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十
それからも時々、かをるは苦しげに夜を過ごす。
荒い息遣い、首筋に張りついた後れ毛、薄く開く唇。
あたしはどうしてよいかわからない。
だから、抱き締める。
言葉にすれば散ってしまいそうな、朧げな闇の中、
胸にかかるかをるの息遣いを、深く抱き締める。
互いに交わす言葉はなく、互いに触れる腕は見ず。
出入りの医者をそっと呼ぶ。
加減が良くないことは間違いは無いようだ。
「なにか精のつくものを。」
口止めの酒代を握らせる。
身体一つのこの仕事では、病は命取りだ。
使われるだけ使われて、投げ込み寺で無縁仏になるばかり。
あたしははじめて、なにかに執着している。
炎の記憶、わからなかったあの女。
何故だか思い出す。
「かをるだけどね。あたしの世話で手一杯だから他には使わないで。」
「だって、お前、それじゃあ他にしめしがつかないだろうが。」
「つこうがつくまいが、知ったこっちゃないわ。」
「ったく、我侭なんだから。」
溜め息をつくお内儀さん。
でも、あたしは無理を通す。
遠い半鐘は、記憶の彼方。
季節はようやく、その色を変え始め、
風も甘い薫りを含む。
仲の町の桜が媚びるように開き始めた。
今日は野掛けでお店はお休み。
久方ぶりに大門を出る。
上野のお山は、今が盛り。
緋毛氈にままごとのようなお重が並ぶ。
お雛様みたいな女達が、思い思いに楽しむ一日。
仲の町の桜も、とても綺麗だけれども、
果てしない空に枝を伸ばす桜の方がわたしは好き。
渡る風も注ぐ陽射しも、全てが生きているようで。
「ねえねえ、かをるちゃん。」
他のかむろたちは姐さんたちの話でかまびすかしい。
「ったく、すぐにね、癇癪起こすのよ。」
「悪い人じゃないんだけどさ、惚れっぽくてよく泣いてる。」
「お稽古、厳しくていやんなっちゃう。」
口さがない娘たちは日ごろの不満をぶつけ合う。
「ああ、どっちにしても早くお座敷に出して欲しいよねえ。」
「磨けばあたしたちだって、ねえ。」
「そして、綺麗な打掛買ってもらって。」
「凄い旦那に身請けしてもらって。」
桜の下、話は止めど無く続いてゆく。
綺麗な着物とか身請けとか、それがわたしたちの夢なのだろう。
それはわたしの夢なのかしら。
人いきれに当ってしまったようだ。
華やかな一角から外れた小さな樹の下で、ゆっくりと花を見上げた。
「かをる・・?」
今日は打掛ではないけれど、
すきっと垢抜けた羽二重で微笑む姿は桜の化身とすら思えてしまうほど。
提灯の明かりの下の太夫も綺麗だけれど、
花を透かす陽射しの下、抜けるような肌に桜色が映る。
そよ風に揺らぐ光さえ、彼女の彩りに過ぎないのだ。
「どうしたの、疲れた?」
わたしを気遣う言葉が増えてくる。
それは姉のような、母のような、
でもどちらでもないような。
「いいえ、この頃は調子がいいんです。」
「そう、ならいいけれど。決して口外してはだめよ。」
調子は良くも無く悪くも無く。
でもお座敷に出るくらいは大丈夫。
お稽古とお座敷と、そのほかの仕事は各段に減らされた。
みんなの話に入れない訳だわ。
だって、わたしは、少しでも長くこの人の側に置いて欲しいと、
ただそれだけを思っているのだもの。
わたしを哀れと思って見せてくれる、
夢だとしても。
「外の桜は、綺麗ね。」
細い首を傾けるようにして、太夫は呟いた。
「ええ。」
「仲の花は、好きじゃないわ。」
問い返そうとは、何故か思わなかった。
風花のように舞う桜のただ中で、
わたしたちは、佇んでいた。
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