学会がDSM-IIから除外するまで、非人道的な矯正治療(電気ショック療法や化学的去勢)が世界的に試みられました。結果、矯正はほぼ効果を上げず、被験者の自殺や精神崩壊を招いた歴史があります(矯正治療で病んでしまい、自ら命を絶ってしまったアラン・チューリングのケース等)。この「矯正不能性」が、LGBTを「性的アイデンティティ」として確立する根拠となりました。もし、この歴史の流れの中で、同性愛者を異性愛者に100%変容させる副作用もない安全な薬でも開発されていたら、昨今のLGBの扱いは今と全く変わったものになっていたでしょう。「治せるのに治さない」、「望んで好きでゲイやってる奴」「物好き」の扱いになってたでしょうね。多分、差別主義者に「治せるのに矯正しないという事は、自ら差別される事を望んだのだから配慮など不要」とか言われると思います。これはPZNへの無理解な攻撃に使われる常套句です。
問題は、PZN(ペドフィリア、ズーフィリア、ネクロフィリア)も同様に「矯正不能」な点です。ペドフィリアに対する矯正治療も歴史的に試みられましたが、「ペドフィリアではなくす」事は出来ませんでした。現代でも、
例えばMSDマニュアルでは小児性愛症の定義と診断を小児(通常13歳以下)を対象として性的興奮をもたらす強い空想、衝動、または行動が反復的にみられる事と定義しています。ちなみに「強い苦痛を感じているか、日常生活に(職場、家庭内、または友人関係で)支障をきたしている、もしくは衝動を行動に移している。」症状が無い限り「小児性愛症」とは診断されません。そしてその治療法の中で
小児性愛者を単に刑務所などの施設に収監するだけでは、たとえ長期間の収監であっても、小児性愛の願望や空想に変化が起きることはありません。しかし、収監された小児性愛者の中には、通常は薬物療法を含む長期的な監視下の治療に専念し、小児性愛的行動が抑制できるようになって社会復帰を果たす人もいます。
と記述していますが、「小児性愛的行動が抑制できるようになって社会復帰を果たす人もいます。」の一文からわかるように治療は「衝動や行動を抑制する事」しか出来ず、「嗜好/倒錯そのものを消す事」は出来ないのです。眉唾に思われるかもしれませんが、もし「性嗜好」そのものを消すことが出来る治療法が存在しているのなら、性犯罪者の再犯率は0%になる筈ですね。しかし、そうはなっていない事から、どのような治療をしても「嗜好」そのものを消す事は不可能と判断するべきでしょう。
LGBは性指向、Tは性自認、PZNは性嗜好とカテゴリーこそ違えど、変わることはあっても「消失」することはないセクシャリティとして共通点を持ちます。ヘテロがバイになる、ゲイがズーフィリアになる(ケモノ系エロ漫画とか読んで「変な"性癖"に"目覚めた"」ってよくカジュアルに使われますよね)ケースはあっても、「性的指向/性自認/性嗜好が消失する」例は皆無です。極端な話、ペドフィリアを去勢してロボトミー手術しても「去勢とロボトミーされたペドフィリア」が爆誕するだけで、「元ペドフィリア」にはならないのです。同性愛への矯正で「人格荒廃させられた同性愛者」は生まれても、「同性愛が消失して異性愛者になった人」は生まれなかったのと同じです。
LGBTを「性的アイデンティティ」として確立した「矯正不能性」の要素を、PZNも間違いなく保有している事になります。これに関し、LGBTがPZNを「ただの趣味」や「病気」、「矯正対象」などと非難する事は、かつてLGBTが受けてきた差別をそのままPZNにぶつけている構図となります。
つまり、「矯正不能な性」という本質ではLGBTとPZNに大きな差はなく、「性指向vs性嗜好」という言葉の使い分けは論理的な区別というより、LGBTがPZNを切り離すための政治的フレーミングです。指向は尊重すべきだけど嗜好は差別して良いなんて理屈はあり得ません(法の保護や行為の肯定に関しては話が全く変わりますが、差別して良いなんてことは両者ともあり得ません)。言葉遊びの巧妙さ故に芸術ポイントが高い反面、科学的・歴史的には両者を分ける根拠は薄弱です(倫理的にはありますが)。
LGBTがPZNとの差別化をはかるための巧みな話術に過ぎず、結局は「ペドフィリアどもと一緒にされたくない」という動機が透けて見えます。気持ちはわかるけど。
3.「社会常識論」
*概要
「LGBTは現代社会で不道徳と見なされなくなったが、PZNは反社会的で悪。故にLGBTとPZNは全く別物。」
*補足
「社会的に不道徳でないセクシュアリティならば、連帯包括は可能」
この反論は令和現代の「社会常識」を基準にLGBTを肯定しPZNを否定するもので、一見するとスッキリ理路整然。多くの人が「そりゃそうだわ」と納得します。しかし、これをグローバルな視点で考えると矛盾が生じます。
例えば、イエメン共和国やサウジアラビアのような同性愛が死刑に値するイスラム圏では、LGBTこそ「反社会的で死に値する悪徳」とされ、逆にPと親和性の高い児童婚が宗教的・文化的価値観で容認されます。また、アフリカ東部ウガンダなどでは、あろうことか2023年に「同性愛者だと自認しただけで「犯罪者」になり、性交渉をした場合には死刑になるおそれもある法案」が可決されています。
この論を振りかざす人は、イエメン共和国に対して「なるほど、あなたの国では同性愛は社会悪で、児童婚はOKなんだね!!」と賛同しない限り論理が破綻します。国やコミュニティの社会規範を絶対視するならば、上記の国々の社会規範も尊重する必要があるからです。しかし、「それらの国の価値観を尊重すべきだ」と言い出せば、LGBTを擁護する立場自体が反倫理的になってしまいます。
では、「いやその国の価値観は間違ってる! 欧米や日本の常識こそ正しい!」と文化帝国主義みたいな事を言い返したら? 自分たちの「常識」を普遍的絶対善と決めつけ、他国の文化や宗教を否定する態度。これはLGBT運動が「欧米キリスト教的価値観に抑圧された」と批判してきた構図とそっくりで、自己矛盾に陥ります。 「社会常識」を基準にするこの論は、どこの常識を採用するかで話がガラッと変わる脆さがあるのです。
歴史的にも「常識」はコロコロ変わります。ほんの数十年前、1980年代まで同性愛は多くの国で犯罪でした。要するに「社会悪」です。LGBTが「道徳的」とされるようになったのは解放運動の積み重ねがあってのようやく最近の話。逆に、ペドフィリアやズーフィリアは今は「反社会的」とされるけど、歴史的には扱いが揺れた例もあります。古代ギリシャの少年愛文化や江戸時代の日本の陰間茶屋、日本仏教の稚児と僧侶の男色文化(稚児灌頂)などが該当します。
一応、「同性愛者の死刑や女児割礼等の極端に人権を無視した文化は、宗教的な背景があるとはいえ国際的に批判されている」という反論も成り立ちますが、同性愛も過去には社会の退廃を招く病として世界的に批判されていた経緯があり、今でも多くの国で「悪」として差別され続けています。そこを無視して一方的にPZNを謗る事は差別の再生産です。
PZNを「社会悪」と断じるのは現代の「常識」に依存してるだけで、普遍的な基準になり得ません。宗教的な批判に関しても、特に動物性愛は同性愛と同じで、宗教的弾圧を強く受けたセクシャリティとして共通点があります(ユダヤ教、キリスト教は『レビ記』『出エジプト記』に基づき動物と行為者は死罪。イスラム教ではハディースに基づき同じく死罪。ヒンドゥー教では『マヌ法典』に基づき行為者は贖罪儀式をしなくてはならず、なんと日本の神道でも〈国つ罪〉の中で〈畜犯せる罪〉として罪であると定められています。)
要するに、「社会常識」を絶対視するこの反論は、現代の先進国(特に欧米)の価値観では一見説得力がありますが、社会規範が国や地域や時代でガラッと変わる弱点を抱えています。LGBTが「常識」になったのだってほんの数十年で変わった話。PZNを「悪」と断じるのも、今の「常識」に依存してるだけ。結局、この論は地域や時代に縛られており、LGBTとPZNを分ける根拠としては脆弱性があります。
4.「政治的連帯論」
*概要
「LGBTは、シスヘテロ(生まれつき身体性と性自認が一致しているシスジェンダー+異性愛者のヘテロセクシャル)社会の差別に対抗すべく、社会正義と社会変革の為に連帯している。PZNは独立した個人的嗜好にとどまる為、LGBTとは根本的に別物であり、包括されない。」
*補足
同じシスヘテロ社会の被害者であるQ(クィア/クエスチョニング)、I(インターセックス)、A(アセクシュアル/アロマンティック)P(パンセクシュアル)とは包括連帯が可能。
この論は、LGBTをシスヘテロ体制による支配構造へ対抗し社会変革を目指した被差別属性の集合体である事を強調。一方でPZNを「シスヘテロ社会の被害者ではない」反倫理的個人倒錯嗜好として峻別・除外するものです。シスヘテロ社会による被差別属性なら包括連帯し、LGBTQIAP+などにカスタマイズして勢力拡大が狙えます。よく「LGBT」自体が「性指向(LGB)と性自認(T)は別物なのに連帯しているのはおかしい」と内外から批判される事がありますが、LGBもTも「シスヘテロ体制」の被害者であり共通の目的を目指す同士なので、連帯には正当性があるという事ですね。実際LGBTにも内部対立はありまして、女性スペース問題でTを良く思わないLとか、異性愛者としても生きていけるBを良く思わないGとかいるにはいるんですが、その事は一旦置いておきましょう。
この論の問題は、「反差別の普遍性と矛盾する」事と、「セクシャリティ間のヒエラルキーが露呈する」事、「PZNの被差別性の透明化」です。それぞれ見ていきます。
4a.「反差別の普遍性との矛盾」
運動でよく使われるフレーズである「性によるあらゆる差別の撤廃」を掲げるならば、PZNも「変えられない性」として差別被害者側に含まれるべきなのに、そこを「何によって差別を受けたか」で選別・排除している点が最大の矛盾点となります。
LGBTもPZNも、「法的、宗教的、倫理的に不道徳とされている事があるセクシュアリティ」ですが、「性によるあらゆる差別の撤廃」を謳いながらPZNを未だに反倫理的として除外すると、そのスローガンはただの美辞麗句に成り下がります。あらゆる差別の撤廃を力強く掲げる傍らで、「許されない差別」と「許される差別」を分けている事になるのです。LGBT運動が掲げる反差別・社会正義の普遍性は、利己的に利用されると途端に選民思想化します。
実際、主張に賛同できるか否かは置いておくとしても、上で触れた通りドイツには動物性愛者団体ZETAが存在しますし、過去にはアメリカに少年愛団体NAMBLAなど、同じ「差別反対」「自身のセクシャリティの正当性の主張」を掲げているPZN団体も存在しています。これを正面から議論せず透明化・パージすることで、運動の「綺麗さ」を保っている訳ですね。運動には倫理的に肯定される大義名分と綺麗さが必要なので、別にこれら団体と連帯すべきだと主張する気は毛頭ありませんが、「あらゆる差別の撤廃」からは程遠くなります。
4b.「ヒエラルキーの露呈」
「政治的連帯論」を主張すると、
「社会変革の主体となれるセクシュアリティ」は上位、「孤立した倒錯セクシュアリティ」は下位という明確なヒエラルキーが発生します。
日本のSNSでも「ポリコレランク」や「ポリコレカードバトル」と性を装備品のように揶揄し、
バイ女性>トランス女性>へテロ>…(超えられない壁)>PZN(論外)
(これは一例です。どう順位付けても最下位はPになると思います)
なんてランク付けするジョークが語れることがありますね。
このような風潮は、本来セクシャリティとは「個人の自由で優劣のない属性」であるべきという運動理念と完全に矛盾し、「性によるあらゆる差別の撤廃」を謳う運動の倫理的一貫性を崩壊させる要因となります。
まぁ、動物愛護団体も「すべての命を大事に」と主張しながら可愛い犬猫や鳥類哺乳類だけを愛で、害虫・害獣駆除には一切関心を示さない事など茶飯事ですので、この手の活動にダブルスタンダードはつきものなんですけど。
*あくまで例えとは言え、小児性愛者、動物性愛者、並びに死体性愛者の方々に対し、大変に不道徳極まりない比喩表現を用いた事をここでお詫びいたします。誠に申し訳ございませんでした。
4c.「PZNの被差別性の透明化」
「社会連帯論」の最大の盲点は、LGBTとPZNを切り分ける際に、PZNも同様に歴史的・社会的抑圧を受けてきた存在であることを意図的に透明化する点にあります。ゲイやトランスジェンダーが「法的迫害・社会的偏見・職住の不利益・暴力被害・殺害」といった差別被害に晒されてきたのと同じように、PZNもまた激しい差別と迫害の対象であり続けてきました。LGBTも現在進行形で差別被害に遭ってますが、PZNもそれは変わりありません。隣人に死体性愛者来たら普通に付き合えますか?俺は出来ますけど大抵の人は無理だと思います。また、小児性愛者の保育士に子供預けられますか?無理ですよね。うん、もちろん俺も無理です無理に決まってんだろ。
にもかかわらず、現代の反差別運動は「差別の可視化と解消」を掲げながらも、PZNの被差別性については完全に沈黙を守っている事が、本論の構造的な欺瞞のひとつと言えます。
「LGBTはシスヘテロ社会の抑圧被害者、PZNは個人的倒錯」と分けたとて、
「シスヘテロ社会」が規範として性的規制を行う際、抑圧対象となるのは決してLGBTに限定されません。例えば、シスヘテロ社会構造の抑圧を受けた「健全な性規範」を逸脱したものにおいて、PZNはLGBTに同程度に過酷な差別と排除を受けてきました。近代の精神医学史を紐解けば、ペドフィリア、ズーフィリア、ネクロフィリアはいずれも「精神病」として病院送り・投薬・隔離・ロボトミーの対象となってきた歴史があり、これは、かつて同性愛が受けた差別構造と完全に重なりますね。
まとめると、政治的連帯の目的として「性によるあらゆる差別の撤廃」を掲げるならば、本来PZNの被差別性も議論の俎上に載せられるべきですが、それを透明化し続けることで、LGBT運動は自己の政治的正当性を守り、社会的利権の構造を維持している事になります。この欺瞞がある限り、「反差別」「性の多様性」を謳う運動の普遍性と倫理的一貫性は永遠に成立しません。
ちなみに、「私はLGBTQIAPK+の権利と差別撤廃だけが大事だし、変態の事は知らねえから勝手に差別されてろ」と主張できるなら、この論は普通にPZNとの差別化に使えます。動物愛護団体も犬とか猫とか兎とか熊とかイルカとか鯨とか鳥とかタコとかイカとかの権利こそが大事で、プラナリアとかアオミドロの権利はどうでも良いと思うので、それはそれでよいと思います。まぁ2度と「あらゆる差別の撤廃」は掲げられなくなりますけど。
*あくまで例えとは言え、小児性愛者、動物性愛者、並びに死体性愛者の方々に対し、大変に不道徳極まりない比喩表現を以下略
5.その他、反論の亜種
主な反論は上記の4つですが、それらを組み合わせて多種多様な反論がなされます。とても数が多くまとめきれないんですが、網羅してる分だけざっと並べて簡潔に反証してみましょう。
5a.被害影響論
*概説 「LGBTは無害だが、PZNは被害者を生むから別物」
「社会常識論」亜種です。これはP特攻型になります。Pには有効な反面、Zは屠殺・去勢・実験と性愛行為のどちらが被害か不明瞭です。Nは生前合意などの倫理的ネクロフィリア論で打破されます。
さらに社会悪影響論(ズーフィリアが市民権を得て、私の息子が動物性愛者になったらどうするんだ!!)は伝播性証明が困難です。ちなみに、同性愛も「伝染る」として忌避された過去があります。
5b.公衆衛生論
*概説 「Pは精神病を広げる、Zは人畜共通感染症を蔓延させる。Nなど認めたら死体の細菌からパンデミックが起こる。PZNは病原・疫病・精神病蔓延の温床だが、LGBTはそうではない。両者は別物」
PZNの「加害性」を広げたモデルです。これ本当に書きたくないんですが、この論を主張するとMSM(Men who have Sex with Men。要するに男性と性的接触を行う男性の事。性行為を行っているGとBが該当)の性病蔓延率(過去のHIV/AIDSの歴史を含む)を無視できず、ゲイとバイが即除外対象になる矛盾を抱えます。除外してLTとして活動するなら採用も悪くないかも知れません。
5c.アイデンティティ正当性論
*概説 「LGBTには文化・コミュニティ・歴史運動があるが、PZNにはないから別物。LGBTは性的アイデンティティであるが、PZNはアイデンティティになり得ない。ただの性倒錯だ」
「性指向/嗜好 論」の亜種です。LGBTとPZNの文化的背景を比較し、PZNはアイデンティティではないと断ずるものです。
実際は、団体でしたらZETA(Z)、NAMBLA(P)が確認できますし、文化的にも海外のFurryや日本のケモナー文化(Z)、コミケのペド同人(P)、創作のゾンビ娘(N)など存在し、良し悪しは置いておいてネット上に広範囲なPZNコミュニティと文化が確認できます。ちなみにケモナーはズーフィリア併存している人もいますが、同一視されると大体の人がブチ切れます。小学生のキャラクターのボーイズラブ同人を何重にもフィルターと予防線を張りながら公開し、腐女子の方々がそれを楽しむのも立派なPの文化なんじゃないですかね。美少年アイドルの文脈もPとして触れようと思いましたが、怖いんでやめときます。
というか、人様のアイデンティティを他人がたり得るか否か断じる事自体、まことに烏滸がましい。神の目線から喋ってんのか?
5d.「それは愛じゃない」論
*概説 「LGBTは恋愛感情・人格的関係性だが、PZNは快楽主義倒錯。PZNは必ず性が絡むただの肉欲の現れだが、LGBTは純粋な愛。小児性愛、などと愛を冠するのは傲慢」
俺が一番嫌いな主張です。お前はギリシア神話の愛を司る女神エロスか?
まぁそれは置いておいて、「性指向/嗜好 論」を応用して、LGBTを人間愛として賛美し、PZNを倒錯性愛として貶めて差別化をはかる論法ですね。そういや「「小児性愛」という病―それは、愛ではない」って本がありましたね。
そもそもPZNの「愛」は、例えば小児性愛は
ペドフィリア(pedophilia)は、ギリシア語で「子ども」を意味する「παῖς, παιδός (paîs, paidós)」と、「友好的な愛」もしくは「友情」を意味する「φιλία (philía)」を組み合わせた言葉である。
とされているものを、単に「小児+性愛(本能的な愛欲)」と訳しただけの話なので、「それは…""愛""じゃない…」とキメ台詞を言われても、「いや、だから性愛なんだが?」としか返せないんですか、まぁ置いておきましょう。
Pに対しては確かに、幼児が成長して大人になる過程で愛情が失われると仮定するなら、それは純粋な愛ではないよと多くの人が感じるでしょうが、そもそもそんなヤバい実験データは無いのでなんとも言えません(Nも同様)。
反面、Zに関しては、パートナーとする動物との愛情を確かに育んでいる者が存在する為に、実験データこそ無くても「ただの肉欲」と断ずるのに個人的に抵抗があります。というか、同性愛文化でも快楽志向の性行為文化は存在し、単純な二項対立化は成り立ちません。検索したら私の家の最寄り駅の近所のスーパーの3F多目的トイレはハッテン場でした。
5e.違法論
*概説 「LGBTは遵法、PZNは違法。よって別物」
PN特攻の「社会常識論」法律特化型モデルです。過去に同性愛も世界的に違法だった事が論に暗い影を落とします。Zに関しては獣姦罪の無い先進国が存在するので一瞬で論理が破綻します。
まとめ
こんな具合で、政治的フレーミングに沿ったLGBTのPZNとの差別化は詰めると色々ボロが出ます。まぁ反社会性のない健全なセクシャリティとして社会進出していく中で、陰キャのヒエラルキー最下層PZNと同一視でもされたら一撃即死モノなのでこの手の理論武装には個人的に理解がありますが、そもそもLGBTとPZNが戦わさせられている現状自体が歯がゆいものです。何度も述べた通り、歴史的に同性愛攻撃用特攻兵器として何度もPは利用され、今でもLGBTとPを同一視して排斥を叫ぶ差別主義者が後を絶ちません。
治安のよい日本に住んでるとわかりませんが、海外(主語がデカい)だとLGBTへの犯罪被害は深刻であり、場合によっては暴行により命を落とします。
ただでさえ己の生存権が絡んでいるのに、そこにLGBTなど比較にならないレベルで差別主義者の嫌悪感を煽るペドフィリアと同一視でもされたら本当に即死モノなので、LGBTはペドとは違うと主張する当事者の気持ちは理解できるんですよ。俺はジャパニーズZですが、別にLGBTにズーフィリアと組織的に連帯して欲しいとか一切思っていません。俺個人はズーフィリアとしてペドフィリアに対し被差別仲間として一定の理解があり、児童婚の実現や児童との性交渉などは論外(これ言っても「お前は小児性愛を正当化するのか!!ペドの仲間だな!」と罵倒してくる文章読めない人がいるんで太字強調しておきます)としても、その性を無害な形で解消する事で当人も隣人も迷惑を被らない事を望んでいます。落としどころとしては、創作物での性欲解消とかですかね。
とは言え、ズーフィリア当事者もよくペドフィリアと同一視されることがあり(恐らく、動物も児童も同じ「弱いもの」として扱われる為、同一視されやすい)、その度にズーフィリアらも「いや、小児性愛者と一緒にすんなよアイツらは異常者だけど俺らは動物を尊重してるから。俺達をペド野郎と一緒にするな!!」と反論することが多々あります。人間って不思議ですね。
多分、Pよりも嫌悪されるセクシャリティは犯罪性愛(ハイブリストフィリア)しかないんじゃないかと思います。
補足余談 じゃあどうすればよい?
ここまでLGBTがPZNとの同一視を避ける為に使ってきた論法を長々と検証しましたが、ではどうすればよいのか考えて終わりにしたいと思います。完全な個人的な意見ですので、興味ない方はスルーして下さい。
まず、PZN全体を雑にひとくくりにして論じる事は不可能なので、それぞれ所感を述べておきます。
Pに関しては、実行は論外なので、その欲求を無害な形で解消する事を推奨し、団体として「手を出さない支援・連帯」をしていくのが良い。二次創作の児童性描写は違法の国もありますが日本では合法なので、その辺りを駆使して実在の子供に手を出さない人生を送って欲しいと思います。
Zも同様なんですが、俺個人は動物との性交渉を恥ずべき悪徳とは考えていない為、小型犬を無理矢理手籠めにして死なせるような事さえ無ければ、当人が一生動物の幸せという答えの無い難題を考えて悩みながら生きていけばよいと思います。実行が良いとも悪いとも言いません。ちなみに俺はZでも動物との性的接触はした事無いので、勘違いなさらぬよう。
Nに関しては、死体性愛の合法化で戦う事は難しいので、まぁこれもP同様創作物での解消がメインになりますかね。信念を持って死体性愛の正当性を主張し、合法化に向けて活動する人がいたら普通にカッコイイと思うので、個人的に応援します。
今の時代、VR等、空想を具現化して感じられるツールは沢山あるので、基本的にはそれらを駆使して無害に過ごしてくれる事を願います。
*LGBTとの連携について
上記で述べた通り、LGBTは歴史的にペドフィリアアレルギーとは言え、活動家やLGBTアライがほんの少しでも「ペドフィリアについても我々は考える必要がある」と述べると即座に炎上します。まぁ生存権絡むのでやむなしなんですが、「欲求の実行を肯定しない」という当たり前の事を前提に
「そのような人々の相談先を充実させ、無害に過ごす事を応援すべきだ」
と主張できるようになる事を願って止みません。
さいごに 余談の余談
私は物心ついた頃から動物と男性に性的魅力を感じており、10代の頃は笑って過ごしていましたが20代に入ると深刻な悩みの種となりました。周りが恋バナに興じる中、俺の心はオスのロットワイラーの尻に向けられています。
「俺、動物が性的に好きなんだよね」と相談できる場所など皆無で、悩み過ぎて精神科に行き、恥ずかしながらも一生懸命に話した所、
「性的嗜好は矯正できるものではないし、折り合いをつけて過ごしていくしかない。欲望が止まらずに生活に支障が出たらまた相談して欲しい」
と言われ、なんの処方もなく家に帰りました。そして悶々とする中、セクシャルマイノリティの電話相談があると聞いて電話をかけました。
今ではセクマイは「LGBT」を指す言葉として知られていますが、当時の俺はそんな事は一切知らなかったし、「性的少数者」の字面を見て自分も含まれていると思ったのです。だって「性的」な「少数者」ですからね。
勇気を出して電話をしたら、「お前はセクシャルマイノリティではなくただの頭の病気だから精神科に行け」と言われて門前払いされました。行ったうえで電話してるんですけど。そして即座にtwitterでその事をブチギレながらツイートしたら炎上しました。踏んだり蹴ったりです。
ただ、最近酔った勢いでその事を思い出して発狂し、同じ電話相談に「少しでもZを否定したら論破してやろう」と悪徳に満ちた感情で同じ事を相談した所、相談員の方が滅茶苦茶良い人で
「動物に惹かれてしまう事に関しては相談対象外だけど、勇気を持って電話してくれたことに敬意を払うし、そういった人達の支援もこれからの課題として認識していきます」
とあまりに否の打ち所の無い完璧な応対を返され、嬉しくて普通に泣いてしまいました。欲望を肯定して欲しかった訳ではありません。俺は、解消不能で誰にも言えない俺の秘密に、理解を示さずとも拒絶せずに話を聞いて、単に同情して欲しかったんだなと思いました。
こんな感じで、実行を肯定せずとも、性の悩みを抱えた人々の苦悩が解消される事を望みながら、本記事を終わりにしたいと思います。
尚矢


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