十八
あたしの傷は、見た目ほどには酷くはなく。
これじゃあ見世にも出せやしない、とさんざん嫌味を言われながら、
しばらくは伏せっている事となった。
あたしの世話を譲ろうとしないせいで、
かをるのお披露目も伸ばされることに。
「太夫、失礼します。」
盥を抱え、襷を掛けたかをるが入ってくる。
「空気を入れかえますね。」
障子をからりと開けると、もう初夏の匂いを含んだ風が渡ってくる。
まだ昼見世の前、客達の姿も通りにはなくて、
この町の息衝く音、子供の声や物売りの声。
この僅かな時間だけ、この町にも人生があることを思い出させる。
いつもと陽射しの匂いまで違うよう。
昼日中の空気は穏やかで清々しくて、
そんな風景にかをると二人、溶け込むようで気分がいい。
あたしの知ってる空気は、白粉や香が濃く沈むばかりだから。
柳の緑が、今日はとても鮮やかだ。
いつものように背中を拭いて、人差し指でそっと薬を伸ばしてゆく。
ゆっくりと丁寧にすり込んでいく。
「沁みたら、言ってくださいね。」
あたしは首を傾げながら、鏡台に映る顔を盗み見る。
寄せた眉毛、尖った口元、ひとつひとつ傷を確かめてでもいるように。
「そんなに、必死に塗らなくていいわ。」
うなじを撫でる風を感じながら、あたしは声をかける。
かをるは大きな瞳をあげて、鏡に気がついた。
頬が薄紅に染まる。
「あの、いえ・・・。」
「大した事ないのよ、見た目より。」
「そんなこと、ありません。
こんなに、・・・・・こんなに綺麗な身体なのに。」
呟くように、口篭もる。
「すぐに傷なんてなくなるわ。
それまで、面倒かけるけど。」
「いいえ、いいえ。」
口の中で呟きながら、また背中に戻る。
「今日は踊りのお稽古がありますから。」
かをるは一人で稽古に通わされる。
座敷に出すのに恥ずかしくない位に仕込むからと、
無理を通してお披露目を伸ばした。
「其れまで、ゆっくりと休んでくださいね。」
まだ少し傷が痛む。
あたしは枕に頬を乗せたまま、
緑の匂いの中でまどろんでゆく。
お稽古の帰りには、かをるは花を買ってくる。
あたしの気が少しでも紛れるようにと、花器に飾る。
すかし百合、十二単、杜若。
今日は淡い都忘れ。
「このあいだの朝顔の鉢は?」
気が付いていたのかと驚いたように、かをるが赤くなる。
「あの、あれは、片付けたほうがって・・・」
「かおるの気に入った、花なのに?」
「でも、やっぱり、太夫には。」
「捨ててしまったの?」
咎めているつもりも無いのだけれど、残念そうな色が出てしまう。
「いえ、あの・・わたしの部屋で。」
「ここで育てたらよかったのに。」
「いえ、あ、でも。太夫が許してくださるなら。」
「こちらの方が日も良く当るもの、花も喜ぶわ。」
あなたらしい朝顔が、本当は一番気に入っている。
およそあたしらしからぬ花なのだけれども。
そんな自分に洩らす笑みを、不思議そうに、
だけど幸せそうに、かをるが見る。
じめつく雨の香りを風が含み始める。
紫陽花や菖蒲が花屋に並ぶ頃、
太夫の背は又滑らかな白さを取り戻す
かをるの振袖を選ぶ。
振袖新造の赤い振袖。
鮮やかな、粘りつくほどの赤を選ぶ。
あたしが見世に出る夜に、
かをるは衣を緋に替える。
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