はじめに
権丈ゼミでは、「右腕カップ」と「卒論トーナメント」という、バトル形式の研究発表方式がとられている。これは非常に画期的なシステムである。発表者は常に先生、他の4年生、3年生による優劣の評価の下にあるわけだから、中途半端な発表はできない。バトルで勝つために発表者はかなりの準備を迫られ、結果として、発表準備という過程を通じ、各ゼミ員の能力が飛躍的に高まることになる。これが競争原理の長所である。しかしこうしたバトル形式を整えるのみでは、みんなの貴重な努力を、どの方向で発揮すべきかは不明瞭である。いわば、土俵はあるけれども、どのように相撲をとってよいのか分からない状態である。そこで、菰淵@3期は、2002年9月某日、先生より、「経済学の、そして僕が考えている理想的な卒業論文とはどのようなものなのか?を念頭に、理想的な研究につながるインセンティブスキームを作ってくれ」と頼まれることとなった。
最初に断っておかなければならない。このインセンティブスキームはこれから(2002年度)試されることとなる。運営にあたって、様々な修正を加えなければならなくなる場合もあるだろう。2002年はトーナメントの途中からこのルールが適用されるため、試用期間的なものとならざるを得ない。けれども、制度は進化するものである。わたくし菰淵が作ったこのスキームを叩き台として、後輩たちよ、君たちが、来年度以降、必ず素晴らしいものに育ててくれることを、期して止まないことをここに記しておきたい。
卒論の枚数
権丈ゼミにおける卒論の枚数は、基本的にB5用紙100枚(余白:上下右2.5㎝、左3.0㎝。フォント10.5ポイント。行間1。文字数にして約?00字)。かなりの分量である。しかし、この分量は各ゼミ員の心がけ次第で大きく変わってくる。それを以下に説明していこう。
実証分析
マーシャルが教授に就任した時の記念講義のなかで、「緻密な思考力(cool head)と温かい心(warm heart)を兼ね備えた思考力」が経済学者に必要であることを論じたことはあまりにも有名である。実証分析は、ここで言う緻密な思考力を鍛えるための手段である。
「卒論の作成は、たった一言でもいいから、正確な本当のことを言う訓練だと考えても、まぁ、間違いではない」というのは先生のコメントによく出てくる言葉である。この言葉は、先生が続ける「聞屋の世界の“裏をとったか?”と相通じるものがある」というヒントから分かるように、言っていることが本当のことなのかどうか、正確なことなのかどうかを、証拠をもって論理的に証明する訓練、これが卒論作成のなかでとても大切なことである・・・とわたくし、菰淵は思う。経済学的には、時に実証分析とも表現されるが、実証分析と言えば、計量経済分析を行うことと同じ意味であると誤解されるおそれがあるので一言説明を加えておこう。ここで求めている研究は、何も計量経済学的な実証分析だけを指すのではない。時に、計量経済学的にデータを加工しまくった結果を見せ付けられたり、多重共線性の問題を無視してとにかく変数を放り込んだ回帰分析の結果を並べられるよりも、単純な基礎統計を見せてもらったり、ヒストグラムを描いてもらったりする方が、よほど、本来の意味での証明に寄与することがある。権丈ゼミで求められる実証分析とは、そうした分析も含むものである。したがって、再び原点に戻って、「卒論の作成は、たった一言でもいいから、正確な本当のことを言う訓練」に則った作業をしてもらいたいと思う。虚説、妄説、思い込みではなく、自らの発言は、なお「作業仮説(working hypothesis)」に過ぎないことを自覚して、その作業仮説を検証して後に、正確な本当のことを述べる、それが我々に要求される実証分析なのである。
そこで、この実証分析を明確に意識して、卒業論文に「実証分析」の章を設けたゼミ員に対して、卒論枚数の削減という「報酬」を与えることにした。実証分析を行ったものには、一律20枚の卒論免除が与えられ、それは成績によって判断されることになった。ただし、削減される枚数が割合的に大きいので、かなり厳しい基準で審査されることは覚悟されたい。
論文(外国語を含む)を軸とした研究
「質的にも時間的にも、研究の最先端は、本の中にあるのではなく、論文のなかにある」。この言葉も、先生が言っているのを聞いたことがある。本は、通常、論文が書かれた後、世間に出てくるものである。本を軸として研究をすすめても、その大元の論文が既に時代遅れとなってしまっている可能性がある。理想的な研究をすすめるためには、常に最新の論文にあたる必要があるのは理解できるだろう。しかしながら、論文よりも本の方が比較的読み易いために、われわれは安きに流れてしまいがちとなる。そこで、論文を軸として研究を進めた者に対しては、卒論枚数が削減される(外国語の論文の場合、日本語の論文の2倍削減される)ようにして、われわれの論文が、理想的な卒業論文に一歩でも近づくようなインセンティブ・スキームを設けたいと思う。
ところで、参考文献の欄に、読んでもない論文を載せるといった「モラルハザード」を引き起こしてしまう可能性は拭いきれない。モラルハザードを防ぐためにはどうすればよいだろうか。ここが一番悩んだ点である。そこで、引用しなければならない論文の最低冊数を設定することとし、また、引用した論文についての解説、どの部分を引用したのか具体的なページ、引用した理由などをワードで簡潔にまとめ、発表の時に掲示板にアップするなどしていただきたいと思っている。最低限度を越えたものには、引用した冊数に比例する形で卒論枚数が削減される。質と量を鑑み、どれくらいの削減をすればよいのかは、卒論向上委員会に委ねたい。ご協力をよろしくお願いします。
卒論トーナメント
今年度から、対戦形式の卒論発表が開始された。途中で負ければハイソレマデヨよろしく、発表する機会をあえて少なくしようとする人間が出てくるかもしれない。したがって、そういった不埒な人間を出さないため、勝ち続けるよう動機づけることにした。
予選リーグ、決勝トーナメントに限らず、
・          1勝もできなかった場合⇒+20枚
・          1勝で終わった場合⇒+0枚
・          2勝で終わった場合⇒-20枚
・          準優勝者⇒-40枚
・          優勝者⇒-60枚
こうすることで、トーナメントを勝ち続けるインセンティブをもってもらえると思う。決勝戦に進んだ2名に関しては、B以上の単位が確定し、さらに最低限書かなければならない枚数も上記のようになる。これは既に先生の了解を得てあるので心配しなくてよい。むろん、あくまで最低ラインであり、これ以上書いても一向に構わない。
ところで、なぜ、決勝進出者には、こうもご褒美がでるのかについて一点説明しておこう。実は、卒論トーナメントの決勝戦は、日吉で開催するオープンゼミの場で行われることになっている。大勢の学生の前で自分の研究を発表することは、よほど奇特な人間でもない限り、かなりのディスインセンティブとなるだろう。そこで、わたくし菰淵と先生とで相談して、いわゆる経済学的に言えば、「参加制約(participation constraint)」を満たすように条件を設定しないことには、決勝に進出するよりも準決勝で負けるほうが効用が高くなると思われたからである。その結果、決勝進出者には、相当のボーナスが与えられることになった(・・・情報の経済学が、こういう形で活かされていることを、みんな知っておいてね。)
既存研究
先生は、既存研究のくまなき渉猟、と同時に既存研究への批判的姿勢を非常に重視しておられる。既存研究をしっかりとサーベイし、その後にその弱点を批判する、そこからしか研究というものは生まれてこないからである。批判のない研究は、結局、もとの研究の二番煎じに過ぎない。したがって、独自の研究には既存研究への理解と批判が不可欠である。これは、右腕カップと連動させようと考えている。
右腕カップにおいても、卒論トーナメント同様、卒論枚数に影響を与えることにした。
・          1勝もできなかった場合⇒+20
・          1勝で終わった場合⇒+15
・          2勝で終わった場合⇒+10
・          3勝で終わった場合⇒+5
・          優勝した場合⇒±0
既存研究のサーベイに努力することは、3年生の段階から卒論に取り組む意識を持つことになるし、4年生になってからの研究の土台となることは無論のこと、研究の方向性の指針ともなる。
シードで勝った場合は2勝したものとするが、負けた場合は1勝もできなかったものとする。また、第5期生からは、慶應の大学院に進学しようと思う者はベスト4に入らなければならないという、厳しくも崇高なハードルが設けられることになった。
さらに、自分がどれだけ既存研究のサーベイを充実させているかを公にし、他者(主に先生と4年生)に評価してもらう格好のツールとして、我々はホームページを持っている。また、自分の研究領域ではない部分から、新たな発見が見つかることがある。ホームページにまとめた既存研究が公にされることで、その領域に関する知識を共有することが可能となる。ストックとしてのメリットと、他者の研究領域と自分の研究領域の結合による創造という、相乗効果のメリットが、ホームページ上から生まれるのである。したがって、ホームページで既存研究のサーベイを発表することは評価の対象となる。どれだけ枚数を減らすのかは、各チューターに一任することにする。大まかな基準は以下に示しておくが、もちろん変更の可能性もある。
・本(論文)の概略をまとめる
・その中に出てくる理論で、自分の研究の武器となりそうなものをまとめる
・ある学者の主張をまとめる
・専門分野だけではなく、サブゼミなどで輪読するミクロ、マクロ、計量経済学のテキストをまとめる
0~15枚の幅をもたせたいが、これも適宜修正していこうと思う。
さらに、ホームページそのものの充実にも力点をおきたい。これは先生のゼミ員に対する要望であるからだ。「わたくしは、『読む・考える・書く・話すという4つの基本スキルを非常に重視する』」と、先生はゼミ紹介のなかで述べられており、このうちホームページの充実は前者三つ、そして結果的には四つ目の話す能力を養うにはもってこいであろう。ここで重要なのは、見た目や、こった技術にこだわったページを作ることではなく、中身である。ゼミ員はみな、それぞれのホームページをもっており、コラムや読書録、旅行記、映画禄は必須となっている。この部分を充実させることは、「読む・書く・考える」スキルを伸ばす手段として、もっとも身近なものである。これを利用しない手はないだろう。また、ホームページのことを考えつづけるライフ・スタイルの確立、不思議とゼミへのコミットメントを高めることになり、同じようなまわりの仲間とは、寝食をともにする身内にもにた仲となっていき、まさに一石八鳥くらいのメリットをもつことになる。
ゼミは、社会に出る前のコミュニティといえよう。ただし、そのコミュニティに所属できるのは、たったの2年間である(実質的にはもっと短い)。言い換えると、2年経過したら、自動的に社会に向かって巣立たなければならないのである。そのためにも、研究やホームページを通じ、ゼミというコミュニティに所属している間に、社会へ出るための準備をして欲しい。
その逆に、ホームページをなおざりにしている者は、次第にゼミやゼミの仲間との距離がひらいてくる。そこで、取り返しがつかない事態になる前に、ホームページをなおざりにしている仲間に対しては、ある種の「警告」を与えておくことにする。
ホームページをなおざりにしておくと、リンク管理者による「リンク外し」が宣告される。ゼミのページから自分のホームページのリンクが切られてしまうのである。リンクを切られたものは、次式にしたがって、卒論の枚数が増加することにしておこう。
リンク外しを宣告された日を初日として、15日以内なら±0、16日~30日以内なら+10、31日~45日以内なら10+20=30、46日~60日以内なら30+30=60、61~75日以内なら60+40=100…というように、卒論枚数は増えていくことになった。ここでターム(1タームは15日、2タームは30日、3タームは45日…)数をnとおくと、
・          ΔPages=5n(n-1)(ただし、n≧1)
リンクを外されたからといって、ホームページをなおざりにしてはいけない。また、リンク外しに伴う卒論枚数の増分は、徳政令制度(後に触れる)の対象とはならないので要注意である。(リンクが復活するのは、先生が、そのホームページが、みんなのホームページの平均以上の出来である、と判断した場合となる)
ネットコントリビューション
発表の際に、我々は常にこの言葉を先生から聞かされることになる。ネットコントリビューションとは、自分の研究の付加価値といっていいだろう。各人、自分のネットコントリビューションは何なのかを明確にし、発表に臨んでいただきたい。これは発表における必須事項とする。
徳政令制度
最後に、「徳政令制度」について触れておこう。不運にもトーナメントの初戦で敗れ去る者も出てくるだろう。そのような人のために、この制度を設けることにする。具体的にいうと、歴史小説およびノンフィクションを4年生時の12月31日までに50冊読破した者は、上記のルールにもとづいて増加した卒論枚数がチャラになるという、素晴らしい制度である。どのゼミ員がどれだけの「歴史小説・ノンフィクション」を読んだかは、歴史センス養成所のページで確認できるし、ここにも潜んでいるモラルハザードは、三代目が考案したシステムによって解消されるだろう。
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