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十七












夜明け前、わたしは太夫を抱えるようにして部屋に戻る。






雪のような真綿の布団に、太夫をうつ伏せる。
流れ落ちる乱れ髪の下、煙る睫は閉じられたまま。
艶やかでふっくらとしていた口唇の紅は剥げ落ちて。
噛み締めた名残の血が薄っすらと滲んだまま。


皆を起こさないように、そっと盥を取りに行く。






水に浸した手拭で、口唇を拭う。
出来うる限り丁寧に、襦袢を脱がせてゆく。
赤黒い筋が薄紫の地に、滲んで浮かぶ。
華奢な背に縦横に走るのは、わたしが受けるはずだったもの。
ささくれ一つついたことの無い肌は、わたしのために傷にまみれ。
吸いつくように滑らかだった皮膚は、赤黒く腫れあがる。
あんなに美しいこの人が、わたしのために引き裂かれて。
固く瞳を閉じて、荒い息を押さえている。


どんなにそっと触れても、その度に太夫は低く声をあげる。
自分がどれほどに無力なのか、思い知らされるようで、
わたしは口唇を噛み締める。
太夫は泣かなかった。
昂然と頭を上げて、わたしの為に打たれ続けた。
わたしに泣く資格なんてありはしない。
目の縁に溜まる涙を感じながら、わたしは血を拭い続けた。














どこをどうして帰ったのか、覚えちゃいない。
ひんやりと沁みる感触で目が醒めた、
ぼんやりとした視界の片隅で、かをるの手があたしを拭っていく。
それはこの上もなく優しくて、
鋭い痛みとは裏腹に、あたしはまだ夢の続きにいるようで。


背を拭い終わったのか、手拭を盥に浸す。
あたしが起きているのは気が付いているのだろうに、
一言も声は発さずに、口が固く引き結ばれる。
ひんやりと細い指が、あたしの手を包み込む。
どうしてよいかわからない瞳をしたままで、こちらを見つめ続ける。





「・・・・・・ありがとう。」






太夫の顔が、ゆっくりとこちらに向けられた。
まだ半眼のままの、夢見るような瞳で。
柔らかくあがる口の端も、いつもと変わりはしない。
綺麗な、綺麗な顔のまま。



「いえ・・・、いいえ。」


堪えてきたものが、少しずつ裂けてくる。
目の縁に溜まっていた透明な膨らみが、筋となって頬を伝う。
堰を切ったように止められない。
涙を零し、わたしはしゃくりあげ始める。
「 ・・・・・ ごめんなさい 。ごめんなさい。」
手を捧げ持ち、拝むようにひたすらに頭を下げる。
揃えた膝頭に、涙が落ちてゆく。
辛くて切なくて、そして情けないわたし。
そっと指に指が絡められる。




「泣かなくて ・・・いいの。」



かをるは驚いて顔をあげる。
泣くことなど、ないの。
あなたは綺麗なままですもの。
あなたの手はとても気持ちがいいわ。
あたしは嬉しくて、だから微笑みが浮かぶ。


そして太夫は、艶然とわたしに微笑んだ。
桜貝のような薄い爪で、柔らかくわたしの頬を掠める。
震える口唇は、言葉にならぬまま。
べたべたの頬に掌が触れる。



「 ・・・いいの。
 だから、もうしばらく・・・・・・  ここにいて。」



そして太夫の瞼が緩やかに閉じてゆく。
蝋たけた顔に鮮やかな黒髪を散らせたまま、
太夫は眠りの淵に沈んでいった。
太夫の手にわたしは自分の手を重ね。
その苦痛を分け与えてもらえたらと、頬に押しあてる。














出入りのお医者さまに、太夫が診てもらっている間、
わたしはお内儀さんたちに、きつくきつく叱られる。
何回も頷いて、畳に頭を擦りつける。
これ以上わたしの為に太夫に傷をつけないで。
それしか頭には無くなっていた。


「まあ、痕が残る程はやっちゃあいないと思うけれど。」
ほんの少し,胸を撫で下ろす。
「だけどね、太夫はあんたの姐さんなんだから。」
わたしは頭を下げたままで。
「なんかあったら、太夫にまで迷惑かかるんだよ。」
「はい。」
「これに懲りたらもう金輪際、馬鹿な真似するんじゃないよ。」


「はい、 ・・・・決して。」









もう二度と、ここから出てなどいかないから。
だから、あの人を傷付けないで。









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