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  42.

 









迷宮の糸は途切れ、又もつれ。
しかし確実に、流れゆく。


それは惑う人間たちを嘲笑うように、終焉を指し示しているのかもしれない。













部屋に辿り着く。
重い扉をいつものように開く。
仕事着をランドリーボックスに脱ぎ捨てる。


まだりかは帰らない。


シャワーの栓をひねる。
顔から、熱いシャワーを浴びてみる。
ぶんさんの言葉が、なぜか蘇る。

・・・・空にする、捨てる、そして・・・・・・

思い切りがしがしと、顔を洗う。
頭を振って、シャワーを止める。
聞こえそうな言葉を、押し殺すように。
見えてしまいそうな顔を、打ち消すように。
ふかふかのタオルで、身体を乱暴に拭く。
タオルに染みたコロンの香り。
同じ匂いのする石鹸。
いともあたりまえに受け入れている、自分。

鏡の前で、髪の毛を上げてみる。
初めてこの部屋に連れて来られたあの頃より、痩せてしまったのが分かる。
でも、変わったのは痩せたせいだけじゃない。
鏡から離れる。


裸のまま寝室にいって、片隅のチェストからパジャマをひっぱりだす。
クローゼット、飴色のチェスト、染み付いた煙草とコロンの香り。
ひとつひとつ釦をかけながら、なんとはなしに見回してみる。
いつのまにか、そのなかで呼吸できている自分に気がつく。



俺はあの頃と変わらずに、
やっぱり、お腹は空いて、
やっぱり、身体は軋んで。
やっぱり、心は痛んで。

それなのに、じわりとするほどに皮膚に染み込んでくる、空気。
それは、今この時ですら、あいつと繋がっているような。






確実に何かが変わっている。
運命と言っていいほどの何かが。
自分の崩れゆく足元を、初めて見たかのような眩暈を覚える。
俺は、早々にベッドに潜り込む。

あの香りに包まれたまま。
眠りは甘やかに、俺を引きずり込む。




















酒が増えていることなぞ、言われずとも分かっている。
なぜ飲むのか、答えを出さないだけだ。
分からなければ、飲み続けられる。
覚醒しそうな神経を力ずくでねじ伏せるようにして、グラスを傾ける。

ボトルが空になる頃に、やっと重い腰をあげる。
脚を引きずるようにして、暗い廊下に脚を踏み出す。
部屋までの道が、やけに長く感じる。
静謐に、ゆるやかに続くその道を踏みしめながら、
鼓動が上がるのを、感じる。


俺は、畏れているのか。









部屋はもう、灯りが落ちている。
この時間だ、当たり前だろうと口の端が上がる。

光に怯える、異形の物のように灯りを落としたまま部屋に滑り込む。
嗅ぎなれたコロンの香り。
それは、いつしかたにの香りと融合し、
この部屋の香りとして息づいていることに、今更気がつく。

迂闊さを自嘲しながら、タイを緩め、ソファに倒れこむ。

痺れるこめかみを抑える。
無意識に、最初に手に触れた酒を取る。
今日、三箱目のジタンを開ける。
深くソファで、伸びる。


ぼんやりと首を回す。
ベッドに膨らむ影も、いつのまにかあたりまえのものになてしまっていたことに気がつく。
緩やかな寝息が、柔らかな吐息のように俺を包み込む。。

自分はどんな顔をしていたのだろう。
遥か過去の、記憶を探る。
雲の流れも月の翳りも、何一つ変わっていないはずなのに。、
遠い彼方、思い出せない。
くゆらす煙を透かし、見慣れたはずの顔に目を向ける。
僅かに削げた頬、引き締まりだした輪郭。
それでも無防備に、薄く開いた唇。
けぶるような睫の下は、未だ意思を秘めた瞳が眠る。

何も本質は変わらなかったのだ。
あの日から、あの出会いから、俺は目を背け続けてきた。
苦い酒は原始の本能を呼び覚ますのだろうか。
必死で眠らせてきた、心の奥底を。
怯え、戸惑い、混迷の極みの欺瞞を装って。
どくどくと、俺の血の音が響く。
暗い部屋の中、なぜだかそこだけは切り取られたように浮き上がり。
俺の目は、離せない。











不意にたにの瞳が、開く。
「寝顔見てるなんて、趣味悪いぜ。」
枕に顔を押し付け、小さく呟く。


自分はどんな顔をしているのだろう。
揺らぐ足元、辛うじて持ち堪える。
手繰る糸の、行方を探す。

口の端が苦く、上がる。
「そうか俺は、趣味、悪いか。」
胸の奥から、何かがせり上がる。
操られるよう腰を、上げる。





もがく身体を捻る。
渇える身体で押し潰す。
耳元で、囁く。

「俺が、嫌いか。」


搾り出すように、叫ぶ。
髪を掴んで仰向かせる。
歯が当る程に口付ける。

「俺が、憎いか。」





この声は届くのだろうか。








何が起こっているのか。
俺は見えそうで、見えなくて。
ただ、ぼんやりと透けてみえる。
りかの顔の奥に、もうひとつの顔が。
りかの瞳の底に、もうひとつの瞳が。

腕に噛み付く。
思い切り腹を蹴り上げる。
ベッドから飛び出した。
りかがタイを解く。

手元のグラスを掴む。
思い切り投げつける。
破片が壁に飛び散る。
りかの頬を掠める。



もうひとつの顔が歪む。
それは、哀しさを湛えた瞳で笑っている。


それは、俺が始めて見た。
だけど、ずっと見ていた。
りかだった。



何かの翳が、過る。
何処かで糸が、繋がる。
繋がる糸に、戸惑う。
縺れるように糸は魂を締め付ける。

なぜだか、涙が溢れる。

伝う涙が熱くなる。
喉に想いが競り上がる。





「この、変態。」




この思いは届くのだろうか。





ベッドに叩き込まれる。
両手が戒められる。
俯される、仰向けられる。
体中を、彼に覆われながら。
限界まで仰け反らされる。
千切れるほど揺振られる。
体中に彼を感じながら。

身体が、心が、震える。
そして、溶けてゆく
全て俺は、溶けてゆく。


りかの中へと。






膝で押さえ込む。
たにの唾が飛ぶ。
俯せる、仰向ける。
体中で、彼を追いながら。
仰け反る身体に縋りつく。
溺れる者があがく様に。
全ての欺瞞が崩れ落ちる。
剥き出しの心、胸を焼き尽くす痛み。
それは、初めて触れ合う怯え。
そして、狂おしいまでに求める叫び。



もう、離せない。










そして、辿りつく。


戒めが解かれる。
深い瞳に吸い込まれる。
唇を寄せる。
指を髪に埋める。

指が緩やかに滑る。
柔らかな舌が自ら絡みつく。
瞳の色が変る。
確かに抱き締められる。

唇を這わせる。
りかが流れ込む。
掌を重ねる。
タニに流れ込む。




互いに同じものであること。
今、初めて気がつく。





溶け合い縺れ合う、身体と心。
流れは緩やかに、だが確実に、一つになる。

涙と汗の中、のたうつ様に絡み合う。
口付けと吐息の下、尽きぬ想いを重ねあう。

身体が、心が、そして魂が。

今、初めて引きあい。
今、初めて求めあい。




一人が一人の聖域として。










迷宮の果てが微かに見える。








遥か蒼穹が、霞む。


















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